第二幕ノ十九ガ結 新たな事件――双葉への来訪者


 早朝だというのに、吉原の玄関口の最前とも言える『見返り柳』の周囲には、夜の吉原に負けず劣らずの人だかりができていた。

 その人だかりの中央には、茣蓙ござをかけられて隠された遺体が寝かされ、その周りには幾人かの役人が遺体の検分をすすめていた。


(これは、厄介なことになるかもしれない)


 人だかりの中に混じって、役人たちの遺体の検分を見つめていた梅ばあさんが抱いた感想は、まずそれだった。

 今までは吉原の中で起こっていた事件だったからこそ、こそこそと事件の捜査ができていた。

 しかし、事件が吉原の外で起こったとなると、話は別だ。


(今後はきっとうるさいことになるだろう)


 梅ばあさんの言ううるさいこと――それは、御上による吉原への干渉と、御上に対する吉原からの上納金のことである。

 御上はきっと、今度の事件のことで、吉原の自浄作用が機能していないということを名目に、吉原が御上に捧げている上納金の額を法外に引き上げることだろう。

 となれば、吉原の妓楼は売り上げを上げねばならぬ。

 売り上げを上げるには、新しい娘を仕入れねばならぬ。

 売り上げを上げるには、少しくらい値を落としてでも身請けさせ、遊女たちを売り払わねばならぬ。


(また――不幸な娘たちが増える……)


 梅ばあさんは、唇を噛んだ。

 早く、事件に決着をつけねばならぬ。

 吉原と言う場所がある以上、不幸な娘たちが出るのは致し方ない。全ての娘たちを救うことなど出来ぬ相談であることくらい、梅ばあさんはわかっている。

 だが、せめてその不幸になってしまう娘の絶対数は少なくしてやりたいのだ。


 自分が、御主神様から離れたのは何のためだったか?

 自分が、あの御方から離れたのは何のためだったか?

 全ては――贖罪しょくざい

 私が殺めてきた、若い娘たちへの贖罪――私が殺めてきた、若い娘たちへの手向け。

 大を生かすために、小を殺めねばならなかったとしても、私が罪もない娘たちを殺めてきたという罪は消えない。


 だからこそ、私は御主神様から離れたのだ。

 だからこそ、私はあの御方から離れたのだ。

 私のそんな想いを――――あの御方は、心よりの御理解を示してくれたのだ。

 ならば、応えねばならない。

 あの御方の、御理解に報いるためにも――――あの御方への、私の想いのためにも――――。


 その時、聴衆が色めき立った。

 検分をしていた役人が、遺体にかぶせてあった茣蓙を少しめくって見せたのだ。

 好機とばかりに、梅ばあさんが茣蓙の下の遺体に、素早く視線を走らせる。

 茣蓙の下にあった遺体は、男だった。それに、身なりからすると、そこら辺の商家のドラ息子といった身なりである。


(――若い娘ではない? だとすると、今回の事件は吉原で起こっている事件とは別?)


 梅ばあさんがそう思ったところで、役人が梅ばあさんの思いを、肯定するような否定するようなどっちともとれる一言を発した。


「面妖な仏だ。血を抜かれておるようだぞ」


 慌てて他の役人が、言葉を発した役人に人差し指を立てて、口をつぐめと促したが、時すでに遅かった。


「へぇ~!! 血を抜かれた死体だってぇよ!!」


 役人の声を聞きつけた威勢のいい男が、大声を張り上げて他のやじ馬たちにそう言うと、やじ馬たちがやいのやいのとざわめきだした。これで、かわら版が江戸の町中に事件を知らせるのも事件の問題だろう。

 梅ばあさんは、ざわめき立つやじ馬たちから離れていき、うつむきながら吉原への道程を歩き始めた。


(血を抜かれている――ということは、やはり吉原の事件と同じ事件? でもそうなってくると、ますますわからない。どうして、下手人は血を抜くのだろう?)


 考えても、考えてもわからない。ただ、一つだけ言えることはあった。

 それは、今回の事件については、吉原の人間が行うことは不可能に近いだろうということだった。

 あの遺体が見つかったのは、日が昇ってさして時間の経たない早朝のことだった。

 となれば、あの遺体――被害者は、吉原の大門が締まる寸前まで粘っていたに違いない。


 商家のドラ息子というものは、総じて吉原の遊女に入れ込みやすく、身請けをしてやるなどの甘言をもって、妓楼で遊女と一夜を共にしようとする輩が多いものだ。

 しかし、そこは百戦錬磨の妓楼と遊女。そのような甘言を信じるわけもなく、かといってすぐさま客を追い返すわけにもいかず、仕方なしに吉原の大門が締まる刻限近くまでは妓楼に居座らせてやるのだ。

 そしてその客に向かって、貴方と御離れするのは寂しいですが、これも吉原の倣いでございます、などといってしなだれて見せれば、帰らぬわけにもいかなくなる。

 しかたなしに、客は後ろ髪を引かれながらも妓楼を後にし、吉原の大門を閉まるのを見てからトボトボ帰り、見返り柳に遊女の姿を思い起こす――というのが一連の流れともいってもよい様式美となっていた。

 おそらく、あの被害者もそういう客の一人であったに違いない。となれば、どうなるか。


 つまり、今回の事件は吉原の大門が閉まった後での事件ではないのか?

 とすれば、吉原の者があの被害者に手を下すことは不可能だったという証明でもあるのだ。

 まあ、吉原の中であの被害者の血を抜き見返り柳のところまで運んでいって捨てたという線もないこともないだろうが、その可能性はゼロに近いと見ていいだろう。

 今回の事件の下手人が今までの事件の下手人と同じだとすれば、被害者を吉原の外まで運ぶ理由がわからない。今まで通り、吉原の中に遺体を放っておけばよいのだ。

 さらにいえば、吉原の大門が閉まる前に、遺体を吉原の外へ運ぼうとするのなら、それは荷車を使うなりの輸送方法が必要である。しかし、吉原から外へ出ようとする荷車は、大門そばの番所で吉原の若衆によって厳しく調べられることになっている。吉原の遊女の脱走を防ぐためだ。そのような徹底された監視状況の中、遺体を誰にも見られずに吉原の外へと運び出すことは、不可能とみていいだろう。


(やはり――今回の事件は、吉原の事件とは別にみるべきなのかもしれない)


 うつむきながら歩き続けていた梅ばあさんが、突如としてその足を止めた。

 全身を、悪寒が走り抜けた。まるで、全身にムカデの大群が這いずり回っているかのような、おぞましい悪寒。

 しかし、同時に懐かしい感覚も覚える悪寒であった。


(まさか――――?!)


 顔をあげた梅ばあさんの前に、一人の男が立っていた。

 一見すると、どこにでもいるような男であった。

 江戸中の若い男の顔と身なりを平均させたような男。無個性、という言葉がこれほどまでに適した男はおるまい。

 だが、それゆえに不気味な男ともいえた。どこにいても目立たない男。だがそれは、誰になりすましても気づかれないということでもある。そしてそれは――誰と入れ替わってもわからないということでもある。

 そんな男を茫然とした表情で見つめる梅ばあさんに、男は能面のような表情を浮かべて、無個性極まる声で梅ばあさんに言った。


「久しぶりだね、双葉――お前には、そのような姿は似合わないよ」


 想像だにしていなかった人物の来訪に、梅ばあさん――双葉は上の空のような口調でつぶやいた。


「ぬ……ぬらりひょん様……」

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