第226話 もう一人の剣姫 前



 その日。

 リーゼはすべての講義を終えると同時、脇目も振らず寮へと戻った。


 敷地に到着するなり大きな音を立てて鉄格子の門を開くと、その勢いのまま寮の扉を開ける。と、扉が閉まりきるのも確認せず、また、靴底に付いた土を落とすこともせずに階段を一気に駆け上がる。


 そして目的の部屋の前までやってきたリーゼは、大きく息を吸って呼吸を整えた。

 次いで少し乱れた紅い髪を手櫛でぱぱっと直し、制服の襟元を正す。

 行儀悪くはねてしまったスカートの裾を元に戻し──そのとき、靴に土が付着していることに気が付いた。

 リーゼは廊下に誰もいないことを確認するとその場でダンダンッと飛び、土を綺麗に落としたところでようやく扉を叩いた。


「スティアラ先輩。リーゼラルテです」


 すると


「どうぞお入りくださいな」


 間を置かずして中から細く美しい声が聞こえてきた。


 リーゼは今一度服装におかしなところがないか確認した後、


「──失礼します」


 今度は静かに扉を開いた。






 ◆






「まあリーゼ。またいらしてくださったの?」


 部屋の主──スティアラが、リーゼを見てくすりと笑った。

 

「はい! あ……ご迷惑でしたか……?」


 リーゼが戸惑うような表情を浮かべると、スティアラは再び小さく笑った。

 それは、おかしくて、というよりは、むしろ歓迎の笑みにみえる。


「迷惑だなんて。さあ、座ってくださいな」


 スティアラは白く華奢な手で手招きをする。 


「実は私も待っていましたの。門が開いた音ですぐにわかったわ。リーゼが帰っていらしたって」


 椅子に腰を下ろしたリーゼは自分の素行を振り返り、ばつの悪そうな顔をする。

 そして、はっ、と思い出したかのように、今更ながら背筋をぴんと伸ばすと両足を揃え、膝の上に左右の手を重ねて乗せた。


「構いませんよ。楽になさってね?」


「あ、はい!」


 リーゼがニコッと笑う。

 スティアラは、そんなリーゼのコロコロと変わる表情を、とても優しい目で見ていた。







「お加減はいかがですか……?」


 寝台の上で上体を起こすスティアラを手伝いながらリーゼが不安げに訊ねる。


「ええ。お医者様の説明では徐々に良くなっているそうだわ」


 緋色の長い髪を自分で結いながら、スティアラが答える。


「それは良かったです」


 口ではそういうが、スティアラの背に上着をかけるリーゼの表情は暗い。

 何度この質問をしても、毎回同じ答えしか返ってこないからだ。


 半年前から続く、変わらないやりとり。


 そのことに、リーゼはどうあってもスティアラの前で心から笑うことができずにいたのだった。


「学院の方はどうです?」


「はい。今日からついに武術大祭の予選が始まったのですが──」


 スティアラの質問に、リーゼはいつものように今日あったことを話し始めた。





「──スティアラ先輩がいてくれたら間違いなく剣術組が優勝できるのに……これでまた序列が変わってしまうかもしれません」


「私がいなくてもリーゼがいるではないの。貴方なら素晴らしい結果を残せると思いますよ?」


 スティアラがそう言うと、リーゼが、ちら、と腰の剣に目を落とした。


「あら? まだ直していなかったのですか? てっきり予選までには直すものとばかり……ヴァレッタとのときは間に合わないと聞いていましたが」


「いろいろな鍛冶屋にみていただいたのですが、この剣を直せる腕を持った職人は全員手が塞がっているそうなのです。なんでもカイゼル様の大槍を依頼されたそうで……」


「そう……あの大槍を……壮絶な試合だったようですものね。ラルクさん、といいましたか……とてもお強い──」


「で、でも、スティアラ先輩も絶対に負けていません! い、いえ! 先輩の方が絶対に強いです!」


 リーゼはスティアラの言葉を遮り、剣術組の先輩を持ち上げる。


「あら。リーゼはラルクさんのことを良くご存知なのですか?」


「知っているというか……路地裏でいきなり私の胸に顔を埋めて……」


「リ、リーゼ? そ、それって……」


 スティアラが驚き、両頬に手を当てる。


「あ、ち、違います! あ、あのときは私から! じゃなくていきなり魔法が飛んできて仕方なく──あ! そ、そういえば『無魔の黒禍』がまた青の都に現れたそうなのです!」


 リーゼはおたおたとしながら話題を変えた。


「え? ……無魔の……黒禍が……?」


 話を逸らすことに成功はしたが、突如として表情に影を落としたスティアラをみて、リーゼは話題の選択を間違えたかと動揺した。

 この国に於いて、無魔の黒禍の話題は時と場所を選ぶからだ。


「そ、そうみたい……なのですが……」


 しかし一度は口にしてしまった話題である。

 リーゼは探るように話を続けた。


「……今日の学院はその話題でもちきりでした。驚いたのは、その人が魔術科学院の生徒だったらしいのです」


「ま、まさか……魔術科に……? そんなお近くに……?」


 様子の変わったスティアラに、リーゼはいよいよ話題を変えなければ──と


「せ、先輩は八日後から始まる長期休暇はどうされる予定なのですか?」


 どうにか挽回しようと試みるが、


「そのお話よりも……無魔の黒禍の話を詳しく教えていただきたいのですが」


 思いのほかスティアラが興味深そうに身を乗り出してきたため、もう少しその話題を続けてみることにした。


「私も詳しいことはわかりませんが、一昨日スレイヤ城で開催された舞踏会に出席していたとか……」


「舞踏会に……? 本当なのかしら……でも、そのお話が事実なのであれば、ラルクロア様が社交の場に……そういえば、その舞踏会にはリーゼも招待されていたのではありませんでした?」


「ええと……招待されてはいたのですが……ちょっと苦手で……その、冒険者として依頼を受けていました……」


「もう。リーゼったら。たまには女性らしいこともしなくてはいけませんよ? それにしても魔術科に……それも舞踏会まで……」


 スティアラが天井を仰ぎ見る。


「びっくりですよね。こんなに近くに無魔の黒禍がいたなんて」


「本当ですね……」


 なにか考え事でもしているかのように、スティアラの返事は軽かった。


「無魔の黒禍……この国の貴族のラルクロア様、でしたっけ。先輩はその方のこと、どのように思われているのですか? ──先輩?」


「え、ええ。ごめんなさい。私は……そうですね。もしかしたらとても素晴らしいお方なのかもしれないと──」


「ほ、本当にそう思います!?」


 リーゼが寝台に手をついてスティアラに顔を近付ける。


「え、ええ。いろいろと噂されていますけれど、私はそう思いま──」


「私もそう思います! 幼い頃に親元を離れて、それでも最難関の魔術科学院に入学できるのですから! ──ああ、もう! こんなことなら依頼なんて受けずに舞踏会に出ればよかったです!」


 スティアラが無魔の黒禍に対して悪くない感情を抱いていそうだと判断すると、リーゼは饒舌になった。


「無魔の黒禍と会った、って父に自慢したかったです! きっと大興奮するに違いありません! 父は英雄譚が大好きですから! ──でも魔術科か……もしかしたらどこかですれ違っていたかも……ん。似たような名前でもあいつとは大違いなんだろうな……」


「あいつ……?」


「あ、いえ……実は……路地裏で知り合ったのがきっかけで、いま話に出てきたラルクと鍛練をしているのですが……それで、昔、武者修行中だった私の剣を素手で掴んだバカがいたって話をしたと思うのですが、そのときの少年が、もしかしたらあの男なのかもしれないのです……」


「……そう……なんだかとても素敵なお話ではないですか」


「い、いえ! 全然そんなんじゃないんです! バーミラル大森林なんて行くバカ、私以外にもいたんだって」


 リーゼは恥ずかしそうに下を向いたため、スティアラの表情が一瞬変化したことには気が付かずにいた。


「……ラルクロア様はどのようなお方だったのでしょうか? たしか十四歳と記憶していますが」


 すぐに表情を戻したスティアラは質問を続けた。


「そこまでは……私も、舞踏会に出席した人の知り合いの知り合いの知り合いという人が話しているところをたまたま耳にしただけですので……」


「……そうですか」


 スティアラは残念そうに窓の外を見る。


「でも想像はできます! さぞ立派なお方なのではないでしょうか! きっと背も高くて二枚目で、それでいて女性にはとても優しくて、なによりもすっごく強くて! ──そんな人だったら私も憧れてしまいます!」


