第一幕ノ三 化け物長屋での待ち伏せ――ただの厄介者
門をくぐった煉弥が辺りを見渡すと、案の定、集落の中はさながら墓場のように静まり返っていた。
普通、江戸の長屋といえば、朝は小僧どもの走りまわる姿や、長屋の細君や女丈夫たちが井戸で水を汲みながらの井戸端会議でにぎわっているのが相場である。
だが、ここに住まうものどもは妖怪である。妖怪というものは、個体差はあれど、その基本的な活動時間はやはり夜にかたよっている。つまり、ここの住人にとって朝とは夕方の黄昏時を指し、夜とは普通で言う朝のことを指すのだ。ややこしいが、それがこの化け物長屋の時間の概念であり、規則でもあった。
眠っている妖怪達を起こしちゃ、どんな仕打ちをうけるかわかったもんじゃない。煉弥は抜き足差し足忍び足といった体で、己の長屋の部屋の前へと移動した。
「まったく、気ぃ使うことおびただしいぜ……」
障子も音をたてないよう細心の注意をはらってあける。
すすっとゆっくりと開かれた障子の先には、万年床のせんべい布団が敷かれた散らかり放題の六畳間。それが煉弥が御上からあてがわれた部屋であった。雨風がしのげりゃあそれでいいとは言ってはみたものの、まさか本当にこんな部屋をあてがわれるとは思いもしなかった。今となっては後の祭りでしかないのだが、そのおかげで謙遜がいかにアホらしいものかと学ばせてもらったと思っていた。事実それ以来、煉弥は自分に被害が及ばぬ限り誰が相手でも物事をハッキリ言うようにしていた。
部屋へと入り、後ろ手でゆっくりと障子を閉め、
(何者かの――――気配)
不意の襲撃に対応できるよう、煉弥は腰の小太刀に右手をかけ、ゆっくりと部屋の中を見回した。
すると、部屋の中央のせんべい布団が、もこっと盛り上がっていることに気がついた。間違いなく、何者かがそこに潜んでいる。
(朝帰りするほど働いたってのに、まだ働けってことかよ? やってらんねぇなぁ……)
妖怪仕置き人という公務上、煉弥は方々の悪党妖怪共から恨みを買っている。それゆえ、このような待ち伏せを受けたことも一度や二度ではなかった。きっと、布団の中に潜んでいる奴も、そういう手合いの奴だろう。
ただ、潜む場所から考えて、そのオツムがかなりよろしくないことだけは想像できた。馬鹿でもわかるほどバレバレであるし、この化け物長屋でそんな狼藉を働けば、たとえ襲撃が成功したとしても、その後に他の住民共からの集団リンチが待っていることは明白だ。
(それとも、よっぽど腕に自信のあるやろうってことか)
肝を据え、ゴホン! とわざとらしい咳払いを一つして、布団の中の襲撃者に気づいているんだぞと合図を送る。そして煉弥は腰を落とし、すぐさまに反撃ができるよう、態勢をととのえた。
数秒の間が過ぎる――。
だが、布団の中の襲撃者は何の反応も起こさない。しかしひょっとすると、油断させておいての不意の一撃がくるかもしれぬ。煉弥はもうしばらく腰を落としたまま、布団をじっと見つめて警戒した。
待つこと一分。おかしい。いくらなんでも、ここまで無反応なのはおかしい。
「ん~~……?」
煉弥は反撃態勢を解いて、あらためて布団を注視した。
すると、布団が規則正しくゆっくり上下していることに気づいた。それに耳を澄ませてみると、すぅすぅという寝息らしき音も聞こえる。
(……まさかと思うが、待ち伏せてみたのはいいが、あまりにも俺が戻ってくるのが遅くて、そのまま寝ちまったなんていうオチじゃねえだろうな)
音をたてぬよう、布団のそばへと忍び寄る。そして布団の下方に手をかけ、どうすべきか思考を巡らせた。
(さて、ここは布団をゆっくりはぐべきか。それとも一気にはぎとってみるべきか……)
よし、ここは一気にはぎとってやるべきだろう。そのほうが、相手も虚を突かれた形になって、後の展開も有利に運べることになる。
煉弥は意を決し、一息にがばっ! と布団をはぎとってみると――――そこには煉弥の想像の斜め上をいく光景が広がっていた。
布団の中にいたのは、なんと全裸の少女だったのだ。
健康的な薄褐色の肌は昨夜の寝苦しさを表しているかのように寝汗でしっとりと濡れ光り、小ぶりだが実に形の良い乳房は寝息とともに上下に揺れている。何一つ身に着けていない一糸まとわぬ姿だというのに、神経が図太いのか大の字で豪快に転がっており、そのあどけなさと活発さが入り混じった愛らしい寝顔からは、絵にかいたような鼻ちょうちんをふくらませていた。
「あ…………」
まったく、虚を突かれたのは煉弥のほうであった。警戒のために神経をとがらせていたせいで、少女のその少女から大人に成長する直前といった魅力的な肢体のすべてを、煉弥はしっかりとその目におさめてしまった。若い童貞君には、刺激的すぎる光景である。
「す、すまんっ!!」
条件反射的にあやまりながら、慌ててはぎとった布団を少女にかけてやる。そしてくるりと回れ右をし、大きく深呼吸をして気を落ち着けようとつとめた。
しかし、どれほど気を落ち着けようとしても、先ほどの光景が頭に浮かんできてしまう。そんな己の情けなさと、健康優良児ゆえに生じる悶々とした思いを振り払おうと、部屋に隅に置いてある水がめに頭を突っ込もうとしたのだが、そこで煉弥はあることに思い当ってその動きをとめた。
