第一幕 集う面々――模索するは動機也


「では――私はここまでにすることにしよう」


 化け物長屋の入り口の鳥居の前に来たところで、凛はそう言った。


「うん? 楓さんに挨拶をしなくてもいいのか?」


 頬に見事な凛の平手の跡を刻みつけられた煉弥が凛に言うと、


「う、うむ……あのお方のことだ。きっと、今お会いすれば、その……なんだ、色々と詮索されそうでな……」


 頬を淡く朱に染めながら、なんとも複雑そうな表情で凛が答えた。


「あ~……おう、そうだな。それがいいだろうな」


 あの女狐のことだ、おそらく俺と凛の微妙な変化を察して、きっとしつっこく色々と根掘り葉掘り聞かれることになるに違いない。


「で、お前はこれからどうすんだ?」

「一度屋敷に戻った後に、御師様の道場へと行くつもりだ。今日は、稽古日だからな」

「そうか……」

「う、うむ……」


 二人の間に流れる微妙な空気と、それに伴う気まずい沈黙。

 二人とも、もうしばらく共にいたいのだが、それを口にするにはどうにも意地が邪魔をする。

 だが、もしもう少し共にいたいと口に出せたとしても、煉弥はすぐにでも外道の詮議をしなければならぬし、凛は凛で、時間的に少々駆け足で源流斎の道場に行かなければ稽古の時間に間に合わぬ。

 栓なきことだが別れの時だ。やはりそれを切り出すのも男子の役目だろう。


「じゃ、じゃあ、またな」

「う、うむ――では、また明日にでも――――」


 心なし寂しげな声でそう言い、名残惜しそうにその場を後にする凛。離れていく凛の姿が見えなくなるまで、ずっと見つめ続ける煉弥――そして、いじらしげに何度も何度も煉弥の方へとり向く凛の姿に、思わず微笑みを浮かべてしまうのであった。

 凛の姿が見えなくなったところで、煉弥は深呼吸をひとつした。

 これからは、御役目だ。気持ちを入れ替えてビシっとしなけりゃならん。

 よっしゃっ!! と自分の頬を両手で叩いて入気をする煉弥。


「あいてっ?!」


 思った以上の痛みが右の頬にはしり、つい声をあげてしまったが、すぐにその理由を思い出し、苦笑した。


「そういやあ、さっき、きつい一発をあいつからもらったんだっけな……」


 凛の手形が残る頬を、愛おしくさする煉弥。だらしのないニヤケ顔を浮かべつつ、長屋の入り口の鳥居をくぐり、長屋の中へと入る。

 昼間の化け物長屋は、人間社会でいうところの夜である。人通り――いや、妖怪通りのまったくない閑散とした長屋の中を歩き、楓の部屋の前へと移動する煉弥。

 やがて楓の部屋の前へと着き、失礼しますと一声かけて部屋の障子をあけると、中には蒼龍を抜いたいつもメンツが集まっていた。


「あらぁ、待ってたわよぉ。さぁ、さぁ、こっちへきてお座んなさ~いっ♪」


 楓が自分の横の畳をぺんっぺんっと叩いて煉弥を招く。いつもの煉弥ならアマノジャクなところを出して無視するところだが、今日の煉弥は御機嫌であり、気分も軽い。素直に楓の招きに従って、楓のそばに腰を下ろした。


「……あらぁ?」


 息子の思いがけぬ素直な行動に首をかしげる楓。しかし、すぐにその素直さに裏にあるものを感じ取った女狐、


「凛ちゃんとぉ――どこまでぇ――イったのぉ~~~ん?」


 にんまぁ~~とキツネ目細めて、いやらしい声を出しながら煉弥の膝をなでさする。


「いっ?! べ、べつになんでもないですよ!!」


 慌てて楓の手を払う煉弥。うふふふぅ♪ と、いつも以上に腹にイチモツありといったような笑みを浮かべる女狐に、煉弥はなぜか背筋が凍るような思いがした。絶対、何か企んでやがる。


「まあ、煉弥君の猥談も聞きたいところだけど、余としては話を進めたいと思ってんだがねぇ?」

「猥談なんかありゃしませんよ!!」


 お化け先生の余計な一言にくってかかる煉弥。そんな煉弥の姿に、地獄猫耳の食指がはしる。


「ほぉ~~☆ そんなに必死になるってことは、なんだか怪しいにゃ~☆」


 ネコ目を、キラリキラリと光らせるタマ。


「なんでもねえよ!! やましいことなんざ、い~~~っさいねえよ!!」


 鼻息荒い煉弥をよそに、楓と目配せをするタマ。お願いねぇ? 任せるにゃ♪ この瞬間、煉弥と凛にタマの子分の尾行がつくことが決定した。


「……浮つくのも結構だけどヨ。オレたちの御役目を忘れんじゃねえゾ?」


 微妙に刺々しい口調のオオガミに、楓がうふふっ♪ と笑いながら、


「なぁにぃ♪ オオちゃんったら、妬いてるのぉ~~~?」

「ハッ?! はァッ?! なな、なんでオレが妬いたりしなきゃいけねえんだヨッ?!」


 顔を真っ赤にして否定するオオガミ。オオちゃんったらぁ♪ そんな顔しちゃあ、肯定してるのとおんなじよぉ♪

 青い春な雰囲気漂い始めた部屋に喝をいれんと、


「う~~~~おっほぉんっ!!」


 と、身体をびよぉ~~んっと伸ばしながら咳ばらいをしてみせるお化け先生。


「諸君、まずはやるべきことをやろう――我々の無念――そして、左馬之助君とツバメ君の無念を晴らすためにも――最後に残った謎を紐解とくことにしようじゃないか」


 この号令に、皆は黙ってうなずいて答えとした。先ほどまでのおちゃらけた雰囲気を一変させた楓がお化け先生に問う。


「ねえ先生。まずはどこからとっかかりをつけていくのかしらぁ?」

「そうだねぇ。新事実に関しては、蒼龍君が戻ってこないと何とも言えないから、まずは基本に立ち返って考えてみようじゃないかぁ」

「と、いいやすと?」

「つまりだね、ツバメ君と左馬之助君の事件は、通り魔的な辻斬りではなく、計画的な殺人であるということが、今になってわかったわけだねぇ。ということは、ツバメ君と左馬之助君が殺されたことには、必ずなんらかの理由――然るに動機と言うものが存在するのだと余は愚考しているわけだねぇ」

「そうねぇ。先生の仰る通りだと思いますわぁ」


 楓の賛意を得て、勢いづくお化け先生。


「そうだろぉ? そこで、だがねぇ――各々、どうか深く、そしてなるべく細やかに思い出し、考えてほしい。ツバメ君と左馬之助君の両人を恨んでいるような者及び、両人をねたんでいた者がいたかどうか、どんな些細なことでもいいから、もし何かそれに近しいことがあれば、是非ともこの場で進言して欲しいなぁ」


 う~~~~~ん……と思案する一同。

 しかし、いくら考えても、やはりあの二人の周囲にお化け先生の言うような感情を持ち合わせた者の名前が出てくることはなかった。


「よぉ~~~く考えてくれたまえよぉ。必ず、いるはずなんだからねぇ」


 お化け先生が檄を飛ばすが、やはり、どれだけ思案しても、一同にはまったくもって心当たりが見つからなかった。ため息深く、沈痛な面持ちを浮かべる一同に、お化け先生が別の案を提案する。


「ふむ、それじゃあ、ちょっと別の観点から下手人のあたりをつけてみることにしようかぁ」


 と、お化け先生が言ったところで、部屋の障子戸を、とんっとんっ、と申し訳なさげに叩く音が響いた。


「おぉ、これは実にちょうどよいところに。入ってきてくれたまえ」


 すすっ、と開く障子戸。皆が目をやると、そこにはいくつもの巻き物を胸の前に抱えている八重の姿があった。


「おっ、おそくなりましたぁ……」


 申し訳なさそうな声をあげつつ、部屋の中へと入ってくる八重。チラリと煉弥と視線が合う。複雑な表情を浮かべる煉弥に、八重も刹那、うつむきかけたが、すぐに視線を煉弥に戻して、えへへっ……とはにかんで見せた。

 八重さん……。

 そのはにかむ八重の姿に、煉弥はなにか救われたような気がした。そして、八重という少女が、自分の思っている以上にとても強い少女だということに、煉弥はその時初めて知ったのだった。


「では、八重君。巻き物を各自に手渡してくれたまえ」


 はっ、はいぃ~、と一人一人に巻き物を手渡していく八重。

 煉弥に巻き物が手渡された時、煉弥は八重に向かって、先ほどの八重のはにかんだ顔の答えとばかりに、微笑んで見せた。そんな煉弥の笑みに、八重は頬を赤くしながら、ささっと対面に座っている畜生二匹の間に身体を滑り込ませた。なんだかんだで、赤面症の人見知りは治ってはいないようらしい。


「では、諸君――巻き物を開いてくれたまえ」


 言われた通りに、巻き物を開く一同。そこには何かに対しての記述がびっしりと書き連ねられており、その記述量で巻き物が真っ黒になっているほどであった。


「うワァ……」

「にゃ、にゃあ……」


 思わず拒否反応を示して見せる畜生二匹。そのあまりの記述量に、煉弥も苦々しい吐息をもらしたが、なんとか気を取りなおしてお化け先生に問うた。


「こりゃあ、なんですかい?」

「これはねぇ。八重君の努力の結晶さぁ」


 ひゅるりらぁ~と八重の頭上に飛んでいくお化け先生。そして、身体を人の手の形へと変貌させ、八重の頭をいい子いい子しはじめた。褒められたことで顔を赤らめる八重に楓も、


「あらぁ♪ それはそれは、八重ちゃん、お疲れ様っ♪」


 ねぎらいの言葉を投げかけるが、煉弥と畜生二匹には、一体何が何だかわかりゃしない。


「ええっと、つまりはどういうことなんですかね?」

「あらぁ、レンちゃん、この巻き物に書かれてあることがわからないのぉ?」

「書かれてあること――?」


 おびただしい量の文字の羅列に目をやる煉弥。よくよくちゃんと目を通してみると、確かに文字量は多いが、難しい漢字などは一切なく、学の無い者でも、非常に読みやすく書かれているようだ。

 へぇ? 誰がこれを書いたんだろうな。感心している煉弥に、お化け先生が元の姿に戻りながら言った。


「これはねぇ、ツバメ君と左馬之助君の事件の調書を、八重君がわかりやすく、そして読みやすくまとめなおしてくれたものなんだよぉ。今回の辻斬り事件が始まった当初から、八重君が時間を見つけて作成してくれていたのが、昨夜ついに完成したというわけさ。まあ、余も八重君がまさか全員分用意してくれていたとは思わなかったがねぇ」

「あらぁ、御言葉ですがお化け先生~楓さんもお手伝いしたんですよぉ~」


 頬をぷぅっと膨らませてお化け先生に不満をぶつける楓。いやぁ、そうだったね、すまないすまないとお化け先生は笑っていたが、すぐに声の調子を重くして、


「まあ、ともかくだねぇ。以前からこの調書は、余と蒼龍君しか、目を通していなかったわけだねぇ。しかし、それだと余と蒼龍君では気づかなかった見落としがあるかもしれない。だから、皆にも一度しっかりと調書に目を通してもらいたいと思って八重君と楓君に頼んで用意してもらったというわけさぁ」

「なるほど……そういうことですかい」


 巻き物を手に取る煉弥。


「わかりやした。なんとか頑張って、読み解いていきやしょう」

「うむ。頼むよぉ。八重君。記述していくうえで何度も見直したかもしれないが、すまないが君ももう一度見直してみてくれたまえ」

「は、はいっ」

「オオガミ君、タマ君。君達もイヤかもしれないが、しっかりと読み解いてくれたまえよ」


 お化け先生から釘を刺された畜生二匹、あからさまにイヤそうな顔をして、


「あ~~……そういえばオレ、用事があったの思い出したゼ」

「にゃんも、子分たちと集会の約束があったにゃ」


 いそいそと逃げ出そうとする二匹だが、長屋の差配人である女狐の、


「あらぁ? 良い根性してるわねぇ?」


 という身の毛のよだつ一声が浴びせかけられれば、畜生二匹、悲しそうな顔して巻き物の前に座りなおして覚悟を決めた。


「では、諸君――よろしく頼むよぉ」


 お化け先生の掛け声を合図に、一同は一斉に調書の巻き物を読み解くことにとりかかるのであった。

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