第205話 閑話 祝勝会の夜 ─五色の髪飾り─




 夕刻からお洒落をすると、気分が高揚する。

 いつもは湯浴みをして本を読む時間なのに、非日常な夜の始まりに心が浮き立つ。

 これからなにか特別なことが起こるのではないかという、淡い期待と微かな興奮。


 少しでも私を見てほしいから、お気に入りの耳飾りをつける。

 少しでも私に触れてほしいから、お姉様からいただいた香水を纏う。

 少しでも私を印象付けたいから、とびきりの笑顔の練習をする。


 そして──

 最後にあまり好きではない長い髪を結いあげる。


 さあ、これで準備は万端。

 私はいつでも貴方の前に立つことができる。



「シャル、支度はできた?」


 リアちゃんだわ……


「今開けます」


 鏡台から扉へと移動してリアちゃんを部屋に迎え入れる。


「シャル……綺麗!」


「え、あ、ありがとう……リアちゃんこそ……」


 綺麗、なんて言葉は当てはまらない──。

 リアちゃんの前ではどんな称賛の辞も陳腐な言葉になってしまう。

 青くきらめく長い髪、湖のように澄んだ瞳、ガラスのように透き通った白い肌。

 まるでアースシェイナ様のお姿のよう──。


 神を前にして、その神を褒め称える言葉なんて私は持ち合わせていない……


 だからいつも言葉に詰まる。


 見慣れた制服姿。

 いつも通り自然体なのに、いつも以上に神々しく見えるのは、リアちゃんも胸が高鳴っているからなのかしら……


「あ……素敵な髪飾り……」


 普段から身を飾ることをしなかったリアちゃんが、今日は髪飾りをつけている。

 四色に光るとても美しい髪飾り。

 青い髪にきらきらと輝く髪飾りが、夕刻のリアちゃんをさらに惹き立てている。


「ありがとう。いただきものなの。さあ、シャル、急ぎましょう?」


 いつもと少しだけ違うリアちゃんは、いつもと少しだけ違う笑顔で私の腕を引っ張った。






 交流戦の祝勝会は湖畔近くの大講堂で行われる。

 そしてその後は併設するテラス会場で立食による食事会が催されることになっている。

 学院にいるすべての生徒や教官が集まるので、総数五百人は優に超すのだから、準備も大変だと思う。

 大講堂の入口からも見えるテラスでは、一アワル後には始まる食事会の支度が大急ぎで進められている。


 大勢での食事……


「大丈夫よ、シャル。わたくしが傍にいますから。さあ、入るわよ?」

「え、ええ。ありがとう、リアちゃん」


 リアちゃんは昔からいつも私を助けてくれる。

 今も、人の多い場所が苦手な私が不安を感じていたことを気遣ってくれた。

 私はそんなリアちゃんの背に隠れながら、熱気こもる大講堂へと入っていった。





 すごい人の数……


 中に入ると、すでに多くの生徒が集まっていた。

 私とリアちゃんは一学年一クラスの席へ移動する。


 すると、思い思いに語らっていた生徒たちが突如として静かになり、一斉に視線が私たちに集中する。

 私は顔を伏せてリアちゃんの背中だけを見て歩く。

 でもリアちゃんはどれだけ注目を集めようとも少しもたじろぐことなく、誰もいない部屋の中を歩くかのように堂々と進む。

 リアちゃんのピンと伸びた背を見て、いつもながらに私は思う。

 リアちゃんは王女になるべくしてこの世に生を受けたのだと。







 生徒はみんな今日の試合のことについて談義をしていた。

 派手な光魔法で敵をねじ伏せたフレディアさんの試合、敵の攻撃を掠らせもせずに圧勝してみせたアリーシア先輩の試合、エミリア教官の試合の話では敵の反則に憤慨している。


 そして──


「なにより凄かったのは線なしだよな……もうこれで他のクラスの奴らも認めざるを得ないだろうな……」

「ああ。あんなの見させられたらどんな魔法師も霞んで見えるよな」

「あの花吹雪……男の俺でも感動したもんな……」


 なにより多いのはラルク様の話題。

 私が一クラスの生徒の声に耳をそばだてていると


「つっても魔法自体は大したことないんじゃねえの? あのカイゼル様にしたって本気を出しているようには見えなかったし」

「仕込みっぽくも見えたよな。あんなにあっさり決着がつくなんて」

「つうか、やらせに決まってるだろ? 大陸最強の騎士があんな成人したてのガキに負けたとあっては名折れもいいとこだ。あの騎士に一生食っていけるだけの金銭でも渡したんじゃねえのか?」


