第二幕ノ二十ガ下 楓の修練――その前説


 タマ達が談合を始める少し前、竹林の修練場に楓から連行されてきた煉弥達が、楓と向き合っていた。


「さぁさぁ、到着しましたよぉ♪」


 嬉しそうに弾んだ声をあげる楓に、煉弥がおずおずと挙手をした。


「はいっ、そこの鬼さんっ♪」


 ずびしっ! と楓が煉弥を指さしたところで、煉弥が死ぬほどイヤそうな声をあげる。


「ここに俺やオオガミや凛を連れてきたってえことは、これから修練をさせられるんでしょうがねぇ……袖さんたちが見当たらないんですがねぇ……」

「……そうだナ」


 オオガミも、野生の勘でただならぬ気配を察知したか、絶望しているかのような相槌を打って見せた。


「そりゃあ、そうよぉ。袖ちゃんたちは、リンちゃんの女中でもあるんだから、いくら修練とはいえ、リンちゃんに手をあげたりなんかできるわけないでしょぉ?」


 何当たり前のこと聞いてるのぉ? と、キョトンした顔で言う楓に、凛が疑問を投げかけた。


「なるほど、袖達のその忠義は見あげたものですが……それでは、どなたが我々に稽古をつけてくれるのでしょうか?」

「決まってるじゃなぁ~い♪」


 楓は、くるくるくるくるっとその場で回って見せ、満面の笑みで煉弥達に宣告した。


「楓さんが修練してあげるのよぉ♪」

「マジですか……」

「勘弁してくれヨ……」

「さ、さようでございますか……」


 三者三様の、渋面とイヤそうな声を聞き、楓が頬をふくらませながら、


「なぁにぃ? 何か不満や文句でもあるのかしらぁ?」

「不満と、いいやすか……」

「不安ならあるんだけどナァ……」


 がっくぅ~と肩を落とすオオガミに、凛が神妙な顔で耳打ちする。


「……不安と申しますと、楓殿の稽古というのは、卑猥なことをするのが当たり前なのですか?」

「ハァ? なんだそリャ? 凛、おまえ、楓から卑猥なことでもされてんのカ?」

「いっ?! いえいえいえいえいえいえ!! そういうわけではございませんッ!!」


 顔を真っ赤にして、両手を振りながら必死に否定する凛の姿を見て、煉弥が思わず、


「お、おまえ……楓さんに、いったいどんな卑猥なことを……」

「やっ、やかましいッ!! そそそ、そういうことはされておらぬと言っておるだろうが、この痴れ者がッ!!!!」


 ゆでだこのように、これ以上ないほどに顔を真っ赤にして怒る凛。そんな凛に、楓がキツネ細めて笑みを浮かべながら、

「あらあらぁ♪ そんな風に否定しちゃうと、それは遠回しに認めてるのとおんなじよぉ♪」

 両手をわきゃわきゃと、煉弥に見えるようにこれみよがしに動かしながら言う。煉弥は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「楓さんのあの手つき……お、おまえ、ひょっとして、ケツを揉まれたんじゃ――――」

 カッ!! と、凛は目を見開き、

「死ねッ!!!! 痴れ者がッ!!!!」

 見るも鮮やかなる、見事な右ストレートを煉弥の顎にぶちこんだ。

「ふんぐぅっ?!」

 まさに、会心の一撃。凛の右ストレートで顎をもろに打ち抜かれ、煉弥は流麗と称すべきほどの美しい前のめりの姿勢で、地面に突っ伏した。

「痴れ者めッ!!!! しばらくそうして反省していろッ!!!!」

 ふぅ~~!! ふぅ~~!! と、凛は顔を臨界寸前といったような赤さにして、大きく肩で息をしながら倒れた煉弥に吐き捨てた。

「……今のは、煉弥がわりいナ」

 うんうん、と腕を組んで神妙にうなずくオオガミ。それら一連の動向を、キツネ目細めてニヤニヤと見つめていた楓が、

「さぁてぇ♪ 準備はいいかしらぁ?」

「はっ?! はっ、はい! ご指導、よろしくお願いいたします!!」

 頭を下げる凛の横で、オオガミが複雑な表情になって、

「まあ……オレもいいけどヨォ……」

 と、言葉を濁しながら、ぶっ倒れている煉弥へチラリと目をやった。

「コイツ、どうすんだヨ?」

「ああ、レンちゃんねぇ♪ 楓さんに任せなさぁいっ♪」

 そういうが否や、楓は、ぴょんっと倒れている煉弥の元へと跳ね寄った。そして、倒れている煉弥を見下ろしながら、頬を膨らませて言った。

「レンちゃんっ! オオちゃんやリンちゃんを騙せたとしても、楓さんを騙すことはできませんからねっ! キツネの前でタヌキ寝入りをするとか、なんて命知らずな子なのかしらぁ! い~い、レンちゃん――楓さんが三つ数える前に起きなさいっ! もし起きなければ――――」

 と、そこまで口にしたところで楓が押し黙ったので、続きが気になるオオガミと凛が、

「起きなければ?」「起きなけれバ?」

 声を揃えて楓に問いかけた。楓は、えへっ☆ と無邪気な微笑みを浮かべて、

「レンちゃんの男根が二度と使い物にならないように、楓さんの雷で黒焦げにしてあげるのよぉ♪」

 世の男性諸君が、身の毛がよだつようなことをさらりと言いのけて見せた。


「イッ?! おっ、おい楓!! そ、それはいくらなんでもやりすぎなんじゃねえカ?!」

「かっ、楓殿ッ?! も、もし、本当に気を失っていたらどうするのですか?!」

「その時はその時よぉ♪ ほぉ~らっ! 数えるわよぉ! ひとぉ~~~~つっ!」


 性悪キツネによる、恐るべき死の宣告のカウントダウンが始まった。オオガミと凛は互いに顔を見合わせてあたふたするが、何かできるわけでもなく、楓の無慈悲なカウントダウンは進んでいく。


