第一幕 緊急談合――垣間見えた外道の核心
楓の呼びかけにより、楓の部屋の中には先日に話し合いをした時と同じような顔触れが集まっていた。同じような、と銘打ったのは、タマの姿が見えなかったためである。
「タマは、どうしたんだい?」
蒼龍が重い口ぶりでオオガミに問う。昨夜はオオガミとタマが夜回りをしていたのに、そのタマがこの場にいないということに、蒼龍をはじめ集まった一同の心に大きな不安の色を浮かばせていた。
「あア……。タマは、子分の
ぶすっとした表情でオオガミが言う。そんなオオガミに煉弥が、
「弔い? 一体、タマは誰の弔いに行ってるんだ?」
「タマの子分たちだヨ。……昨夜だけで、何匹やられたかわかりゃしねエ。とりあえずわかってんのは、両手の指じゃ数えきれないほど、やられちまったってことサ」
まあ……、と楓が絶句する。タマは一見、ちゃらんぽらんな性格に見られがちだが、江戸中のネコ達の親分となっているだけあって、面倒見の良い親分肌な一面がある。それゆえ、子分を惨殺されたというタマの今の心境は推して知るべしであろう。
「オオガミ――色々と思うところがあるのはわかるけど、すまないが、僕の立場としては、昨夜あったことについて正確に知らなければならないんだ。だから、昨夜のことを順序立てて説明してほしいのだけど――できるかい?」
優しく問いかける蒼龍に、オオガミは力強くうなずいて見せた。オレにだって、それくらいのことはわかってるサ。オレだって仕置き人の端くれなんだから、ヨ。
「昨日の晩、オレとタマは二手に別れて夜回りをやることにしたんだヨ。言い訳がましいかもしんねえけど、ぶっちゃけていうと、オレとタマは気を抜いてたんダ。ほら、昨日は祭りのせいで、夜更けになっても町の人間がわんさと歩き回ってただロ? そんな時に辻斬りをやっちまうってのは、ちょいと考えられねえからナ。そりゃあ、獲物はよりどりみどりってなもんだろうけど、下手人の野郎が目撃されちまう危険もあるわけなんだからヨ」
「うん、そうだね。僕も、正直なところを言わせてもらうと、昨夜に下手人が現れることはないだろうと、たかをくくっていた。理由は、オオガミと同じさ」
オオガミの言葉にうなずいてみせる蒼龍。
「そんなもんだからよ、オレとタマは途中で一息つこうと、タマの子分たちに夜回りを任せて、タヌキ屋に行ったんダ」
オオガミの言うタヌキ屋とは、江戸の町で居酒屋商売をしているタヌキの夫婦の店である。一見するとただの居酒屋にしかみえないが、店の奥には妖怪達(主に特忍組の面々)が安心して飲食できるスペースが確保されており、妖怪達の憩いの場として知られている。
「で、タヌキ屋について夜食を注文しようとした、その時ダ――。いきなり、タマがびくりと全身をふるわせて、こう言っタ――子分たちが、やられてるってナ」
「それは、どのくらいの時分だったか、わかるかい?」
「たぶんだけど、亥の刻(およそ夜の十時)くらいじゃねえかと思ウ」
「それはなんとも早い時間だね。まるで、七年前の辻斬り事件のようだ――まあそれはさておき、今まで、そんな時間に今回の下手人が現れたことなんてなかったはずだ」
「あア。だから、オレもタマも早い時間に夜食でも食って遅い時間に備えようと考えたんだけどヨ……それが、裏目にでちまったってわけダ」
憤懣やるかたないといった様子で、ギリリィ! と歯ぎしりをするオオガミ。そんなオオガミに、オオちゃんのせいじゃないわよぉ、と楓が優しく投げかける。そりゃあわかってるけどよォ……と複雑な表情で楓を見るオオガミ。そんなオオガミを、煉弥がうながす。
「せかすようで悪ぃが、それから、お前とタマはどうしたんだ?」
「んなこと決まってるだろぉヨ。オレとタマはババーンとタヌキ屋から飛び出して、タマの案内を受けながら、やられちまった子分の元へと一目散に向かったってわけダ。もちろん、その道中で辻斬りのクソッタレと鉢合わせするかもしれねえから、周囲を警戒することも忘れちゃいなかったゼ」
フンッ! とオオガミは荒い鼻息を一つ吹き、腕を組んでデーンと大きなあぐらをかいた。
「だけど、道中で辻斬りのクソッタレの気配や臭いを感じることはなかったゼ。で、オレとタマが向かった先ってのは、祭りとは真逆の方向の
「獣の臭い――ってことは、外道と鉢合わせしたってことか?」
オオガミに向かって身を乗り出す煉弥。
「いや、鉢合わせはしなかっタ。だけど臭いからして、ちょっと前まで辻斬りのクソッタレがあの場にいたことは間違いねえと思ウ。つまり、すんでのところで、あのクソッタレ野郎から逃げられちまったってわけダ」
チィッ! と大きな舌打ちをするオオガミ。そうか……、と元の姿勢に戻る煉弥。
「血の臭いの元は何かと辺りを見渡しゃ、口にするのもイヤになっちまうほどの悲惨なもんだったゼ。ズタズタに切り裂かれてた、タマの子分たちの
「どうして、そう思うんだい?」
蒼龍の当然ともいうべき問いに、オオガミは心底に胸糞悪そうな表情となって答える。
「子分の中に、生き残りがいたんだヨ。その生き残りが言うには、すごいつむじ風が吹いたと思ったら、そのつむじ風が仲間を次々に切り裂いていったんだト。そして――つむじ風のビュウビュウという音の中に、甲高い笑い声と共にこんな声が聞こえてきたそうダ。おまえたちはエサだ、我らの恨みを晴らすためのエサだ、おまえたちを斬れば、きっと我らの目的の者があらわれる――ってナ」
――――恨み。
恨みという言葉に、お化け先生以外の者達は心にずしりと重いモノを感じた。身に覚えがありすぎるのである。仕置き人として、いったいどれほどの妖怪及び人間を仕置きしてきたことか、数えきれぬ。そしてそれはまた、数多の恨みをかってきたことか、数えきれぬということでもあるのだ。
外道からの思わぬ言葉に、円陣を組んだようにして座っている面々は、一様にとまどいを隠せなかった。まさか、己らのせいで、
そんな沈痛な面持ちばかりの円陣の中心に、ひゅるりらぁ~~~とお化け先生が降りてきて、皆を鼓舞するように言葉を紡ぎはじめた。
『それぞれに感じるものはあるだろうけど、先ほどの蒼龍君の言葉じゃないが、我々がまずなすべきことは、此度の辻斬り事件を解決することじゃないのかな?』
「……ええ、お化け先生のおっしゃる通りです。今の我々に必要なのは、我々の御役目による怨恨の
口調が公儀御庭番の特忍組組頭の鬼の蒼龍としてではなく、北条蒼龍という一人の者としての口調なところに、一同は蒼龍の心痛を垣間見たような気がした。ゆっくりと一同は頷く。そう、今は、憂慮の時ではないのだ。
『では、タマ君とオオガミ君の報告から、余なりの推論を披露させてもらおうかと思うのだけど、よろしいかなぁ?』
「お願いします」
頭を垂れる蒼龍。つられて煉弥もお化け先生に頭をさげる。
『うん。まず確実に言えることは、辻斬りの下手人の言う目的の者なる人物だけど、それはタマ君とオオガミ君ではないということは間違いないだろうね』
「なんで、そう思うんだヨ?」
『考えてごらん。もし、オオガミ君かタマ君が下手人の目的だとしたら、昨夜の時点で君達を襲っていたはずだとは思わないかぁい?』
「あァ~……」
言われてみりゃア……というような表情をしてみせるオオガミ。
『次に言えることは、これは言いづらいことだけれども、下手人の目的の者なる人物は、やはり仕置き人の中にいると見て間違いないだろうね』
「その心は、如何に?」
蒼龍がお化け先生に問う。
『下手人が、わざわざタマ君の子分たちを狙って惨殺したという事実と、下手人の残したおまえたちはエサだ、という言葉から総合的に判断すれば、下手人の目的の者なる人物はやはり仕置き人の中にいるのだと結論付けれるのではないのかなぁ?』
「たしかに、そうでしょうね。ただ、問題は――――」
『下手人の目的の人物が誰か? これについては、話を進めていくうえで明かしていくから、すこぉし待っててくれるとありがたいなぁ』
お化け先生の言葉に、蒼龍をはじめ、集っている一同がうなずいてみせた。
『次の確定事項だけど、今回の辻斬りの下手人は七年前の下手人とは別人である――これについては、皆も異論がないこととは思うけど、どうかなぁ?』
「……そうでしょうな。今回の外道は、七年前の野郎とは違うと思います」
不承不承といったような感じで煉弥は同意した。しかし、楓が突如として、
「ねぇ、先生。ちょっと、いいかしらぁ?」
『なんだぁい?』
「たしかに、楓さんとしても今回の下手人と七年前の下手人は別人だとは思うわぁ。でもねぇ、これは楓さんの女狐としての勘だけどぉ、やっぱり今回の下手人は七年前の下手人と関連ありあり~~~っていうような気がしてならないのよぉ」
『さすがは楓君。余も、そう考えていたところなのだよぉ』
「でしょぉ?」
示し合わせたかのように、息ピッタリのあいづちをうちあう楓とお化け先生。なんだって? そいつぁ聞き捨てならん。
「すんませんが、俺のような無学なバカにもわかるように、ご説明願えませんか?」
『では、僭越ながら余がその理由を
「どういうわけで?」
『これはあくまでも推測だよ。七年前の辻斬り事件と今回の辻斬り事件の下手人は確かに別人かもしれないけど、正体は同じかまいたちじゃないのかなぁ? さらに言えば――七年前の辻斬りの下手人と今回の下手人は、ひょっとすると、近しい間柄なんじゃないのかなぁ?』
「親しい間柄っていうと……親子とか、恋人とかですかね?」
『然り。今回の場合は、親子関係ではなかったかと、余は見ているんだよぉ』
肉体があれば、むふぅ! と大きな鼻息が出ているようなドヤ顔でお化け先生はそう断じた。
「やけに自信ありげじゃないですかい」
『そうさぁ。そう考えればすべてが納得がいくとは思わないかいぃ?』
「まあ、そうだとすりゃあ、今回のクソッタレが七年前をマネて辻斬りを起こしてるってところにゃあ納得できるがヨ。でもそうだとすりゃあ、なんで七年も待つ必要があったんダ? 肉親ぶっ殺されて、七年もじっとできるもんかヨ?」
懐疑的な表情でお化け先生を見るオオガミ。
『逆説的に言えば、そこにこそ、余が今回の下手人と七年前の下手人が親子関係ではなかったかと推測する理由があるわけだねぇ』
わかるかぁい? とオオガミの身体を舐め回すようにひゅるりらぁ~~とまとわりつくお化け先生。や、やめろヨッ!! と、顔を赤くしながら、わきゃわきゃ両手を振り回してお化け先生を振り払おうとするオオガミ。
「せ~んせいっ――今はオイタをしてるようなときじゃあ、ありませんわぁ♪」
そう言ってオオガミにまとわりつくお化け先生の尾の部分をぎゅっ! と握りしめる楓。むおぅっ?! と、お化け先生は唸り声を一つあげたかと思うと、いやぁすまないねぇと漏らしながら、一同の中心へと戻った。
『うおっほぉん! さて、なぜ余が七年前の下手人と今回の下手人が親子関係だったのではないかと推測しているというとだね、前回と今回の辻斬りの間だに七年間という空白があいているからだと思っているのだよぉ』
「そこは先ほどお聞きしましたわぁ」
細めたキツネ目の中から、さっさと話をすすめてくれないかしらぁ? というようなキラリとした不穏な眼光がお化け先生にそそがれる。さしものお化け先生もこの楓からの圧力に焦ったか、少し怯えたような口調で、
『つ、つまりだねぇ。今まで我々は“なぜ七年間も空白をあけなければならなかったのか?”という思考だったわけだねぇ。この考えを逆にして、“七年間の空白をあけなければならなかった”というふうに思考を変えてみれば、おのずと答えが導かれるとは思わないかぁい?』
「それって、どういうことで――――」
首をかしげる煉弥を尻目に、蒼龍がこの男にしては珍しく身を乗り出してお化け先生に、
「そうか……! 今回の下手人が、七年前の下手人の子供だと考えれば、確かに辻褄はあってくる。七年前は子供だったから、すぐさま行動を起こせなかったのか。だから、成長し、そして親のカタキを討つための研鑽を重ねるために、七年間という時間が必要だった。そういうことだと言うのですね?」
『その通り。余は、おそらくそうじゃないかと愚考しているよぉ』
「だけどよォ。それだとどうにもわっかんねぇことがあるんだけどなぁ」
『なにがだぁい?』
「それだと、七年前のクソッタレは仕置きされてなきゃいけねえわけだロ? でも、七年前のクソッタレは、オレたちから逃げおおせたはずだゼ? なあ、そうだロ?」
オオガミが一同を見渡しながら問いかける。その言葉に、ああ……。そうだね……。ええ……。と、異口同音に煉弥、蒼龍、楓が同意した。
『ふむ。どうして、そう言い切れるのかなぁ?』
「どうしてそう言い切れるっテ……」
たじたじなオオガミに代わって、煉弥がお化け先生に反論する。
「御言葉ですがね、俺達仕置き人は、仕置きが終われば、玄鬼オジキかタツ兄に報告することが義務付けられているのは、お化け先生だってご存じでしょう? ですから、七年前の外道を仕置きした奴がいりゃあ、その報告がちゃんと残ってるはずです。しかし、その報告は無い――ですよね、タツ兄?」
「ああ――そんな報告はなかったね」
怪訝な表情でお化け先生を見つめながら、蒼龍がうなずく。そんな蒼龍に向かい、お化け先生が衝撃的な一言を口にした。
『下手人を仕置きした仕置き人が、報告したくてもできなかったとしたら――どうだい?』
刹那、蒼龍は、むぅ? と目を細めたが、すぐに何かに思いあたったらしく、驚愕の表情を浮かべた。それと同時に、楓も自分の膝をポンと叩いて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「まさか――?! いや、だが、そう考えれば……!!」
「楓さんってば……なんて大マヌケだったのかしらぁっ!! そうよ!! その可能性があったじゃないのぉ!!」
「なんです? どういうことなんです?」
何かに思いあたったらしい二人に向かって、噛みつくように問いかける煉弥の視線の下から、にゅっとお化け先生が現れる。おわっ?! と驚き身を引く煉弥に、お化け先生が、
『さて、煉弥君。よぉく思い出してごらぁん。七年前の辻斬り事件の、最後の被害者って一体、誰だったかなぁ?』
「最後の被害者って――――」
忘れるはずがあるもんかよ――!! 俺に、家族の温かさを教えてくれた、あの人を――!! 忘れるはずがあるもんかよ――!!
「左馬之助の――おっちゃんでしょう?」
『そう。七年前の事件は、左馬之助君の被害を最後にして収束しているよねぇ。あの左馬之助君がやられたくらいだから、七年前の下手人は相当な狡猾な相手だと、皆がそう思った――そう、余でさえもそう思ったわけだねぇ。だからこそ、そんな奴だからこそ、きっと逃げおおせたに違いない、そう、我々は思い込んでいた――いや、思い込もうとしてたのかもしれないねぇ』
「なあ、つまり、どういうことなんだヨ?」
『つまりだねぇ、左馬之助君は、確かに下手人にやられはしたが、ひょっとすると、下手人にも致命傷を与えていたんじゃないのかなぁ?』
「相討ちだった――ってことですかい?」
『そうさぁ。致命傷を与えられた下手人はすぐさまその場から退散して、住処にでも戻ったんじゃないかなぁ? だから、左馬之助君がその場で絶命してしまったことに気づかなかったんじゃないだろうかぁ? そして、住処に戻った七年前の下手人の最期を看取ったのが、今回の下手人――すなわち、七年前の下手人の子供だった。そしてその成長した子供たちが親の恨みを晴らそうと今になって辻斬り事件を起こし始めた――そう考えれば、わりと筋の通った説明がつくとは思わないかぁい?』
ってことは、なにか? 凛がカタキを討とうとしているように、今回の下手人もカタキを討とうとしてるってのか? 罪もない人々を凶刃にかけて、あの外道共はカタキをおびき出そうとしてるってのか? もう、この世に存在しない、カタキを――――。
「確かに……先生の説明ならば、色々と合点がいきやす……」
だからこそ、今回の下手人は武芸者ばかりを狙っていたのか。そうすりゃきっと、いつかおっちゃんが出てくると思っていたに違いねえ。だが、いつまで経ってもおっちゃんが出てこねえから、今度は仕置き人に関係のある者――すなわちタマの子分を狙ったのか。じゃあ、それでもおっちゃんが出てこねえとなると、外道は今度は誰を狙う?
そこまで考えが進んだ時――煉弥の脳裏に、ある最悪なシナリオがまざまざと浮かんできた。
まさか……凛が狙われるってことはねえよな? いや!! そんなことがあるわけねえ!! 凛がおっちゃんの娘ということを、外道が知っているはずがあるもんかよ!! もし、外道が知ってたとしたら、あの夜の八丁堀で凛が駆けつけてきた時に、当然、凛を狙ってたはずだ!! そうだ!! そんなこと、あるわけねえ!! あって――たまるか!!
ギリリィ!! と歯がくだけんばかりの歯ぎしりをする煉弥に気づいた蒼龍が、咳ばらいを一つして話をまとめにかかりだした。
「さて……僕としては――わたしの考えとしては、先生の推察がおそらく正しいのではないかと考える。そして昨夜のオオガミとタマの一件のことも鑑みて、今回の事件に一刻の猶予もなくなってきているという事態になっているとも考える。先日の談合では、武芸者の夜間外出を禁ずるお触れを出して御上にだしていただくということで話はまとまっていたが、現状ではもう一歩先に進んだお触れを出していただくことを、御上に願い出るつもりだ。それは、武芸者のみならず町民全ての夜間外出を禁ずるということだ。そしてそのお触れを御上が出していただいた時――我ら公儀御庭番特忍組の総力をもって、此度の下手人の捜索及び仕置きを敢行する――よいな?」
一同を見渡す、鬼の蒼龍。静かにうなずく一同。
「先生――申し訳ないが、過去の調書をもう一度見直し、見落としがないか、そしてまだどこかから読み取れる部分が残っていないか、熟考を続けてはもらえないか?」
『言われるまでもないねぇ。七年前と今回の事件の視点が変わった今だからこそ、今一度資料を精査しなおすことによって、また新たな発見があるというものだからねぇ。では、余は早速だが、失礼させてもらうことにするよぉ』
ひゅるりらぁ~~~と天井をすりぬけて部屋から出ていくお化け先生。
「楓殿――特忍組とは別に、お触れが出た後の夜回りに協力をしてくれるような者が長屋にいないか、呼びかけてみてはくれまいか?」
「仰せの――ままに」
尻尾をぴょこんと立てて三つ指ついてお辞儀をし、顔をあげたところで煉弥のほうを複雑な表情で刹那みつめ、楓は部屋から出ていった。
「オオガミ――お前は、今はタマのそばについていてやれ。何か動きがあれば、すぐにこちらから知らせる」
「おウ――」
蒼龍からそう言われるや否や、脇目もふらずに部屋から出ていくオオガミ。なんだかんだで、ケンカ仲間のタマのことが心配なのだろう。
「さて、煉弥――――」
呼びかけられ、蒼龍の方へと煉弥が身体を向ける。するとそこには、鬼の片鱗を引っ込ませた、いつもの優しい義兄の表情を浮かべた蒼龍の姿があったのだった。そのことに戸惑いを見せつつも、煉弥は仕置き人として蒼龍に向かって威儀を正して頭を下げる。
「はい――なんで、ございましょう」
「まあ、そう硬くならないで――といっても、無理かもしれないね。だから、そのままの姿勢でいいから聞いてほしい。煉弥――君は、凛のところに行ってくるんだ」
思わぬ蒼龍からの一言に、煉弥は下げていた頭をがばっ! と上げ、
「そ、それはまたどうしてですかいっ?!」
声を裏返らせながらたじろぐ義弟の姿に、ああ、昨夜の祭りで何かあったんだねと察した義兄。でも、だからといって――いや、だからこそ、か。煉弥には、凛のところに行ってもらわないといけないね。
「凛の身辺に、何か異常がないか、本人にそれとなく聞いてきて欲しいんだよ。煉弥も、きっと、僕と同じような不安を感じたんじゃないかな? 先生の言うことが正しいとすれば、今回の下手人は左馬之助を狙っているということになる。だから、左馬之助をおびき出そうとするために、ひょっとすると凛を襲うんじゃないか――煉弥も、そう思ったんじゃないかい?」
「それは……そう、ですが……」
「煉弥。いいかい。何があったかは知らないが、
蒼龍からそう投げかけられた煉弥の頭の中に、先ほどの楓と小袖の言葉がふと浮かんできた。
――煉弥も、一歩、前に、進んで。
――もう、悠長なことを言っている時間は残されていないのよぉ。
そうだ。もう、時間は残されていない。今までのような関係が、永遠に続くわけがない。だから、進まなきゃいけない。
あの時、俺は誓ったはずだ。凛を、護ると。
ガキの時に、感じたはずだ。凛のことが、好きなんだと。
そう。もう――躊躇など、している時ではない。している暇はない。踏み出せ!! 一歩を、踏み出せ!!
「――わかりました。今から、俺は……凛のところに、行ってきます」
義弟の強い決意の表情に、義兄は優しく微笑んで投げかけた。
「ああ――行っておいで。僕の大切な義弟よ。そして、僕の大切な義妹をどうかその手で護ってやっておくれ」
煉弥と蒼龍は、刹那、視線を交わし合い、そして共にうなずいた。そして、煉弥は立ち上がり、偉大なる義兄に背を向け、ゆっくりと一歩一歩を踏みしめながら部屋の出口の障子へと近づき、そして障子を開いた。いつの間にか、陽はすでに高く昇っており、初夏の眩しい強烈な陽光が煉弥に降り注いだ。そして、その陽光の中に溶け込んでゆくかのように、煉弥は部屋の外へと身をすべらせていくのであった。
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