第一幕ノ十七 外道の詮議――新たなる疑問





 煉弥が楓の部屋へと着く頃には、刻限はすでに昼時となっていた。


 だからなのだろう。緊急連絡だと言うから、多少緊張しておもむいてみたのはよいが、障子を開けた煉弥の眼前に広がるは、すでに集まっている蒼龍・オオガミ・タマ・楓という面々による、のほほんとした昼餉ひるげの光景。


 呆気にとられている煉弥に、給仕をしていた楓が笑顔で、


「あら、やっときたわねっ♪ さぁさっ、お入んなさい~お座んなさいっ♪」


 と煉弥の手をひき、部屋の中へと招き入れる。逆らっても無駄なのはわかっているので、煉弥は楓の言葉に従って、お茶をすすっている蒼龍のそばへと腰をおろした。


 それを見た楓は、うんうんっ♪ とうなずき、手を叩いて式神達を呼び出して、煉弥のために用意していた昼餉を運ばせる。


「はい。ご苦労さん」


 煉弥の労いの言葉に、なの! と嬉しそうに手をあげて、式神達は部屋の物陰へと消えていった。


 本日の昼餉はあぶらののった焼き魚と味噌汁にきゅうりの漬物の三種。それに大盛の飯が添えられていた。


 チラリと、オオガミとタマのほうへと目をやる。一心不乱に焼き魚にむしゃぶりついてるタマと、すさまじい勢いで飯をかきこんでいるオオガミ。この調子ならば、すぐに会合が始まることはないだろう。


 昨夜から何も食っていないし、ここはありがたく馳走になることにするか。そう決め、煉弥はパンっと両手を合わせる。


「いただきます」

「は~いっ♪」


 素直でよろしいとでも言いたげな、楓のうふふっ♪ という笑みを合図に、煉弥も昼餉をかきこみ始める。そんな煉弥に、湯飲みを手にもった蒼龍が、


「聞いたよ、煉弥。源流斎殿が、利位相手に大立ち回りをしたんだって?」

「もうご存じなんですかい?」


 そう言う煉弥に、蒼龍がチラリと焼き魚をむさぼるタマの方へと目を向けた。なるほど。さすがは“かわら版のタマ”というところか。


「ええ。ですが、ちょいとまずいこたぁないですかい? 柳生宗家の言い分じゃあ、利位にゃあ勝たねえでくれってことだったんでしょう?」

「まあね。でも、それはあくまでも凛に勝たないでくれってだけだからね。それに、利位が立ち合った状況から考えても、先に無礼なふるまいを働いたのは利位のほうだし、さらに言えば、柳生宗家の定めた他流試合の禁を破ってケンカをふっかけたのも利位だ。目撃者も多数いるわけだし、何かあったとしても、まずい状況になることはないんじゃないかな」

「それなら――いいんですが……」


 確かに、蒼龍の言うことは一々もっともであり、それが道理であるのは明白。しかし、煉弥はあの利位という男が、このまま黙ってあの屈辱の辛酸をなめたまま黙っているとは到底思えなかったのだ。そんな義弟の心中を察したか、蒼龍がいつもの優しい微笑みを浮かべて言う。


「大丈夫さ。源流斎殿に、任せておけば、きっといいようにとりなしてくれるさ」

「……はい」


 歯切れの悪い返事だねぇ、と煉弥の頭上から助平お化けの声が響いてきた。思わぬ人物――否、人魂の同席に煉弥は昼餉を食う手を止めて、蒼龍に問う。


「どうして、先生がおいでなさってるので?」

「うん。その説明をしようかと思ってるのだけど……見ての通りだからねぇ?」


 蒼龍がそう言って部屋の中を見渡す。焼き魚を食べ終わり、食後のたしなみにゃ♪ とひょうたんで酒を呑み始めているタマ。楓!! おかわりいいカ?! と動きやすいようにと八重に繕ってもらった特製の丈の短い上下の古着に米粒をいくつもくっつけている、まだまだ食い終わる気配のないオオガミ。たぁ~~んとお食べっ♪ とキツネ目いっぱいに細めて飯をよそう楓。


「……俺もできるだけ早めに終わらせます」

「いやいや、ゆっくり食べてくれてかまわないよ。それに煉弥一人が急いだって――あの畜生共が急ぐとは限らん」


 刹那、蒼龍の鬼の部分が垣間見え、背筋にうすら寒いものを感じる煉弥。昼餉をかきこむ速度を、気持ち速めにしてかきこむ。

 やがて煉弥が食べ終わると、それを見計らってか、楓が、


「これで昼餉はお~しまいっ♪」


 と、未だ飲み続けていた、食い続けていた畜生二匹の前からお膳を取り上げてしまえば、なにするニャ?! なにすんダ?! という畜生二匹が恨みがましく楓をにらむ。


「あらぁ? 何か文句でもあるのかしらぁ?」


 キツネ目いっぱいに細める楓の周囲が陽炎のように揺らめきはじめる。楓が滲みだす不穏な空気を察した畜生二匹、野生の生存本能を発揮したか、二人同時に、いえ……別に……。とでもいうように視線を天井に移して口笛を吹く。


「ではではタッちゃん――お話をどうぞっ♪」


 お気遣い、痛み入ります。と軽く楓に会釈をする蒼龍。そしてコホンッと咳ばらいをしたところで語りだす。


「ここに皆に集まってもらったのは他でもない――昨夜の辻斬り事件のことさ。煉弥が下手人と思しき相手と接触してくれたことで、様々な新事実がわかり、それによって下手人の輪郭が大方見えてきたわけだが――そのせいで……いや、そのおかげというべきかな? ともかく、いくつか腑に落ちないことが出てきてね」

「腑に落ちないこと……ですかい?」

「そう。それも軽々しく看過できぬほどの、ね――――」

『それに関して、余が一同にご教授いたそう』


 ひゅるりら~と天井から降りてくるお化け先生。室内にいる全員の視線がお化け先生へと注がれる。


『煉弥君の情報により、辻斬りの下手人は、おそらくかまいたちである――というところまではわかった。しかし……そうだとすると、かまいたちがなぜあんな非道極まる辻斬りなんかをやっているのか? という動機が問題でねぇ』

「動機ィ? んなもん、人ぶっ殺すのが好きなイカれた妖怪にあるのかヨ?」

『うん。核心をつく良い質問だねぇ。今、オオガミ君が言ったように、下手人のかまいたちが人を殺すことに快楽を得ているとしよう。それじゃあ、なぜこのかまいたちは七年間という空白を作ったのだろうか?』


 う~ん……と少しの間、室内に思案の沈黙がおとずれる。しかし、すぐにその沈黙をお化け先生が話を続けることでやぶった。


『そう。この空白の七年間というもの、余も含めて誰もしっかりとした説明ができないわけだねぇ。だけど、余としては、下手人はなんらかの理由で七年間という空白を作らざるをえなかったのではないか? という仮定をもっているんだよ』

「その、心は?」


 と煉弥。


『その前に、まずは一同にかまいたちという妖怪について造詣を深めてもらおうと思う』

「長い話はごめんこうむるにゃ」


 オレモ~と明らかにめんどくさそうなツラをするタマとオオガミに、蒼龍の鬼の部分が表に出る。


「理解はせずともよい。ただ、黙って、聞け」


 めんどくせえなぁ、と仏頂面の畜生二匹を無視し、蒼龍がお化け先生に続きを促す。


『そもそもかまいたちと一口にいっても、かまいたちという妖怪には二つの種類があってねぇ。飛騨(今でいう岐阜)の国に伝えられる、悪神かまいたち。このかまいたちは三位一体という言葉がそっくりそのまま当てはまるようなやつらでねぇ。まず一匹目が相手を転ばし、二匹目が転ばせた相手を斬りつけ、三匹目が斬った個所に薬を塗りつけていくことで、結局のところ傷自体は大したことがないっていう、いわば悪戯に近いような所業のかまいたちさ。そしてもう一方は、三河(今でいう愛知県東部)のイヅナかまいたち――――』