 他のクラスの生徒がラルク様のことを悪し様に言う声が耳に入ってくる。

 心がざわつく。


 七年前あのお方は都を護り、貴方たちの生活を護って──


「シャル、放っておきましょう?」


 いつの間にか強く握り締めていた私の手に、リアちゃんの手が優しく添えられた。


「言いたい人には言わせておきましょう。ほら、もうすぐ会が始まるわ」


 リアちゃんの落ち着き払った声を聞いて、熱くなった頭がすうっと冷めていく。

 私はありがとうと小さく伝え、舞台だけに意識を注いだ。







 祝勝会の冒頭、舞台に登場したミューハイア学長が交流戦に対する所感を述べた。

 普段はあまり生徒の前に姿を見せない学長の言葉だけあって、生徒は真剣に聞き入っていた。

 そしてその後、無効となった試合の説明がなされたのだけれど──。

 どうやらあの試合場には魔法師が不利になるような魔道具が使用されていたらしい。

 その結果、魔法科の生徒が敗戦した三試合は無効試合となったという。


 つまり今年の交流戦は四戦四勝で魔法科学院が勝利したことになる、と。


 それを聞いて、沈黙を守っていた大講堂が歓声で沸いた。

 四戦四勝の事実だけを見れば、それは全勝であり、近年では成し得なかった快挙。


 そして生徒の間に広まった熱は、続いて七人の選手が舞台に姿を見せたことによって爆発的に高まった。


 司会者によって試合順に選手が紹介されていくと


「貴公子様ぁ! こっち向いてぇ!」

「アリーシア! 来年も勝てよ!」

「ハウッセンも良くやった!」

「アーサー!」

「ヴァレッターッ! 愛してるぞーッ!」

「エミリアきょうかぁん! 最高でしたぁ!」


 生徒たちから声援が飛ぶ。


 そして最後にラルク様の名前が呼ばれ、ラルク様が一歩前に出て頭を下げたとき


「ラルクッ! 素晴らしい試合でしたッ!」

「ラルク! 良い試合だったぞ!」 


 真っ先に声を上げたのは、リアちゃんとクラウズさんだった。

 クラウズさんが叫んだのはとても意外。


「ラルクカッコ良かったの!」

「素晴らしい魔法でした!」

「あんな化け物相手に良く勝った!」


 そしてその声を皮切りに一クラスから声援が飛ぶ。

 私も負けじと


「──ラルク様! ──ラルク様!」


 大声援の中、名を叫んだ。

 ただ大きな声でラルク様の名を叫ぶ、そのことがとても誇らしくて、気が付いたら立ち上がって名前を叫んでいた。

 周りの声援にかき消されないように名前を叫び続ける。

 こんなに大きな声を出すのは生まれて初めて。

 私は自分の声をラルク様に届けたくて必死に叫んだ。


「──ラルク様! ──ラルク様!」


 そして右腕を引っ張られる感覚にそちらを向くと──


「シャ、シャル? も、もうそのくらいで……」


 しん、と静まる講堂の中で、私ひとりだけがラルク様の名前を叫び続けていて……

 舞台を見ると恥ずかしそうに頭を掻くラルク様の姿が……


「うひぁう!」


 私は顔から火が出るほどの恥ずかしさが込み上げ、倒れるように椅子に腰を下ろした。


 わ、私は、な、なんてことを……

 ああ、みんなが私を見ている……


 会場中の視線を感じ、頭がぼーっとしてくる。


「シャル!? しっかりして! シャル! シャル──」


 ああ、リアちゃん……どうして私、いつもこうなんだろう……


 薄れゆく意識の中で、私に向かって飛んでくる小さな光の珠が見えた。







 ◆







「それでは我が魔法科学院の勝利を祝して、乾杯!」


「乾杯!」


 夕闇に浮かぶテラスに歓喜の掛け声が響き渡ると、食事会は盛大に幕を開けた。

 今日の主役は死闘を繰り広げた七人の選手。

 生徒教官合わせて五百人を超える人たちが、一斉に七人の選手の下へ群がった。


「リアちゃん、私のことは気にせずにご挨拶にいってきて?」


 心配そうに私を介抱するリアちゃんを申し訳なく思い、


「本当にもう元気なの」


 そう言って笑ってみせる。

 でも、リアちゃんは「あの人混みではお話などできないわ。こちらにきてくださるのを待ちましょう?」と、私の分も食事を取りに行ってくれた。


 本当にリアちゃんは女神様のよう。


 すべて足りない。

 私の持っているものをすべて合わせても……


 ううん、そう考えるのは何年も前に止めたはず。


 リアちゃんはリアちゃん、私は私。


 そう割り切ったはずなのに……

 あの人の隣に相応しいのは私などではなくて……


「はい、シャル。少しお腹に入れておいた方がいいわ。シャルは羊のお肉が好きだったわよね?」


「あ、ありがとう、リアちゃん……」


 小さいころから一緒だったリアちゃんは、私のことをなんでも知っている。

 もちろん私もそう。

 リアちゃんのことならなんでも──。


 だからきっと私たちは──。


「ミレサリアさん、シャルロッテさん、少しお話でもいかがですか?」


「ごめんなさい、わたくしたち今、大切なお話の最中ですの……申し訳ありませんが、またの機会に」


「ミレサリアさん、シャルロッテさん、あちらに湖がよく見える席があります。よろしかったらいかがですか?」


「申し訳ありません、わたくしたち今──」


「ミレサリアさん、シャルロッテさん、今日は星がきれいですね。あちらにもっと──」


「ごめんなさい、わたくしたち──」


 しつこく話しかけてくる男子生徒もリアちゃんがお断りしてくれる。

 私はいつもリアちゃんの背に隠れているだけだ。


「社交界だったらこうはならないのに……学院の規則だから仕方ないのだけれど……」


 「ふう」と息を吐き、飲み物で喉を潤すリアちゃんに


「私がしっかりしなければならないのに……いつもごめんなさい」──謝罪する。


 社交界という場に於いては、身分の低い者は身分の高い者に話しかけることは許されない。

 身分の低い者は話しかけてもらうのをじっと待つしかない。

 でもこの学院では規則の下に身分は平等であるため、先ほどのような男子生徒が後を絶たない。

 それは男子生徒に限ったことではないのだけれど。


 そのとき、大勢の生徒を引き連れたラルク様が私たちの下へ近付いてくるのが見えた。

 ラルク様はだいぶ打ち解けたのか、周囲の生徒と笑顔で会話をしながらこちらへとやってくる。


 そして私とリアちゃんの前で立ち止まると


「ミレア、シャルロッテ嬢、今夜は風が静かですね」


 そう言って流れるようにお辞儀をした。


 ドキン、と鼓動が跳ねる。


「クロスヴァルトの羊肉はいかがでしたか? お口に合えば良いのですが」


 私のお皿を見たラルク様が、とても自然な笑みで話しかけてきた。


「は、はい! お、おかわりまでしてしまいました!」


 「それは良かったです」と微笑むラルク様に、私の心臓ははち切れそうなほどに鼓動を速めた。


「ラルク、こちらの方々はわたくしがお相手しておりますので、さあ、シャルとあちらへ」


「ありがとう、ミレア。ではお言葉に甘えて」


 え?

 私とあちらへ?

 え? リアちゃん、なにを──


「シャルロッテ嬢──」


「ひゃい!」


「突然の不躾なお願いではありますが、少しお時間をいただけませんでしょうか」


「ひゃ! ひゃい! ひょろこんで!」


 夢……?

 夢なの……?

 ああ、みんなが私のことを見ている……?

 また意識が……

 ああ、だめ……せっかくラルク様が……


『アクア、また頼む』


 そのときラルク様の優しい声が聞こえ──


「あ、またこの光……」


 柔らかい小さな光の珠が、私の額の前で弾けた。






 ◆






「やっぱり講堂でお助けくださったのもラルク様が……」


 視界の先にぼんやりと浮かぶ湖畔の白宮を望みながら話をしている。

 まるでおとぎ話の王子様とお姫様にでもなった気分。


「はい。少しばかり癒しを。それはそうと声援ありがとうございました」


「あ、も、申し訳ありません! あのようなはしたない……」


「いえ、とても嬉しかったです。えぇと、そのお礼、というわけではないのですが……」


「はい?」


 ラルク様が私の前に小さな包み紙を出した。


「これを受け取っていただければと思いまして」


「私に、ですか?」


「はい。そのことをミレアに伝えたら、今夜がいい機会と……」


 いい機会……

 それでリアちゃんがあんな態度を……

 つまりラルク様はリアちゃんに言われて……

 そうだったんですね……


 私はそっと包みを受け取ると、それに目を落とす。


「ありがとうございます……開けてもいいですか……?」


 ラルク様が話しかけてきた理由がわかり、少しだけ収まった鼓動に感謝しながら包みを開ける。


 でも──


「──これって……」


 包みの中のものを見て──


「これって……リアちゃんと同じ……」


 ──また動悸が激しくなった。


「はい。髪飾りなんですが、少しだけ加護を込めてあります。人前で具合が悪くなったときにこの髪飾りに触れてください。きっとお役にたつはずです」


 四色に輝く髪飾り。


「綺麗……」


 私は瞳から涙が零れるのがわかった。

 その美しさに感動したのか。

 それともその優しさに心打たれたのか。


「やっぱり光が見えるんですね」


 そう言うとラルク様は私の少し上に向かってなにかを呟いた。

 すると小さなころから一緒にいる妖精さんが姿を見せ、私の持つ髪飾りに──


「あ!」


 吸い込まれていき──


「五色に光ってる……?」


 リアちゃんの髪飾りとは違う、五色に輝き始めた。


「え、どうして……?」


「その髪飾りがこれからは貴方のおまじないです」


 おまじない……

 ラルク様からその言葉を聞くのは三度目……


 私は無意識のうちに髪を解いていた。

 白銀の髪が風に舞う。


 そして私は髪を整え、五色に光る髪飾りをつけた。


 リアちゃんより色の髪飾りを──。


「思った通り、その髪によく似合います。さあ、シャルロッテ嬢、みんなのところへ戻りましょうか」


「あの!」


「なんでしょう」


「ありがとうございます! い、一生大切にします! そ、それから──」


 首を傾げるラルク様に向かって


「どうか私のことはシャルとお呼びください!」


 勇気を振り絞った。

 髪飾りのおまじないに触れながら──。




 今夜は特別なことが起こりそう、そう感じた胸の高鳴りは本物だった。

 私はこの髪が少し好きになれそうな気がした。



 

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