第213話 婚約者
「先輩。少しお時間よろしいでしょうか」
俺は急遽夜会に参列しなければならなくなったことをヴァレッタ先輩に相談しようと考えた。
ほかに出席する貴族、特にヴァルト──そのなかでもとりわけクロスヴァルトが出席するのかどうしても聞いておきたかったからだ。
他国の貴族も招待を受けているこの夜会に、七賢人に名を連ねるクロスヴァルトが参列しないわけがない。だが、先輩から直接聞いておくことで、今ここで多少なりとも覚悟を決められる。
ヴァレッタ年輩でなくとも構わないのだが──エミルには相談しづらく、また、ミレアは巫女を務めた顕現祭の疲労で今日も学院を休んでいる。
師匠は……もっともまともな答えが期待できない人物だ。モーリスも然り。
近衛騎士隊長のコンティ姉さんもいるが、今夜の警備できっと今頃は忙しく走り回っていることだろう。
それ以前に城まで行っている時間がない。
そのため今はヴァレッタ先輩に頼るのが最善の方法だった。
「もちろん。いいけど。実は私がここに来たのも、もう一つ理由があって──でもリーゼロッタはどうしようかしら」
「俺の話はすぐに済みます。ふたりにはもう少し鍛練を続けていてもらうよう話してきます」
俺は二人に声をかけると、ヴァレッタ先輩と少し離れた茂みへ場所を移した。
◆
「線なし君も舞踏会に!?」
俺の話を聞いて、先輩は大きな目をいっそう丸くした。
「なぜかそういうことに……」
「そっか……。で、私になにしてほしい?」
「情報をいただきたいのです。──率直に聞きます。今夜の舞踏会に七賢人の方々は出席なさいますか?」
なぜそんなことを──。
先輩の目はそう言っていた。
だが先輩はすぐに悪戯っ子のように目を細めると、
「ねぇ、線なし君。あの日、ルディちゃんのお店に行った帰りのこと、憶えてる?」
なんの脈絡もない答えを返してきた。
なぜ今そんなことを──と口から出かけたが、意地の悪そうな先輩の表情の奥に真剣さを感じ、
「あの日? って、先輩たちと行った日のことですよね。もちろん憶えていますけど……なにかありましたっけ?」
たしか帰りは……先輩は羊の肉を持ってて……それで……馬車を拾って……
「やっぱり忘れてる。ほら、『おい、ヴァレッタ。悩みがあるのなら俺が相談に乗るぜ?』って言ってくれたじゃない」
「……誰ですかそれ」
「線なし君よ! 忘れたの? 『ははぁん。ヴァレッタ、その顔は悩みがある顔──』」
「いや、もういいです。思い出しましたから」
得意げな顔でまったく似ていない俺の真似をする先輩を遮る。
たしかにそんな会話をした記憶がある。
「──そういえば先輩、あのとき……たしか俺が勝ったら教えるとかなんとか言ってましたね」
「なによ、なんとかって。『勝ったら教えてあげる』って言ったの。ねえ。線なし君の質問に答える前に、私の相談聞いてくれる?」
「で、それと俺の質問とどう関係が?」
「交、換、条、件!」
「……」
またそれか……
◆
「い、いくらなんでもそれは──」
「線なし君しか頼れる人がいないんだけどな……」
夕陽にブルネットの髪を揺らすヴァレッタ先輩が俺を見つめる。
「……そう言われても無理なものは──」
俺の質問と先輩の相談。
交換条件にしては釣り合いがおかしい。
「線なし君が壊した腕輪、あれ、高かったんだけどな……」
それは卑怯じゃ……
「おや? こんなところに我がサウスヴァルト家の家宝、偽装の腕輪が!」
先輩はわざとらしく大袈裟に制服のポケットから腕輪を取り出すと、
「そうだ! これは今回の相談料として線なし君にあげちゃおう!」
どう? どう? と嬉しそうに俺を見上げる。
「もちろん私の魔力補充付き!」
そうきたか……
偽装の腕輪……
昨日、師匠が使用していたものと同じ腕輪だ……
これがあれば今後なにかと便利に……
「……少し考えを整理させてください」
ヴァレッタ先輩の相談とはこうだった。
『──婚姻を断る手伝いをしてほしいの』
◆
ヴァレッタ先輩はとにかく社交界というものを激しく嫌っている。
以前、クロスヴァルト侯爵の家に呼ばれた際も社交界の話が出たときに暗い顔をしていた。
それは親が勝手に決めた婚約者のことを思い出してのことだそうだ。
だが、そんな先輩であっても、今夜の舞踏会には必ず出席しなければならないという。
俺は初めて知ったが、顕現祭の後には各国要人を招いての舞踏会が催されるそうだ。
そのような会にサウスヴァルト家の長女が出席しないというのは、王への忠誠を疑われ非常に良くない結果が待っているらしい。
だから父親から絶対的な命令として、必ず出席するよう厳しく言い渡されたそうだ。
まあ、それはそうだろう。
王の招集がかかれば、原則として領地から王都へと赴かなければならない。それが貴族の務めでもある。
だから陛下主催の舞踏会に、都に滞在している貴族家の者が参列しないというのは忠誠を疑われる以外のなにものでもない。
だから出席を余儀なくされているというのだが──。
それはつまり、クロスヴァルトも必ず出席しているということに他ならない。
そのあたりをさりげなく先輩に確認したところ、やはりヴァルト家はすべて出席するらしく、クロスヴァルト家も父は出席すると聞いているが、マーカスはわからない、との回答だった。
今夜、城に行けば、クロスヴァルトの生の情報を手に入れられるかもしれない。
そしてもう一度、父様やマーカス、ネルにミルと話ができるかもしれない。
レスターの推測通り、兄弟の仲互いの原因が呪術なのであれば、そのときは加護魔術でどうにかできる可能性もゼロではない──のだが、それは諸刃の剣だ。
それに婚約を断る手伝いって、俺はどうすれば……
ただ隣にいればいいということだけど……
自分の任命式だけでいっぱいいっぱいだっていうのに……
「線なし君。ちゃんと前見て。ほら、もっと胸張って」
ヴァレッタ先輩に言われて顔を上げると、もう扉がすぐそこまで迫っていた。
まあ、なるようになれ、か……
「先輩。今日はよろしくお願いします」
俺は姿勢を正して肘を軽く曲げる。と、先輩はその腕に優しく手を回し、
「こちらこそ。よろしくね?」
美しく微笑んだ。
「ヴァレッタ=サウスヴァルト様! ラルク様!」
扉の前に立つ騎士が先輩と俺の名を大声で呼び上げる。
そして俺は豪奢な扉をくぐり、香水と葉巻の匂い溢れる会場へ足を踏み入れた。
王城にある舞踏会専用の建物には今夜初めて入ったが、その造りはとても豪華絢爛であり、贅を尽くしたものだった。
高い天井には何色ものガラス細工で組まれた神々の姿が装飾されており、それを無数の燭台が妖しく浮かび上がらせている。
規則正しく並ぶ、磨き上げられたまっ白かつ巨大な円柱は左右に十本ずつ、計二十本もそびえている。
今夜の招待客は三千人にも上るという。
なんとも華やかな催しだ。
今入ってきた大扉の正面奥には、王族が使用するのであろう巨大な階段が設えてあった。
あそこから陛下やモーリスが下りてくるのだろう。
いや、モーリスのことだから、すでにどこかで見ているかもしれない。
俺が誰をエスコートするか、ニヤけた顔をして……
ふう。
ヴァレッタ先輩に声をかけてもらって助かったよ……
『おや? あの学生、たしか交流戦で勝利した……』
『おお! あの試合は見事でしたな!』
『ねえ見て! あの女性とてもお綺麗……どこのお嬢様かしら』
『ご存知ないの? スレイヤの大貴族、サウスヴァルトのお嬢様よ』
『サウスヴァルトの!? どうりで……ではお隣の殿方は?』
『そこまでは……魔法科学院の生徒のようですけれど……』
『あいつ! ヴァレッタ先輩とあんなに慣れ慣れしく……たかが平民風情が調子に乗りやがって!』
『ここは貴族だけしか入れないんじゃないのかよ! 衛兵は何してんだ!』
大勢の視線を集めるなか、俺と先輩は中央へと進んでいった。
「ヴァレッタ先輩! ラルク君!」
「フレディアじゃないか。早かったな」
「またお会いできて光栄です。ヴァレッタ=サウスヴァルト様。ラルク様」
声をかけてきたのはフレディアとレイア姫だった。
「こんなに大勢のなか、よく探せたな」
「へへん! 私、目が良いからね。ま、それ以前にめっちゃ目立ってたけど」
レイア姫の影からアリーシア先輩がひょこっと顔を出す。
さすが
「ごきげんよう、シア」
「あれ? 班長、なんだかいつもよりお上品? ひょっとして、いい人を探しに──」
あれ? この顔ぶれということは……
もしかしたら、と、周囲を見渡すと。
やっぱり──。
料理を皿に盛っているアーサー先輩を発見した。
まあ当然といえば当然だが、みんな貴族か。
リーゼ先輩は……さすがに見つけられないか。
父様も……ここからではわからない。
「やあ! ヴァル! ラルク君! 美味しそうな食事を持ってきたよ! 一緒にどう──」
『ちょっとアーサー! まだ誰も食べていないじゃない!』
皿を両手に抱え、爽やかな笑顔でこっちに歩いてくるアーサー先輩に、ヴァレッタ先輩が小声で注意する。
「ははは! ヴァルはお腹は空いていないのかい!? こういう場所では食べられるうちに食べておかないとね!」
そう言うと、アーサー先輩は周囲の目も気にせず骨付き肉にかぶりついた。
周りの貴族たちは苦笑いを浮かべている。
「周りの目なんて気にする必要はないさ! ラルク君もなにを言われても、たとえどんなに白い目で見られても、ドンと構えていればいいのさ! 僕たちは次代のスレイヤを護る『一本線』だよ? 貴族も平民も関係はない! その誇りさえいつも胸にあれば、ね!」
「ありがとうございます……」
アーサー先輩なりに勇気づけてくれたのだろうか。
きっとさっきの中傷を聞いていたのだろう。
とても頼りになる、心強い先輩だ。
「そんなこと言って。ただお腹が空いているだけじゃないんですか?」
アリーシア先輩がからかうと、全員が噴き出した。
俺がうさぎ班のチームワークの良さを改めて実感していたとき、それは起こった。
「カークライト=バシュルッツ様!」
会場に響き渡る騎士の声。
その瞬間、俺の鼓動が跳ね上がった。
あの男も来ていたのか──。
バシュルッツ王国、第一王子、カークライト=バシュルッツ。
ミスティアさんとファミアさんに呪いをかけた白銀の魔女が属する国の権力者。
俺はその男の顔をまぶたに焼き付けようと目を凝らす。
が、隣から殺気を感じ、
「落ち着け、フレディア」
フレディアの耳元でそう囁いた。
「ラルク君……あの男……」
フレディアは俺の声でどうにか感情を抑えるが──
フレディアに囁いた俺の声も、微かに震えていた。
そして──
『線なし君。あの人なの。私の婚約者……』
ヴァレッタ先輩が驚きの発言をしたのだった。
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