「ふたぁ~~~~~~~つっ!」


 両手を掲げる楓。すると、楓の両手から視認できるほどの強烈な電撃が、バチバチと爆ぜる音を立てながら顕現けんげんしはじめた。


「か、楓?! じょ、冗談だよナ?! いつもの冗談だよナ?!」

「楓殿ッ?! そ、その、おおおおお慈悲をッ!!」


 慌てふためく二人を横目に、ついに、楓の口から最後の一声があがりはじめた。


「みぃ~~~~~~~~――――」


 ギラァッ!! と細めたキツネ目が怪しく光る。すると、それを合図にしたかのように、


「ひっ?! ひぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~~~っ!!!!」


 がばぁっ!! と、煉弥が悲鳴をあげながら飛び起きた。楓は、両手の電撃を四散させ、にんまぁ☆ と悪い笑みを浮かべて言った。


「ほぉら、楓さんの言った通りでしょぉ? レンちゃんはタヌキ寝入りをしているだけだってぇ♪」

「そ、そりゃあ、こざかしいマネをしたことは悪いと思いますがねぇ?! だからと言って、男の大切なモンを黒焦げにしちまうなんて、そんな重い罰を受けるほどのことじゃありやせんでしょう?!」

「だってぇ、キツネの前でタヌキ寝入りをするだなんて、殺されても文句の言えないくらい失礼なことよぉ?」

「そんなに重い行為なんすか?! 初めて知りましたよ!!」

「じゃあ、これからは覚えておきなさいなっ♪ でもねぇ、楓さんが一番怒ったのは、それじゃないのよぉ。レンちゃん、あなた、リンちゃんの一撃で倒れたフリして、楓さんの修練から逃げようとしたでしょぉ?」

「で、ですから、それに関しちゃすみませんって――――」

「わかってないわねぇ!!」


 楓が尻尾をぴーーんと逆立てると、煉弥の足元に幾重もの電撃がほとばしった。おわわわわわっ?! と足をばたつかせて電撃を避ける煉弥に、


「楓さんが一番怒ってるのはねぇ! レンちゃんが修練をサボろうとするために、リンちゃんを利用しようとしたってことなのよぉ! 男の子が自分の好きな女の子をいいように利用しようとするなんて、そんな卑怯な真似をするような子に、楓さんはレンちゃんを育てたつもりはないわよぉ!」


 楓が、頬を思いっきり膨らませてプリプリ怒る。すると、それを聞いた凛が、切れ長の目をいっそう吊り上げて煉弥をにらみつけた。


「キサマ……私を、侮辱するだけでなく、己の怠慢を、正当化しよう、とするために、利用したというのか?」


 凛が本気でキレかけている時の癖である、言葉を一言ずつ区切って喋るという兆候が出てきだしたので、煉弥は慌てて凛に言った。


「お、落ち着けって! そ、そりゃあ、利用したことは認めるし、悪かったと謝らぁ! ただ、楓さんのさっきの言葉をよく思い出してみろって!」

「……楓殿の言葉を?」


 訝し気な表情を浮かべながらも、煉弥に言われた通り、頭の中で先ほどの楓の言葉を思い出してみる凛。

 別に、楓殿がおかしなことを言っていたようなことはないはずだが。

 そう思ったところで、とある部分に思いあたり、はっ?! とする凛。


 男の子が自分の好きな女の子を――――。


 ぼっ!! と凛は顔を赤くして、先ほどの威勢はどこへやら、もごもごと口ごもりはじめた。

 そんな凛の様子を見て、煉弥は、ふぅとため息をついた。普段から楓やその他諸々のややっこしい妖怪共と言い合いをしている煉弥からすれば、クソ真面目な凛ほどちょろい相手はない。俗に言う、年頃の女剣士はちょろかわいいってやつだ。


「チッ……のろけてんじゃねえヨ」


 二人の様子を見ていて、あからさまに不機嫌な様子になるオオガミに、楓がキツネ目細めて歩み寄って耳打ちする。


「……気持ちはわかるけどぉ、そんなわかりやすく嫉妬しちゃダメよぉ?」

「はっ、ハァッ?! ば、バカ言ってんじゃねえヨッ!!」


 顔を赤くして、尻尾と耳をピーンと立たせてうろたえるオオガミに、


「なんだ? どうした?」


 と、煉弥が聞くと、オオガミは目を吊り上げて煉弥に、


「うっ、うううううるせえうるせえうるせエ!! バーカ!! バーカバカバカバーカ!!」


 ガルルルル!! と犬歯をむき出しにしながら吠えたてた。


「な、なんだよ? わけがわかんねえ奴だな」


 困惑の表情を浮かべる、鈍感貧乏童貞浪人の周囲に、なにやら甘酸っぱい空気と雰囲気が漂い始めたところで、楓がパンパンと手を叩いて言った。


「はぁ~いはいっ♪ 冗談はここまでにしておいて、そろそろ本題に入るわよぉ♪」

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