第一幕ノ二 妖怪と仕置き人の住居――化け物長屋


「まったく……朝焼けが目にしみるぜ……」


 昇ってくる朝日と、どこか遠くで鳴いている一番鶏の声を背景に、煉弥はふらふらと気だるげな足取りで家路へとついていた。


 蜘蛛駕籠を手際よく仕置できたのはいいが、その後がどうもいけなかった。


 妖怪仕置き人というものは、一応、形としては公儀御庭番――つまりは、将軍様直属の忍者組織の一員ということになっている。それゆえ、その素性を他人に知られてはならぬし、その公務を他人に知られてしまうというのは極刑がともなう御法度ということになっている。


 なので、妖怪仕置き人のあるべき姿としては、蜘蛛駕籠を仕置きした後は、さっさとその場を離れ、母娘をその場に放っておくことが正しい行動だといえるだろう。


 しかし、煉弥はどうもそういう人情味のないことができる性格ではなかった。


 もう丑三つ時(およそ午前二時半のこと)だ。そんな刻限に、この二人を放っておきゃあ、間違いなくまた別の悪党妖怪のエサになりかねん……しゃあねえ、なんとかしてやるか。


 そこでまずは蜘蛛駕籠の死骸を母娘の目の届かぬところにエンヤコラと運び、そこで死骸に火打石をカチンとやって火をつけ処理し、急いで母娘の元へと戻り、母娘の体にまとわりついていた蜘蛛駕籠の糸を切り裂いてそれも火の中へとくべた。


 そして改めてぐるりを見回して蜘蛛駕籠が存在したという証拠がなくなったことを確認し、母娘の体を優しく揺さぶってやった。


 ほどなくして母娘が目を覚ますと案の定というべきか、母娘はずざざっと煉弥のそばからたじろいで半狂乱。


 娘はきゃぁ! きゃぁ! と怯え、母親はそんな怯えた娘を抱きしめながら、わたしはどうなってもかまいませんから、どうか娘だけは! と、耳をつんざく悲鳴と泣き声の二重奏。


 おかしいな、俺が助けてやったはずなんだが、これじゃあまるで俺が襲ってるみてえじゃねえか、とため息を吐きつつも、ともかく煉弥は母娘を落ち着かせることに尽力した。


 時間をかけて、なんとかなだめすかすことには成功したが、落ち着いてきたら今度は煉弥に質問攻めとくる。


 あの化け物はなんだったのですか?! あなたはいったい何者でございますか?! お侍さんもわたしたちを食べちゃうのですか?! 母娘の口からついてでてくるは、先ほどの怪異のことばかり。まあ、最後の質問は明らかに道徳的によろしくないと思われるが、そこは気の動転した娘さんの言葉である。それはさておき、煉弥は一つ一つの質問に、それらしい答えをしてやっていった。


 ――化け物? そんなものいやしませんでしたがねぇ?


 ――俺はしがない貧乏浪人ですが、江戸にちょいとヤボ用がありまして、それで先を急いでいたんですよ。すると、道端に誰か倒れているかと思って駆け寄ったら、なんとまあ綺麗な娘さん二人が倒れているじゃあ、ありませんか? これはひょっとして一大事かと思い、お声がけをさせていただいたってわけですよ。


 ――お侍さんもって、娘さん。あんたぁ、そんなに男達から言い寄られてるのかい? まあ、そいつらの気持ちはわからないでもないが、もう少し、年を重ねてからにしたほうがいいと思うぜ? まだまだ育ちざかりな箱入り娘の身だ、大事にしなよ。


 とまあ、このようにして適当にはぐらかしおだてながら、さっきのことは全部夢だったんだよと言いくるめていった。


 すると、母娘もしだいに、お侍さんの言う通りなのかもね……、と渋々ながらも納得していった――というより、納得せざるをえなかったというのが正しいのかもしれない。


 もし、あの怪異が本当にあったことならば、わたしたちはもちろんのこと、このお侍さんだってただじゃあすまないはず。それなのに、わたしたちもお侍さんも傷一つついちゃあいない。これはどう考えても合点がいかないじゃあないか。


 このように、理詰めで考えていけば誰でもあれは夢か幻だったに違いないのでは? と、疑いをもつものであろう。


 それに、感情的なところでいえば、あのような身も凍るような恐怖体験など、今すぐにでも忘れてしまいたいものだし、可能ならばあれは本当におこった出来事なんかじゃないと思いたいのが人情というものだ。


 だから他人がそれを、夢でも見てたんじゃねえの? と否定してくれているとすれば、その意見に飛びついてさっさとあれはなかったことにすることが賢明というものだろう。それに母親は妖怪変化や物の怪をもともと信じちゃいないタチなのだ。とすれば、なおさらである。


 ――で、なんでまたお二方はこんな刻限にこんなところにいるのですかい?


 煉弥のこの問いに、母娘はかくかくしかじかと煉弥に事情を説明した。


 冗談だろ? こっから江戸までなんざぁ、夜が明けちまう距離じゃねえか。それを武芸の心得もねえ女二人で強行するってのかよ? まったく、女ってのは、感情がいきすぎると何をしでかすかわかったもんじゃねえ。といって、このまま放っておきゃあ、間違いなく他の悪党妖怪の毒牙にやられっちまうぜ。


 とすれば、煉弥のとるべき道はただ一つ。つまり、この母娘が江戸にたどり着くまで同行してやることである。


 たまんねぇなぁ……まったく……。そうは思いながらも、そんな思いは臆面にも出さずに煉弥は母娘に江戸までの道のりの同行を申し入れた。


 母娘からすれば思いもがけぬ申し入れである。すぐにでも飛びつきたい話だが、何しろさっきの怪異の例もある。それにこの浪人の見上げるほどの背丈の高さと、異常なまでの長さの刀が母娘に不審をいだかせた。用心するに越したことはない。


 渋る母娘に煉弥はすかさず折衷案を切り出した。


 ――なんなら、こちらがお二方の後ろからついていくって形でもかまいやせんが?


 それなら……ねぇ? うん……それなら……。


 どうも釈然としないが、ともかく母娘の同意をとりつけ、煉弥は江戸まで母娘を警護することになったのだった。


 そして道々、休憩をはさみながらも、なんとか夜明け近くには江戸までたどり着き、どうにか母娘を二人が想い焦がれたおとっつぁんのもとへと送り届けることに成功したという次第。


 本来ならば蜘蛛駕籠の仕置きが完了すれば、近くの宿場で二~三日静養してもよいとの沙汰を受けていたのだが、江戸に戻ってきた手前、そういうわけにもいかなくなってしまった。休みなしときて貧乏暇なし金なし彼女なしと、なしなしづくめの甲斐性なし。まさに、踏んだり蹴ったりである。


 このことが他の仕置き人仲間に知れれば、きっと仕置き人仲間から、


 ――だからてめえは甘ちゃんなんだよ。


 といつものようにゲラゲラ笑われてしまうことだろう。


 だが……それでもいい。


 なぜなら煉弥は静養なんかより、もっと素晴らしいものを娘さんからもらったと思っていたからだ。


「おとっつぁんの元に送り届けた時のあの娘の俺を見上げるうるんだ瞳……ありゃあ間違いなく、俺にホレてたね、うん。それでいて小刻みにぷるぷる震えちゃってたところなんざ、もう、かわいくってしょうがなかったぜ」


 その時のことを思い出してニヤニヤする煉弥であったが、ここで煉弥は致命的な考え違いをおかしていた。


 娘さんは煉弥にホレていたのではなく、辺りが少し明るくなったところで改めて煉弥の長身と長い刀を見なおして、その異様な姿に思わずビビッて泣きそうになっていただけなのである。


 それなのに、なんという己の都合のよい解釈をしていることか。人の心を――その中でも特に女心をまったく解することのできないこの男は、だからこそ仕置き人仲間に、


 ――これだから童貞をこじらせた野郎は始末が悪いんだ。おい、だれかこのくせえ童貞野郎を遊郭にでもひき連れてやって男にしてもらってきてやんなよ!!


 と、ミソクソにあざけられてもいるのであった。


 まあともかく、事実はどうであれ、煉弥は娘さんの涙に満足しているのだし、それで苦労も報われたと思っているのだから、それでよしとするべきだろう。世の中というものは、すべからく真実のみを知っていることが幸せであるとも限らないのだから――――。


 だらしのないニヤケ顔で歩きつづける煉弥の前方に、ようやく目的地である長屋の集落が見えてきた。


 江戸の城下町からかなり外れた場所にあるこの長屋の集落は、江戸幕府の公式見解としては江戸には存在しない場所とされていた。


 それはなぜかというと、それはこの長屋の集落の住人が、おおやけの場にでることがはばかれる者達で構成されているからなのだ。


 もちろん、それは煉弥のような妖怪仕置き人といった、公儀御庭番に属するからこそ、おおやけの場に出られないという者達もいるのだが、この長屋の住人の九割方は公儀御庭番には関係のない住人である。


 では、なぜこの長屋の集落がないものとされているのか?


 それは――――この長屋の集落の住人が、一人の例外をのぞいて、全て『妖怪』で構成されているからなのであった。


 そもそも『妖怪』と一口に言っても、その全てが人間に害を及ぼすかといえばそういうわけでもない。


 中には人間に好意的な妖怪もおり、そのような連中のなかには人間との共同生活を望んでいたりするものもいるのだ。


 しかし、だからといって、はいそうですかと、人間と妖怪が共同生活をできるかといえば、やはりそれは無理な相談であると言わざるをえない現実があった。


 なぜなら妖怪というものは、人間とほぼ遜色のない姿をした妖怪もいれば、その逆に一目見て妖怪だとわかる異様な姿もしているものもいるからだ。人はみかけで判断してはいけないというが、残念ながら妖怪は見かけで判断されてしまうものである。いくら無害な優しい妖怪ですよと言われても、骸骨しゃれこうべの妖怪を見て泣き出さぬ子どもはいないだろうし、のっぺらぼうの奥方と人間の奥方が井戸端会議などできるはずがない。


 それに異種族間ゆえに、その生活様式や食生活などにも大きな相違が存在というのも大きな一因といえた。


 そんな様々な点からかんがみても、やはり人と妖怪は共同生活を送ることはできぬという結論に達してしまうのは致し方のないことであろう。


 だが、だからといって、この妖怪達を江戸から追放するということもこれまたできない相談でもあったのだ。


 今でこそ江戸の町というのは将軍様のおひざ元の城下町として栄華を極めているが、その昔――平安時代中期までは、人が一切存在せぬ妖怪達の住処として存在していたのだ。


 それを時の武官と文官が妖怪達の頭目との交渉の末、この江戸という場所を人間が譲り受けたのであるが、その時の妖怪側の要求であった、



『コノ地ニ、トドマラントスル同胞、オヨビ、コノ地ニ移住セントス同胞ガアルトキハ、ソレヲウケイレルベシ。タダシ、ウケイレタ同胞ニヨッテ、人間ニ被害ガアリシトキ、人間ハ、ソノ同胞ヲ排除スル権利ヲユウス』



 という条文が、長い月日の流れた徳川の治める江戸時代になっても活きているからだった。


 そこで江戸のはずれにこの長屋の集落を建設し、人間に対して好意的な妖怪達をそこに住まわせているというわけである。


 それゆえ、この長屋の集落の存在を知っている者達からは、この長屋の集落は恐怖と蔑みの念を込めて『化け物長屋』と呼ばれていた。この名称に住民達が不満をもっているかと思いきや、ひねりもひったくれもないが覚えやすくていいやと、住人からもおおむね好評をもって迎えられているとかいないとか。


 ちなみに、この長屋の集落の一人の例外とは煉弥のことであるのは説明するまでもないだろう。


「やれやれ……やっと着いたか……まったくなんで、こう不便極まりないところに住まなきゃならんのかねぇ……」


 煉弥はぶつくさとどうしようもない愚痴をこぼしながら、集落の入り口としてそなえられている朱色の鳥居の門をくぐるのであった。

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