第168話 いい天気




 な、なんだ? 周りに人はいないはずだったのに!?

 け、気配を感じなかったぞ?


「男がふたりでこそこそと話なんてして、いやらしいったらないの。どうせ女を敵に回すようないかがわしい話をしていたに違いないの」


「お、おはようございます、ラルクさん、フレディアさん……」


 俺は顔面の筋肉を総動員することによってどうにか硬直した表情を自然な笑顔に変え、動揺を見せないように振舞いながら


「お、おはよう! ジュエル、リュエル! きょ、今日も綺麗な尻尾だな!」


 しかし隣のフレディアは明らかに、しまった! という表情のまま固まっている。

 おい! とフレディアの横っ腹をひじで突っつき、ようやく起動する。


「お、おはようございます! ジュエルさん! リュエルさん! きょ、今日の天気は晴れです!」


 フレディア……なんともわかりやすい……本当に貴族なのか……?


「……そんなの見ればわかるの。どうせ、『気配を感じなかったぞ!』とでも思って驚いているの。ラルク、いいことを教えてあげるの。リューイの女は気配を殺して男の人の後ろに立つことが得意なの」


 いったいどれだけ得意なことがあるんだよ!

 リューイの女性は!


「そ! そうなのか! へ、へえ! これはまた、べ、勉強になったなぁ!」


 フレディアのことを言えないくらいにびくびくしながら答える。


「ふ、ふたりはこれからどこに行くのかな!」


 フ、フレディアは黙ってろ!

 傷が深くなる!


「……教室に決まっているの……」


「あ、そ、そうか! あ、あはは! そ、そうだよね……あはは……」


「…………怪しい……」


 ほら見ろ!

 ジュエルは勘が鋭いから会話には気を付けないと!


「さ、さあ、みなさん、遅刻しないうちに教室に向かいましょう!」


「そ、そうだな!」


「う、うん! それがいい! ほら、ね? ね?」


「……わかったの……」


 いいぞ! リュエル!

 ジュエルの手綱を操れるのはリュエルしかいない!


 リュエルの気の利いた一言のおかげで、俺たち四人は教室に向かって歩き出した。




「そ、そういえばジュエルは昨日の夜は部屋に遊びに来なかったな!」


 早く話よ変われ! と願いを込めて、毎晩のように部屋に忍び込んでくるジュエルに話題をふる。


「誤魔化したいとき、ラルクは口数が多くなるの。覚えておくといいの──」


 な! もはやなにをしても裏目!


「──昨日は忙しかったの。今年の紅白戦が中止になったって聞いて、情報収集に追われていたの」


「え? なんだって!?」


 ジュエルの話の内容に、俺は思わず聞き直してしまった。


「だから、紅白戦が中止になったの。その理由を教官たちに聞いて回っていたの」


「紅白戦が中止? どうして急に……?」


 今度はフレディアが首をひねる。


「私もジュエルも寮の食堂で朝食をいただいていた際にその話を聞いたのですが、本当に驚きました。ラルクさんにお伝えしようと急いで部屋へ伺ったのですがお留守でしたので、もしかしたらもうすでにご存知で、教官の下を訪れているのかと思ったのですが……」


 ジュエルの話にリュエルが情報を付け足す。


「いや、初耳だ……けど、なぜなんだ? それでジュエル、理由はわかったのか?」


 俺の右側で尻尾を優雅に揺らして歩くジュエルに訊ねる。


「ラルクの”一本線”の行方が決まる紅白試合なの。なくなってしまってはラルクが落ち込むと思って必死に教官に聞いて回ったの。だけど、誰も理由を教えてくれなかったの」


「そうなんです。生徒たちの間でも噂だけが飛び交って……その、噂の内容が、なんというか……」


 言葉を詰まらすリュエルに代わってジュエルが続ける。


「"線なし"が退学を避けるために中止にしたって噂なの。紅白試合で自分の弱さが知れ渡ってしまうことを恐れた"線なし"が教官たちに取り入ったって」


 俺が?

 教官に取り入った?


「そ、そうなんです。ここ最近、連日のように学院長室に入っていくラルクさんを見かけた、とか、エミリア教官と親しげに会話しているところを見た、とか……」


「そんな! ラルク君はあのときの報告をするために呼び出されていただけじゃないか! それにラルク君は弱くなんかない! この学院で、いや、スレイヤ王国で一番──」


「フレディア」


 ジュエルとリュエルから噂話の中身を聞いて激昂するフレディアを落ち着かせる。


「あ、ごめん……つい……で、でも!」


「ジュエルとリュエルは、ただ耳にした噂話を俺たちに話して聞かせてくれただけだ。このふたりに言っても仕方がないだろう。それにこれは俺を誹謗した噂だ、一緒に腹を立ててくれるのは嬉しいが、俺よりフレディアが理性を失ってどうする。まあ、強いだの弱いだのは別にして、学院長の部屋に何度も訪れたことは事実だ。エミリア教官とも……もしかしたらそう見られたのかもしれない。どちらにしてもすべてが事実無根というわけでもないから、そういった噂が立つのは仕方がないかもしれないな」


「な、なにを悠長なことを言っているんだい! ラルク君は名誉を汚されているんだよ! そんな噂を流す生徒も生徒だよ! ラルク君がいなければ今ごろみんなは朝の粥に感謝することも、夜、神に祈りを捧げることもできやしないっていうのに! 誰のお陰で安寧な生活を送っていられると思っているんだっ!」


「こんなクズしかいない学院、一度焼き滅ぼされてしまえばよかったの」


「それはどうかと思うけれど……それにしてもひどい噂だわ。紅白戦でラルクさんの強さを見せられないなんて、悔しくて堪らない!」


「だから落ち着けって。とにかく根も葉もない噂話に振り回されても疲れるだけだ。近いうちに教官から説明があるだろう。ほら、もう教室だ。もうその話は終わりにして席に着こう」


 俺のために一緒に怒ってくれる三人に悪い気はしない。

 むしろ逆の立場だったのなら、俺の方が怒り心頭になっていたかもしれない。

 しかしあくまでも噂は噂だ。

 成績に響かなければ、放っておいても差し障りはないだろう。


 そう考えながら一日ぶりの席に座る。


「この話は終わりでもいいの。で、次の話題。ねえ、ラルク、この綺麗な縦巻きの金髪、誰のなの。あとレイア姫、って誰なの。さっきフレディアが慌てて隠した手紙と関係あるの」


「──ッ!」


 座ったと同時に、通路を挟んで隣に座るジュエルから浴びせられた質問に、今度こそ俺は顔の硬直をほぐすことができなかった。

 フレディアが座っている隣の席からも、生唾を飲む音が聞こえてくる。


 でも騙されない!

 前にもジュエルはそんなことを言っていたがでまかせだった。

 今回もあてずっぽうで言っているに違いない。

 そ、そうだ、これはリューイの罠だ!

 昨日着ていた制服はまだ乾いていなかったから部屋に干してある。

 だからこの制服からレイアさんの匂いがするわけがないし、ましてや髪の毛が付着しているなんてこと、あるわけがない!

 そ、そうだ、冷静に考えればわかることじゃないか!

 ま、間違いない!

 これはジュエルのはったりだ!


 あの時の苦い経験を活かし、刹那の間にそう答えをはじき出した俺は鍛えられた精神力で以て──


「なにを言ってるんだ、ジュエル? またそうやって俺を焦らせて──」


 冷静沈着にジュエルのはったりを受け流そうとしたが、


「昨日も青の都はいい天気だったの。でもラルクの制服はびちょびちょだったの」


 その精神力をも破壊しようとしてくるジュエルの回答に冷や汗を流した。


 え? どういうこと?


「どうせ『これはリューイの罠だ!』とか『またジュエルがはったりを言ってるぜ!』とか思ってたに違いないの。でも残念でした、これはラルクの部屋で拾った髪の毛なの」


 げっ! ま、まさか!

 い、いつだ、夜中? いや、それはないだろう。いくら疲れているといっても侵入者を許すほど気は緩んでいなかったはずだ。いや、でもジュエルなら気配を殺して……そんなことが可能なのか? い、いや、そ、そんなはずはない…… 


 な、なんだこの笑顔は! まさかジュエルもレイアさんと同じ能力を!? 


 はっ! もしかして俺が朝部屋を出て行ってから……?

 俺は外を見ていて、その後深呼吸をして窓を閉めて部屋を出て……

 ま、窓の鍵を閉め忘れた!?

 や、やられた! こ、この短時間に!

 油断していた! 

 まさか朝、俺が出て行ってから忍び込むとは!


「で。ラルク。『特にリューイのふたりに隠さなければならない話』と『隠した手紙』、『レイア姫』、『ラルクの濡れた制服』、そしてこの『金色の長い巻髪』。あとは『英雄』と『魔王』が出てきたら完成しそうなこの壮大な話を、包み隠さずジュエルにも教えるの」


「ジュ、ジュエル……俺は別にやましいことはなにも……それに俺にも話せない事情が……」


「わかってるの。でもジュエルたちは友達なの。ジュエルとリュエルはラルクにならすべてを見せてあげるし、教えてあげるの。そうしないのはラルクがそうして欲しいと言わないだけなの。スレイヤで初めてできた友達、ジュエルは大切にしたいと思っているの」


「ジュエル……」


「もっとも、言わないのならこの髪の毛をエミリア教官とミレサリアに見せて相談するだけなの」


「お、おい! どうしてそのふたりが──」


「広い人脈を持つあのふたりならこの髪の女性を知っているかもしれないの。『ジュエルがラルクのことを想って情報集めに一生懸命走り回っていたときに、ラルクは女を連れ込んでいた』って涙ながらに相談するの」


「ラ、ラルク君……シュヴァリエールのことは話してもらっても構わない……よ……」


「あ、ああ……済まない……フレディア……」


 可愛らしくニコニコ笑っているジュエルと、その奥で申し訳なさそうな表情を浮かべながらもジュエルを止めようとしないリュエル。


 俺は大きなため息をひとつ吐いた。


 さて、どこからどこまでを話したものか──と思案しながらもう一度ふたりを見ると、俺の諦めが伝わったのか、ふたりは目をきらきらと輝かせていた。 

 まるで肉を前にしたときのように。


 はあ……


 そうだ! 今日、担任のクレッセント教官に席替えを頼もう!


 俺はそう心に決め、グランシュタット家を襲った悲劇から話し始めた。 




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る