第167話 浮かれる公子



 向こうは今日も雨かな……


 スレイヤの青く澄み渡った空を見上げて、昨日慌しく過ごしたシュヴァリエールに思いを馳せる。


 あれだけの豪雨だったんだ、さすがに一日で止むようなことはないと思うけど……。


 たった一日、それもほんの数アワルだけの滞在──であったにもかかわらず、数千人の渇きを癒す手伝いができたという思い入れがあるだけに、遠方の国シュヴァリエールがどうしても気になってしまう。


 『精霊のさと』が上手く育ってくれたら今後の展望が明るくなるんだけど……


 白銀の魔女の呪いを解呪するためには精霊の郷の成功がカギとなる。

 バシュルッツ潜入に向けて、すべてのことを首尾よく運んだとして……来年の春までには結果を出しておかなければならない。


 レイアさんたちにエルナさんの元気な姿を見せてあげられるように頑張らないとな……。


 後一年。

 それまでにしなければならないことは山ほどあるが──なにはともあれ成績優秀者に選ばれて、交換留学生の座を確保すること、それが叶わなければすべては頓挫してしまう。


 魔女を追い詰める目標がまた一つ増えたな……。


 どうにか白銀の魔女を倒し、最高の形でシュヴァリエールを再訪することができるよう、全力を尽くす覚悟を新たにする。


「──さあ、行くか」


 俺は朝一番の新鮮な空気で深呼吸をすると窓を閉め、学院に向かおうと部屋を出た。





 ◆





 次の休日こそはロティさんのところに行って……

 ああ、そうだ、マールの花も換金しないとな……

 ルディさんの店に行ってクロスヴァルトの羊肉を売ってもらえるかも聞いておきたいし……

 あ、シュヴァリエールから帰ってきたこと、師匠に報告するの忘れてた……フレディアに頼むか……

 陛下には師匠から報告してもらえると助かるんだけどな……城は行きたくないしな……

 あとは……


 学院へ続く小道を歩きながら、今後の予定を整理していたところに


「ぇえ! ええッ!? ラ、ラルク君ッ!?」


 俺の名を叫ぶ声と、駆け寄ってくる靴音が後ろから聞こえてきた。


「──どど、どうしてここに!?」


 息を切らしながら俺の隣まで走ってきたフレディアに


「──おはよう、フレディア」


 俺はいつもと同じように挨拶をする。


「あ、お、おはよう、ラルク君! ──じゃなくて! や、やっぱり気が変わって戻ってきたの!?」


「落ち着け、フレディア、俺は約束を破ったりはしない。昨日の夕方に戻ってきた後、フレディアの部屋に二度ほど行ったんだが留守だったぞ? だからもう報告は今日しようと思っていたんだ──で、フレディア公子、俺になにか言うことは?」


「え? 昨日の夕方? え? なにを言って……確かに昨日はロティさんに夕飯をご馳走になっていたから帰りは夜遅くになってしまったけれど、え? 戻ってきたって、シュヴァリエールに行って、そして帰ってきたってこと? たった十アワルほどでッ?」


「ああ、そういうことだ。正確には八アワルだけどな。──おい、誤魔化すなフレディア公子、俺に黙っていたことがあるだろう?」


 面食らうフレディアを横目で睨む。


「そ、そんな、いくらなんでも八アワルで──! こ、公子って! じゃ、じゃあやっぱり!」


 ようやくここで俺の言いたいことを理解したのか、フレディアが立ち止まり大きな目を見開く。

 レイアさんと同じ色の瞳に見据えられ、少しだけ警戒してしまう。


 まさかフレディアも瞳を見て相手を知ることができる能力を持っている……なんてことないよな。

 レイアさんは自分だけの特殊能力だって言っていたし。


「ああ、こっちはエルナ姫の件以外にも大変だったんだぞ……」


 「イヤミの十や二十でも言ってやろうかと思っていたんだが……一晩寝たら忘れたよ」


 そういいながら制服の内側にしまっておいた手紙を取り出す。


「ほら、姉君──レイア姫からの手紙だ。今回の件について詳しく書いてあると仰っていた。後で目を通しておいてくれ」


「ね、姉様からの手紙!? ほ、本当だ……グランシュタットの封蝋……う、疑っていたわけじゃないけれど……本当にこの短期間でシュヴァリエールに……そ、そうだ! それなら、い、妹は! エルナはどうなったの!?」


「そのことも手紙に書かれているだろうが、結果からいうと上手くいった。──だから後はバシュルッツに行って白銀の魔女から解呪法を聞き出すだけだ」


「ほ、本当!? うわあ! あ、ありがとう! ありがとう、ラルク君! この恩は一生忘れないよ!」


 手紙を握り締めて、嬉しそうに飛び跳ねるフレディアを見て達成感を得る。

 いろいろとあったが、これだけ喜んでもらえれば疲れも吹き飛ぶというものだ。


「しかし光の貴公子の異名が的を射ていたとはな……いや、驚かされたよ、フレディア公子」


「や、やめてよ、ラルク君! が、学院ではそういうの関係ないじゃん──」


「はは、冗談だよ、俺にいろいろと隠していた仕返しだ。──それはそうとそっちはどうだった? ロティさんには伝えてくれたか?」


「もちろん、って、そうだ! こっちも大変だったんだよ! あんなに大きい猫がいるなんて! 死ぬかと思ったんだから! それにあの失礼な男の人! 不愉快極まりないったらない! 聞いてよラルク君──」


 その後、教室のある棟が見えてくるまでフレディアの不満を聞かされた。


 そうか、子寝小丸、って名前を付けたのか……なんとも単純な……

 しかしモーリス……シュヴァリエールの公子になんてことを……

 お互い身分を明かしていないから仕方ないけど……

 ったく、剣技を披露しあうくらいならまだしも、早食い対決やら木登り対決なんて、いい大人がなにやってんだよ……

 良い男を見るとすぐに張り合いたがるからな……あの髭は……

 王位継承権を持つモーリスとシュヴァリエールの若様が犬猿の仲にならなければいいけど……


「で、でも、その、本当にロティさんは優しいんだ! それだけじゃなくて料理もとっても美味しくて、あ、ほとんどはサティさんが作ったそうだけど、それでもすっごい美味しくて──」


 サティちゃん、料理が上手になったのか……

 ああ、早くみんなに会いたいなぁ……


「でね、ロティさんは昔、不自由なのは目だけではなくて、口も利けないし、耳も聞こえなかったんだって! あ、ラルク君なら知っているか! ロティさんはもう長いことそのままで、もう他の人と同じ生活を送ることは諦めていたんだって! でね、ここからが凄いんだよ! たまたま館を訪れた旅人がロティさんの耳と口を治してしまったんだって! 国中のどんな治癒師でも治せなかった病気を、いとも簡単に治してしまったんだ! どんな人なのかどれだけ聞いても教えてもらえなかったけど、本当にその魔法師には感謝だよ! だって、あの美しいロティさんの笑顔を取り戻してくれたんだよ! ねえ、ラルク君! どう思う!」


「んん? あ、ああ、その旅人とやらに会って教えを請いたいもんだな──」


「違うよ! そっちじゃなくてロティさんのほうだよ! 僕はあんなに美しい女性を生まれてこの方、見たことがない! 蒼く長い髪、髪の色とお揃いの大きくて蒼い瞳、それでいて控えめな唇、透けるような白い肌……最初見たときはリシェルの神が水晶で創りあげた女神様が現れたのかと思ったよ! 僕が学院の話をしたりすると彼女の白い頬をうっすらと朱が差すんだ! そして微笑むときには白くて細い手を小さな口に添えるんだ! その表情や仕草といったらとても上品で、今でもまぶたの裏に焼きついているよ! ああ、そう考えると、ロティさんとの出会いを作ってくれたラルク君にこそ僕は感謝しなければならないのかもしれない! ラルク君、あの大猫とモーリスさんのことは別にして、心からお礼を言わせてもらうよ!」


「え? あ、ああ」


 ロティさんも元気そうでなによりだ。

 しかしフレディア、妹の報告を聞いたときより浮かれてないか?


「『今度はラルク君と一緒にどうぞ』って、次のお誘いもいただいてしまったんだ! ねえ! ラルク君は次の休みにロティさんの所に行くんでしょ! そのとき僕も一緒に連れて行ってくれないかな!」


「別にそれは構わないが──」


「本当!? ありがとう! ラルク君! これで次の休みが楽しみでたまらないよ! ああ! 今から待ち遠しい……あ、でも、ラルク君、そういえばあの館って貴族の館、だよね……? ラルク君とはどういう関係なの? 館の人たちはみんな話をはぐらかして──」


 興味深そうに訊ねてくるフレディアに細い目を向ける。


「あ、ごめん、詮索しない約束だったよね……」


 するとフレディアは交換条件を思い出してくれたのか口をつぐんだ。


「フレディア、俺があの館の主と面識があるということはほんの一部の人間しか知らないんだ。だから誰にも気付かれないようにしてほしい。特にリューイのふたりには。それとひと月後の顕現祭の件なんだが、レイア姫は──」


「ジュエルたちがなんなの?」


 俺とフレディアは飛び上がるほどに驚いて後ろを振り向いた。

 いや、飛び上がりながら後ろを振り返った。

 するとそこには


「──うげっ!」


 満面の笑みを浮かべるリューイのふたりが立っていた。



 

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