第一幕ノ三十三 慟哭の煉弥――愛しい者の危機


「私が、源流斎を下手人だと考えているのには、いくつかの動かしがたい事実があるからだ」


 鬼の蒼龍の言葉に、お化け先生が、


「ふむ。よければ、その事実やらを教えてくれないかなぁ?」

「うむ。先生には、是非とも聞いていただきたいと思っています。そして、私の考えが間違っていないかどうかを、博識なる先生に、是非とも御判断いただきたい」


 互いにうなずき合う、蒼龍とお化け先生(お化け先生はうなずいたように見えるだけだが)。


「まず第一の理由。それは、今回の事件において、利位が殺害された時に、利位が刀を抜いていなかったということが、調書の記述にあったことだ」

「なるほどねぇ……」


 納得したようにうんうんとうなずく楓の横から、


「それがいったい、何を意味するんです?」


 という、煉弥の疑問が飛ぶ。


「つまりだねぇ。利位は殺害される瞬間まで刀を抜いていない――然るに、一切の警戒をしていなかったということだよぉ。ということは、利位が斬られる直前まで相対していた相手は、利位が警戒するような相手ではなかった――つまるところ、利位の顔見知りであった――そういうことだね、蒼龍君?」

「仰せの通り」

「なんでそう言い切れるにゃ?」


 タマが小首をかしげながら蒼龍に問う。


「利位は確かに柳生家の跡継ぎとしては不相応かもしれんが、その剣の腕前はそこらのごくつぶし共より遥かに勝っている。そんな腕前の者が、説明のできぬ怪異に出会ったばかりの夜道に不審人物と出会えば、自然と剣を抜いてもおかしくはないであろう? それなのに、利位は剣を抜いていなかった。つまり、利位が最後に出会った者は顔見知りであるということだ」


 にゃ~~~るほど。とうなずくタマ。


「じゃあ、第二の理由ってのはどんなもんなんだヨ?」

「第二の理由――それは、七年前の下手人と今回の下手人が同一犯であると考えた時に導かれる理由だ。七年前、左馬之助が殺害されたわけだが、各々もよくわかっているように、左馬之助はそう簡単に凶刃にかかるような者ではない。当時において、人間の身でありながら仕置き人の中でも五本の指に数えられるような人物であった。その左馬之助があれほど簡単に斬られていたということは、ひょっとすると、左馬之助の一件も、今回の利位の一件と同じように、左馬之助の顔見知りによる犯行ではないかと思われる。そして、その顔見知りが源流斎と考えれば――左馬之助の一件も実に合点がいくとは思わぬか?」

「そうねぇ――楓さんとしても、サマちゃんがあんなに簡単にやられちゃったことが、ずっとひっかかっていたのよぉ。でも、サマちゃんを斬った者が源流斎だと仮定すれば、それも納得できるわぁ。自分の嫁の義父を警戒する人間なんてそうそういないものよぉ。それも、前日に嫁を殺されてしまっていたとなれば、なおさら義父には頭があがらないものですからねぇ」

「しかしですよ――――!!」


 煉弥が吠えるような声で疑問を呈す。


「もし、じっちゃんが下手人だとしてですよ――動機はなんだってんです?!」

「そう、動機が問題だ――。そして、その動機こそが、私が源流斎が下手人だと考える、第三の理由でもある」

「……どういうことかしらぁ?」

「皆に、よく思い出してもらいたい。ツバメ殿と左馬之助の縁談に際し、最後まで反対の意思を貫き、それでいて、左馬之助のことを蛇蝎だかつの如く嫌っていたのは誰か?」


 蒼龍のこの言葉に一同はハッ?! とした表情を浮かべた。


「そう……!! そうねぇ!! 確かに、頭領の仰る通り、サマちゃんに関しては、恨んでいる人物が一人――いるにはいるようねぇ!!」

「うむ……確かに、そのようだねぇ。だがねぇ。そうなると、一つ、大きな疑問が浮かんでくるねぇ。源流斎が下手人であるとして、源流斎があれほど、それこそ玉のように大切に育てていたツバメ君を殺す理由があるものかねぇ?」


 お化け先生がそう言うと、


「あ、あのぉ…………」


 と、おずおずと八重が手を挙げた。


「あらぁ? 八重ちゃん、何か言いたいことがあるのかしらぁ?」

「あ、あの……その……大切に……していたからこそ……凶行に及ぶことも……あるんじゃないでしょうかぁ……」

「と、いうと――どういうことだぁい?」

「え、えっと……源流斎さんが、左馬之助さんを嫌っていらしてるのでしたら、その、嫌いな相手に自分が大切に育てていたツバメさんを奪われた、という風にもとれるんじゃないでしょうかぁ……」

「うん、そこまでは余にもわかるよぉ。でも、八重君――八重君の言っているのは、源流斎が左馬之助君を殺害する動機なんじゃないのかぁい?」


 お化け先生からピシャリと言われ、あぅぅ……とうつむく八重。そんな八重に楓が助け舟を出す。


「まぁまぁ、せぇ~んせっ♪ まだ八重ちゃんは話の続きがあるようですし、ことを急いじゃいけませんよぉ♪ アッチと一緒で、早すぎるのはよくありませんからねぇ♪」

「おぉ、いかんいかん。そうだねぇ、楓君の言う通りだよぉ。恥ずかしながら、どうも、興奮しすぎてたようらしい。少々、頭を冷やすことにしようかねぇ」


 そう言って、八重の胸の谷間に飛び込もうとする色情お化けの尾を、色好き女狐がぎゅっ! と掴む。むおっ?! とうめき声あげる色情お化けに、


「せぇ~んせっ♪ 今はオイタはいけませんよぉ♪」


 と釘を刺せば、色情お化けは、ばつが悪そうに、


「う、うむ、そうだねぇ。今は冗談をやってる場合ではないねぇ」


 そうこぼしながら引き下がる。……八重さんの胸の中での考え事うんぬんはやっぱり冗談だったのか? と煉弥が思っていると、


「さぁさ、八重ちゃん――貴女の思っていることを、楓さん達に教えてくださいなっ♪」


 楓が八重を促した。促された八重は、はっ、はいぃ~とおずおず話し始めた。


「わっ、わたしは、そのっ、ツバメさんと源流斎さんとの関係は、皆さんの口伝えでしかわかりません。でっ、ですが、そのぉ……」


 チラリ、と煉弥の方を見る八重。何やら、煉弥に対して気をつかっているような素振りだ。それを察した楓、


「言いにくいことかもしれないけどぉ、頑張って、皆に教えて? ね?」


 優しく八重に投げかけてやり、八重の背中の後押しをする。八重も、楓の言葉に意を決したか、小さくうんっとうなずき、言葉の続きを紡ぎはじめた。


「わっ、わたしは、ツバメさんと源流斎さんが親子のような関係だと知ったのは、ツバメさんが亡くなってからでした。ですからそのことを知らない時に、ツバメさんと源流斎さんの日常の御話を楓さんからお聞きしたりしていると、いつも、思っていたんです――きっと、ツバメさんと源流斎さんという人達は、仲の良い夫婦なんだろうなぁって…………」

「つまり……?」


 首をかしげる煉弥。大きく膨らんだ胸の前で両手を組み合わせる八重。そして、煉弥の方を見ながら、言った。


「ひょっとすると……ひょっとすると……源流斎さんは、ツバメさんのことが、好きだったんじゃないでしょうか? 義父と義娘の関係としてではなく……一人の女性として、ツバメさんのことが好きだったんじゃないでしょうか?」


 じっちゃんが、ツバメさんのことを愛してたってことか? そうだったとしても、それならどうしてツバメさんを殺すようなことをしたんだ?


「ふぅむ。それは実に興味深い仮定といえるねぇ。左馬之助君の殺害の動機を、ツバメ君を源流斎から奪ったことからの逆恨みと考えれば、その仮定は真実に近しいものではないかと、余も賛意を示したいねぇ」

「でも――それじゃあ、じっちゃんがツバメさんを殺すような理由がなおさら見当たらなくなっちまいませんか?」

「そうねぇ……。じゃあさぁ、じゃあさぁ。いっそのこと、考えを変えてみたらどうかしらぁ?」

「と、いいやすと?」

「だからぁ。ツバメちゃんが下手人に殺されたとして話を進めてるわけだけどぉ、ツバメちゃんが下手人に殺されてなんかいなかったとしたら、どうなるかしらぁ?」


 楓の言葉に蒼龍が訝し気に、


「しかしだな。事実、ツバメ殿は殺害されているわけだろう?」

「ええ、そうですねぇ。たしかに、ツバメちゃんは亡くなってしまっています。だけど、人が死ぬときというのは、何も他人から殺されなくなくても死ぬときもあるものですよぉ」

「……そうかぁ!! 自殺だねぇ!! 楓君は、ツバメ君が自殺したんじゃないかと、そう言いたいわけだねぇ?」

「ええ、そうなんですよぉ」


 神妙にうなずく楓に、煉弥が勢い込んで、


「自殺ですって?! ツバメさんが自殺なんて、そんなことあるわけがないじゃないですか!!」

「ええ、そうねぇ。ツバメちゃんが自殺するなんて、楓さんとしてもあるわけがないとは思うわぁ。でもねぇ――源流斎の手によって、自殺に追い込まれたとすると、どうかしらぁ?」

「追い込まれる?!」

「ええ――楓さんねぇ。思い出したのぉ。源流斎が下手人かもしれないってなった時に、思い出したのぉ。ツバメちゃんが亡くなった日に、ツバメちゃんが楓さんに、今日は源流斎の道場に行く日だって言ってたことをねぇ」

「道場に……行く日……」


 煉弥の脳裏に、先ほど別れた凛の言葉が浮かんだ。


 ――今日は、道場に行く日だからな。


 まさか……いや、そんなわけない!! そんなこと、あるわけがない!!!!


「それに、ね。もう一つ楓さんがツバメちゃんを自殺じゃないかと思うのはねぇ、ツバメちゃんの舌が切り取られていたってことが根拠なのよぉ」


 ドンッ!! と畳を叩く蒼龍。


「そうか……!! ツバメ殿が舌を噛んで自害したとなれば、舌を切り取られた理由も説明がつく!!」

「そのとおりですわぁ。おそらく、源流斎がツバメちゃんに何をしようとしたかはわからないけど、きっと殺すつもりはなかったんじゃないかしらぁ。でも、源流斎の行いによって、ツバメちゃんは自害してしまった。焦った源流斎は、その当時、辻斬りをやっていた悪神・かまいたちの犯行に見せかけようと考えて、ツバメちゃんの遺体に細工をし舌を切り取った。そして頃合いを見計らって、路上に捨てたのだと考えれば、流麗に説明がつくんじゃないかしらぁ?」

「そして、ツバメ君が自害したのも、元をただせば左馬之助君がツバメ君をめとったからだ――――その恨みを、悪神・かまいたちを仕置きして安堵していた左馬之助君にぶつけた――――なるほど、しっくりくるんじゃないかなぁ?」

「どうやら、ほぼ決まりのようだな――下手人は、源流斎だ」


 そんな……そんなことが……!!


「ま、待ってください!! じゃあ、どうしてじっちゃんが利位を殺さなきゃいけないんです?!」


 すがるような目で一同を見回しながら叫ぶ煉弥。沈黙する一同。そして、沈黙を破る、楓の重々しい、無慈悲な言葉。


「もし――もし、源流斎が、ツバメちゃんのことを忘れられずにいたとしたら? もし、ツバメちゃんのことをあきらめきれずにいたとしたら?」

「あきらめきれずにって……!! もう、ツバメさんは死んじまってるじゃないですかッ!!」

「そう、ツバメちゃんは亡くなっているわぁ。でも――――あの子がいるでしょぉ?」


「あの……子……?!」

「リンちゃんよ。ツバメちゃんも確かに美しかったけど、今のリンちゃんはツバメちゃんよりも、もっと美しい子に育ったわぁ。ツバメちゃんの面影を残し、ツバメちゃんよりも美しい少女――自分のことを幼少の頃より御師様と慕い、人を疑うことなど知らぬ、純粋可憐な心を持った少女――――」


 全身の血液が凍ってしまったかのようだった。煉弥の全身を支配するは、地獄の氷よりも凍てつく冷気。地獄の沙汰をも凌駕する、真なる絶望。


「そんなリンちゃんを、源流斎が放っておけると思う? そんなリンちゃんに、手を出そうとした利位を、源流斎が許しておけると思う? サマちゃんにツバメちゃんを奪われて、今またリンちゃんを奪われるなんて――そんなことを、源流斎が許せると思う?」


 もう、この場に留まっていることなど、出来なかった。

 すぐに飛び上がり、障子戸を開く時間も惜しいと、障子戸を己の巨躯によってぶち抜き、外へと飛び出す煉弥。


「りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃんッ!!!!!!」


 聞く者全てが怯え萎縮し、そして哀しみを覚えるような慟哭の咆哮をあげながら源流斎への道場へと駆け出していく煉弥。


「れっ、煉弥ッ!!」


 慌てて追いすがろうとするオオガミを、楓が制す。


「ダメよ、オオちゃん。今回の始末は、レンちゃんにつけさせてあげなきゃ」

「でっ、でもヨォ!!」

「だぁ~め。我慢しなさい。楓さんだって――頭領だって、我慢しているのだから――」


 楓の言葉に、蒼龍を見るオオガミ。そして、気づいた。蒼龍の固く握られた拳から、血がしたたっていることに。そして――楓の握られた拳からも、血がしたたっていることに。


「源流斎――楓さんや頭領、それにレンちゃんとリンちゃんをたばかり、ツバメちゃんとサマちゃんの命を奪って……ほんっと、生きたまま八つ裂きにしたとしても、許せるようなことじゃないわぁ」


 バリバリバリバリ!! と全身に雷をほとばしらせる楓。その両の瞳は、金色に変色し、人間の瞳ではなく、獣の瞳へと変貌をとげていた。

 そんな楓の姿を見て、オオガミもぐっとこらえることにした。オオガミのそばにタマがすりより、大丈夫にゃ、とゴロゴロ音をたてながら身体を擦り付けていた。


「煉弥さん…………」


 心配そうに、ぶち抜かれた障子戸を見つめる八重。そんな不安そうな八重に、蒼龍が力強い言葉を投げかけた。


「心配せずともいい。煉弥が――我が義弟が、おくれをとることなど、万に一つもありはせんよ。源流斎如きに――人間如きに、な」


 そういう蒼龍の瞳は――今まで、誰も見たことがないほどに――冷酷で、冷たい瞳をしていたのだった。

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