第228話 震える一本線 前
「どこの田舎から出てきたのか知らないが、この俺、アイザル=ドイド様の洗練された剣技を見られるなど、極上の土産話となったじゃないか」
──そう言うと、アイザルは長い剣を抜いた。
すると、俺を両脇から押さえつけている男らも、
「見られる、どころか、光栄にも受けられるんだからな」
「郷に帰ったらチャンバラ仲間に武勇伝として語ってやれるなぁ」
示し合せたように、ニタァ、と笑う。
「──お前の場合は、五発……いや、三発受けて立っていられたら、そうだな……来年お前が入学できるよう俺が直々に口添えしてやろうじゃないか。さっきそいつらを出し抜いたときのような動きをみせれば、四本線の末席の補欠の控えくらいには……まあそうなるためにも三発くらいは余裕で耐えてもらわないとな? え? ──なぜそんな条件をつけてくれるのかって? それは……その通り。俺は寛大だからさ」
アイザルは誰も聞いていないのに勝手に質問し、勝手に答えている。
あの男は自己陶酔する性質なのか。
「アイザルさんは優しいからな。木偶になる相手には必ずご褒美をくれるのさ」
「といっても条件を達成できた奴はいまだにいないけどなぁ」
「良かったじゃねえか! 素人のお前は三発でよ! 普通なら最低でも十発だからな!」
「んなヒビクビクすんなぁ。この鍛練場の中ではどんなに斬られても怪我ひとつしねえかえらよぉ。っても痛みまでちゃらになるわけじゃねぇけどなぁ。ま、どんなに斬られようが死にゃあしねえから安心しなぁ」
「じゃあそろそろ物理拘束の魔法をかけるからな。一切身動きがとれなくなるが、教育的指導が終わったら解いてやる」
物理拘束……
なるほど。
指導とは、相手を動けなくしたうえでの一方的なものか。
だから木偶、と。
これだけの生徒がいるにもかかわらず、全員が見て見ぬふりをしている、ということは……。
あのアイザルにはだれも逆らえないということなのだろうか。
横目でこっちを窺うように見てはいるが、巻き込まれるのだけは避けたいのだろう。
明らかに離れていっているところからその様子がわかる。
アイザルはおそらく四学年なのだろう。
そしてその地位を利用してこんなことをしているのだろう。
しかも今回だけでなく、日常的に行っているような口ぶりだ。
しかし、下級生が上級生に対して口出しできないというのはまだわかるとしても、同学年の生徒ならこんな馬鹿げた行為を止めそうなものなのだが。
逆らえない理由がほかにもあるのなら別だが……
いや、たとえあったにせよ、相手を拘束しておいて一方的に剣技を繰り出すなど……
『最低だな……』
「あ? なにか言ったか?」
「い、いえ、おいらはなんも……」
「そんならいいが。──おい、魔法を行使しろ」
左に立つ男が指示を出すと、右の男が詠唱を開始した。
手にはどこから出したのか、魔法石が握られている。
古代派か。
ここにきて小動物相手の魔法とは恐れ入る。
まあここは武術科だしこんなものか。
無抵抗の相手であれば有効なのだろう。
それにしても、これが武術科か。
もし魔法科学院でこんな卑劣な行為が行われていたとして、そしてそれをヴァレッタ先輩やアーサー先輩が目撃したとしたら……
「おいおい、そんなに震えんなって。すぐにそれすらできなくしてやるから。そういや拘束を解いた瞬間に漏らす奴もいるからな。そんときは汚ねぇカッコのまま走って帰れや」
震え……バレッタ先輩に尻を叩かれているアイザルを想像して、つい笑ってしまっただけなのだが。
そういえば出会ったころのクラウズとあのアイザル……
なんとなく重なるような……
長ったらしい詠唱を待っていると、どうやら術式は完成したようだ。
魔法石を持つ手とは反対の手で俺の額に触ると、
「──この男の動きを封じろ!」
いきなり大声で叫んだ。
俺は突然のことに驚き、ビクッと震えてしまった。
な、なんという魔法だ。
この男の魔法は対象の額に手を当てて、さらに大声で叫ばないと効果を発揮しないのか?
弱りきっているウサギを必要もないのにさらに拘束するっていう魔法なのか?
たしかに魔法科でも一学年四本線の生徒であれば武器を上手く扱えない者だっているかもしれない。
だが、このふたりの刺繍は一本線だ。それもおそらくアイザルと同じ四学年。
四学年の一本線が行使する魔法がこの程度とは……
もし漆黒の巨神がこっちに来ていたら……
──その分、よほど剣技が図抜けているということなのだろうが。
まあ、いい機会だ。それはこの身体で実際に試してみればいい。
万が一、都にあの規模の厄災が訪れたとして、それに対応するだけの能力があるのか否か──。
男の言うように多少の痛みは伴うが、この結界の内であれば怪我もしないし、いまさらじたばたしたところで面倒なことにもなりかねない。
なら早いとこ終わらせて書物院へ向かおう──
俺は魔法にかかったふりをして、その場で立っていた。
「アイザルさん! 準備できました!」
男らが俺のそばから離れると、入れ替わりにアイザルが間合いへと入る。
「さてと。ではまずは腕慣らしに──よし。一発目はドイド流剣技の中でも基本中の基本の技を見せてやる。いいか? ビビって目を閉じずにしっかり見ておけよ?」
そして、右斜め後ろに長剣を振りかぶり──
「これがドイド流剣技、袈裟──」
技の名前を口にしようとしたそのとき。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
女性の声によって邪魔されたことに、アイザルは大きく舌打ちをした。
◆
え? あいつなにやってんの?
なんで抵抗しないのよ?
魔法かけられちゃうじゃない!
って、え!?
もしかしてかかっちゃったの?
動けないの?
え?
ちょっと!?
これじゃ予定と違うじゃない!?
ど、どうするの? これ?
どうしたらいいの?
ま、まずい!
このままじゃアイザルに斬られちゃうじゃない!
す、すっごい痛いんだから! 痣だって残って──
ほ、ほら、もうアイザルが構えを──
ほら! ど、どうしたら──
ああ!
もう!
◆
「ちょ、ちょっと待ってください!」
……やっぱり出てきたか。
『ふん。誰かと思えばリーゼラルテか』
声のした方を向いたアイザルが口惜しそうに呟く。
駆け寄ってきたのは、
「待ってください! アイザル先輩!」
「──なんだ、リーゼラルテ。まさか俺の指導に難癖をつけにきたわけじゃないだろうな」
「違います!」
リーゼ先輩は俺とアイザルの間に入ると、アイザルと向き合った。
「ならどうした。その田舎者に代わってお前が指導を受けるとでも?」
「そ、それも違います! ただ、この人と少し話を! 私の故郷の知り合いに似ていたりしていたので、もしかしたらと!」
「なんだ。そんなことか。なら時間をくれてやろう。なぜならそう。俺は寛大だから。だが──例えお前の知り合いだったとしても、そいつへの指導は決定事項だ」
そう言うとアイザルは二歩ほど後ろへ下がった。
◆
『ちょ、ちょっと! あんたなに考えてんのよ!』
故郷の知り合いだと嘯いたリーゼ先輩が、鬼のような形相で俺へと詰め寄ってくる。
アイザルに聞かれたらまずいのか声は押し殺しているが、その分、却って迫力を感じる。
『いきなりこっちに乗り込んできたと思ったらアイザルなんかに捕まって!』
周りを気にしながら、しかし鋭く俺を睨みつける。
小声で話してくれるのは有難い。
できれば俺もリーゼ先輩と顔見知りだと思われたくない。
『あんた誰ずら?』
俺も小声でそう返すと
『は、はあ!?』
眉を吊り上げ腰に手を当てる。
これはリーゼ先輩が酷く怒っているときにとる格好だ。
『あ、あんたこそいったい──』
ああ、これは危ない。
危険を察知した俺は
『ちょっと事情があるんです』
最小限の声でそう伝えた。
その一言で納得してくれたのか、してくれていないのか──とにかく先輩の荒かった鼻息は少しだけ収まった。
『おいらは捕まったわけじゃないずら。いつでも逃げられたけんども、お前さんがずぅっと追いかけて来るもんだでよぉ、逃げたら面倒なことさなると思ったけ、逃げ出すようなことはせずいたら、ここまで来ちまったんだずらぁ』
詳しく話している暇はないので、簡単に説明するが、
『なによ! じゃあ私が追いかけてるって気付いてたの!? っていうかなんなの! その話し方!』
『ちょっと落ち着くずら。おいらの大事な用を済ますためにも、とにかくあの剣士さんの指導さ受けて、一刻も早くここから出るんだずら』
『ちょっと意味がわからないんだけど……とにかく身体は動くのね?』
俺が少しだけ身体を動かしてみせると、
『──そ、そうよね……良かった……』
先輩は安心したように小さく息を吐きだした。
『……ねえ。あんたの考えてることはわからないけど、もしあの男の指導を受けるっていうんならついでに頼みがあるんだけど』
『頼み……?』
リーゼ先輩の頼みなど、嫌な予感しかしない。
しかも悪人顔だ。上目遣いのくせに。
俺が少し目を細めると、
『いいじゃない! あんたのことは秘密にしておくから! それにこんなこと、あんたにしか頼めないのよ! でね──』
まだ聞くとも言っていないのに、潜めた声で無理やり作戦を伝えてきた。
『本当にいいんずらかぁ?』
『もちろん。私が保証するわ』
先輩の保証といってもどれだけあてになるものなのか……
しかしそれで木偶集めなどという卑劣な行いがなくなるのであれば、喜んで力を貸そう。
武術科一本線の槍技の実力を知るいい機会にもなる。
『そういうことなら協力するずら』
この後の予定も踏まえて素早く考えた結果、俺は先輩の依頼を受けることにした。
『終わったら全部話してよね。私も詳しいこと教えるから──』
と、ここで、顔から悪人の気配が消えた先輩が突然もじもじし始める。
『……私に会いに来るためだったらここまで危険を冒すことなかったのに……前もって言ってくれれば門まで迎えに行ったわよ……』
「……あんたそれ、本気で言ってるずらかぁ……?」
俺が素に近い声でそう言うと
『ほ、本気のわけないじゃない! っていうかその喋り方ホンっと止めて! もう! なんだかいつも以上にすっごいイライラする!』
先輩は俺に背を向け、ずかずかと歩いて行った。
「どうだ。知り合いだったか?」
先輩はアイザルとすれ違う際にそう訊かれると、
「あ、いえ。ただの気持ちの悪い人違い男でした」
苛立った様子でそう答えたものの、鼻歌交じりに元いた場所へ戻っていったのだった。
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