第一幕 一夜明け――貧乏浪人の胸の内


「さて……そろそろ、いい加減に話してくれてもいいんじゃない~?」


 朝餉を食べている煉弥に向かって、ずずずいっと身を寄せて問い詰める楓。


「……話すって、何を話せばいいんですかね」

「もぉ! この子はとぼけちゃってぇ! 昨日、何があったかってことに決まってるでしょぉ~~~?!」


 飯をかきこんでいる煉弥の頬を、キツネ目細めてつんつんする楓。それを無視して飯をかきこみ続ける煉弥。昨夜、煉弥が楓の部屋に帰ってきてからずっと、楓と煉弥の話しなさい、いいや、話しませんの攻防が続いていたのだった。

 昨夜、凛と思いもがけぬところで出会い、そして凛が大激怒して帰った後の煉弥と八重の空気は実にきまずいものであった。

 煉弥は、凛にとんでもない瞬間を見られてしまったと狼狽し、八重は凛によって告白のタイミングを逸してしまったことと、凛が煉弥の想い人なんだということを、恋する少女の直感で感じ取り、まさかの恋のライバル登場という二重のショックを受けて完全に沈んでしまったのであった。

 祭りから帰る二人の足取りは、まるで両足が鉛になってしまったかのように重く、そして二人の間に流れる沈黙は、さながら百年の知己を亡くして悲しんでいるかのような陰鬱な空気をかもしだしていたのであった。出発した時の和気あいあいとした空気はどこへやら、だ。

 結局二人は無言のまま化け物長屋へと帰り着くと、心ここにあらずといったような、


 ――ありがとう、ございました。


 ――いえいえ。


 という、なんとも言葉少なでテンションだだ下がりの受け答えをして、互いの部屋へと戻り、煉弥はそのまま布団へとくるまり、八重はわんわん泣いてお化け先生を寝不足にしてしまったという次第。お化けが寝不足とは少々変な気がしないでもないが、本人がそうだと言っているのでそうなのだろう。本人曰く、『余は健康的なお化けである』だそうだ。


「はぁ・なぁ・しぃ・なぁ・さぁ~~~いぃぃい~~~~~!!」


 煉弥の頬を両手でびょ~~~~んと伸ばしながら問い詰める楓。


「いぃ・やぁ・でぇ・ふぅ~~~~!!」


 頬を目一杯に伸ばされながらも、楓のしつこい追及に敢然かんぜんと立ち向かう煉弥。そんな折、突如として部屋の障子戸がすすっと開いた。煉弥と楓は争いの手を止め、二人して開いた障子戸の方へと目をやる。まったくもって、気配を感じなかった。一体、何者?

 すると、二人の視線の先には地味目な色合いの着物を着た、おかっぱ頭の小さな童女がちょこんと立っていた。感情というものがまったくもって感じられぬ無表情さが、その幼い見た目と非常に不釣り合いで、見る者にうすら寒い印象を覚えさせる。


「あら、小袖ちゃん。どうしたの?」


 楓が煉弥の頬から手を放し、童女になげかける。そう、この小袖と呼ばれた童女は、凛の屋敷の双子の女中の妹のほうであった。ちなみに言っておくと、大袖も小袖も人間ではなく、妖怪だ。もちろん、袖姉妹が妖怪であることを、凛は知らない。

 小袖は楓に、頭をちょいっと小さく下げ、頭を上げたかと思うと、ささっと草鞋をぬいで部屋へとあがった。そして無表情のまま、素早いすり足で煉弥の前へと歩み寄り、ちょこんっと正座する。


「あら? レンちゃんにご用事?」


 楓の言葉に答えず、無言のままじぃ~~~~~~っと、光のない瞳で煉弥のことを凝視しつづける小袖。耐え難い眼力である。


「おっ、俺に何か御用で?」


 小さく頷く小袖。そしてポツリと一声。


「……昨日、お祭りで……何が、あったの?」

「な、なにがって……」

「……凛ちゃま、泣いてた。……だから、小袖は気になる。……小袖、凛ちゃまがとても大切だから」

「凛が……」


 うろたえる煉弥の横で、思わぬ助太刀に気を大きくした楓が上機嫌になって、


「あらぁ! 小袖ちゃんも、昨夜のことが知りたいのぉ?! 奇遇だわぁ! 楓さんもねぇ、そのことが聞きたくてずぅ~~~っとレンちゃんを問い詰めてるのだけど、一向に話してくれなくて困ってたとこなのよぉ♪」

「……話したく、ないの?」


 相変わらず無表情のまま、煉弥の瞳を射抜くように凝視する小袖に、煉弥はたじろぎながらも、


「は、話したくありませんね」


 と、抵抗の意を示す。


「……そう。……それじゃあ、仕方ない。……小袖が、話したくなるように……してあげる」


 そう言って、小袖が自分の着物の袖に両手を突っ込む。そして、小袖が袖から両手を引き抜けば、じゃららっ! と仰々しい金属同士の擦れ合う音と共に小袖の袖から出てくるは、古今東西ありとあらゆる種類の大量の拷問器具。


「……まずは手の指の爪をはぐ。……次は、そこに串を通す。……それでダメなら、今度は足にも同じことをする。……それでダメなら――――」

「ちょっ?! ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!」

「あらぁ! 久しぶりに小袖ちゃんのお仕事が見られるのねぇ♪」


 小袖の仕事――それは、煉弥と同じ公儀御庭番特忍組の中でも、最も恐れおののかれる役職である、罪人に口を割らせるための拷問係であった。

 今は役職を退き凛の屋敷の女中におさまってはいるが、かつては、小袖に拷問をされれば、どんな者でも半日ももたないと畏怖され、『獄門の小袖』とまであだ名されていたほどの逸材。

 そんな小袖が、煉弥の口を割らせようと、かつての気分を少し思い出したか、無表情だが瞳に少しきらめきを帯びさせつつ、正座したままじりじりと両手に拷問器具を満載して近づいてくる。

 煉弥は小袖の現役時代を知らないが、小袖の責め苦のすさまじさを噂には聞いていた。小袖にやられれば、よくて廃人、悪くて男として不能にさせられたうえに廃人。冗談じゃねえ! 俺はまだ経験したことねえのに、経験すらできなくなっちまうのはごめんだ!!


「わっ、わかりました!! 言いますっ!! 言いますって!! だから、その両手に収まりきらないほどの物騒なモンをさっさとしまってくださいよ!!」

「……そう。……話してくれるのはうれしいけど……いじめることができなくて、小袖……ちょっと残念……」

「そうねぇ。楓さんも残念だわぁ」

「勘弁してくださいよ……」


 心底残念そうなため息を吐く危険な二人に向かって、それ以上のため息を吹き付けながら煉弥がこぼす。

 ……しょうがない。と、着物の袖の中にじゃららっ! と拷問器具をしまう小袖。まったく、どうなってやがんだ。妖怪共の着物の袖の中ってえのは異次元にでもつながってんのか?


「……それで?」

「ど・う・な・のぉ♪」


 無表情のままの小袖と、いつのまにか小袖の後ろに回って小袖のおかっぱ頭にあごを乗せて微笑む楓が、煉弥に、さあ話しなさいよと促してくる。もう、しょうがない。ここに至っては、腹をくくるしかない。


「いや……それが……ですね……」


 重い口を開き、かくかくしかじかと昨夜の顛末を二人に話して聞かせる煉弥。上手く説明できるか不安はあったが、口に出してみると自分でも思った以上に饒舌に話すことができた。ひょっとすると、俺自身、昨夜のことを誰かに聞いてもらいたかったのかもしれん。


「…………ってなわけでして」


 煉弥が話し終わると、小袖と、小袖の横に座って話を聞いていた楓が顔を見合わせた。そして同時に煉弥の方へと向き、


「……ふ~ん」

「なぁるほどねぇ……」


 納得したような声をあげる二人。そして楓があっけらかんと一声。


「でもさぁ、それって仕方のないことよねぇ」

「し、仕方ないって……そんな簡単に――――」

「……うん。仕方ない」

「って、小袖さんものっかるんですか?!」


 不満そうな口ぶりの煉弥に楓が、


「だってぇ、実際に仕方のないことなんだからしょうがなくなぁい~~? じゃあレンちゃんに聞くけど、昨夜のその一件って、事前に避けることができるような一件なのかしらぁ?」

「い、いや……それは……」

「無理に決まってるでしょぉ~? あ、そうそう。楓さんとしては、もう一つ、レンちゃんに聞いておきたいのだけどぉ――もし、凛ちゃんと遭遇せずに、そのまま八重ちゃんがレンちゃんに対する想いを伝えていたら、レンちゃんはどうしてたのかしらぁ?」

