第165話 ふたつの失敗
「お主は今の今までこの眼に騙されておったのじゃよ……」
爺が手のひらの上で目玉を弄びながら不敵な笑みを浮かべる。
目玉があるべき場所には仄暗い闇がふたつあるだけだ。
にもかかわらず、俺たちを見下ろしている爺の表情は、悦に浸っているのだとわかる。
「大人しく儀式を済ませておけばいいものを、突然の雨に救われるとは……まったくもって運の良い女じゃ」
「爺……なぜ……」
足蹴にされた頬の痛みからか、信頼していた家臣に裏切られた胸の痛みからか、顔を歪めたレイアさんの口から悲しげな声が漏れ出る。
「何故? 何故じゃと? そんなもの決まっておろう、腑抜けたガラムに代わり儂がシュヴァリエールを治めるためじゃ」
「シュヴァリエールを……ハッ! ち、父上はッ! エ、エルナはッ! ふたりはどうしているッ!」
「グランシュタットの血はもう必要ない。ガラムと奴に
そう言うと、爺はエルナさんの部屋の扉の奥に目をやり、
「おい、済んだか」
しわがれた声を出す。
「爺、貴様ッ! 父上とエルナになにをッ! ──くッ! 離せッ! どかぬかッ!」
「安心しろ、貴様もすぐに後を追うのだ、二の姫暗殺の首謀者としてこの小僧と一緒にな。──おい、済んだのかと聞いておる!」
しかし部屋の中からは返事が聞こえてこない。
「なにをしておる! 返事をせぬか!」
義眼を嵌め直した爺が部屋へ顔を向ける。それに合わせて数人の騎士が部屋の様子を見に行く。
「ゲ、ゲルニカ様ッ!」
「なんじゃ! どうしたのじゃ!」
部屋の中かから聞こえた騎士の叫びに、爺──ゲルニカが苛立ちの混ざった声で答える。
「に、二の姫を始末しに行った者が、全員、こ、凍っていますッ!」
「なにい!? 凍っている? なにを
「は、はいッ!」
「──なるほど……そういうことか……」
すべてを把握し、善と悪とを見極めた俺は取るべき行動の選択を終えた。
まあ、俺の中の天秤は、初めから大きくフレディアの実姉に傾いてはいたのだが──。
狡猾な爺さんの部下に加護魔術が効いた時点で、結果は出ていたようなものだった。
すでに、先に部屋の中に入っていた騎士たちは拘束していたが、新たに入った数人の騎士も同じように動きを封じる。
「──俺がこの場にいて、お前たちの好きにさせると思うか?」
俺が声を発すると「黙れ小僧!」と俺を抑えつけている騎士が叫び、その手に力が込められた。
しかし俺はそれに構うことなく
「──いいか? お前たちの最たる失敗はふたつ」
冷たい床に頬を付けたまま、言葉を続ける。
「──ひとつは、俺を巻き込んでしまったこと──そしてもうひとつは……」
こんな奴らを相手に印を結ぶ必要があるか疑問だが、制圧に時間をかけるのも得策ではないので、手早く印をひとつだけ結ぶ。
そうしておいてから
「──依頼主の身内を傷付けたことだ」
言葉を続ける。
「──いつまでそうしている、邪魔だ、どけ」
理不尽に床に抑えつけられて腹が立っていた俺はリーファを使役して、俺の上に乗っかっている三人と、レイアさんに跨っている三人を吹き飛ばす。
すると六人の屈強な騎士たちは壁や天井に強かに打ち付けられ、胃液を撒き散らしながら意識を失った。
そういえばミスティアさんもこの魔術を使っていたっけ……
遥か昔、レイクホールの食堂で見たミスティアさんの魔法を思い出して、複雑な思いが胸を過る。
そんな益体もないことを考えながら俺はゆっくりと起き上がった。
と同時に腕をサッと払い、次なる加護魔術を行使する。
「こ、小僧なにをッ!」
直後、十数人の騎士と、ゲルニカが氷漬けになる。
「ぎゃあぁっ! 小僧ッ! な、なにをしたッ!」
ゲルニカだけは口がきけるように、頭部のみ自由にしておいた。
騒ぐゲルニカを尻目にレイアさんに手を伸ばし、そっと立ち上がらせる。
レイアさんはまだなにが起こっているのかわからないのか、ただ、吹き飛ばされた騎士らと氷像になった騎士らとを交互に見ている。
「ま、魔法を解け! 小僧! 貴様その制服ッ、儂は魔法科学院の学院長とも懇意にしておるのだぞ! 貴様のような若造、儂が──んん! んんんッ!」
置かれている状況を理解できていないのか、思ったより威勢のいい爺さんに感心するも、少しうるさいので喉を凍らして黙らせる。
「ラ、ラルク殿がこれを……?」
「──レイア姫、しばらく動かないでください」
そして、俺はアクアに頼んでレイアさんの顔についた傷を治療した。
「これで痕は残らないと思います。さて、こいつらは後回しにして──レイア姫、私はこのままエルナ姫を診ますので、レイア姫は父君の下へ。エルナ姫の治療を終えたら私も急いで向かいます」
「そ、そうだ、エルナは──」
「大丈夫です。エルナ姫は私にお任せを、さあ、レイア姫は大公の下へ。二階の一番奥の部屋のようです」
「に、二階の……わ、わかりました! ラルク殿、エルナを頼みます!」
部屋の中を心配そうに見ていたが、俺の目を見て覚悟を決めたのか、レイアさんが氷像をすり抜けて大公の下へ走っていく。
気配から察するに大公たちの命はまだある。
敵の気配はないが、三十人ぐらいがひと部屋に押し込まれているようだ。
急いで治療した方がいいな……
たしかゲルニカは泡を吹いていると言っていた
もしかしたら良くない毒を飲まされているのかもしれない。
「んんんっッ! んんッ!」
「そこで大人しく待っていろ、下手ことはしない方がいいぞ? 命が惜しいのならな」
俺は半開きになっている扉を開け放つと、エルナさんの寝室へと足を踏み入れた。
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