第二幕ノ二十ガ序 かつての主従――続く因縁


 八重は、怯えていた。

 双葉に部屋へと呼ばれ、なんだろうと思って部屋へと行ってみると、部屋の中央に一人の男が座っていた。

 どこにでもいそうな、何の変哲もない――何の変哲もなさすぎる、気味の悪い男だった。

 その男が、八重に笑いかけた時、八重の心臓に氷柱つららが突き刺されたかのような恐怖が襲い掛かってきたのだ。


 仕置き人ではないとはいえ、八重も一応妖怪のはしくれである。妖怪のはしくれであるからこそ、おぞましいほどの妖気を発散させている化け物を目の前にすれば、自然とその身体が震えてきてしまうのだ。

 それはさながら、ヘビに睨まれたカエルが如く。

 部屋に入ったところで、涙目になって、ただガタガタと震えている八重をなんとかなだめようと、双葉が優しい声を八重になげかけた。


「八重さん、驚かせてすみませんが、そこにいらっしゃる御方は、恐ろしい御方ではございません。どうか、怯えにならないでください」


 そうは言われても、ここまでおぞましい妖気を感じたことなど、八重の今までの人生で一度もなかったのだ。

 楓さんだって、怒った時ですらこんなにすごい妖気は持っていなかった。それに、蒼龍さんだって、こんな――こんな怖い妖気なんて持っていない。怖い……怖いですぅ……。

 双葉の声掛けも甲斐なく、前髪に隠れた大きな瞳から涙をしたたらせながら震える八重。


「やれやれ、困ったものだ」


 ふう、と男が肩をすくめた時だった。

 部屋の格子窓を破って、白い塊が部屋の中へと飛び込んできたのだ。

 ふむ? あら? ひゃうっ?! と三者三様の声があがるなか、白い塊がゴロゴロと転がっていき、八重の足元まで転がっていったところで白い塊が飛び上がった。


(八重!! 大事ないかにゃ?!)


 白い塊の正体はタマであった。空中でぼむっ!! と幼女の姿へと変化し、着地したところで新雪のような白いポニーテールと、小さな尻からひょろっと伸びた尻尾を逆立たせ、ふぅ~~~~っ!! と男に向かって威嚇の姿勢をとってみせた。


「ほう? こんな朝方から化け猫のお出ましとは珍しい話だ。何をそんなに敵意をむき出しにしているか知らないが、命は大事にしたほうがいいな」

「やかましいにゃ!! ついに正体を現したにゃ!! おみゃ~が事件の黒幕かにゃ?!」


 今すぐにでも男へと飛びかかっていきそうなタマの姿に、双葉が慌てて、


「タっ、タマさん! 落ち着いてください!! この御方は、私たちに危害を与えるような御方ではございません!!」


 タマを落ち着かせようとすると、それに乗っかる形で男も、


「双葉の言う通り。私は、君達に危害を加えるつもりなどない。むしろ、君達の手助けをしようと思っているのさ」


 と、抑揚の全くない声で言った。男の言葉を聞き、タマは訝し気な表情を浮かべながら、


「……本当にゃ? おみゃ~、にゃんたちの敵じゃないにゃ?」


 男に言った。そんなタマに男は笑いながら言葉を投げかける。


「今のところは、敵ではないな。しかし、そこの胸の大きな少女を助けようと身を挺するのは結構なことだが、そんなに足を震わせていては、守れるものも守れなくなるぞ」


 痛いところを指摘され、タマは八重歯をむき出しにして男に向かって、ネコ目を吊り上げた。


「タマさん。どうか、どうかここは穏便に……」


 双葉が深々とタマに頭を下げながら自制を促すと、タマはむふぅ~~~っ!! と大きく息を吐き、逆立たせていた髪と尻尾を、ふにゃりと垂れさせた。


「……双葉がそこまで言うなら、信用してやってもいいにゃ」

「それはありがとう。しかし、化け猫君はもう大丈夫そうだが、後ろの少女の方はまだ大丈夫じゃなさそうだ。このままだと話が進まないから、私は部屋の隅へと移動することにしよう。その間に、化け猫君たちは、双葉のそばへと行くといい。それならば、少女も怯えることはなかろう」


 男はそう言うと、すっくと立ちあがり、足音を立てずにまるで滑るように部屋の隅へと移動した。タマはそれを注意深く見つめ、男が部屋の隅に行ったところで、怯えている八重の手をとって、双葉のそばへと移動した。

