第229話 震える一本線 中
リーゼ先輩が戻ると、鍛練場全体が騒然とした空気になった。
アイザルが今から始めようとしている、教育的指導という名の公開処刑がその原因ではない。
なぜなら全員が同じ方向、俺ではなくリーゼ先輩──でもなく、その隣に立っている女生徒に注がれているからだ。
リーゼ先輩とよく似た緋色の髪。
とても整った顔をしているが、健康的なリーゼ先輩とは対象的に、陽の下に出て大丈夫なのだろうか、などと余計な心配をしてしまうほどに肌は白い。
そしてなにより細かった。
まるで寝台から抜け出してきた病人のように、白く細く、儚げだった。
武器は携行していないようだ。
とても強そうにはみえないが、着ている制服からここの生徒で間違いはない。
俺を追ってきたのも、リーゼ先輩とあの人だろう。
しかしリーゼ先輩と同等か、それ以上の気配を感じたのだが……あの華奢な身体……なにか特別な
あれだけ細くては走ることですらきつそうだが、よくここまで追いかけてこられたものだ。
有名な人なのだろうか。
場内にいる生徒が、ひとりの例外もなくその女性を凝視している。
『なぜハウンストンが……』
それは低く唸るアイザルも同じだった。
しかし、ほかの生徒たちとは視線に籠る感情が大きく違ってみえた。
口にしたのはあの生徒の名……そしてこれは敵意か……?
額に浮き出た血管と眉間のしわ。
忌々しく思う相手に抱く冷酷な心情と思しきものが、そのまま露わになっている。
アイザルの鋭い眼光はしばらくの間、リーゼ先輩の隣に立つ女生徒の姿を捉えて離さなかったが、
『──だがまあいい。もはやあの身体では剣などろくに振れないだろう』
ふっと表情を元に戻すと、
『どちらにせよ今回の武術大祭で序列は覆る。あいつもすでに手筈は……残すはあの弓使いのみ』
そう呟きながら俺に照準を戻した。
弓使い……さっき逃がした生徒のことだろうか。
「あんのぉ。あの女の人は有名な人なんだずらか?」
俺は、リーゼ先輩となにやら会話をしている女生徒のことが気にかかり、アイザルに質問をしてみた。
が──
「あ? お前には関係のないことだ」
返ってきたのは嘲笑だった。
まあそれはそうだろう。
「さて。仕切り直しだ」
そういうと、アイザルは長剣を鞘に収めてしまった。
リーゼ先輩が言っていたように武器を変えるつもりなのだろうか。
「多少想定外だが、あの女が見ているとあれば最初から本気を出さなければな。俺の剣技を拝みたかっただろうお前にとっては不幸だが、一発で終わりだ」
「あんのぉ。それならその本気の一発さ受けて、おいらが立っていたら、おいらの願いさ聞いてくれるんずらかぁ?」
「お前は余程のバカかなにも知らぬ田舎者だな。まあそのどちらともだろうが。そうまでしてここに入りたという気概は酌んでやらなくもないが──」
「おいらの願いはそれじゃないずら。おいらの願いとは、おいらの剣をあんたに受けてもらいたいんずらぁ。ここで通用するかどうかをぉ」
「ああ? なに舐めたことを言っている。ふざけたことを──」
「あんれ。あんたは寛大なんじゃなかったんずらか?」
「お前ごときが──だが、まあいい。その通り、俺は寛大だからな。卒業後には王室専属の近衛騎士となるだろう俺の本気の一撃を受け、それでも立っていられるというのであれば──」
「なら決まりってことでいいずらか?」
「この田舎ものめが……度胸だけは猪相手にでも鍛えたか。だが、いま目の前に立っているのは直進することしか芸のない山猪とは──」
「それで、いいんだずらか?」
「この田舎猿が! 好きにしろ! おい! 俺の槍を持ってこい!」
早くしろ! アイザルが苛立ってみせると、さっきまで俺の腕を掴んでいた男が槍を取りに走っていった。
やはりアイザルは槍が得意らしい。
リーゼ先輩曰く、槍を扱う生徒の中では三本の指に入るほどの実力を持っているとか。
「お待たせしました!」
アイザルが受け取った槍はかなり立派な槍のようにみえた。
いくら一本線とはいえ、学生が持つには不相応ともとれるほどだ。
魔槍──。
それを見た俺は、直感でそう判断した。
おそらくかなりの業物だろう。
「また邪魔が入ったら面倒だ。とっとといくぞ」
アイザルの顔付きが変わる。
「本当に約束ずらよ。おいらが立っていたら──」
「──さあ、国を護り、王室を護る近衛騎士の本気の一撃、その身に刻み込め!」
アイザルは俺の質問には答えることなく、構えをとった。
まあいい。『好きにしろ』という言質はとってある。
それにしてもコンティ姉さんは、本当にこんな奴に声をかけたのだろうか。
ドイド家とは聞いたことはないが、たとえ家柄に問題がなく、そして強かったとしても、この性格で近衛はありえないと思うのだが。
生徒や一般人を木偶代わりに痛めつけるなど……
もしかしたらこの男の本性を知らないだけかもしれないし……まあ、今夜会う機会があったら訊いてみよう。
まだ正式に任命もされていない俺がどうのこうのと口出しできることではないが、この男と同僚になるのだけは勘弁願いたいところだ。
「ドイド流槍術──」
アイザルが大きく息を吐くと、槍が淡く光を発し──
「──相対の技……」
その白光が次第に
そして──
「──
アイザルが叫ぶと、呼応するかのように白い竜も咆哮を上げ──槍から飛び出すと、猛烈な速度で俺の胴へと喰らいついてきた。
次の瞬間──。
俺の全身に痛みが走った。
槍から俺の身体に棲み処を変えた竜は、俺の肉を喰らい、骨を砕き、全身を貪り続ける。
肩には鋭い爪が食い込み、腭を閉じる度に痛みが襲う。
なるほど。
大口を叩くだけあってこの男、なかなかの一撃を持っている。
そして、魔槍の力を顕在化させられるだけの魔力も持ち合わせている、ということか。
コンティ姉さんもこの技を見たのかもしれないな……
これだけ派手な大技だ。結界によって護られているとはいえ、獰猛な竜に全身を喰われる経験をしてしまえば、並みの生徒であれば心が折れてしまうだろう。
痛みだって相当なものだ。
だが、それだけだ。
言った通りここは結界の中であり、痛みは感じようとも肉が裂けたり血が噴き出したりするようなことはない。ばかりか、着ている衣服ですら破れはしない。
つまり、あくまでも演習であり、ごっこである。
俺は魔槍が秘める潜在的な力に感心しながら、技が終わるのを待った。
もしかしたら、カイゼルの槍を発見した庵の裏小屋に、こういったものがいろいろと眠っているかもしれないな……
なんてことを考えていると──竜の姿がパッと消えた。
同時に、今まで耳元でしていた咀嚼音も聞こえなくなった。
アイザルが技を解いたのだろう。
喧しかった騒音が止み、しん、とした静けさも戻ってきた。
「素人相手にここまでやってしまうとは──恨むのなら俺ではなく、俺を本気にさせたハウンストンを恨むんだな。まあ、聞こえてもいないだろうが。心を粉々に砕かれたお前は騎士を目指すどころか、これからさき人間として生きていくことですら難しいだろうな」
アイザルが額の汗を拭いながら半笑いを浮かべる。
「頭の悪い田舎ものだったが、あの女に俺の力を見せつけるにはいい木偶だったか。これがオリヴァーであれば……まあいい。まだ時間はある。──おい! こいつを片付けろ! 今日は気分がいい! 次の木偶を探しに行くぞ!」
静まり返った鍛練場にアイザルの声が響く。
この場にいる誰も彼もが口を開こうともしない。
いや、あの恐怖を前にして、言葉を発せずにいるのか。
「──さて。次はおいらの番ずらなぁ」
俺以外は。
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