第203話 幕間4 顕現祭と呪われた姫(中)
遥か昔は出兵の際に開かれたという。
重い音を立てて鉄の門が持ち上がる度に住民は開戦を知らされる。
この門を開く際に都中に轟く音が、戦争で命を落とした兵たちが地中深くで怨嗟の声を上げている『破滅の嘆き』に聞こえると噂され、民の間でまことしやかに囁かれていた。
だが近年になり、平和が訪れてからは主に記念式典の際に門が開かれる。
都中に響き渡るその音は『喜びの福音』と呼ばれ、大変有難がられているそうだ。
「破滅の嘆きなんて、ちょっと気味悪いわよね」
警らの休憩時間中、運河の先にある城の大門を見ながらヴァレッタ先輩が聞かせてくれた話に、アリーシア先輩が眉を寄せた。
間もなく顕現祭の式典を執り行うためにその大門が開かれる。
「音は同じなのに面白いものだね。時代によって聞こえ方も変わってくるってことなんだろうけど」
水門を見ていたアーサー先輩が自分の言葉に頷く。
アーサー先輩はひとりごとが多いことも、なんとなくわかってきた。
「さあ、もうすぐ開くわよ! どんな音に聞こえるか、みんなも注目してみて」
ヴァレッタ先輩が俺の右肩に手を置き、背伸びをしながら水門を見る。
運河沿いの最前列、一等地で見ているのだから背伸びなどしなくとも水門は見える。
だというのにヴァレッタ先輩は俺におぶさる勢いで前のめりになってくる。
「先輩、あまり背伸びすると後ろの人に迷惑がかかりますよ」
後ろの人まではかなり距離があるが、俺が小声でそう言うと、先輩は少し口を尖らせて姿勢を正す。
「ラルク君、あそこから船が出てくるの?」
「ああ。まっ白い船だ。一度見たら忘れられない光景になるはずだ」
フレディアは顕現祭は初めてだ。
警備上、式の流れは確認しているが、実際にはどれほどのものなのか想像もつかないのだろう。
七年前は式典開始の時点で船が停泊していたが、警備の関係上、今回からは式典と同時に出航することになっていた。
「でもいいのかなぁ。みんなは警備中なのに……」
フレディアが心配そうな声を出した。
学院の警備班は時間ごとで休憩が決められている。
おそらくヴァレッタ先輩の工作だろうが、俺たちは三の鐘からのニアワル、つまり船上式典の始まりから終わりまでの時間に休憩となったのだ。
しかもなぜかヴァレッタ先輩に連れてこられて、式を間直に見られる一等地で休憩している。
昨日の試合の後なので、制服姿でいると目立って仕方がなかった。
だから、ここに逃げ込めて助かったといえば助かったのだが……
それにもし警備とミレアの護衛が重なったら、ヴァレッタ先輩に断ってミレアの側に向かおうと思っていた。
だからミレアの下にすぐに駆け付けることができるこの場所で見学できるというのは非常に有難い。
いったいどんな手を使ったのだろう──とヴァレッタ先輩の横顔を見ていると
「……なにか言いたいことあるの」
口を尖らしたままのヴァレッタ先輩が、俺の顔は見ずに拗ねたような口調で言う。
「いえ。こうして顕現祭を見学できてヴァレッタ先輩には感謝しないといけないと思っていたのです」
「え、そお? なら七年後も──」
「あとさっき食べたパンの屑が口についているなとも思って見ていました」
「……」
「──おわっ!」
「ラ、ラルク君!」
無表情のヴァレッタ先輩に無言で背中を押され、危うく運河に落ちかけたところをフレディアが制服を引っ張って助けてくれ、なんとか事なきを得る。
「ほら、はしゃがないの。門が開くわよ?」
死んだ魚の眼から一転、天使のような笑みでそう言うヴァレッタ先輩はこれでも学院一位の魔法師だ。
しかも男子生徒には絶大な人気がある。
最近はそれも先輩が細工した偽の情報なのでは、と思わずにはいられなくなってきている。
フレディアの苦笑いも、俺の考えと同じ、ということだろう。
しばらくして重く鈍い音が一帯に鳴り渡った。
腹の底に直接響くような低い音。
それは地響きや雷鳴とは違う、なんとも表現しがたい音だった。
建物のガラスや薄い扉がその音と共鳴してガタガタと震え、心臓の鼓動が強制的に速められるような感覚に気分が落ち着かなくなる。
「喜びの福音とは良く言ったものね。本当に神が祝福しているような音に聞こえるわ」
「前に聞いたときは気が付かなかったけど、言われてみるとたしかにそうかも」
ヴァレッタ先輩とアリーシア先輩は耳を澄ましてその音に聞き入っている。
先輩たちだけじゃない。
多少ざわついてはいるが、概ねほとんどの見学人はうっとりと聞き入っている。
「うーん、僕には祝福というより叱咤激励に聞こえるけどね」
アーサー先輩にはそう聞こえるみたいだ。
「フレディアにはどう聞こえるんだ?」
「ん~、喜び……なのかなぁ。言われてみれば、だけど……ラルク君は?」
「あ、ああ。似たようなもんだ」
フレディアにそう返しはしたが、俺の印象はまったく違っていた。
まるで地中からなにかが這いずり上がってくるような音。
なにか引っかかるんだが……
無造作に積まれた記憶の中からなにかが頭に浮かびかけたが、それも歓声が上がったことにより霧散してしまった。
「貴公子君、あれが船よ!」
ヴァレッタ先輩が指さす方へ目をやると、まっ白い帆船が優雅な姿を見せるところだった。
ミレアが乗船している船。
七年前に謀反を起こした近衛と隠れ者が襲った船だ。
今年はそんな気配もなく、アースシェイナ神と紫の龍が刺繍された白い帆は、緩やかな風を受けて平和を象徴するかのようにゆったりと靡いていた。
「綺麗な船だね!」
始めてみるフレディアも嬉しそうだ。
船は歓声の中を進み、やがて静かに停泊すると
「ミレサリア王女殿下、御登壇です」
聞き憶えのある声が風魔法で届けられてきた。
この声は……
トレヴァイユ=クルーゼ。
クルーゼ伯爵の長女でミレサリア殿下の近衛隊長──。
これはトレヴァイユさんの声に間違いない。
そんなことを思っていると、船の甲板にミレアが現れた。
そんなミレアに大声援が送られる。
相変わらずものすごい人気だ。
七年前の神抗騒乱に対する怯えなどどこ吹く風か──。
当初の心配も他所に、見物客は不安を感じるこなく祭りに参加できているようだった。
交流戦が少しでも役に立っていればいいのだが。
壇上のミレアがきょろきょろと周囲を見渡している。
だれか探しているのか──と、制服で気が付いたのだろうか。
俺たちのいる場所で視線が止まる。
そこに見えたミレアの顔は、とても緊張しているようだった。
大丈夫だって言ったんだけどな……
いつかテラスで話したことだ。
俺はミレアの気持ちを和らげようと、近衛が主人に対して執る臣下の礼をその場でして見せ、『俺が貴方を護ります』という態度を示した。
先輩やフレディアが、突然の俺の行動に驚いている。が、それも無理はない。
この場では俺とミレアにしかわからない暗号のようなものだ。
しかしそのおまじないが効いたのか、ミレアは安心したように笑顔を見せて前を向いた。
その後はとても順調だった。
何事もなく式は進み、残すは最後のアースシェイナ神へ捧げる感謝の祈りだけとなった。
ミレアが祝詞を唱え、それを見物客が見守る。
感謝と奉納が終わるとミレアが巫女服を脱いだ。
といっても実際裸になるわけではない。
あくまでも神との橋渡し役である巫女が勤めを終え、神と別れるための形式的な作法だ。
だから薄手の布を纏っている。
ミレアのその所作に、見物客たちの間からため息が漏れた。
前回は七歳だったが、それでも人々を魅了してやまなかった。
そして今年。十四歳になったミレアの美しさは見るものすべてを神の世界へと誘った。
全員一体となった神聖な空気が、神々に届いたのだろうか。
