第二幕ノ八 松竹屋の朝はお祭り騒ぎ――個性豊かな御姉様方



 柚葉の先導のもと、土間へと戻ってきた八重だが、そこに繰り広げられていた光景――いや? 騒動? いや、惨状――うむ、この言葉が一番しっくりくる。というわけで、土間で繰り広げられていた惨状に、八重は大きな瞳をさらに大きくすることになった。


 おしぇんたくぅ~~!!

 あぁ~~!! しょれ、ぎゅっぎゅっしちゃだめぇ~~!!

 いいのぉ~~!! しゃっき、わたちがおみじゅでぬらしたのぉ~~!!

 びえぇ~~~~ん!! たたかれてゃあ~~!!

 ないちゃらめよ~~!! おねえちゃまがたに、めっ! といわれりゅよ~~!!


 てな感じに、しっちゃかめっちゃかな洗濯を繰り広げている幼女たちと、


 お塩とって!!

 きゃぁ! お米の釜がふいてる!! ふいてるぅ!!

 火が強すぎるのよ!! ほら!! 火を弱くして!!

 おねえさぁ~~ん!! 大姉様方の中に、確か菜っ葉がお嫌いな方がいましたよねぇ?!


 土間のお台所では、朝餉の準備にてんてこまいな少女たちが、あっちにどたどた、こっちにばたばたのお祭り騒ぎ。

 こ、この中にわたしも入らなきゃいけないのぉ……と、げんなりする八重。すると、八重の気持ちを察したか、


「……毎朝の光景ですから」


 これ以上ないほどの苦笑いをしながら、柚葉がそう言った。


「そ、そうなんですか……」


 八重も苦笑いを返す。

 ということは、これから毎朝、この中で朝餉あさげの準備をしなくちゃいけないのかぁ……。

 はぅぅ……と先行きの不安を感じる八重。すると突然、


「はぁ~~~~~~~いっ!!」


 と、柚葉が大きな声をあげて、ぱんっ! ぱんっ! と二度手を打った。

 すると、土間のお祭り騒ぎはピタリと止まり、その騒ぎを形成していた少女・幼女たちの視線が一斉に八重と柚葉に注がれた。思わず、ひゃっ?! と身体をびくりと震わせ、小さく悲鳴をあげてしまう八重。だが柚葉はうろたえることなく、少女・幼女たちに向かってしゃんっとした声で呼びかけ始めた。


「皆さん。こちらが本日から私たちと共同生活をされることになりました、八重さんです。八重さんは、禿かむろとして松竹屋にてお勉強をしてまいりますので、皆さん、仲良くしてあげてくださいね」


 まさか突然、自分の紹介をされるとは思っていなかったので面食らってしまう八重だが、せっかく柚葉が紹介してくれたのを無下にすることもできない。慌てて、少女・幼女たちに向かってペコリと大きく頭をさげて、


「よ、よろしくお願いいたしますぅ~~~!」


 柚葉に負けぬようにと大きな声で少女・幼女たちへとあいさつをした。

 すると、八重の挨拶に少女・幼女たちも大きな声で、こちらこそ、よろしくお願いいたします~~~~!! という、元気な声でかえしてくれた。

 それらを見届けた柚葉は、よしっ! と小さくうなずき、八重に向かって言った。


「それでは八重さん、私たちはお味噌汁の具材を切ることにいたしましょう」

「は、はいぃ~!」


 柚葉と共にお台所の端の方へと行く八重。そこには、いくつかの菜切り包丁が、まな板の上に無造作に置かれていた。柚葉は、そのうちの一つを手に取り八重に手渡し、


「八重さんは、普段食事の御仕度などはなされるのですか?」

「は、はいぃ~。わ、わたし、一人で暮らしていましたから……」

「一人で、ですか?」


 八重の言葉に目を丸くする柚葉。それを見て、あぁ! きっとわたし、また余計なことを言っちゃったんだ! と後悔する八重だが、言ってしまった以上、言葉を引っ込めるわけにもいかない。


「は、はいぃ~。ちっちゃな頃から一人で暮らしていましたぁ……」


 申し訳なさげに八重が言葉を続けると、柚葉は手に持っていた菜切り包丁をまな板の上に乗せ、ペコリと八重に向かって頭をさげた。


「も、申し訳ありません。八重さんに、悲しい思い出を思い出させてしまいまして……」


 八重以上に申し訳なさげな声で柚葉に謝られ、ふぇ? と首をかしげる八重。


「え、えっと……ど、どうして柚葉さんが謝っていらっしゃるのですかぁ……?」

「そ、その……八重さんの御両親の方が、その……」


 あ、あぁ~……。なるほど、八重は両親と生き別れたか、それとも両親が早くに亡くなってしまったから、そのどちらかのせいで一人で暮らすことになったのだと柚葉は思ったらしい。答えはそのどちらでもないのだが、ある意味で言えば八重の境遇はそのどちらかよりもひどいと言えなくもないからややこしい。


「え、ええっとぉ…………」


 どうしよう。どう言ったらいいのかな。必死になって考える八重。それが柚葉の勘違いに拍車をかける。ああ、やっぱり私は八重さんの触れちゃいけないところに触れちゃったんだ。慌てて、場を取り繕おうと笑みを浮かべて八重に言う。


「吉原では、相手の生い立ち等を詮索することは御法度なのですが、ついついやってしまいました……。すみません、八重さん」

「い、いえいえっ!」


 プルプルプルプルっ!! と、首が伸びかねない勢いで首を振る八重。むしろ、話をここで切ってくれて、助かりますぅ。


「ではっ、気を取りなおしまして――――」


 まな板のそばに積み重なっている数種類の野菜の中から、柚葉は菜っ葉と大根を取り出して八重の前のまな板の上に乗せた。そして同じように自分の前のまな板にも菜っ葉と大根を乗せる。そして懐から小さな帯を一つ取り出し、それで肩まである後ろ髪をきゅっとまとめた。


「それでは、具材を切っていきましょう。大きさは、ちょうど一口くらいの大きさでお願いいたしますね」

「は、はいぃ~」


 それから二人は朝餉の準備にいそしんだ。途中、八重のあまりの手際の良さに柚葉がまた目を丸くしたり、味噌汁の具だというのに、なぜか八重がとうがらしを切ろうとするのを何度か柚葉が引きとめたりするようなことがあったが、まあ、なんとか問題なく具を切り終わることができた。


「それでは、後はお味噌汁を作る係の娘たちに任せることにいたしましょう」


 そう言うと柚葉は、できましたよぉ~~! と声を張り上げた。その柚葉の声に、はぁ~~~~いっ!! という可愛らしい元気の良い声が答えかと思うと、数人の少女たちが慌ただしく歩み寄ってきて、まな板の上の具材をざるに入れて持っていった。


「さて、それでは私たちは別の御勤めに参ることにいたしましょうか」

「は、はいぃ~」


 そう言って、柚葉は水がめの前まで歩いていき、水がめから水をすくって手洗いをした。八重もそれにならって手を洗う。お互いが手ぬぐいで手をぬぐっていると、柚葉があることに気づいて八重に声をかけた。


「八重さん、その手ぬぐいは、八重さんがおつくりになったのですか?」

「は、はいぃ~。わ、わたしが縫いましたぁ」

「わぁ……とっても可愛らしい刺繍ですね。さっきの朝餉の準備の手際の良さといい、八重さんって手先が物すごく器用な方なんですね」


 シャクヤクと金魚の刺繍の入った手ぬぐいを手に、エヘヘ……と照れる八重。そんな八重のいじらしさに、柚葉もなんだかほっこりとした気持ちになれた。八重さんってひょっとすると、松竹屋の中でも一、二を争う人になるかもしれないなぁ。


「さてさて、それでは次の御勤めについてですが――次の御勤めは、御姉様方の御起床のお手伝いでございます」

「ご、御起床のお手伝い……?」


 何をするのだろう……と不安げな表情を浮かべる八重に、柚葉が八重の耳元へと顔を近づけ、そっと耳打ちをした。


「……もっともらしい言い方をしていますが、つまりは御寝坊さんな御姉様方を起こしにいくということです」


 そう言うと柚葉は八重の耳元から顔を離し、ふふっ! といたずらっ子のような笑みを浮かべて見せた。それに、八重もつられて、くすっ! と微笑みを浮かべる。


「それでは、御姉様方はお二階でおやすみになっておられますので、私たちもお二階へと参りましょう」

「は、はいぃ~」


 土間から出て、廊下の奥にある二階への階段へと移動する二人。すると、ここでも柚葉が八重へと耳打ちをはじめた。


「八重さんは、本日が初めてですので、私の後ろについていてください。御姉様方は悪い方々ではありませんが、その、なんといいますか……個性的な方々でいらっしゃいますので、面食らうこともありますでしょうが、どうか心を平静にお保ちくださいね」


 なんというか、いやぁ~~~な予感。だが、これも避けられぬことと、八重は複雑な表情で柚葉にうなずいて見せた。


「では、お先に私が参りますので、八重さんは私の後ろにおつきくださいませ」


 二階へと続く階段を登り始める柚葉の後ろに、ちょっとした間隔をあけて続く八重。

 二階に登りきると、柚葉が二階の造りについて簡単に説明してくれた。


「二階は御姉様方のお部屋になっておりますが、御姉様方のお部屋はそのままお客様をお招きするお部屋になっております。お部屋の数は、全部で六部屋ございまして、それぞれのお部屋の広さは、御姉様方の格付け――と言いますか、まあ、そのようなもので決まっております」


 ふむふむとうなずく八重。


「それでは、まずは一番近くのお部屋に参りましょう」


 そう言って柚葉は、階段のすぐそばの部屋の前へと歩み寄った。その後ろに、八重も続く。柚葉は部屋の障子戸の前にちょこんっと座り、部屋の中へと呼びかけた。


紅葉あかね御姉様。そろそろ、朝餉の御時間でございます」


 …………返事がない。今度は障子戸を軽く、とんとんと叩きながら柚葉はもう一度呼びかけた。


「紅葉御姉様。朝餉の御時間でございますよ」


 …………やはり、返事がない。はふぅ~~! と大きく嘆息する柚葉。


「仕方ありませんね。お部屋の中に失礼させていただくことにいたしましょう」


 すすっと障子をあける柚葉。


「紅葉御姉様。失礼いたします」


 ゆっくりと室内へと入っていく柚葉。それを恐る恐る後ろから覗きこむ八重。

 室内は、なんだか妙な雰囲気に包まれていた。お客様をお迎えするために必要なのであろうそれなりの価値がありそうな調度品たちの中心に、布団が敷かれてあり、その布団がこんもりとふくらんでいた。おそらく、紅葉御姉様とやらが、布団の中にいるのであろう。


「紅葉御姉様。朝餉の御時間でございますよ。……紅葉御姉様?」


 直接呼びかけているにもかかわらず返事がないことに、不審を抱いた柚葉がゆっくりと布団へ近づく。そして、もう一度呼びかけた。


「……紅葉御姉様?」


 返事がない。これはおかしい。へんじがない。ただのしかばねのようだ。という事態に陥っているのかもしれない!! 慌てて柚葉が布団に手をかけた、その刹那――――、


「ばぁ!!」


 という大声と共に、室内におずおずと入ろうとしていた八重の背中にドンッ!! と大きな衝撃が走った。


「ひゃぁっ?! ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 虚をつかれた八重の悲鳴が松竹屋全体に響き渡る。油断していたことと、あまりの驚きに悲鳴と共にちょっとだけ首が伸びてしまったが、かろうじて我を取り戻し、のっ、伸びちゃだめぇぇぇ~~~~!! と全力で首が伸びるのを抑え、なんとか通常サイズの首の長さに瞬時に戻すことに成功した。


「ひゃんっ?! やっ、八重さん?! いかがなされました?!」


 八重のあまりの悲鳴の大きさに柚葉も小さな悲鳴をあげながら、急いで八重のもとへと駆け寄った。そして、八重のそばにいる白い襦袢じゅばん姿(寝巻のこと)のショートカットの活発そうな少女が不敵な笑みを浮かべているのを見つけた。


「もう! 紅葉御姉様! 松竹屋に初めてくる娘たちにいたずらをするのはやめてくださいって、何度言えばわかっていただけるのですか!」

「あっははははぁ!! ごめんごめん~~!!」


 あっけらかんと大笑いをする紅葉とは裏腹に、ぐすっ……と涙目で少しぐずってしまっている八重。もう少しで正体がバレそうになったことへの恐怖と、なんとか誤魔化せた安堵感で思わず涙ぐんでしまっていたのだ。


「おおっとぉ? いやはや、泣くほど驚かせちゃったみたい、いやぁ、ごめんごめん~~!! あんたが、今日から松竹屋で世話になるっていう娘?」


 涙ぐむ八重の両手を握って、ブンブンと振りながら、なんともフランクに話しかけてくる紅葉。柚葉とは大違いだ。紅葉の迫力に気圧されながらも、なんとか八重は勇気を振り絞って紅葉の問いかけに答える。


「はっ……はいぃ~……やっ、八重と申しますぅ~……」

「八重――ね。ふぅ~~~~ん?」


 じとぉ~~~っとした目つきで、紅葉は八重のことを値踏みするようにジロジロと見つめた。そして、ふふんっ、と無邪気な笑みを浮かべたかと思うと、八重の胸を思いっきりわしづかんだ。


「わひゃっ?!」


 またもや首がびょ~~んの危機に陥る哀れなろくろっ首。それでも、先ほどの一撃よりはマシだったのか、ほんのちょっと飛び上がって驚いたくらいで今回は難を逃れることができた。悲しいことだが、胸をもまれることに八重も慣れてきたのかもしれない。


「八重……あんたってぇ、すっごい胸が大きいねぇ」


 八重の葛藤などつゆしらず、満面の笑みで八重へと笑いかける紅葉。そして、追い撃ちだとばかりに、八重のそばへと身軽な動作で近づき、八重の瞳を隠している前髪を、さっ! と手でかき上げた。ひゃっ?! と驚く八重に、紅葉は無邪気な笑みをますます強めながら、


「それに、御目目もパッチリ、非の打ち所の無いくらいの可愛い娘じゃない。いやぁ、八重、松竹屋でよかったねぇ。あんたが、もし他の妓楼ぎろうに売られていたら、きっと言葉にできないくらいのはずかしめを――――」

「おっほんっ!! うぉっほんっ!!」


 それ以上はいけません!! とでも言いたげに、顔を真っ赤にしながら柚葉が大きく咳ばらいを繰り返す。


「あはは! わかってるって柚葉! こんな歳が大きな娘が松竹屋にきたのも、きっと何か理由があんだろうし、これ以上は言わないよ。ところで、二人ともあたい達を起こしに来たんだろう?」

「は、はい。おっしゃるとおりですが」

「じゃあ、もう御勤めは終わってるよ。さっきの八重の悲鳴でみぃ~~んな起きたはずさ」


 ほら、見てみなよ。と、紅葉があごをしゃくって部屋の外を指した。紅葉に促され、部屋の外へと目をやる柚葉と八重。すると、部屋の入り口の障子戸の周りに、何事かと目を丸くして部屋の中を覗き込んでいる襦袢姿の少女たちの姿があった。


「あぁ~! 気にしないで気にしないで! あたいのいつものやつだから!」


 紅葉がけらけらと笑いながら言うと、覗きこんでいた少女たちは口々に、なぁ~んだ。と八重の方を見て、クスクス笑いながら階段を降りて行った。


「さぁ~て、あたいもさっさと朝餉を食べにいこうかな」


 うぅ~~~ん! と伸びをして部屋からでようとする紅葉だが、あっ! という顔をして立ち止まり、柚葉の方へと振り向いた。


「そういえば、今覗いてた顔の中に双葉御姉様がいらっしゃらなかったよ。きっと、八重のことを待ってるんじゃない? 顔を見せに行ってきなよ」


 紅葉からそう言われ、柚葉も、あっ! という顔をして紅葉に言う。


「たしかに、紅葉御姉様のおっしゃるとおりです。すぐに八重さんと一緒に双葉御姉様のところへと参ることにいたします」


 ペコリ、と紅葉にお辞儀をする柚葉を見て、紅葉はうんうんとうなずいて、それ以上は何も言わずに部屋から出ていき、階段を降りて行った。そんな二人のやりとりを、きょとんとした表情で見つめていた八重に、柚葉が近寄ってそっと耳打ちした。


「この松竹屋で楼主様ろうしゅさまの次に偉い御姉様――双葉御姉様という方がいらっしゃいまして、この松竹屋に新しい娘が来た時は、双葉御姉様に御目通りをすることが通例となっているのです」

「そ、そうなのですかぁ……」


 なんだか怖そうな人ですぅ……。不安げな表情を浮かべる八重を見て、その気持ちを察した柚葉が、


「大丈夫ですよ、八重さん。双葉御姉様は見た目は確かに迫力のある方ですが、とぉ~~っても優しいお方なんです。禿の娘たちのしつけや、私たち新造のお勉強の先生もなさってくださってるんですよ。ですから、御心配なさらないでください」

「は、はいぃ~……」


 おずおずとうなずく八重。


「さて――それでは、双葉御姉様のところへと参りましょう。双葉御姉様は、二階の一番大きなお部屋におわします」


 紅葉の部屋からすすっと出る柚葉の後ろに従う八重。

 いったい、双葉御姉様とはどういう人なのだろう?

 そこはかとない不安感を抱きながら、八重は双葉御姉様とやらの部屋へと進む柚葉の後ろについていくのであった。

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