「そ、それは……」

「ウジウジしないの。こういうことっていうのはね、煮え切らない態度が一番相手を傷つけるのよ。さあ、ハッキリしなさいな。レンちゃんは、八重ちゃんに想いを打ち明けられたら、どうしてたのぉ?」


 煮え切らない態度が、一番相手を傷つける。確かに、そうかもしれない。どんな詭弁きべんろうしたところで、八重さんの想いを受け止めることはできても、その想いに答えてあげることはできん。それならば、ハッキリと、八重さんにそのことを伝えなければ、八重さんの想いを愚弄していることにもなってしまうのかもしれない。


「――――気持ちはありがたいのですが、俺には想っている人がいると――そう、伝えていたと思います」


 煉弥のこの言葉を聞き、にっこりと頷く楓。


「よろしいっ♪ 少しは素直になるということを覚えたみたいねぇ♪ 楓さんはうれしいわぁ♪」


 すっちゃらかっちゃんっちゃんっ♪ と小躍りする楓。そんな楓を見て、煉弥の心にある疑念がよぎった。そういえば、楓さんはあの日は朝から準備をしてくるとかいって、ずっと出かけていた。まさか……ひょっとして……。疑念を楓にぶつける煉弥。


「楓さん……まさかとは思いますが、こうなるように、仕組んでたりなんかしてませんよね?」


 ぴたりと動きを止める楓。そして煉弥の方へ顔だけ向け、にんまぁ~~~とキツネ目細めて悪い笑顔。なんてことしやがんだ!! こんの性悪キツネめ!!


「楓さん――!!」


 煉弥の怒声に、きゃぁんっ☆ と声をあげてたじろいだフリをする楓。なぜフリだとわかるのかというと、楓の表情にその答えがある。はかりごとがうまいこといって、愉快で愉快でしかたないといった表情を浮かべているのだ。それがまた、煉弥の神経を逆なでする。


「あんたねえ!! いくらなんでも、やっていいことと悪いことがあるでしょうに!!」

「だぁってぇ~~~、こうでもしなきゃ、皆、先に進むことができないでしょぉ?」

「先に進むことができないって……? そいつぁ、どういう意味です?!」

「だってぇ~。よぉ~~っく考えてもみなさいな。そもそもねぇ、レンちゃん。今回、リンちゃんに縁談の話が出たことについて、どう考えてるの?」

「どう考えてるって言われても……」

「あのね――レンちゃん」


 身にまとっていたおちゃらけた雰囲気を引っ込め、神妙な雰囲気へと一変させた楓が煉弥のそばへと座る。


「リンちゃんは、もう十九になったでしょう。女の十九といえば、もうどこかにお嫁に行っていてもおかしくない年齢よ。それを踏まえてレンちゃんに聞きただしておきたいのだけど、リンちゃんが藤堂家の当主として認められているのは、どういう決まりごとがあったからかしら?」

「……覚えていますよ。凛はあくまでも、藤堂家の次代当主となる男子がくるまでの、いわば当主代理。そしてその当主代理としての役割は、凛が……凛が、婿養子をとるまでの間だと定める――でしょう?」

「はい。ご名答。じゃあ、なんでリンちゃんがあくまでも“当主”ではなく、“当主代理”としてしか認められないのはなぜかしらぁ?」


 一体、どういうつもりなんだ楓さんは。今さら、そんなわかりきってることを――そして、それは俺が一番キライな世の理だということを知ってるくせに、それをわざわざ口に出させるなんて。


「……凛が女だからでしょう? 女を武家の当主に据えたりなんかしちまえば、武家社会の根底を覆すことになる――そういうことでしょう?」

「ええ。そうなると『武士』っていう制度? う~ん存在そのものっていえばいいかしらぁ? ともかく、それがすごくあやふやなものになってしまうわけね。今の幕府は徳川家――つまりは『武士』によるまつりごとがおこなわれているわけでしょぉ?」

「そうですね」

「だからこそ、リンちゃんを藤堂家の当主として、幕府が公に認めるわけにはいかないわけねぇ。それゆえ、本来なら、サマちゃんとツバメちゃんが亡くなってしまった時に、藤堂家は断絶ということになるはずだった。でも、ゲンちゃんとタッちゃんが尽力してくれて、どうにかこうにか、さっきレンちゃんが言った決まりごとを幕府に取りつけてくれたわけよね」

「……ですね」


 その時、玄鬼おじきとタツ兄がどれほど必死になってくれてたか、今でも鮮やかに思い出せる。人に頭を下げたことのない玄鬼おじきが、幕府のお偉方に土下座までかまして将軍様への謁見を取り次いでもらい、そこで将軍様に対して藤堂家を断絶させれば北条家は今すぐにでも御庭番の任を辞退させていただくと、一世一代の大タンカを切ったのは、今でも当時を知る人間にとっては語り草だ。


「幕府からすれば、今の藤堂家――すなわち、リンちゃんの存在というものは、あまり好ましいものではないのはわかるわよねぇ? しかも、厄介なことに、リンちゃんは剣の腕でも容姿の面でも性格の面でも、江戸の町民達の話題のタネになるほどの有名人になってしまったわ。しかし、リンちゃんは、幕府が渋々認めている特例中の特例の人間。幕府としてはリンちゃんが有名になればなるほど、ハラハラしてるわけよ。一つの例外を認めてしまっている以上、藤堂家のような事例がまた起こってしまえば、どうなるかしらぁ?」

「そりゃあ、認めざるをえなくなっちまうんじゃないんですか? 藤堂家を認めているくせに、なぜ当家は認められないんだなんてゴネられちまったら、終いですからね」

「そう。ということは、他の似たような例を認めないということになれば、当然、藤堂家の場合はなぜ認めたのかという理由を説明しなければならなくなるわね? つまりは、公儀御庭番の存在を――ひいては、特忍組の存在が世に知られることになってしまうかもしれない。そうなると、どうなるかしらぁ?」

「それは……」


 そうなった時のことを、煉弥は今まで一度も想像したことはなかった。否――意図的に避けてきたのかもしれぬ。今でこそ、それなりの友好関係を築いている人間と妖怪の間に亀裂が走ってしまうことなど、恐ろしくて恐ろしくて、想像などしたくはない。

 人間というモノは、己の常識の外にあるモノを、ひどく恐れるものである。だからこそ、もし妖怪というモノがこの世に存在するのだと人々に知られてしまえば、きっと人々は恐慌パニックに陥り、やがては妖怪達を排除しようというような動きへと進んでいくことだろう。

 そうなってくると、妖怪達だって黙ってはいない。

 煉弥は、妖怪というモノの本質を、物心がついてからずっとそばで見続けてきた。妖怪は、己の身を護るためならば、他者を惨殺することなど、なんらいとうことはない。妖怪の本質は、あくまでも超自然的な存在なのだ。つまりは、山に住む動物達と同じ。幼いころ山で動物に育てられた煉弥だからこそ、それが如何に恐ろしいことか、煉弥は感覚で理解していたのだった。

 食事のために獲物を狩るという生存本能以外では、よっぽどのことがない限り他者に危害を与えることはない。しかし、己にあだなす相手であると認識するや否や、己の全てをもってその相手を排除――つまりは、殺そうとする。自己防衛。山の動物たちが煉弥に教えてくれた、実に分かりやすい自然の摂理である。

 自然の摂理――それ故に、もし妖怪達が、人間達を敵だとみなせば、妖怪達はその全勢力をもって人間達を排除しようとするだろう。そうなってしまえば、もう取り返しがつかぬ。


 なぜ取り返しがつかないのか? なぜそう思うのか? それは先に挙げたように、煉弥が物心ついた時から妖怪というモノをずっと見てきたからこそ、煉弥は心の底からそう思うのだ。

 人間達がいくら束になってかかったとしても――妖怪達には逆立ちしたってかなわねえ。

 現に、件の辻斬り事件にしても、人間の武芸者達は下手人に対して手も足も出ていないところからして、人間と妖怪の実力の差がわかろうというものだ。

 わかりやすい好例をあげるとすれば、楓である。普段はおちゃらけて見せている楓ではあるが、ひとたび本気を出せば、煉弥など抵抗する間もなく消し炭にされてしまうほどの想像を絶する力の持ち主なのだ。仕置き人時代の通り名である『雷神の楓』の異名は伊達ではない。

 そんな尋常ではない力の持ち主たちが、一斉に人間たちに牙を向くと考えれば――その結果は、言うまでもないだろう。


「まあ、幕府が、おおやけに公儀御庭番のことを認めるとは楓さんも思ってはいないけれど、いずれにしろ、幕府に対する不信感が高まることは間違いないのじゃないかしらぁ。それがきっかけで、藤堂家の後見人となっている北条家のことを探ろうとする輩が出てこないとも限らない。わかるでしょぉ?」

「ええ……」

「だからこそ、御上としては――幕府としては、藤堂家の当主問題については、さっさと解決してしまいたいと思っていると見ていいんじゃないかしらぁ? その証拠に、いくら将軍様と仲が良いとはいえ、利位とリンちゃんの縁談話がこんなにあっさりと認められるわけがないとは思わないかしらぁ? 将軍様は世間知らずでしょうから利位の話を真に受けても仕方がないにしても、側近の方々が利位の評判を知らないわけがないでしょぉ? 普通なら、柳生のバカ息子の利位とリンちゃんがくっついてしまったら、のちのちに間違いなく厄介事が巻き起こるというのは、どんなアホでもわかるはずよぉ」


 利位――。あのクソッタレが凛と一緒になるなど、そんなことがあってたまるものかよ!!!!

 ギリリ、と歯ぎしりを一つして、煉弥が楓の言葉にうなずく。


「――わかります」

「もちろん、楓さんとしては、今回の利位とリンちゃんの縁談が上手くいくなんて、最初はなから思っちゃいないわぁ。だって――この縁談は皆が不幸になる縁談だって、皆がどこか心の中で思っていることに違いないもの。だから、上手くいくはずなんてない――ううん、上手くなんか、いかせるわけにはいかないわぁ」


 楓のこの言葉に今まで一言も発せずにじっとしていた小袖が、


「……小袖も、邪魔する」


 と、小さく何度もコクコクとうなずきながら同意する。


「じゃあ、なんで――――」

「上手くいくはずのないこの縁談話がすんなり認められたか――でしょ?」


 煉弥の疑問に、楓が機先を制するように言葉を重ねる。


「え、ええ――どうしてなんです?」

「幕府はねぇ――今回の縁談話をキッカケにしようと思ってるのよぉ」

「キッカケ……ですか?」

「そう。今までは、リンちゃんに対して――というより、北条家に対してというほうが正しいわね。とにかく、幕府は公儀御庭番の頭領である北条家に対して気をつかっていたわけよぉ。リンちゃんに変な縁談話をを持ち掛けて、北条家にヘソを曲げられたらややこしいことになるって、恐れていたわけね。公儀御庭番の忍者軍団だけなら気をつかうほどでもないのだろうけど、北条家には特忍組の頭領という側面もあるでしょぉ? それに、北条家自身も妖怪なわけだしね。そんな北条家に、特忍組の連中を幕府にけしかけられでもしたらどうなるか? 幕府はそれを恐れていたわけよぉ」

「……なるほど。……小袖は、なんとなく、わかった気がする」


 小さくうなずく小袖。でしょぉ? と小袖に投げかける楓。


「それで、つまりはどういうことなんです?」


 イラ立ちを隠さずに煉弥が楓に問う。それに楓が、ふぅ、とため息を吐きながら煉弥の問いかけに答える。


「よく考えてみて、レンちゃん。今回の縁談話って、一体、誰が発端になったのかしらぁ?」

「誰が発端かですって? そりゃあ、あの利位のクソッタレでしょうが!!」

「ええ。その通り。利位が言い出して、それを将軍様にねじ込んで、今回の縁談話が始まった。ということは、今回の縁談話の責任はだれにあるのかしらぁ?」


 そこまで楓から言われたところで、煉弥は楓が何を言わんとしようとしてるかを理解した。そうか。そういうことか。


「全ての責任は利位――ひいては柳生家にある。となれば、柳生宗家がこの縁談を止めようとするのは必定。つまり、最初から幕府はこの縁談が破談になることがわかっていた。そしてこの縁談が破談になったとしても、北条家が幕府に対してケチをつけることはできないってわけですね? なぜなら、この縁談話を持ってきたのは、幕府ではないのだから」

「はい。ご名答。一つ注釈しておくと、利位の縁談話の許可を出したのは厳密に言うと将軍様になるわけだから、そういう意味でも北条家が幕府にケチをつけることはできないわけね。そこで、ちょっとレンちゃんに考えてほしいのだけど、一度特例を認めてしまうと、それってどういうことになってしまうのかしらぁ?」

「さっき楓さんが言った通りのことになるのだと思います。藤堂家を認めたのなら、当家も認めろ。それと同じでしょう? 柳生家に藤堂家の縁談話がでたのなら、当家にも藤堂家との縁談話を認めろ――キッカケというのは、そういうことですね?」

「その通り。だから、今回の縁談が破談になったとしても、幕府は今後、今回の縁談を皮切りにして、藤堂家に他の縁談を進めていくことを、北条家に要求してくるんじゃないかしら? そうすると、北条家としても幕府の要求を突っぱねることは難しくなってくると思うのよ。いくら利位がバカ息子だとしても、柳生家の跡取りの一人であるわけなのだからねぇ。将軍家の剣術指南役である柳生家との縁談が破談になったという手前、北条家としては幕府が藤堂家の正式な跡取りを早く決めるために、他の武家との縁談を進めろとせかされたら、断ることができなくなってしまうわけよぉ」


 胸糞の悪い話ではあるが、楓の言うことは、至極もっともな話でもあった。

 武家社会において、上下の関係は絶対である。今回の縁談が破談になるということは、とらえようによっては、幕府の命令を――ひいては将軍様の命令を、北条家と藤堂家が蹴ったことになるのだ。武家社会において、これ以上の不義理はない。そうなってしまえば、北条家と藤堂家は苦しい立場に追い込まれてしまうであろう。


「クソッタレ……!! だから、俺は武士ってやつが嫌いなんだッ!!」


 空気が震える――まさに、その形容にふさわしいほどの怒声だった。そんな激昂する煉弥に対し、楓が優しく諭すように語りかける。


「ねえ、レンちゃん。もう一度、楓さんに、そして小袖ちゃんに、レンちゃんのリンちゃんに対する気持ちを、はっきり聞かせてくれないかしら?」

「……小袖も、聞きたい。煉弥。あなたは、凛ちゃまを、どう思ってるの?」

「どう……思ってるって……」


 そんなこと、決まってる。俺は――俺は――!!


「俺は……凛のことを大切に思っています」

「レンちゃん」


 びしぃっ! と煉弥の鼻先を指さす楓。うろたえる煉弥。


「もうね、悠長なことを言っている時間は残されていないの。もう一度聞くわよ? レンちゃん、あなたは、リンちゃんのことを、どう思ってるのぉ?」

「……はっきり、言って」


 二人から詰め寄られ、煉弥はもう己の逃げ場がないことを自覚した。深く深呼吸をする。いつかはこういう時がくるのではないかと思っていた。だが、まさかこんなに早くこういう時がくるとは思ってもいなかった。だが、時はきた――ならば、もう覚悟を決めるしかない

「……許されるのならば、俺は、凛と一緒になれればいいと――いや、一緒になりたいと、思っています」


 煉弥のこの言葉を聞くや否や、楓はいつものおちゃらけた雰囲気を取り戻し、


「もう、この子ったらぁ! 許されるも何も、楓さんもゲンちゃんもタッちゃんも――それに、サマちゃんもツバメちゃんも、レンちゃんとリンちゃんがくっついてくれるのを待ち望んでいるのよぉ♪ よぉく考えてもみなさいな。レンちゃんが藤堂家に連れて行かれた時、どうしてレンちゃんが北条性のままだったのかをねっ♪」


 めぇでたいっ♪ めぇでたいっ♪ 踊っちゃえ~♪ と小袖の手を引っ張って無理矢理踊りに付き合わせる楓。無言のまま、無表情のまま、されるがままの小袖。だが、なんとな~くではあるが、小袖からどこか嬉しそうな雰囲気が感じられた。


「言われてみりゃあ……どうしてなんです?」

「もう、鈍感な子ねぇ。レンちゃんが藤堂性だと、リンちゃんと祝言をするときにややこしいことになるでしょぉ? それだから、レンちゃんは北条性のままにしておこうって、皆で話し合ってそう決めたのよぉ♪」

「……そんな談合があったんですか」

「そうよぉ。まったく。レンちゃんがそんなに鈍感だから、八重ちゃんの気持ちをあんな風に燃え上がらせちゃうのよぉ? レンちゃんってば、もう少し女心を勉強しなきゃダメよぉ?」


 八重さん――そうだ、八重さんを傷つけてしまった。


「女心に関してはおいおい勉強させていただくことにして、八重さんのことはどうなんです?」

「は? どうって?」


 踊りをやめて、キョトン顔をする楓。


「いや、ですから、先程、楓さんは皆が前に進めないとおっしゃってたでしょう? 確かに、俺と凛に関しては、楓さんの言う通り、こうして楓さん達からはっぱをかけられなけりゃあ、このまま足踏みをすることになってたと思うんですが、八重さんのことに関してはピンとこないんですがね?」


 というか、はっぱをかけるにしても、もうちょい方法があったろうに。


「もぉ~~~ほんっとぉにレンちゃんは女心がわかってないわねぇ。温厚な楓さんもさすがに毛が逆立ってきちゃうわよぉ?」


 パチパチ……と楓の周囲から静電気が巻き起こる音がしだした。その証左に、小袖のおかっぱ頭がその巻き添えを食って、見事に逆立ってしまっている。いかん。これはいかん。


「すんません。どうか、この鈍感な唐変木に、八重さんの一件のその心をお教えください」


 へへぇ~~っと平伏する煉弥。それを見て、楓も怒りをおさめてくれたか、しょうがないわねぇ、とため息交じりにこぼした。チラリと平伏したまま目線をあげてみると、小袖のおかっぱ頭が元に戻っているのが目に映った。どうやら、最悪の事態はまぬがれたようらしい。


「八重ちゃんの性格はレンちゃんもわかってるでしょぉ? 八重ちゃんのことだから、レンちゃんに想いを告げずに、ずっとレンちゃんのことを想い続けることになってしまうんじゃないかしらぁ。でも、いくら八重ちゃんがレンちゃんのことを想い続けたとしても、レンちゃんの気持ちはリンちゃんから離れることは絶対にないわけだから、八重ちゃんは叶わぬ想いをずっと抱いたまま生きていかなきゃいけないわけでしょぉ? それって、とっても残酷なことだと思わないしらぁ?」

「……うん。……八重が、かわいそう」

「かもしれませんが――――」

「レンちゃん。優しいのは結構なことだけれど、時にはその優しさが人の心を切り裂く刃になることになるというのを覚えておきなさい。レンちゃんが態度をハッキリさせてあげないと、八重ちゃんは生殺しのような状態になっちゃうのよ? それなら、レンちゃんにはリンちゃんという好きな人がいるからごめんさいとハッキリさせてあげたほうがいいのよ。確かに、今この瞬間は傷つくかもしれないけど、そうすることで、八重ちゃんは諦める踏ん切りをつけることができるわけ。そして、いずれはまた新たな恋を探すことができるようになるわ。でも、レンちゃんへの想いを抱いたままだと、それができないの、わかるぅ?」

「……そう……かもしれませんね」

「かもしれない、じゃなくてぇそぉなのぉ~~! もうっ! ほんっとぉにこの子は女心がわかってないんだからぁ!」


 プンプンとこれ見よがしに頬を膨らませて怒る楓。それに小袖が小さく頷きながら言葉を続ける。


「……うん。……楓の言う通り。……ハッキリさせてあげたほうが、いい」


 そして、平伏したままの煉弥の頭に、優しく両手をのせる小袖。


「……大丈夫。……八重は、きっと立ち直る。……心配しなくていい。……気に病まなくてもいい」


 さながら、慈母のような優しい声色であった。そう煉弥に投げかけると、煉弥の頭にのせていた両手を、優しく撫でるように煉弥の両の頬へと滑らせて移動させる小袖。そして、煉弥の頬に両手を添え、ゆっくりと煉弥の頭を起こしていく。煉弥の顔が小袖と見つめあう形になるまで起こされたところで、小袖が、


「……煉弥が、どうして、凛ちゃまに想いを告げられないか、小袖は、よく、わかってる。……でも、煉弥。……凛ちゃまの気持ちも、わかってあげて」

「小袖……さん」

「……大丈夫。……凛ちゃまは、煉弥のことが好き。……凛ちゃまも、煉弥と一緒になりたいと、思ってる。……小袖でも、それくらいは、わかる。……だから、煉弥……今のお仕事が終わったら、凛ちゃまに、想いを伝えてあげて。……煉弥も、八重のように、一歩、前に進んで」