そのとき、俺も含め見物客は奇跡を見た。
ミレアが跪き、最後の祈りを捧げていると、帆に描かれていたアースシェイナ神が浮かび上がり──大人の女性程度まで姿を小さくすると、壇上のミレアの背をそっと抱きしめたのだ。
帆にあったはずの刺繍はなくなり、紫の龍だけになっている。
アースシェイナ神が降臨されたのか──
人々は祈った。
涙を流し祈った。
ミレアは祈りが深かったため気が付かなかったのかもしれない。
いや、ミレアが神の存在に気が付かないはずがない。
動くことを躊躇ったのか、それとも神になにか囁かれたのか──。
跪いたままの姿勢で、神の抱擁を受けていた。
一帯は時が止まったかのように静まり返っていた。
奇跡を目の当たりにして騒ぎ立てる人もいない。
聞こえるべき波の音も、一切聞こえない。
うさぎ班も誰ひとり声を発する者はいなかった。
しばらくミレアを抱いていたアースシェイナ神は、ゆっくり、ゆっくりと名残惜しそうにミレアから離れていく。
そして──帆の中にすうっと溶け込むように消えていった。
驚くことに、帆にはアースシェイナ神の刺繍が戻っていた。
だがもっと驚くべきは、そのアースシェイナ神の表情が、式典開始前よりも慈愛に満ちた表情に変化しているということだった。
青巫女の奇跡──。
どうにも説明のつかない出来事に、俺はそう呼ぶことにした。
十四歳にして神に愛されたミレアは、この国をさらなる安寧へと導くだろう。
◆
「凄かった……やっぱり学院におられるときとは全然雰囲気が違うわ……」
ヴァレッタ先輩がため息を吐く。
「ああ、もう一度見たい……」
アリーシア先輩も陶酔しきった表情で先ほどまで式が行われていた場所を見ている。
「アースシェイナ神をこの目で見られるとは。不思議なことってあるもんだね。みんな驚いてるよ」
「式が終了したのに誰も帰ろうとしませんからね。よほど凄いことなんですね」
アーサー先輩とフレディアの言う通り、船が城へ戻っても誰もその場を動こうとしなかった。
心奪われたように船が停泊していた場所、神が顕現した場所を見ている。
「さあ、先輩方、フレディア、警備に戻りましょう」
俺が先陣切ってそう促すと、夢見心地でいたヴァレッタ先輩とアリーシア先輩も気を入れ直し、最後の警らへと向かった。
◆
「なんとか帰ってこられた……」
「もう……だめ……」
「さすがにきつかったね……」
「──お疲れさまでした……」
「ラルク君がそんなに疲れてるって……」
警らを終え、学院まで戻ってきた俺たちは思わず地べたに座り込んだ。
疲労度合が言葉にも表れている。
もうそれほどにくたくただった。
交流戦を見たという子どもたちに取り囲まれ、握手をせがまれ、魔法の説明をさせられ……
前回など比ではないほどに疲労困憊だった。
それは俺だけではなく、先輩たちやフレディアも同じだ。
いや、何度も線なしの説明をさせられた分、俺の方が少し疲れが多いかもしれない。
昨日、というか今日は明け方近くまで騒いでいたこともあって、みんな体力も限界に近かった。
「……では俺は城に用事があるので、ここで失礼します」
重い腰を上げて立ち上がる。
間もなく日が暮れる。できれば寮に戻ってゆっくりしたかったが、そうもいかない。
マールの花を買い取ってもらった手続きをしに行かなければならないし、コンティ姉さんにも呼ばれている。
コンティ姉さんは『暇なときに』と言っていたが、そうは言いつつも目は『なるべく早く』と訴えていた。
だから俺は換金のついでにコンティ姉さんを訪れてみようと思ったのだ。
忙しかったり、留守にしているようなら仕方がないが。
とにかくぱぱっと用を済ませてしまおうと、俺は班員に挨拶を済ませると城へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます