第214話 唐突に始まる任命式。そして──
カークライト=バシュルッツ──。
一段高くなっている大扉の前にその男の姿はあった。
その男の異様な
その姿はまるで骸骨──。
その異質さは強烈だった。
遠く離れているにもかからわず、軽く怖気が立つ。
髑髏のように目は窪み、闇の奥で眼球だけが光っている。
白昼のように明るい会場にあって、仄暗い双眸とこけた頬が作りだす影とが男の不気味さを際立たせていた。
背は異様なまでに高く、骨と皮だけで形成されているかのように全身は細い。
まるで死者を冥界へ誘う死の案内人のようだ。
いや、あの男は生ける者でさえ、生きながらに死者の世界へと誘引してしまうかもしれない。
──それほどに気味の悪い様相の男だった。
あの男がバシュルッツの王子……
無論、カークライトとは初対面であり、彼に対して個人的な恨みがあるわけではない。
だが、白銀の魔女を擁する国の権力者という肩書きは、俺の全身を巡る血を熱く滾らせるには十分すぎた。
全力疾走を終えた後のように鼓動が早い。
頭に血が上るのを、奥歯を強く噛んで堪える。
目を閉じて、逆立つ神経を落ち着かせたいが、カークライトから目を離すことができない。
あいつと接触できれば……
白銀の魔女の情報──すなわちミスティアさんやファミアさんを救うカギを手に入れられるかもしれない。
どうにかして……
「せ、線なし君……? どうしたの? そんなに怖い顔して……」
そのとき隣からヴァレッタ先輩の声が聞こえ──切れる寸前だった緊張の糸がふっと緩んだ。
そうだ……
もっと冷静にならなければ……
フレディアに言えた義理じゃないな……
深呼吸して落ち着くと、周りの景色が見えてきた。
そして、カークライトの隣を歩く人物も視界に入れることができた。
あの女性は誰だ……?
カークライトは黒髪の美しい女性を従えている。
終始俯き気味であるため、異彩を放つカークライトとは正反対に、とても穏やかで控えめな女性にみえる。
あの女性もバシュルッツの関係者だろうか……
王子の隣を許されているということはそれなりの身分なのだろうが……
考えを巡らせている間に、カークライトは賑やかさが戻った会場へ消えていった。
「っぷはぁ──あれがバシュルッツのカークライト王子……」
フレディアが息を吐き出すと
「想像とは異なる……」
その隣でレイア姫が呟く。
フレディアと違ってレイア姫は落ち着いているようにみえる。
カークライトが出席することを事前に聞いていたのか、それとも騎士として鍛えた強靭な精神力によるものか。
とりあえずこの先のことを考えないと……
『バシュルッツの人間などよくも招待したものだ』
『スレイヤ国王はいったいなにを考えているのだ』
あちらこちらからバシュルッツを非難する声が聞こえてくる。
それはスレイヤの貴族だけではなかった。
バシュルッツの人間は他国の貴族からも良く思われていないようだ。
「父が呼んだのよ……陛下に直訴までして」
周りの声に反応したヴァレッタ先輩が小声で俺に教えてくれた。
「先輩の父君が?」
「ええ。十年ほど前、スレイヤとバシュルッツが新たに国交を結ぶことになった際、私が橋渡し役に選ばれたの。カークライト王子と婚姻を結ぶことによって」
公にはされていないから、そのことを知るのは限られた人数だけれど、と、先輩は苦い顔で言う。
「スレイヤとバシュルッツの間でそんな約束が……」
「近々発表するそうよ。両国間の情勢が緊迫してきているから父は急ぎたいみたい。本来なら私が卒業してから発表する予定だったのに……」
情勢的に婚姻を結ぶまでの時間がかかればかかるほど、反対派の声が多くなるということか。
「それなら時間を伸ばせるだけ伸ばせばいいのでは。なにもせずとも他の貴族が反対してくれるのでは?」
今後バシュルッツの悪事が明るみに晒されれば……
「それは私も考えたわ。でも、父はそれらのことも計算の上で動いているのよ。今日招待したのもきっと──」
「ご機嫌いかがですかな? ヴァレッタ嬢」
「これはクロスヴァルト侯爵。わざわざお越しいただけるとは──いつぞやはお心遣いありがとうございました」
「なにを申されますかヴァレッタ嬢。礼を言うのはこちらの方ですぞ?」
と、父様!
な、なぜこんなに近くに!
先輩の話に気を注ぎ過ぎていたようだ。
話しかけられるまで、クロスヴァルト侯爵が近寄ってきていることに気付きもしなかった。
侯爵の後ろにはマーカス、そしてネルとミルもいる。
慌てた俺は、俺の素性を知っているレスターの姿を探したが──付近にそれらしき姿は見つからなかった。母様の姿も近くには見えない。とすると、レスターを連れてどこかの貴族のところへ挨拶に行っているのかもしれない。
「皆さんもお揃いのようで。改めて礼を申し上げますぞ。──おや、これはレイア殿もご一緒でしたか」
侯爵はうさぎ班の面々、そして面識があるのか、レイア姫にも挨拶をした。
「──いやしかしこのような賑やかな席でヴァレッタ嬢と言葉を交わせるとは……いよいよ父上も覚悟を決められましたかな?」
「それはどうでしょう。しかしながら久しく父の笑顔を見ておりませんので少しは頬を緩ませて差し上げようと──」
侯爵と談笑するヴァレッタ先輩だったが、冒険者街での噂話は持ち出さずにいた。
先輩もさすがに侯爵を前にラルクロアの話題はできないのだろう。
クロスヴァルト侯爵は全員と軽い言葉を交わすと、最後に俺と向き合った。
「先日の試合。見事でしたな」
「お褒めいただき光栄です。クロスヴァルト侯爵」
「随分と……いや。君はとても……立派な少年だ。そうだ。済まないが、私と握手をしてもらえるかね?」
侯爵はそう言って俺に手を差し出す。
だが、なぜ手なんか──と、俺は戸惑い、
「よろしいのでしょうか。私などと──」侯爵の表情を窺った。
「ああ……。同じ男として強者を称えたいのだ」
侯爵はなんとも優しい表情でそう言う。
「──では、有難く」
そして俺は侯爵が差し出した手を、恭しく両手で握った。
温かく、大きな手。
──昔はそうだった。
だが今は、骨ばっていて……どこかひんやりと、肌に突き刺さるような感触だった。
歳のせいだろうか。
俺の胸に刹那、なんともいえない感情が込み上げてきた。
「さあ、おまえたちも握手してもらいなさい」
侯爵が、後ろに控えていた三人を前方に押し出す。
「──ご機嫌麗しゅう。マーカス様、ネルフィ様、ミルフィ様。……私のこと憶えておられますか?」
俺は少し腰を屈めると、三人に挨拶をした。
「……ああ」
「はい。憶えております」
「はい。わたしも憶えております」
「顕現祭はお楽しみになられましたか?」
「……ふん」
「……はい」
「……はい」
マーカスは別として、ネルとミルとは人形と話をしているような印象だ。
激しく違和感を覚える。
やはりアクアに頼んでみるか……
レスターの手紙に書かれていたように呪術が原因なのであれば、ロティさんと同じく加護魔術が効果を発揮するかもしれない……
どうするか……
いや。迷っている暇はない。
この機を逃したら次はないだろう。
そう思い至った俺は
『──アクア、頼む』
三人と握手をした隙に加護魔術を行使した。
光遮の腕輪がないため、精霊の光が目立たない程度に。
そして──胸の中にアクアが吸い込まれたのだろう。三人が一瞬だけ眼を見開く。
直後、ネルとミルが胸に手を当てて眼を閉じると……
「……お兄……さま……?」
「……お兄さまが胸に……」
お兄様?