 そして、ふっ、と一瞬だけ煉弥に笑みを浮かべて見せる小袖。初めてみる小袖の無表情以外の表情に、思わず煉弥は息をのむ。愛らしい中に、深い慈しみを感じさせるその微笑みは、獄門の小袖などと呼ばれていた拷問係には、実に不釣り合いなものであった。


「そぉよぉ! リンちゃんに縁談話が次々と舞い込みだしてからじゃあ遅いんだから、いい加減に覚悟を決めなきゃダメよぉ!」


 わかったぁ?! と、ずずいっと頬を膨らませたまま煉弥に顔を近づける楓。そう、だよな。もう、覚悟を決めなきゃならんだろう。俺が今まで隠していたことについて話せば、きっとあの凛のことだ。なんだかんだと文句は言いつつも、最後にはきついゲンコツ一発くらいで許してくれる――そう、信じるしかねえよな。


「わかりました――約束します。今の仕置きの仕事が終わったら、俺は凛に想いを伝えます」


 煉弥のこの言葉に、満足そうにうなずく小袖と楓。


「うん。よろしいっ♪ そうと決まれば、レンちゃんも今の仕事にもっと気が入るんじゃないかしらぁ?」

「なぜそう思われるんですかね?」

「だってぇ~~~――今回のお仕事が終われば、レンちゃんがリンちゃんに想いを伝えて、それをリンちゃんが受け入れて、そのまましっぽりと夜伽よとぎとなるわけでしょぉ?」


 にんまぁとキツネ細めて悪い笑顔をする楓が、このっ♪ このっ♪ と肘で煉弥の身体をつつく。


「そ、そそ、そこまで考えを飛躍させないでくださいませんかねぇ?!」


 顔を真っ赤にして慌てる煉弥。照れちゃってこの子はもぉかぁわいい~~んだからぁ♪ と、うふふ~♪ と笑う楓。そんな二人とは裏腹に、元の無表情に戻っている小袖がゆっくりと立ち上がる。それを見た楓が、


「あら、小袖ちゃん、おかえりかしら?」


 と問いかける。


「……八重のところに、いってくる。……お化け先生が相手だと、八重も、思いのたけを話すことが、できないと思うから」

「あ~そうねえ。じゃあ小袖ちゃん、お願いできるかしらぁ?」

「……うん。……それじゃあ、煉弥。……小袖は、煉弥のさっきの言葉を信じてるから。……凛ちゃまを、よろしく、ね」


 そうして、小袖は楓と煉弥に、ちょいっと頭を下げ、すすすっと来た時と同じようにして部屋から出ていった。


「凛ちゃまを、よろしく――だ、そうよぉ? よかったわね、レンちゃん♪ 今やリンちゃんの親代わりになってる小袖ちゃんからお許しがでたわよぉ♪」


 うふふ~っ♪ とキツネ目をいっぱいに細めて煉弥に笑いかける楓。


「まだ、大袖さんの許可が出てませんよ」


 精一杯の皮肉を返そうとする煉弥だが、すぐにそれを楓が、


「小袖ちゃんがいいと言ったら、大袖ちゃんもいいって言うに決まってるじゃなぁい♪」


 と、ごもっともな言葉で打ち消した。実際、そうであろう。小袖と大袖は一心同体。袖姉妹の意見が食い違うなど、あるはずがないのだ。


「かも――しれませんねぇ――」


 上を向き、宙を見上げる格好で煉弥は言う。複雑な表情を浮かべた義理の息子の横顔を見て、うふふっ♪ 微笑みながら朝餉のお膳の片づけを始める楓。

 その刹那、部屋の入り口の障子戸がしゅたんっ! と乱雑に開かれた。今度は一体、なんだ? と目をやる煉弥と楓。すると、そこには妙に沈んだ表情をしたオオガミの姿があったのであった。


「あらぁ? どうしたの、オオちゃん?」

「……出やがったゼ。昨日の夜――辻斬り野郎がヨ」


 オオガミのこの言葉に、先ほどまで柔らかな感情で満たされていた室内の雰囲気は一変した。

 そして、オオガミの言葉は――今回の辻斬り事件の下手人が、七年前の辻斬り事件の下手人とは別人だということも、また煉弥に告げていたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る