「イヅナって……管狐くだきつねを使役する、あの飯綱使いと関連があるのかしらぁ?」

『さすがは楓君、御名答。イヅナかまいたちは、飯綱使いが使役していた管狐のなれの果てでねぇ。その気性は残虐非道。自らの快楽と食事のために風に乗って集団で人を襲い、ズタズタに切り裂いて血をすするという、まさに外道妖怪の名にふさわしい妖怪さ。だから、煉弥君から相談を受けた時、余は間違いなくこのイヅナかまいたちの仕業だと断じたのだが――――』

「御上が検分したところ、今回被害にあった武芸者達が血を吸われたような形跡がないことが判明している」


 蒼龍の言葉に、その通り――とお化け先生の深い思慮を感じさせる一声。


『余は蒼龍君に頼み、七年前の被害者のことについての文書を拝見させてもらったんだがねぇ。それによると、七年前の被害者にも、血を吸われているような形跡は、やはり見受けられなかったんだよ』

「……それに関しちゃあ、俺も証言しやすぜ。被害者が血を吸われてたなんて――絶対にありえやせん」


 じゃなきゃあ――――亡骸にすがって泣いてた凛が、あんなに血まみれになるわけなんてねえ。

 ぐぐっ、と唇をかみしめる煉弥。それに気づいた楓が真っすぐに煉弥の瞳を見据えて、優しくうなずいてみせた。煉弥はそれに気づき、楓に小さくうなずき返した。大丈夫。気負ってなんざぁいませんよ。


『イヅナかまいたちにとって、獲物を斬ることは己の快楽のためでもあるわけだけど、それはつまるところイヅナかまいたちの食事のためということでもあるわけだからねぇ。被害者が血を吸われていない――つまり、この辻斬りは食事のためではない。とすると、辻斬りはイヅナかまいたちの手によるものではない、ということになるわけだねぇ』

「しかし、それじゃあ合点がいかなくなりやせんかい? もう片方の悪神かまいたちってのは、あくまでも悪戯程度のことしかしないんでしょう?」

『煉弥君のいうとおりだねぇ。だけどね、今回の辻斬りに関しては、タマ君の情報によると、昨夜にしろその前のにしろ、被害者は三人で、そしてその三人がほぼ同時刻にやられている――そして煉弥君が下手人と相対した時の状況から鑑みても、今回の辻斬りに関しては、イヅナかまいたちか悪神かまいたちかどちらかはわからないけど、やはりかまいたちが最有力候補と見ていいと思うんだよぉ』


 お化け先生の言葉の中に、煉弥としてはとても聞き捨てならない単語が含まれていた。思わず煉弥はその単語を復唱するようにしてお化け先生に投げかける。


「……今回――は?」

『そうさぁ。前回の辻斬り事件と今回の辻斬り事件――当初は余でさえも酷似していると思っていたのだが、ここにきてこの二つの事件に大きな食い違いが出てきたんだよ』

「へぇ……それは楓さんとしても、非常に興味のあるお話ですね」


 ここ数年見たことがないほどの真面目な表情と口ぶりで楓が言う。


『一つ一つ説明させていただこうか。第一に、七年前は被害者は一日に一人ずつしかやられていないのに対し、今回は必ず三人がほぼ同時にやられている。第二に、七年前は町人・商人・武士、それこそ無差別に襲われているが、今回の辻斬りは武士か武芸者しか狙っていない。第三に、七年前の辻斬りは全ての刻(午後九時~午後十一時までの間)に行われていたのに対し、今回の辻斬りの時刻は、最初が亥の刻で次がうしの刻(午前一時~午前三時までの間)と不統一である。ざっと並べるだけでも、これほどの相違点が出てきたわけだよ』

「なるほど……」


 ふむふむ、と何度もうなずく楓。しかし、あらっ? と何か疑問が浮かんだらしく、キツネ目を細めながらお化け先生に問う。


「でも先生。被害者のやられ方って、七年前の辻斬りと今回の辻斬り――ほぼ一緒なのじゃないかしらぁ?」

『然り。だから、もし今回の辻斬りと七年前の辻斬りが別人であるとするならば、もう一つの仮定も生まれてくるわけさぁ。それは、今回の辻斬りの下手人は、ひょっとすると七年前の辻斬りを模倣しているのではないのか? という仮定だねぇ』

「しかし、そうだとしたら、にゃ~んでそんな、七面倒くさいことなんかやる必要あるにゃ?」


 タマの当然の疑問にオオガミも、そうだそうダ、と賛意を示す。


「そこに何か鍵があるのではないか? と、僕も先生もそう思ったわけさ。そこで、七年前の辻斬りの記録と文書を僕と先生で徹底的に洗いなおしてみたのだけどね――――」


 そこまで言ったところで、蒼龍は言葉を詰まらせた。


「タツ兄?」


 煉弥の言葉に、蒼龍は刹那その目を閉じた。まるで、心の中で何かを決心するかのように。そして見開かれた蒼龍の瞳には、強烈な意志を感じさせる色が浮かんでいた。そして、紡がれる言葉は優しい義兄としてではなく、公儀御庭番・特忍組組頭としての、鬼の蒼龍としての言葉。


「被害者の中に、一人だけ今回の辻斬りにも七年前の辻斬りにも無かった、ある特徴があることがわかった。それは……舌を切除されていたということだ。」

「舌を……? そんな話、聞いたこともなかったのだけど?」


 首をかしげる楓。


「うむ。当時の検視役が記録に小さく但し書きをしていてくれたおかげで、今更ながら私も知ったのだから、楓殿が知らぬとも是非もないことといえよう。――当時の私は、あまりにも血が上りすぎていて、こういう細かいことにまで目が行き届いていなかった。猛省すべきことだと、恥じている」

「それをいうなら楓さんも――それに他の仕置き人達にも同じことが言えるわ。あの当時は――本当に皆、頭に血が上っていたから」


 神妙な二人の間にわってはいるように、問いかける煉弥。


「して――その舌を切除されていた被害者とは?」


 大きく深呼吸をする蒼龍。そして――蒼龍が被害者の名を紡ぐ。


「その被害者の名は――藤堂ツバメ。凛の母親だ」

「なんですって?!」

「ツバメちゃんが?!」

「はァ?!」

「にゃんだってぇ?!」


 思わず同時に叫ぶ特忍組の面々。左馬之助の妻であるツバメは、一般人として唯一化け物長屋の真の姿を知る者であった。それゆえ、楓はもちろんのこと、タマやオオガミとも交流があり、気心の知れるような間柄でもあったのだった。


『この事実が、余が七年前の辻斬りと今回の辻斬りが別人だと確信するにいたる根拠となったのさぁ。舌を切るかまいたちなんざ、余の知る限り存在したことがないからねぇ』

「そ、それじゃあなんですかい……?! 今回の辻斬りと七年前の辻斬りは別人で、なおかつ今回の辻斬りの下手人はどうしてか知らないが、七年前の辻斬りを模倣してるんだって――そういうことなんですかい?!」


 息巻く煉弥に楓が続く。


「百歩譲ってそうだとしても、よ? 今回のかまいたちに関してもそうだけど、合点がいかないことばかりじゃないかしらぁ? いったい、なんだってそんなことを――――」

「そう。何もかもが合点がいかぬ。だからこそ、今回にしろ、七年前にしろ、辻斬りの動機を推し量ることが、真実を明るみに出すための大きな糸口ではないかと、私も先生もそう考えているのだ。ゆえに――皆に集まってもらったというわけだが……」


 言葉が続かぬ蒼龍。そして訪れる沈黙――。室内を重苦しい沈黙が支配する。ほんの少し前まで、やっと下手人の姿をつかんだと思いきや、またもや下手人の姿が霧の中へと隠れてしまったのだ。焦燥感が一同を襲う。


 くそったれ……!! やっと――やっとここまできたってのによ……!!


 強く拳を握る煉弥。目を閉じ、思案にふけっている蒼龍。親友であったツバメの遺体の意外な事実に、困惑の表情を浮かべている楓。後手後手になっていることに、情報を生業としている己の誇りを傷つけられているような気がして不機嫌そうな顔をしているタマ。なんとか現状を打破しなければならぬのだが、どうすればよいかわからずイラ立ちを持て余しているオオガミ。


 そんな室内の沈痛な面持ちの特忍組衆とは裏腹に、したり顔の人魂がひゅるりら~~と部屋の中心に移動する。そして、沈黙をやぶる一声が放たれるのであった。

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