「──そうね。同じ貴族として見習わなければならない点は多いですね」


 窓の外を見ながら、スティアラは小さな声でそう答えると


「弟の様子はどうかしら」


 今度はスティアラが話題を変えた。


「……元気にしています」


 リーゼは先ほどまでの勢いがなくなり、沈んだような口調になってしまった。


「なにかあるのね?」


 スティアラがそれに気付き、話して聞かせて? と促す。


「ええと……たまに同じクラスの男子からちょっかいを……それと上級生からも……」


「あの子は気が弱いから……でもそれを乗り越えないとここではやっていけませんものね」


「私も大っ嫌いな先輩なのですが、特訓や鍛練などといっては、代わるがわる誰かを木偶でくにみたてて新技の実験をしているのです。鍛練場の中では実際に怪我しないのをいいことに……痛みは感じるんだから……」


「それにオリヴァーが?」


「オリヴァーだけではありません。あいつ……あの人は手当たり次第に──あ! そういえば!」


 暗くなりかけた話題を避けようと、リーゼは突然立ち上がって手をぽんと叩いた。


「どうしたのですか?」


 後輩が気を遣ってくれたことに少し苦笑するが、スティアラもそれに応じた。


「昨日冒険者街にいったとき、とても素敵なお店を見つけたのです! ええと、貴族街のお店ほどではありませんが……それでも新しく造られた離れがあって、ゆっくりと食事ができそうなお店なのです! ですから先輩! 病が回復したらぜひご一緒していただけませんか!」


 重い病を患うスティアラが外出不可であることはリーゼもよくわかっている。

 だから、リーゼはその場をしのぐための方便で誘ったつもりだったのだが、


「そう……それなら……できるだけ早い方がいいわね……」


 誘いを受けるような回答をするスティアラに耳を疑った。


「え? は、早くって、でも外出はまだ……」


「早い方が……いいの……」


「で、でも主治医の先生は……」


「……どうしても早い方がいいの。そうしないと……」


 リーゼは二度確認するが、スティアラはやはり一緒に食事に行くという。


「……え、ど、どういう……ま、まさか……」


 リーゼの顔から血の気が失せる。

 立っていることができず、ふらふらと椅子に座り込んだ。


「そのまさかなの……実は……今日、先生から……」


 やはり──。


 リーゼは大声で泣き出したいのを堪え、スティアラの言葉を待った。


「……先生から……」


 スティアラは胸のあたりを押さえながら、続ける。



「外出の許可が下りたの!」






「……なゃ?」


 予想と違う答えに、リーゼがぽかんと口を開ける。


「だから! 外出しても構わないって! 先生が!」


「外出……って」


 しばし硬直していたリーゼだったが、ようやく言葉の意味を飲み込めたようだ。


「そ、それは、ほ、本当ですか……?」


 ゆっくりと立ち上がるリーゼの顔は次第に赤みが差し始め──


「そうよ。本当のお話。散歩程度なら今日にでもいいそうよ」


「──や、やったぁ!」


 ぴょんぴょんと何度も飛び跳ね、全身で喜びを表現すると嬉し涙を流した。


「も、もう! 驚かさないでください先輩! 私はてっきり……」


「てっきり?」


 スティアラが鼻をすするリーゼを見上げる。


「い、いえ! 本当に良かったです! でしたらこれから少し学院をお散歩しましょう! 久しぶりに外の空気を──あ! その前に私、早速お店に予約を入れてきます! 明日の夜はいかがですか!?」


「ええ。大丈夫よ。楽しみにしていますね」


「ありがとうございます! ではすぐに戻りますので、そのあと少しだけ外に出てみましょう!」


「ええ。わかりました」


 伝報矢を放つためリーゼが外に出ると、スティアラの顔からサッと笑顔が消えた。


 そして辛そうに顔を歪めると、何度も咳き込みながら震える手で薬を手に取ったのだった。



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