第227話 もう一人の剣姫 後
スティアラは夕暮れが近付きつつある空を見上げた。
夏本番──まではまだ少し早いが、この時間であっても日差しが強いことに、手を翳して目を細める。
「暑くないですか?」
一歩後ろに立つリーゼが心配すると、
「いえ。大丈夫よ。久しぶりの恵みですもの……ああ、なんて気持ちいい……」
スティアラは翳した手を頭上に持っていき、うーん、と大きく伸びをした。
「辛いようでしたらすぐに言ってください」
それでもリーゼが気にかけると
「大丈夫よ。お医者様からは許可をいただいたのですから」
スティアラはくるんとリーゼに向き直り、満面の笑顔をみせた。
◆
「寒くはありませんか……?」
木々が覆う小道に入り、日が当たらなくなると、リーゼはさっきとは逆の心配をする。
「もう。そんなに心配しないで。それにしても、この制服……仕立て直さないと駄目ね」
どこに向かうでもなく、後ろ手に気の向くまま歩くスティアラが、寸法の合わなくなった制服を見下ろす。
「……」
付き従うように少し後ろを歩くリーゼが悲しげな顔をする。
そんなことありません──たとえそう思っていたとしても、それを言葉にしてしまえば嘘になる。
仮にそう言ったとしても、『気を遣わないで』──スティアラに困った顔をさせてしまうだけだ。
この六カ月の間に見違えるように痩せ細ってしまったスティアラに、リーゼは
「しっかりと食事をとればすぐに元のお身体に戻ります! 明日はお肉をたくさん召し上がってください!」
頑張って笑顔をつくり、そう励ますのだった。
「そうね……ありがとう。それならもう少し歩いてもいいかしら?」
「私は構いませんが……お身体は大丈夫ですか?」
「明日はリーゼと楽しいお食事会ですもの。その前に少しはなまった身体を解しておかないと──あっ!」
「先輩!」
突然、ぐらり、とよろけたスティアラの身体をリーゼが咄嗟に支える。
「だ。大丈夫ですか!?」
「──ふう。ありがとう。もう大丈夫よ。少し風にあおられてしまったみたい」
「やっぱり明日の食事は延期した方が……」
「それはダメ。私も楽しみにしているのですから」
「……はい……」
風にあおられた程度で体勢を崩してしまうスティアラの姿に、リーゼは悲しさを通り越して悔しくなった。
敬愛するスティアラの身体を、こうまで蝕んだ病をいっそう憎まずにはいられなくなった。
「それにしても今日は風が騒いでいますね……」
リーゼのそんな想いとは別に、スティアラは森の木々を見上げると嬉しそうに微笑んだ。
「風……? そうですか?」
そういったことに呆れるほど鈍感なリーゼは、揺れる枝先をじっと睨む。
「ん~……私にはいつもと同じに感じますが……」
「風だけでなく、水も……大地も……。なんだかとても楽しそう……」
水も大地も、などと言われ、リーゼはますますわけがわからなくなった。
辺りを見回すが、なにも変わったことはない。
変わっていることといえば──
「あら? あの方たちは……?」
森の小道を数人の生徒が歩いていたことぐらいだった。
それだけであればいつもの光景となんら変わりないが、その生徒のなかに明らかに
無論、教官でもない。
質素な上着を羽織っているところから、遠目には一般人、それも平民にみえる。
そのことにリーゼは、そして同じくスティアラも違和感を覚えたのだった。
「あいつ……あの人はアイザル先輩だわ……私、あの先輩のことホンっと大っ嫌い。同学年だったらとっちめてやれるのに」
「一緒にいるのはこの学校の生徒ではないようですけれど」
「またどこからか
「木偶……?」
「さっき話した上級生ってあの人たちなんです。ここ最近は本当にやることが酷くて……きっと生徒に逃げられるようになったから、学院の外から木偶になりそうな人を連れてきたんだと思います」
「アイザルがそのようなことを……それならば私たちも後を追いましょう。アイザルを注意しなければ」
「え? で、でも先輩はお身体が……」
「問題ありません!」
スティアラが長い髪を結わく。
「せ、先輩! いけません! 代わりにほかの人に──」
リーゼは慌ててスティアラを止めようとするが、
「同じ学年、同じ一本線である私がアイザルの行いを正さなければなりません!」
スティアラはリーゼの忠告を無視して走りだした。
「せ、先輩! ま、まだ走ってはいけません! と、止まってください! 先輩!」
とても病み上がりとは思えない速度で疾走するスティアラの背を、リーゼが追いかける。
「先輩! いけません! 先輩!」
スティアラを止めるべく必死に追うリーゼだったが──その顔には薄らと笑みを浮かべていた。
全盛期までには遠く及ばずとも、それに近い気迫がスティアラに戻ったような気がしたリーゼは、言葉とは裏腹に高揚感のようなものを覚えるのだった。
◆
「せ、先輩! いきなりそんなに走ってはさすがに先生に叱られてしまいます!」
スティアラとリーゼが、アイザルらを追って到着したのは第一鍛練場だった。
「本当にそうかしら? 私はこの通りですけれど?」
半年ぶりの全力疾走だというのに、スティアラは息切れひとつしていない。
そのことに、リーゼはスティアラの全快が近いことを疑わなかった。
先ほど風にあおられたのも、たまたま体勢を崩しただけだったのだろうと。
だから担当医も先輩のこういった姿をみれば、ひょっとしたら武術大祭の参加も許可してくれるのではないか、と。
だから──
「さあ。リーゼ。中に入りましょう」
「はい! 先輩!」
スティアラはもう大丈夫だ、と、過剰なまでの心配をするのはよそう、と決めたのだった。
『ほら! しっかりそこに立たせろ!』
鍛練場の中に入るとアイザルの怒鳴り声が聞こえてきた。
リーゼが確認すると、アイザルの部下ふたりが見知らぬ男の両脇を抱えて強引に立たせているところだった。
鍛練場には大勢の生徒がいた。
武術大祭が開催されているため、個人で特訓を行っている生徒も多いのだろう。
だが、そうであってもアイザルの非行を咎めようとする生徒はひとりもいなかった。
「やっぱり木偶で正解だったようですね」
「本当にあのようなことを……私が床に伏せている間に……」
リーゼは隣から発せられた途轍もない圧に、思わず身震いをした。
「リーゼはここにいてください。私がアイザルを止めてきます」
怒りを露わにしたスティアラが、一歩、足を前に出そうとするが──
「あ、せ、先輩! ちょっと待ってください!」
それをリーゼが止めた。
「リーゼ。止めても無駄です。こんなことが二度と繰り返されないよう──」
「ち、違うのです! ──で、でも、そんな……どうして……でも……」
「どうしたのです。リーゼ。早くしないとあの人が大変なことに──」
だがリーゼは一点を見つめたまま、掴んだスティアラの腕を離そうとしない。
「──やっぱり間違いない! 先輩! 安心して下さい!」
「な、どうしたというのです!」
「わざわざ先輩が手を下されることもなく──」
リーゼは外から連れてこられたであろう男を凝視しながら──
「──最高に面白いものがみられるかもしれません」
そういって、悪人顔をするのだった。
────────────────────────────
次回からラルク視点に変わります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます