第一幕 蒼龍の帰還――浮かぶ下手人は柳が如く
一同が巻き物と格闘しはじめてから、数刻の時間が過ぎ始めていた。
辺りはいつの間にか夕闇に染まり始め、畜生二匹がもう限界だと、うたた寝をやり始めた頃、すすっと部屋の障子戸が陰鬱さを感じさせる調子でもって開かれた。
「やあ、お待たせしてすまないね……」
障子戸を開いた主は蒼龍であった。一同の視線を一身に受けながら部屋の中へと入ってくる蒼龍。
自然と、楓と煉弥が体を動かして空間を作り、その空いた空間に蒼龍がゆっくりと腰をおろした。そして、深いため息を吐きながら、
「まったく……気の重いことだよ……」
と、整った顔立ちに暗い
「お疲れ様――タッちゃん」
そう言って楓が袖に手を突っ込んだかと思うと、袖の中から湯飲みを引っ張りだしてそれを蒼龍の前に置いた。湯気が立ち上ってるところから見て、熱々のお茶が入っているようらしい。
「ああ、すみません」
一切のツッコミをいれずに湯飲みを手に取って熱い茶をすする蒼龍。
異次元の袖の持ち主に、ツッコミをいれても無駄であり野暮なことだと、蒼龍含め楓以外の一同はそのことを身に染みて実感していたので、ここはあえてのシカトに踏み切ったのであった。
「……おかわりはぁ?」
不満げな楓の申し出を、いえ、大丈夫ですとやんわり断る蒼龍。
ふ~ん。そう。と素っ気なく空になった湯飲みを袖の中へと戻す楓。年増のかまってちゃんほど扱いづらいものはないものだ。
「で、いかがでした?」
楓が妙な
「いやぁ……柳生家の権威はここに地に落ちたり、と利忠殿が大見得を切って切腹をしようとしたのには参ったよ。なんとか取り押さえたところに、上様が利忠が腹を切ることは許さんと言ってくださったからその場は収まったけど……利忠殿のこれからが心配だねぇ。我が子を失った親というものは、その悲しみと怒りから、とんでもない行動に出ることがよくあるものだからさ」
「と、いうと?」
「利位のカタキ討ちをする――きっと、そう考えるんじゃないかな。でも、そこは上様の先見の明というべきか、利忠殿に、利位の仇討ちを禁ずると強く仰っておいでだったから、まあしばらくは利忠殿も大人しくしてくれるんじゃないかなって思うよ」
「じゃあ――邪魔は入らない、というわけねぇ?」
「にべもありませんが、そういうことになりますな――――」
そう言って、ぐるりと一同を見渡す蒼龍。うなずく一同。
「新しい情報を話す前に聞いておきたいのだけど、何か、新たな発見はあったかい?」
「残念だけどねぇ。特に何もないのだよぉ」
一同を代表する形でお化け先生が答える。
「そうですか――では、今回の利位の事件についての話をさせてもらうことにしよう。」
自然と威儀を正して緊張する一同。
「まず利位の殺害された時の状況だけど――遺体に関しては、今までの辻斬り事件と同じように全身をズタズタに斬り裂かれていたそうだ。つまり、利位を殺した下手人は、そうやって利位を殺害することによって、疑いの目が辻斬りの下手人に向かうように仕向けたつもりなんだろうけど、今回ばかりはドジを踏んだようだね。辻斬りの下手人――悪神・かまいたちは昨夜に煉弥達の手によって仕置きされているのだし、悪神・かまいたちと煉弥が相対した時に、利位はその場から逃げおおせているわけだからね」
「ええ――その通りです」
神妙にうなずく煉弥。
「次に、利位が殺害されていた場所なのだけど、それが柳生家の屋敷のすぐ近くなんだよ」
「かわいそうに……もう少しで屋敷の中に逃げ込めてたのにねぇ……」
肩をすくめる楓。
「まったくです――ただね、僕としては利位が柳生家の屋敷の近くで殺されたということには、意味があるんじゃないかと思っているんだよ」
「ふぅむ。確かに。余も、蒼龍君の意見に賛成だねぇ」
ひゅるりらぁ~と蒼龍の頭上へと飛んでいくお化け先生。そしてそのまま言葉を続ける。
「利位を殺した下手人は、利位の殺害を辻斬りの下手人に見せかけようとした――然るに、今回の利位の殺害は計画殺人ということになってくるわけだねぇ」
「先生の仰る通りです。となれば、利位が柳生家の屋敷の近くで殺害されたことも、偶然ではなく計画的であったとみるべきなんじゃないだろうかと思うんだよ」
「するってえと、どういうことなんだヨ?」
「おみゃ~は口をはさむにゃ。バカは黙ってきいてるにゃ」
あんだト?! と、タマに向かって牙むいて怒るオオガミに、まぁまぁっ♪ と楓がたしなめながら、
「計画的だったとするならぁ、下手人は利位を待ち伏せていたってことになるのかしらぁ?」
「さすがは楓君。ご名答」
「楓殿の仰る通り、おそらく下手人は利位のことを待ち伏せていたんじゃないだろうかと、僕は考えている。ということで、ここで推測を進めて、下手人が利位を待ち伏せていたという前提で下手人像を考えてみようじゃないか」
そう言う蒼龍に煉弥がすぐさま疑問を呈する。
「ちょっと待ってくださいよタツ兄。利位を待ち伏せするってことになると、利位の当日の行動を知ってなきゃ無理なんじゃないですかい?」
「そう、煉弥の言う通りさ。利位を待ち伏せることのできる者――つまりそれは、利位が夜回りを行うことを知っていた者だけだ」
「その人物達は、如何に?」
お化け先生が重々しく蒼龍に問う。
「上様。御家老様。僕。利忠殿に、源流斎殿。そしてここの皆に柳生家の門下生の何人か――それだけじゃないかな」
「当然だけど、将軍様と御家老様、それに蒼龍君と利忠殿、それにここの一同は除外できるねぇ」
「ええ、そうですね」
「とすれば残る者は――――」
お化け先生がそこまで言ったところで、煉弥の心の中がざわめき始めた。
「源流斎殿か――柳生家の門下生だけだということになるねぇ」
まさか、じっちゃんが……?! そんなバカなことがあるものか!! 凛をあんなに可愛がってくれているじっちゃんが、凛の母親と父親を殺したなんて……そんなことがあってたまるもんかよ!!!!
「では、検討してみることにしましょうか。まず、柳生の門下生の誰かが下手人だったと仮定しましょう。それなら、なぜ利位を殺害したか?」
「そうねぇ……。考えられるのは、柳生新陰流の跡継ぎ問題じゃないかしらぁ? 血筋的に考えれば利位が継ぐのは当然だけど、利位はほら、あんな感じだったでしょぉ? それを良しとしない門下生達のいずれかが凶刃に及んだ――考えられなくはないとは思うけどぉ――――」
「仮に柳生の門下生が下手人だとすれば、楓君のいうとおり、利位については動機がないわけでもなさそうだけど、ちょっと弱いねぇ。それに、もし柳生の門下生がやったとするのなら、ツバメ君と左馬之助君を七年前に殺したことにたいしての説明がつかないよねぇ」
「そうです。お化け先生の仰る通り、今回の利位の殺害事件の下手人と七年前の下手人と同一犯でなければなりません」
蒼龍の言葉に煉弥がかみつく。
「それはまた、どうしてそうだと言い切れるんですかい?」
「そりゃあ当然だろう? 今回の下手人は、七年前と同じように自分のやったことを辻斬りに見せかけようとしてるんだ。とすれば、今回の下手人と七年前の下手人が同一犯だと考えるのは至極当然の流れじゃないかい?」
厳しい口調の蒼龍。気持ちはわかるよ、煉弥。でもね、僕だって――私だって、認めたくはないのだ。だが、今回の事件においての状況証拠が、彼の者が下手人であることを指している。故に、認めなければならぬのだ。
「ふむ。では、柳生家の門下生が下手人であるという可能性はなくなった。では、残る者は――――」
「――そんなこと……あるわけないでしょう!!」
思わず大声をあげる煉弥。そんな煉弥に、御役目を非情な心でもって行使しなければならぬ、鬼の蒼龍の言葉が浴びせかけられた。
「言ったはずだ、煉弥。先入観を取り払い、ありとあらゆる可能性を模索せねばならんと――――」
「でっ……ですが……!!」
「レンちゃん」
楓が、鋭いまなざしを煉弥へと向ける。
「仕置き人に私情は禁物だと、楓さんからいつも言われてきたのを忘れたのぉ? 私情を持てば、物事を見る眼が曇ってしまう。そして、曇った眼では、真実を見極めることはできない。わかってるはずよぉ?」
「…………ッ!!」
確かに、その通り。楓さんの言うことは至極もっともだ。俺は楓さんにいつもそう言われ続けて、出来るだけそれを守ってきたつもりだった。だが――だが――こればっかりは、信じたくはない!! こればっかりは、認めたくはない!!
「煉弥君。君の気持ちは察するにあまりあるが、余達は真実を明らかにしなければならないんだよぉ。だからこそ、例え誰であろうと怪しいとなれば容赦なく疑わなければならないし、詮議も行わなければならない――わかるねぇ?」
「…………」
ただ、黙ってうなずくことしかできなかった。歯を食いしばってうつむく煉弥を、オオガミが心配そうな目で見つめていた。
「なあ……大丈夫、かヨ?」
普段の粗暴なオオガミからは想像もつかないほどの、他者を慈しむ優しい声だった。その声に驚いた一同が、思わずオオガミへと一斉に視線を注ぐ。
全員の注視を集めていることに気づいたオオガミ、顔を赤くして、
「な、なんだヨ……」
と、やや困惑気味にしおらしい声を出して見せた。
「……いやぁ、なんていえばいいのかしらねぇ? やっぱり、オオちゃんも女の子だってことかしらぁ♪」
「うっ、うるせえヨ!!」
ぷいっと横向くオオガミ。横向いたところで、ニヤニヤ笑っているタマのネコ目と視線が絡む。
「にゅっふっふっふ~☆ おみゃ~は本当に可愛いやつだにゃ~☆」
「うぅ、うるせえうるせえ!!」
わきゃわきゃと手を振りまわして照れるオオガミ。そんなオオガミの姿を見て、煉弥の心のざわめきも少しは和らぐ気がした。そうだよな。気をしっかりもたなきゃいけねえ。周りの人たちに心配をかけさせたり、気を持たせたりしてる場合じゃねえ。
大きく深呼吸をする煉弥。そして蒼龍の瞳を真っすぐに見つめて、言った。
「すみません。もう大丈夫です――自分は、御役目を果たしてみせます」
煉弥の言葉をうけ、蒼龍は深くうなずき、そして一同に向かって言った。
「ではこれより、源流斎殿――否、容疑者・柳源流斎に対しての詮議を行うことにする」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます