第193話 交流戦3 『騎士と剣士の心』



 魔法師が打ち上げた火属性魔法が、大闘技場の上空で派手な音を立てる。


 【間もなく第一試合が始まります。席をお立ちの方は──】


 号砲に続いて風魔法に乗せられた進行係の声が、俺のいる場所にも聞こえてきた。

 




 妹弟子の思いを汲み取ることができないまま控室を兼ねた観覧席へ戻ると、案内係に引率されたフレディアが試合会場へと出ていくところだった。


「フレディア、第一試合だな。しっかり見ててやるから頑張れよ」


 まだ血色を悪くしているフレディアを励まそうと肩を叩く。


「ラ、ラルク君……大丈夫かな……」


「フレディア、お前なら大丈夫だ。あの日俺に見せた光魔法を思い出せ」


「うん……」


「それに今日の相手は人間だ。魔神や魔女じゃない。今からそんなに弱気でいて妹君はどうするんだ?」


 俺はそう言って、先日フレディアから受け取ったシュヴァリエールの騎士勲章をポケットから出すと、


「フレディア、これは今日一日だけお前に預ける」


 フレディアの胸に着け、ピーン、と指で弾いた。


「──辛いときは俺たちの目標を思い出せ。おそらくレイア姫も見ている。成長したお前の姿を存分に見せて来い」


「ラルク君……」


 フレディアの瞳に覚悟が宿る。

 自らの使命を思い出してくれたようだ。


「ありがとう! どうあろうと無様な姿だけは見せない。──この勲章に誓って」


 胸の勲章を力強く握ったフレディアは、「行ってくるよ」と試合会場へ向かう階段を下りて行った。




 ◆




 部屋に入ると、五人は窓際に立って試合会場を見下ろしていた。


「線なし君、そろそろ始まるよ」


 ヴァレッタ先輩が手招きする。

 エミルは俺を見ようともせず、深刻な表情で窓の外を見ていた。


 ホントにどうしたっていうんだろう……

 

 ヴァレッタ先輩の隣に並んだ俺は、やはり気になって仕方がないエミルの様子を、ちら、と窺う。と


 ん? どこを見てるんだ?


 その視線はフレディアが姿を見せた試合場ではなく、武術科学院の選手が控える観覧席を見ているようだった。


 試合場の選手ふたりが向き合い、観客席から歓声が上がる。

 するとその大きな音に我に返った様子のエミルがフレディアに向かって拍手を送った。

 俺はエミリアがさっきまで見ていた先に視線を向けるが、無論、ガラスの奥は見通せない。

 

 だが俺にはそれだけで十分だった。


 第一階級冒険者、スコット──。


 教官枠としてエミルが戦う相手。 

 エミルの古い友人らしいが──。


 もしかしたらさっきの態度はそのスコットという男となにか関係があるのかもしれない。

 いや、それ以外を考える方が難しいだろう……。


 だとしたらこの試合でなにが起こるというのか──。

 エミルの思いつめた表情から、その可能性を探っていく。

 

 エミルがこの試合に出ることになったきっかけ……

 魔法科と武術科、教官同士……

 エミルとスコットとの関係……


 ん? エミルとスコットの関係……?


 そういえばエミルはスコットのことを良く言っていなかった。

 偽りの力で今の地位にいる、と。

 そのことが関係しているのか?


 もう一度エミルを見ると、表情はいつものように戻っており、アリーシア先輩と試合の流れの予測を立てていた。


 スコットが関係しているということは、もはや疑う余地もないのだろうが……


 俺やフレディアを参加に引き込んだヴァレッタ先輩ならなにか知っているだろうか。 


 この際ヴァレッタ先輩に直接訊いてみようと、声をかけようとしたが


「さあ、第一回戦、光の貴公子君の試合が始まるわよぉ!」


 まさに試合が始まるところだったため、俺はそれを後回しにすることにした。





 ◆





 大闘技場の試合会場には、魔法競技場にも設置されている石柱オベリスクが等間隔に埋められている。

 そのため、観客席との間には強力な魔法障壁の結界が張られており、流れてきた魔法や矢で観客に危害が及ぶようなことはない。

 そのことを知っている観衆たちは、普段見る機会がない高位の魔法を間近で見られることに、期待に胸を膨らませていた。

 さまざまな属性の魔法が乱舞する光景は、試合の勝ち負けなど関係なく、ただそれだけで必見の価値がある。

 そのこともあって、一見地味に見えてしまう剣術より、華やかで洗練された魔法を見たい──という客が今年も大半を占めていた。

 ミレサリア──青姫が在籍していることも、魔法科学院の高い人気の追い風となっていた。


 そのうえ──今、試合会場に立っているのは女と見紛うほどに整った容姿のフレディアと、巌のような剣士、ダルフだ。

 老若男女を問わずに魔法科学院に対して歓声が上がるのも無理からぬことだった。


 『美』対『醜』──。


 魔法科学院対武術科学院交流戦、その火ぶたが今まさに切って落とされようとしていた。







 武術科学院の一番手、ダルフが頬を引きつらせる。


「──てめえ、剣士を虚仮こけにしてんのか」


 魔法師であるはずのフレディアが、なぜか片手剣を構えていることに怒りを露わにした。

 

「虚仮だなんて、とんでもない。心から敬っていますよ」


 フレディアの本心だった。

 シュヴァリエールという国では剣士となることは最高の誉れだ。

 いくつかの理由があって剣の道から逸れているフレディアからしてみれば、剣一本で生きていくダルフは尊敬に値する。虚仮にするどころか、敬意さえ抱いていた。


「……なにを考えているのかは知らないが、怪我をしたいというのならお望みの通りにしてやろう」


 ダルフが"圧"を纏う。

 ダルフの周囲の大気が僅かに歪んで見える。


「──!」


 そのことでただでさえ巨体のダルフが、フレディアにはさらに大きく見えた。

 長い両手剣を構えるダルフからは、途轍もない圧が伝わってくる。

 そればかりか、使い慣れた剣だというのに、手にしているモノが鉄の塊かなにかのように感じ──終いには手に握っているものが何なのかわからないような錯覚すら感じてしまった。

 

「──ウラァッ!」


 ダルフが一気に踏み込んでくる。


「──!」


 フレディアは本能からその軌道を予測すると、片手で持っていた重い鉄を両手で持ち、どうにか頭上に振り上げた。



 直後──激しい金属音が闘技場に響き渡った。

 




 ◆





「硬いな……」


 フレディアと全身鎧の剣士の初手を見て、俺がごちると


「硬いって、貴公子君?」


 呟きに反応したヴァレッタ先輩が意外そうな声を出した。


「ええ、剣が振れていないですね」


「そうかな……私、剣のことはわからないけど、あのダルフって大男にも負けてないように見えるんだけど」


「あれなら剣を置いて遠距離戦にもっていった方がいいくらいです」


 すると、俺とヴァレッタ先輩の会話を聞いていたハウッセン先輩が窓枠をドンと叩く。


「だったらなんであいつは剣なんか持っているんだ!」


 そのことに俺は


「ハウッセン先輩はご存じないかもしれませんが、彼──フレディアは魔法剣士なんです」


 試合から目を離さずにそう説明した。


「魔法剣士……? あの華奢な体つきでか?」


「数多の騎士の中で頂点に立つために、幼い剣士だったフレディアが欲したのは太い腕でも厚い胸板でもなく、高位の魔法だったのです。そのために血の滲むような努力をしてきたと聞きます」

 

 俺は一瞬だけハウッセン先輩に向き直るとそう説明した。


 今でこそレイア姫とは違う道を進んでいるフレディアだが、目指している地点は同じだ。

 シュヴァリエールを護る騎士──。

 幼いころから剣と共に過ごしてきたフレディアなら──魔法の鍛練を怠ることなく続けてきたフレディアなら、きっと叶うはずだ。


「剣士があれほどの魔法を……いったいどれだけの鍛練をしたというのだ……」


 俺の説明を聞いたハウッセン先輩はフレディアが剣を手にしていることを納得してくれたようだった。


 魔法が使える剣士──俺はそう説明したが、フレディアは怒るだろうか。

 フレディアの目指す道──それは剣士などではなく……




「おや? なにを話してるんだろう」


 試合を見ていたアーサー先輩が顎に手を当てる。

 なるほど。フレディアとその相手、武術科のダルフが構えをとったまま動かずにいることを不思議に思ったようだ。

 注視すると──確かになにやら会話をしているように見える。

 この場所からでは剣が競り合う音は聞こえても、ふたりの会話までは聞こえない。


 するとアリーシア先輩が、


「ん? どれどれ……ふむ。魔法師というのなら魔法師らしく魔法で戦え……」

「んで……ふむふむ。戦い方は僕が決める、僕の心は剣にある……だって」


 両者の唇の動きからおおよその会話を再現して見せた。

 どれだけ視力が良いのか──本当に贈り物ギフトの能力は底が知れない。


 心は剣に、か。それなら大丈夫そうだな……


 それを聞いて安心した俺は、今一度試合に集中した。





 ◆





「ふん、心は剣にだと? 剣士かぶれがほざきやがって。上等だ、本物の剣士の技を見せてやる」


 ダルフがさらに気を纏う。

 先ほどまでとは比べようのないほどの圧が、大気の流れに乗ってゆっくりとフレディアの前までやって来る。

 フレディアはその見えない圧に呑まれそうになり、半歩後退りする──が、右手で胸の勲章を握りしめると、ひとつ大きく息を吐いた。

  

 先ほどの強烈な一撃を受けた反動で痺れていた手を確認するかのように、勲章を強く握る。


『──よし。大丈夫だ』

 

 眉間に力を入れたフレディアは剣を正眼に構え直し、逆に一歩前進する。

 ダルフの澱んだ圧はフレディアを避けるかのごとく左右に分かれると、後方へと流れていく。

 構えをとったままのフレディアの切っ先は微動だにしていなかった。


「──ほう」


 ダルフが愉快そうに口角を上げた。

 『お前の生白い喉元などいつでも掻っ切れるぞ』──とでも言うかのように鋭い犬歯を覗かせる。

 

 そして──重厚な鎧の隙間から見える、ダルフの丸太のような腕に浮き上がった血管が僅かに太さを増した。


『──来る』


 それを待っていたかのようにフレディアが詠唱を開始する。


「──我が欲するは光! 清浄で無垢なる光よ──」


「──遅っせぇんだよッ! この半端剣士野郎がぁッ!」


 しかし詠唱を終えるよりも早く、ダルフがフレディアとの距離を詰める。

 

 観客は誰もが魔法師の弱点を知っていた。

 強力な魔法を行使しようとすると、それだけ詠唱にとられる時間が長くなる。

 より多くの魔素を集めなければならないためだ。

 なぜ魔法師が後衛職なのか──など、考えなくともわかる。

 そしてそのことは、無論、ダルフも身を持って知っている。

 魔法師など、詠唱さえさせなければただの人間、いや、魔素を消費するだけ、ただの人間にも劣る──と。


「──もらったぁッ!」


 ダルフが自身よりも長い剣を振り下ろす。

 この時点でもフレディアはまだ詠唱を終えていない。

 まだ魔素が集まらないのか──観客席から悲鳴が上がる。

 ダルフからしても、あとは剣から伝わって来る骨の砕ける感触を楽しむだけだった。


 しかしフレディアはすでにすべての魔法の行使を終えていた。

 詠唱はあくまでもまやかし、偽計に過ぎない。

 魔法師を格下に見ている剣士に敢えて隙を見せるなど、いとも容易いことだった。


 その証拠に、詠唱を終えていないというのに、ダルフの胸元めがけて光の矢が放たれている。


「──!」


 しかしダルフはその矢の小ささに、業物の鎧が弾くだろうと咄嗟に判断したのか、剣を止めるようなことはしなかった。

 おそらく、『この魔法は、焦るあまりに詠唱途中で放った失敗作だろう』と思ったに違いない。

 そんな小さな光でなにができるのかと。

 事実、そう思われても仕方のないほど、フレディアが放ったのは非常に小さな光の矢だった。


 しかしその直後、その光の矢が弾けると、驚くほど眩しく光輝いた。


「──うおッ!?」


 ダルフもこれにはたまらずに反射的にまぶたを閉じた。


 だがすでに獲物は捉えてある。

 視界など効かなくとも剣筋に乱れなど生じない。何千何万と繰り返しこの身に叩き込んだ型だ。

 目を閉じていようが、俺の剣はお前を叩き斬る──。


 その気迫は確かにフレディアにも伝わってきた。


 ──だが、それだけだ。


 たかが気迫で『一本線』の魔法師を斬ることなど──できる道理がない。


 フレディアが正眼に構えていた剣を横に払う。


「……僕が目指しているのは粗野な剣士じゃない。──公国を護る騎士だ」




 試合場が光で埋め尽くされる前、フレディアとダルフの距離は誰の目から見てもかなり離れているように見えた。

 ダルフの長剣で届く距離であっても、フレディアの剣ではかすり傷すら与えられない距離であることを確認していた。 


 だから光が止んだときに無残な姿を見せているのは、剣に頼った魔法師だろうと誰もがそう思っていた。


 数人を除いては──。

 


 そして、光が止まぬうちに結界に叩きつけられて戦闘不能となったのは──


 粉々になった鎧からかろうじて本人とわかる、武術科学院四学年一本線、ダルフだった。



 【しょ、勝者、フレディア=グランシュタット!】



 その瞬間、大闘技場は大歓声で埋め尽くされた。





 



 

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