よくよく思い出すと少女の股下から、ふっさふさの灰色の尻尾が伸びていた。それに、ショートウルフのツンツン頭には、犬のようなケモノミミがちょんと二つついていた。
誰がどう考えても、人間ではない。そりゃあ、そうだ。なぜならここは化け物長屋。いるのは妖怪ばかりなり。そして、そんな姿をした妖怪に、煉弥はイヤというほどに心当たりがあった。仕事仲間であり隣人でもあり、事あるごとに厄介ごとや騒動の種を辺りにまき散らしている、そんなうっとおしいバカな人狼の姿が煉弥の頭の中に浮かび上がってきたのであった。
「あ、の、や、ろ、う――――!!」
煉弥は水がめの横に置いてあるひしゃくを手に取り、それを水がめに突っ込んで水をくみ、怒りとともに布団に向けて思いっきり水をぶちまけた。
「きゃいんッ?!」
犬が鼻っぱしらをデコピンされたかのような素っ頓狂な声をあげ、少女が布団から跳ね起きる。そして何が起こったんだと辺りを見回し、煉弥の姿をその目にとめると、がるるるるッ!! と犬歯をのぞかせながら怒声をあげる。
「テメエ、なにしやがんダ?!」
「オオガミ!! てめぇこそこんなとこで何してやがんだ?! そっ、それはさておき――と、ともかく!! まずは前を隠せ!!」
あァ? と少女――オオガミは己の体に目をやり、あァ?! と、全裸であったことを思い出し目の前の布団を手に取り、それで体を隠して頬を真っ赤に染めながら煉弥を睨みつけた。そんなオオガミの視線から逃れるように、煉弥は今一度くるりと回れ右。
「こんなとこもなにも、自分の部屋で寝てて何がわるいってんダ?! テメエこそ人の部屋に忍び込んで、オレになにするつもりだったんダ?!」
「何言ってやがる、ここは俺の部屋だ!!」
「はァ?」
「よく見てみろ!! 枕元に刀置きがあるだろうが!!」
煉弥からうながされ、オオガミが視線を枕元へと移す。たしかに煉弥の言う通り、煉弥の長い刀のために特徴的な造りになっている刀置きがそこにあった。
「……ってことはあれカ? オレはテメエの布団で真っ裸で寝てたって、ことカ?」
「ま、まあ……そういうことになるな」
そこで会話は途切れ、部屋には気まずい沈黙が流れ始めた。あられもない姿を見られてしまったオオガミと見てしまった煉弥。変に意識してしまい、気まずさもさることながら、その気恥ずかしさもすさまじい。
(何を意識してやがる! 相手は妖怪だぞ! それも、あの悪名高き
己にそう言い聞かせ、なんとか平静を取り戻そうと煉弥はつとめた。
そう、このオオガミは見た目こそ少女のなりをしているが、その正体はかつて東北地帯の狼どもを仕切っていたボス狼、妖怪・千疋狼なのである。
オオガミは煉弥がこの化け物長屋に来た当初からの馴染みで、妖怪仕置き人としても同僚であり、何度かコンビを組んだこともある相手であり、煉弥の良き喧嘩仲間でもあった。
その性格はとにかくバカの一言につきるが、疾風迅雷という形容にふさわしい身のこなしと、その素早さから繰り出される体術の数々は煉弥のみならず、他の妖怪仕置き人仲間の窮地を何度も救ったこともある腕前だ。普段は中途半端な化け術で人間に化けているが、移動の時や仲間と共闘するときに限って元の狼の姿に戻り、人の目にはとらえられぬほどの速さでもって敵をかく乱し、場合によってはその背に仲間を乗せて敵へと向かう。
それらの能力からオオガミは仲間から『
煉弥は、ふぅと大きな深呼吸をして気を落ち着かせ、オオガミにむかって問いかける。
「と、トコろで、どどっ、どうして、オオガミがっ、お、お、俺の部屋にいるんだ?」
声は裏返り、ところどころどもってしまった。やはり、先ほどの光景は煉弥にとって、かなりの衝撃だったようらしい。どれほど平静ぶっても、それが臆面にでてしまう。
ああ、悲しきかなは童貞浪人よ。それに触発されてか、オオガミも焦りと羞恥がまざったような口ぶりになって答えた。
「べっべつに、やましいことなんかなにもねえゾ?! ただ、そう、ただ部屋を間違えただけだからナ!! それだけだかラ!! ほんっっと、ただそれだけだからナ!!」
「部屋を間違えるって……あのなあ、自分の部屋と人の部屋の違いくらい――――」
「こ、こっちを向くナ!!」
つい振り返ろうとしてオオガミから吠えたてられ、すまんっ! と慌てて背を向ける。そして嘆息しながら、独り言のようにつぶやいた。
「まったく……こんなところを他の妖怪に見られでもしたら――――」
そんな独り言が呼び水になってしまったか、しゅたんっ! と勢いよく部屋の障子が開け放たれた。余計な独り言は、どうやら予言となってしまったようらしい。
(嘘だろ……。いったい、誰がこんな時間から……)
やってきた相手によっては、ヘタすると俺はここにいれなくなっちまうかもな……。
軽い絶望感を覚えつつ、煉弥はゆっくりと開かれた障子の方へと顔を向けるのであった。
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