 八重は双葉のそばへとくると、ひょこっと急いで双葉の背中にしがみついて身を隠し、ガタガタと震え続けていた。

 そんな八重の姿を見て、男は、


「これでも、かなり力を抑えているつもりなのだがね。まあ、仕方ないか」


 肩をすくめながらそう言った。しかし、すぐに気を取りなおしたと見えて、能面のような不気味な顔をタマと双葉に向けて言った。


「さて、化け猫君と後ろの震えている少女のことは双葉から聞いているが、私のことについては、化け猫君も少女も知らないのだろう?」

「知ってたら、おみゃ~にケンカなんざ売るかにゃ」


 ふんっ! ツンとした態度をとるタマに、男は苦笑をしながら言った。


「確かにそうだ。私のことを知っていたら、化け猫如きが私に突っかかってくることなど考えられないな」


 化け猫如きという言葉が、タマの誇りを傷つけた。


「にゃにをぉ~?!」


 ふぅ~~~っ!! と怒りを露わにするタマを、双葉が慌てて手で制しながら、


「タっ、タマさん、どうか落ち着いてください。それに、ぬらりひょん様も、あまりタマさんの神経を逆撫でしないでさしあげてください」

「私は事実を言ったまでだ」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる男に、タマが驚愕の声をぶつけた。


「ぬらりひょん?! おみゃ~が、あのぬらりひょんなのかにゃ?!」

「化け猫君の言う、あのぬらりひょんが、どのぬらりひょんかは知らないが、ともかく私はぬらりひょんだ」


 男の正体にタマが唖然としていると、双葉の背中から恐る恐る顔をだしてきた八重が、


「ぬっ……ぬらりひょんさん……? どっ……どのような方なんですかぁ……?」


 と聞いてきて、タマが盛大にずっこけた。


「や、八重、おみゃ~妖怪のくせして、ぬらりひょんのことを知らないのにゃ?」

「はっ……はいぃ~……」


 このやり取りに双葉は苦笑した。


「ま、まあ、八重さんはまだまだお若いですから……」


 ちらりとぬらりひょんに目をやる双葉。御気を悪くしておられなければよいのですが、と不安になったが、ぬらりひょんは肩をゆすぶりながら笑っていた。


「そうか。私を知らないか。うん、そのほうがいい。どうやら、やっと私の名の記録も薄れてきたようだな」

「いやいやいやいや。おみゃ~の名前の記録が薄れることは、当分ないと思うにゃ」

「ふむ? しかし、現にそこの少女は知らなかったではないか?」


「八重はちょいと特殊にゃ。存在そのものが平和の象徴といった人畜無害のろくろっ首にゃ。そんな八重が、大昔の妖怪の総大将のことなんて知るわけがないにゃ」

「大昔――か。そうだな。最早、あの頃の記憶など、霞がかかっていて、よく思い出せぬ」


 遠い目をして宙をあおぐぬらりひょんに、八重が、


「よっ、妖怪の総大将――そ、そんな偉い方だったのですかぁ?!」


 驚きの声を向けると、双葉がうなずいてから補足した。


「そこにいらっしゃるぬらりひょん様は、妖怪の初代総大将であらせられたクウコ様より、総大将の任を直々に継承なされ二代目の妖怪の総大将を御務めになられていた御方です。そして――私は以前、ぬらりひょん様の元で御主神様に仕えておりました。ですから、ぬらりひょん様は、八重さんの思っているような怖い御方ではございませんから――――」


 と、双葉がそこまで言ったところで、ぬらりひょんは乾いた笑いをあげながら皮肉げに言った。


「果たしてそうかな? 確かに妖怪の総大将は退いたが、今ではヒルコ神様に生贄を捧げることを生業としているこわぁ~~~~い妖怪だからな」


 ぬらりひょんが八重をジロリと一睨みすると、八重は、きゃぁうっ?! と悲鳴をあげて双葉の後ろに隠れて、いっそうガタガタと震えはじめた。


「ぬらりひょん様、御戯れはそこまでになさってくださいませ……」


 困った顔をする双葉に、ぬらりひょんはケラケラと笑いながら、


「すまん、すまん。そこの少女があまりに愛らしいから、つい怖がらせてやりたくなってしまう。いや、すまんな、少女よ」


 と、ぬらりひょんが、初めて表情に柔らかいものを浮かべた。それを見て八重も、おずおずと双葉の後ろから姿を見せ、及び腰ながらも双葉の横にちょこんっと正座をした。八重が正座をすると、タマがぽむっ! とネコの姿になって八重の膝の上にぴょんっと飛び乗った。


(さて――さっきおみゃ~は手助けをしにきたとか言ってたにゃ? それはいったい、どういうことにゃ?)