なにを感じたんだろう。
アクアとなにか関係するのだろうか。
「どうかされましたか? ネルフィ様。ミルフィ様」
「いえ。なぜかピレスコークの泉のことを思い出したのです」
「とても懐かしい……」
ピレスコーク……
そうか。
光の珠、アクアを感じたのか……
「おい貴様! 妹たちになにかしたのか?」
するとなんの変化も見せないマーカスが噛みついてきた。
「マーカス様はお黙り下さい」
「ラルク様はなにもしておりません」
すると妹ふたりがマーカスに盾突く。
こんなこと今まであっただろうか。
いや、おれが知っている七年の間では、ただの一度もなかった。
「なんだと! おい! ネルフィ! ミルフィ! お前たち兄に向ってなんて口のきき方を──」
マーカスが周囲に聞こえるほどの大声を張り上げたとき
「クレイゼント国王陛下! リュクレール王妃! クレイドル殿下! クレイモーリス殿下! キャサリン殿下! ミレサリア殿下!」
ひと際大きな騎士の声が響き渡ると、大階段の上にスレイヤの王族が姿を見せた。
空気が、ぴん、と張り、会場の雰囲気ががらりと変わる。
それは同じ緊張感でも、バシュルッツの王子が入場したときのそれとは明らかに質が異なっていた。
王族は陛下を先頭に、一足ずつ階段を下りてくる。
その壮観な光景を前に、誰ひとり声を発する者はいない。
三千を超す貴族が集まる舞踏会場にあって、咳払いのひとつも聞こえてこなかった。
俺は、他の貴族たち同様、軽く俯いて視線を落とし、陛下の発言を待った。
そしてしばらくの後──
「皆よ、楽にしてほしい」
威厳のある声が会場に響き、一同伏せていた
俺もそれに倣いゆっくりと前を向く。
──と。
にやけた目で俺を見るクレイモーリス殿下と目が合った。
まるで、『ちゃんと来たな』とでも言っているかのようだった。
それも含みのある笑顔で。
なにをそんなに楽しそうな顔をしているんだ!
俺の気も知らないで!
俺はそっぽを向くように殿下から目を晒すと、ミレアを探した。
だがここからでは角度的にミレアの姿を見ることはできなかった。
体調が戻っていればいいのだが。
ミレアの様子を確認することはできなかったが、その代わりにモーリスの隣に立つ第一王子の姿を目にすることができた。
陛下と同じ金髪。
歳はたしか三十のはずだが、それ以上に見える。
背はモーリスよりも低く、痩せていて、こう言ってはなんだが、なんとなく神経質っぽい印象を受けた。
たしか一度だけお会いしたことがあるはずだ。
にしても、クレイモーリス殿下とは似ていないな……
そんなことを考えていると──
「──今宵は顕現祭を無事終えた祝いである。皆には大いに宴に興じてもらいたい」
陛下の言が轟き、盛大な舞踏会の幕が開かれた。
古代派、現代派。
友好国、またそうではない国と、入り混じっての夜会。
皆、顔には笑みを貼り付けているが、その胸中はなにを思うのか。
俺は心底こんな世界に生きなくて良かったと、愛想笑いを浮かべる貴族たちを冷めた目で見ていた。
◆
「ネルフィ様、ミルフィ様。またいつかお逢いできる日を楽しみにしております。──それとお近づきの印にこれを。お守りがわりに使っていただけると嬉しく思います」
俺は妹たちに髪飾りを渡した。
いつの間にか姿を消していたマーカスには『私からとは言わず、あとでお渡しください』と加護を込めた木の腕輪を託した。
マーカスのことだから俺からの贈り物など受け取らないだろう。
そうでなくとも出所が不明な装飾品など身につけないかもしれない。
残念ではあるが──それはそれで仕方がない。
受け取ってもらえたら幸い、程度に考えておいた方がいいだろう。
こんなにも早く再会を果たしたのは想定外ではあったが、弟妹たちにすべきことはできた。
あとは言われた通り、師匠に任せておけばいい。
これ以上深入りしては師匠に叱られる。
とにかく侯爵と距離を置かないと……
ヴァレッタ先輩との打ち合わせもあるし……
そして俺がヴァレッタ先輩に声をかけようとしたとき、銅鑼の音が会場中に響き渡った。
一同が一斉に階段下に目を向ける。と、
「これより我が息子、クレイモーリスに仕える近衛騎士の任命式を行う!」
陛下の声に場内は、しん、と静まった。
えっ!
もう始まるのか!?
俺は胃が締め付けられるような感覚に加え、緊張から喉がからからに乾いてしまった。
だが、そんなこととは関係なく陛下の発言は続く。
「ここに参列する皆に於いては新たなるふたりの若き騎士が誓う王家への忠誠をその眼で見届け、これを広く世に伝えよ!」
ふたり!?
殿下の近衛騎士になるのは俺だけじゃなかったのか!
想定外が続くが、これに限ってはむしろその方が心強かった。
注目の度合いが少しでも分散してくれるのであれば、その方がいい。
宣言を終えた陛下に変わり、クレイモーリス殿下が一歩前に出ると
「次の者は私の前へ参れ!」
陛下によく似た太い声を発した。
「クラウズ・ノースヴァルト! ここへ!」
──!!
「はっ!」
離れた場所からクラウズの声が聞こえる。
その瞬間、ワッと歓声が上がった。
なるほど! クラウズか!
陛下の言葉の通り、たしかに若いが、ノースヴァルトの嫡子なのだから当然といえば当然だ。
ほかの貴族もこの決定に不服などないだろう。
それに比べて俺は……
はぁ……どれだけ不服の声が上がるか……
しかし、こうなった以上、もう逃げも隠れもできない。
周りの目なんて気にするな、とアーサー先輩も助言してくれたんだ。
俺はそう自分に言い聞かせて、名を呼ばれるのを待った。
「次いで──」
しかし殿下はなかなか名を口にしない。
どれだけ
絶対楽しんでるだろ、これ……
堪らずに殿下をチラッと見ると──予想通り、あのうんざりするようないやらしい顔をしていた。
……。
本当にいい性格していらっしゃる……。
そして殿下はたっぷりと時間をかけてから、
「ラルク──」
ようやく俺の名を呼び上げた。
俺は一歩前に出て返事をしようとした。
したのだが──
「──ロア! ラルクロア=クロスヴァルト! ここへ参れっ!」
……は?
殿下の口から続けられた名が、想定外を遥かに越える想定外であったため、俺の脳は完全に機能を停止してしまった。
ここにいる誰がその名を予想しただろうか。
ここにいる誰がその名を待っていただろうか。
クラウズのときとは違い、会場が異様な静けさに包まれる。
な、なんてことを──
俺は久しぶりに殿下に対して本気の殺意を覚えた。
久しぶりなだけで、その回数は数えきれないほどあるが。
俺はどうしたらいいのかわからず、全身が凍り付いてしまったかのように、直立不動のまま立ち尽くしていた。
だが、そんな俺の背を、そっと押した人物がいた。
固まっていた俺の身体はその手に逆らえず、トン、と一歩前に出る。
「さあ。早く返事を」
同じ人物に耳元でそう言われて──
「──ハッ! 只今ッ!」
自分でも驚くほど大きな声で返事をした。
会場の空気が一変する。
自分では上手く説明できないが、それはカークライトが登場したときを大きく上回る、まさに奇異な空気だった。
広い会場に聞こえているのは、俺が規則正しく鳴らす靴音だけだ。
靴音を響かせるたびに、貴族たちの視線が俺へと集まってくるのがわかった。
だが、俺は一歩、そしてまた一歩と、背中に感じた手の余韻を噛み締めながら前へと進んだ。
俺の背を押してくれた人物。
そして優しく声をかけてくれた人物。
その人こそ、クロスヴァルト侯爵本人であった。
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