第二幕ノ四 吉原の外でできること――それぞれのやるべきこと


 八重がちょうど吉原の中へと足を踏み入れた頃、北条家の屋敷の中では蒼龍・煉弥・凛の三人が今後の動きについての談合をすすめていた。


「さて――僕らは僕らで、できることをやっていかないとね」


 そう言う蒼龍にうなずいて見せる、煉弥と凛。


「して、私達に出来ることとは、如何に?」

「そうだねぇ。とりあえずは、この事件の疑問点を一つずつ検証していくこと――じゃないかな」

「疑問点っていいやすと?」

「まず第一に――どうして下手人は被害者の血を抜くのか? なにか血を抜かなければならない理由でもあるのか?」


 蒼龍のこの問いかけに、うぅ~んと考え込む煉弥と凛。やがて煉弥が、


「これについちゃあ、今のところなんとも言えなくやありやせんかい? そもそも論で言っちまえば、下手人が人間かどうかって疑問もありやすしね」

「なに? キサマは、下手人が人間じゃないと思っているのか?」


 食ってかかるような言い方の凛とは対照的に、平静な口ぶりで煉弥が切り返す。


「別に、そうとは断定してねえよ。ただ、今の状況じゃ下手人が人間か妖怪かわからねえから、被害者がなぜ血を抜かれていたかっていう疑問の答えがでねえんじゃねえかって言ってるんだよ」

「そうかもしれぬが、だからといって簡単にそのことについて考えを捨て置くのは――――」


 食い下がる凛だが、そんな凛の思いをバッサリと切り捨てるかのように蒼龍が、


「うん、そうだね。じゃあ第一の疑問については置いておくことにしようか」


 と、あっさり煉弥の言葉に賛意を示してみせた。肩透かしをくらって、正座したまま前にずっこける凛。


「うん? どうかしたかい?」

「い、いえ……なんと、いいますか、あまりにも蒼龍殿が煉弥の意見に賛意を示されましたので……」


 体位を元に戻し、襟を正す凛。それでもまだ憮然とした表情を浮かべている凛に向かって、蒼龍が新人のしつけを開始した。


「いいかい、凛。僕たちの仕事の相手は基本的に妖怪だ。たまに人間が相手のこともあるが、その場合も、必ず妖怪が何かしら関わっていると思ってくれていい。そこで、凛に妖怪を相手にするときの鉄則――まあ、三カ条といえばいいかな。それを教授してしんぜよう」

「は、はいっ!!」


 目を輝かせながら応える凛。それを横で、相変わらず規則やら約束事やらが好きなんだなぁコイツは。ふう、とため息を吐く煉弥。


「では、一つ目――常識を捨てること」

「常識を、ですか?」

「そうさ。妖怪っていうやつらは、常識なんかじゃ推し量れない者たちばかりだからね。そういうやつらを相手にするとき、常識なんてものを持っていれば、その常識のせいで真実が見えなくなってしまうこともあるし、ともすれば命を落としかねないこともある。だから、常識を捨てること。いいね?」

「わ、わかりました……」


 蒼龍殿も、難しいことをおっしゃる……。常識の権化ともいうべき凛からすれば、三カ条の一つ目からすでに手厳しい約束事である。はてさて、次は一体どのような約束事をおっしゃられるのか。


「じゃあ、二つ目――慢心をしないこと」


 蒼龍の言葉に、凛は顔をしかめた。慢心――蒼龍殿は、私が慢心をしているとでも御思いなのだろうか? 凛の表情からその心情を察した煉弥が、


「さっきのようなことをすんなってことだ」

「どういう意味だ?」


 ジロリと煉弥を睨む凛。

 それはだな――――そう言いかける煉弥を蒼龍が手で制す。後は、僕が引き継ぐよ。微笑む蒼龍に対し、うなずいて見せる煉弥。


「つまりだね――ちょっと厳しい言い方をさせてもらうと、さっきのような仕事をよこせなんていう差し出がましいことは口にするなってことさ」

「う……そ、それは、その……」


 たじたじとする凛に蒼龍が追い撃ちをかける。


「さらに厳しい言い方をさせてもらうと、今の凛の腕じゃあ、とてもじゃないが仕事を任せることなんてできないね。今の凛に悪党妖怪の仕置きを頼むということは、さながら悪党妖怪に御馳走を届けるみたいなものさ」


 痛いところをピシャリと突かれ、ぐうの音も出ない凛。だからといって、素直にわかりましたと言えるほど、凛もまだ大人ではなかった。


「ですが――――」


 口ごたえをしようとした凛の耳元で、ひゅっ!! と空気を斬り裂くような音がした。次いで、部屋の壁からビシッ!! という鋭い音。何事かと音のした方へと振り向く凛。すると、部屋の壁に、豆粒のような大きさの穴が開いていた。


「凛。お前は今、何かが見えたか?」


 いつも優しい口ぶりはなりをひそめ、鬼の蒼龍の厳しい口調とそれにふさわしい厳しい視線が凛に浴びせかけられる。突然の蒼龍の変化と、自分の身に何が起こったのかが理解できないことに戸惑う凛。


「い、いえ……何も見えませんでしたが……」

「そうか――ならば、とくと目を見開いておけ」


 そう言うと、蒼龍はあぐらをかいたまま右腕を揺らし、着物の右袖から何かを取り出し握った。そして、凛の前に握った右手を差し出し、ゆっくりと開いた。開いた右手の手のひらには、銀色に光る小さな玉があった。


「これは……?」

「黙って、見ておれ」


 有無を言わさぬといった口調で蒼龍が言い、右手を握った。そして銀の玉を握った右手の親指の上へと移動させ、銀の玉を親指で弾いた。

 ひゅっ!!

 先ほどと同じ音が、凛の耳元をかすめた。ついで、先ほどと同じビシッ!! という鋭い音が壁にはしる。


「――――ッ?!」


 壁の方へと振り向く凛。そこには、先ほどの穴の横にもう一つの小さな穴ができていた。


「今のは指弾という。タネも仕掛けもない。ただ、鉄の玉を指ではじくだけの単純な技巧だ。だが、その威力は見ての通り。凛――これが実戦ならば、お前はもう二度死んでいる」


 わなわなと震える凛。楓殿と稽古で己が未熟であるとは感じてはいたが、まさかこれほどまでに差があるなんて……!!


「わかったか、凛? お前はまだ、仕置きの仕事につくことはまかりならぬ。ゆえに、お前には妖怪仕置き人見習いという肩書を与えているのだ。よいか、二度と先ほどのような差し出がましい口をきくな。わかったな?」

「…………わかりました」


 悔しさで唇を噛みしめ、震える声で凛は蒼龍の言葉に従った。蒼龍は深くうなずき、鬼の面をひっこませていつもの優しい口調で凛にフォローをいれる。


「まあ、時期がくればちゃんと仕事をしてもらうからね。その時期が早く来るように、楓殿の胸をかりて精進に励んでおくれよ。ああ、そうそう――ちなみに言っておくと、煉弥が初仕事を任せれるまでにかかった時間は、おおよそ一年くらいだから、それを上回る速さで凛が初仕事をできるようになってくれることを期待しているよ」

「そうですか――ならば、必ずや蒼龍殿の御期待にお応えし、煉弥よりも早く、絶対に!! 煉弥より早く初仕事の時を迎えてみせます!!」


 負けん気に火がついたらしく、瞳の中に炎を点しているかの如く勢いで宣言する凛。

 そんな凛を見て、余計な事を言わんでくださいよ、と煉弥が非難の目を蒼龍へと向ける。すまないね、利用させてもらったよ。ばつが悪そうな苦笑いを煉弥に返す蒼龍。


「さて、それじゃあ最後の三つ目――何事にも性急に当たらず、常に冷静沈着に余裕をもって、事にあたること」

「ええ、それはできるだけ心がけているつもりですが――――」

「ふぅん? それは妙な話だなぁ。僕の記憶が確かならば、さっき僕に向かってさっさと仕事をよこせとのたまった可愛い義妹がいたと思うんだけどねぇ?」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる蒼龍。


「…………精進いたします」


 しおらしい声を出しながら、羞恥に顔を真紅に染め上げてうつむく凛。

 まあ、これくらい釘をさしておけば大丈夫だろう? 煉弥に視線をなげる蒼龍に、煉弥が深々と頭を下げた。ええ。ありがとうございます、タツ兄。


「さてさて、少々話が脱線してしまったね。では、第二の疑問だけど、なぜ春姫が吉原にいたのか?」


 ふぅむ……と考え込む煉弥と凛。すると、凛が何か思いあたることがあったらしく、蒼龍にいつもの真摯な瞳を真っすぐにむけて、


「それを推察するには、春姫殿の出自を知ることが必要なのではありませんか?」

「そう、凛の言う通りだね。春姫の出自に関しては、父上がよくご存じなのだけど、あいにくと父上は不在だからねぇ」


 あごをかく蒼龍に、煉弥が事件の話を聞いた当初からの疑問を蒼龍にぶつける。


「そもそもタツ兄って、なんで春姫のことをご存じなんですかい? いくらオジキやタツ兄とはいえ、大奥に出入りすることなんてできやしないはずでしょう?」


 煉弥のこの疑問に凛もうなずいてみせた。どうやら、凛も気になっていたらしい。


「ああ、それはね――春姫を大奥に推薦したのは父上だからなんだよ。春姫は、父上の友人の娘さんらしくてね。その縁で、父上が春姫を大奥に推薦したのち、実際に春姫が大奥に行くまでの根回しや手続きをしたのが僕ってわけさ」

「なるほど……」


 見事に息ピッタリに声をハモらせてうなずき合う煉弥と凛。やれやれ、さっさとくっつきゃいいのにねぇ。


「だから、春姫の出自については、僕もおぼろげながらしか知らないんだ。なので、凛の言うように、二つ目の疑問を明らかにしていく上には、春姫の出自を徹底的に洗っていく必要があるだろうね。それに関しては僕が調べをすすめていくことにするよ」


 頼みます。はい。と答える煉弥と凛。


「じゃあ三つめの疑問だ――なぜ、事件の現場が吉原に限定されているのか? なぜ、下手人は女しか狙わないのか? それも、花盛りといった年齢の美しい少女たちだけをね」

「まあ、普通に考えりゃあ吉原に下手人がいるからじゃねえですかい? 吉原ってところは入るのは簡単だが、出るのは容易じゃねえってよく聞きやすがね」

「そう、煉弥の言う通り。吉原に入ることは容易なものだけど、吉原から出ていくとなるとそれは容易ではない。だからこそ、今回は潜入捜査という形をとったわけだね」

「しかし……蒼龍殿のおっしゃりようだと、八重殿が吉原から出ていく段になれば、ひと悶着おこってしまうのではないのでしょうか?」


 心配そうな表情で凛が蒼龍に問う。一か月前までは、互いに微妙な感情を抱いていた凛と八重だが、今では互いに無いものを持った者同士、親友レベルにまで仲良くなっている。まあ、お互いに恋慕している相手が同じライバルでもあるのだが、それがまた仲良くなった要因の一つかもしれない。


「その辺に関しては大丈夫。吉原にいる知己が上手く対処してくれるよ」

「それならよろしいのですが……」


 不安そうな声を出す凛。凛の不安そうな心情を察してか、煉弥が蒼龍に、


「ところで、タツ兄のおっしゃる知己っていう方のことを教えていただくことはできないんですかい?」


 蒼龍は難しい顔をして、


「教えたいのは山々なんだけど、彼女から絶対に他言無用との誓約をたてさせられてるからねぇ。申し訳ないが、僕から彼女のことを口にすることはできないよ。まあ、時期が来れば、きっと彼女の方から名乗ってくれると思うから、その時まで待ってておくれ」

「わかりやした。まあ、タツ兄がそこまで信用をおく相手なのだろうから、俺達もタツ兄にならって、その彼女とやらを信用することにしますよ。なあ、凛?」

「あ、ああ……そうだな……」


 そう、するしかないか……といった様相でうなずく凛。


「すまないね。それで疑問点に戻るけど、これに関して何か意見や考えはあるかい?」

「そうですねぇ……正直なところを言わせてもらいやすと、現時点ではなんともいえないんですよねぇ」

「私も煉弥と同じ意見です」

「そうだねぇ――ここはやはり、八重君とタマの情報待ちかな。よし、それじゃあ事件についての話はこれで終わりとしよう。次の話は、君達二人の今後についてだ」


 そう言って、煉弥と凛を見据える蒼龍。


「俺達の……」

「今後について……」


 互いに顔を見合わせる二人。そして二人とも顔を赤く染めあげつつ、


「いや……今後っていったって……」

「そそそそそそれは……いいいいいま話すような……」


 お互いに顔をそらせて言うと、蒼龍はそんな二人にこれ以上のない微笑ましさを感じ、思わず破顔していった。


「いやいやいやいや。二人が考えているような話をするつもりはないよ。まあ、僕が言い方が悪かったかな。つまりだね、僕や八重君たちが調査を進めている間に、二人にやってもらいたいことを話したいってことでね」


 ああ……そういうことですか……。安堵したような、ちょっと残念なような複雑な吐息をはいた。


「まず煉弥だけど――煉弥はオオガミと袖姉妹を相手に、多人数相手を想定した戦闘の修練をつんでくれ」

「……そいつぁ、酷な修練になりそうですねぇ」


 遠い目になって呟く煉弥。ただ、一か月前のかまいたちとの戦闘において、多数相手の戦闘の不得手が露見したことに煉弥自身も危機感を募らせていたので、ある意味で言うと渡りに船といった話でもある。しゃあねえ、覚悟をきめるとするか。


「わかりやした。袖さんたちに――特に小袖さんに――ズタボロにされちまわないよう努力しますよ」

「ああ、頑張ってくれ」

「……気をつけろよ、煉弥。あの事件以来、なぜか袖達がキサマに対し、妙な怒りを抱いているようだからな」


 凛が気づかわしげに煉弥に声をかける。それに、乾いた笑みを浮かべながら、ああ、気をつけることにすらあ。と答える煉弥。どうやら袖姉妹は、煉弥が凛に自分達の正体を勝手にばらしてしまったことにひどくおかんむりのようらしかった。


「それで凛だけど――凛は楓殿との修練に励んでくれ。楓殿が言うには、まったく新しい人材を育てあげるとのことだから、おそらく楓殿の修練は熾烈しれつを極めると思うから、凛も凛で覚悟をしておくことだね」

「か、かしこまりました……」


 そう、凛も凛で覚悟が必要だ。楓のシゴキのおぞましさは、煉弥が身をもって体感している。それに煉弥は、以前に楓が凛の尻のことを日本一のお尻だと、よだれを垂らしながら嬉しそうにわめいていたのを見てしまったことがあるので、楓のシゴキをうける凛のことが色んな意味で心配だった。


「いいか、凛……楓さんには気をつけろよ」


 これ以上ない真剣な口調の煉弥に、凛も素直にうなずいた。わかっている、煉弥。楓殿だけには、気をつけねばならぬ。色んな意味でな。


「よし――それじゃあ、各々、行動をはじめるとしようか」


 ぱんっ! と手を叩いて立ち上がる蒼龍。それに続いて、煉弥と凛も立ち上がった。そして、三人は部屋から出ていき、各々のやるべきことをやるべく、北条の屋敷を後にするのであった。

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