 タマがテレパシーで話しかけると、双葉もそれに追随して、


「タマさんが仰るように、突然、いかがなされたのですか、ぬらりひょん様?」


 本当に、どうしてぬらりひょんが現れたのかその理由がわからず困惑しているといった様子で問いかけた。


「要件に入る前に、双葉に一つ言いたいことがある」

「言いたい――こと?」


 ほんのりと頬を染める双葉。それを、タマがネコ目をきゅぴーーんと光らせてあざとく見つめる。ほほぉ~? これはひょっとするとひょっとするにゃ?


「ああ――そうだ」


 すると、部屋の隅の壁にもたれかかっていたぬらりひょんが、畳の上に正座をし、双葉に向かって深々と頭を下げたのだ。


「ぬっ、ぬらりひょん様?!」


 予想だにしなかったぬらりひょんの土下座に、双葉はさらに困惑の色を濃くして、双葉という女にしては珍しく、所作もクソもなく慌ててぬらりひょんのもとへと駆け寄った。


「ど、どうか、お、御顔をお上げくださいませ! 私なぞに、頭をお下げになるなんて、そ、そんなこと――――」

「いや、今回に関しては、お前にひどく迷惑をかけてしまった。だからこそ、こうして頭を下げるは当然であろう。双葉――此度こたびは、我が同胞による多大なる迷惑を詫びさせてくれ」

「同胞……」


 双葉の脳裏に、忌々しい記憶がよみがえる。私が、御主神様から離反した時に襲い掛かってきた、あのクズが? 今回の、事件を?


「此度のお前のすんでいる場所での騒動――ウガチの痴れ者が裏で糸を引いていたようだ。あのクズめ、双葉の近辺では決して生贄の娘をかどわかしてはならぬとあれほどきつく言いつけておったのに、それを破りおった」


 そう言って頭を上げるぬらりひょん――その顔は、先ほどまでの能面とは違い、あからさまな不快感を露わにした、実に人間らしい表情をしていた。


「ウガチ……また、あいつでございますか」


 双葉もまた、憎らしげな表情を浮かべて見せた。そして、ぬらりひょんは自分の懐に手を入れ、不快感が退いた爽快そうな表情に変えて言った。


ゆえに、良い機会でもあったから、ウガチは処分をしておいた――このようにな」


 懐からゆっくりと手を抜くぬらりひょん。すると、その手には、何やら動物の皮のようなものが握られていた。

 ありゃ、なんだにゃ?

 タマは、むぅ~んとネコ目をこらして、ぬらりひょんの手に握られているモノを見つめた。そして、はっ?! とあることに気づいて、慌てて八重の目を手で覆って隠した。


「ひゃっ?!」


 突然、タマから目隠しをされて驚きの声をあげる八重に、タマは怒りと驚愕の入り混じった声で、


「見るにゃ!!」


 と叫んだ。双葉は大きく目を見開き、ぬらりひょんの手に握られているモノを見つめていた。そして、ニヤリと妖艶な笑みを浮かべた。


「さようでございますか――処分を、なされたのですね」

「ああ――処分をな」


 そう言って、ぬらりひょんは手に持っていたモノを高々と掲げた。

 それは、顔の形をした皮であった――いや、正確に言えば、ウガチという妖怪の顔から剥ぎ取った皮であった。

 まだ血の匂いの消え去っていない皮を双葉が手に取り、皮の口元に軽くキスをした。そして皮を宙に放り投げると、


「あぁっ!!」


 と、歓喜に堪えぬといった短い悲鳴をあげ、皮を両手の爪でズタズタに斬り裂いた。次いで、斬り裂かれたいくつもの皮が地に落ちる前に、ぬらりひょんが皮に向かって手をかざし、


「塵も残さん――――」


 蔑みの色濃い声をあげると、斬り裂かれた皮が瞬時に青白い炎に包まれ、灰となって消えていった。

 それら一連の流れを、タマは呆気にとられてみまもっていると、双葉が快感でたまらぬといった恍惚の表情を浮かべながら言った。


「ああ――これで――あの時の因縁に決着がつきました――――」

「そうだな。だが、此度のウガチの振る舞いで、また新たな因縁が生まれたやもしれぬのだ。私は、それをお前に詫びたいのだ、双葉よ」

「新たな因縁――ですか?」

「ああ、そうだ」


 そう言って頷くぬらりひょん――――そして、一同が予想だにしなかった言葉を口にした。


「なぜなら、此度の事件の嚆矢濫觴こうしらんしょうとなったのは――――ウガチがこの地の人間をたぶらかして、ヒルコ神様の生贄の血を得たことなのだからな」

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