第147話 泥棒




 ◆





「ラルク……ねぇ……」


 古めかしい机の上には紙の束が山積みになっている。

 二日間に亘る、過去最高の受験者数を記録した入学試験に次いで、本日朝に行われた始業の儀も恙無く終わり、魔法科学院の学長であるミューハイアは一息つく間もなく各担当から上がってきた報告書に目を通していた。


「適性検査の結果は人並みなのだけれど……」


 一日目に行われた八階級以下の魔法師を無条件で落第とする適性検査──。

 三千人超が受ける検査だったため、流れ作業になってしまったのは致し方ない。

 しかし、担当官の誰一人として黒髪黒眼の少年のことを記憶に留めていないとは。


 ミューハイアは結果だけが連ねられている書類を見ながら首を傾げる。

 そこにはこう記載されていた。


 『ラルク──第八階級現代魔法師──』


  一日目の報告書には、二階級魔法師のミレサリアや四階級魔法師のクラウズ、リューイ族の双子の魔法師のように、人並み外れた検査結果を出し、本試験に於いて注目に値する受験生については仔細に記されているのだが、何度見なおそうと件の生徒についての報告書は見当たらない。

 それは担当官によって見込みなし、と判断されたということなのだが──。


「でも本試験の報告書は……」


 一転、二日目の本試験に於いては、ラルクという少年についての報告書が最も分厚い。

 筆記試験を満点で通過したことに始まり、石柱オベリスクを魔道具として見抜いたこと、競技場内に円形に設置した個人情報を読み込むための魔道具に気が付いたらしいこと、そしてそれに魔力反応が示されなかったこと、そしてなにより──


「──ギュスターフ様の魔法にも耐えたと云われる魔鐘ましょうが破壊されるなんて……」


 ひびが入った、などという次元ではない。

 氷の粒となって跡形もなく霧散した──と報告書には書かれているのだ。


「いったいどんな魔法を……」


 報告書には三学年一クラス、アリーシア=クレッセントの署名もある。

 アリーシアは昨年の紅白戦で二位の成績を収めた実績のある、三学年内でも実技能力に長けた生徒だ。

 彼女は、非常に『眼』がよく、対峙した相手が行使する魔法をから対抗する手立てを選択できるほどに、眼力には絶対の自信を持っている生徒でもある。

 さらに、現時点でミューハイアが最も期待を寄せている生徒のひとりでもあった。

 そのアリーシアを以てしても『行使された魔法は不明』となっている。


 ラルクという少年が行使した、常軌を逸した魔法のために合格にすべきか不合格にすべきか、意見が二つに分かれたとも記載されている。


「──不合格になどしようものなら無理やり枠を一人増やしてでも招き入れていたわ……」




 ミューハイアは恐れていた。

 七年前、都を襲った神抗じんこう騒乱──。

 その際、自分も含め大陸最高峰の魔法師が集う魔法科学院は、その実力が戦力として一切機能しなかった。いや、しなかったのではない、できなかったのだ。

 あのような有事など想定すらしていなかったのだから、騒乱が起きたからといって即行動を起こせるはずもない──ミューハイアもそれは理解していた。

 しかし、仮に行動を起こせたとして、あれだけの力量を持つ賊を相手取り、犠牲を最小限に抑えるよう短時間で制圧することができるほどの技量をはたして学院は持ち合わせたいただろうか──。

 おそらく、ではなく、確実に否だろう。

 

 だからこそ、次に起るべき有事を想定して、魔法科学院は大規模脅威に対する適応力を底上げしなければならない。

 だからこそ、学院は有能な魔法師を喉から手が出るほどに欲している。


 ミレサリアが立役者となって受験者が爆発的に増える今期、名もなき少年のような逸材が万分の一の確率でも学院の門を叩いてくれればいいのだが──。

 そうすれば足踏み状態にある学院強化の起爆剤になるかもしれない。


 ミューハイアは例年とは異なる今年の試験に、そのような願望も持ち合わせていた。


 しかし同時にミューハイアはもうひとつ、淡い期待感を抱いていた。

 

 せることなく脳裏に焼き付いている、あの日見た光──。

 未だ心を奪われたままの荘厳な光景──。



 七年前、たったひとりの名もなき水色の髪の少年の御業みわざによってこの都は救われた──。

 

 

 もう一度だけでいいからこの眼に収めたい。

 あの少年が行使した加護魔術に匹敵する光を──と。

 そして、あわよくば三千を超す受験生の中に、ひとりでもその実力を持つ者がいてくれたら──と。




「ラルク……これは直接見て確かめなければならないわね……」


 ミューハイアは手にしていた報告書を机の引出しにしまい、魔力で以て頑丈な鍵をかけると、一学年一クラスの午後からの授業が、魔法競技場で行われる実技訓練であることを確認した。


 を見ると一時だ。


 ミューハイアは手早く支度を済ませると


「──キーナ、外に出るわ」


 控えの間で待機していた秘書にそう告げる。



 そして──。



 ミューハイアは、この数年で初めて生徒の前に姿を出すことになる。


 さらに──。


 『もう一度見たい』そう想い続けていたからだろうか。

 奇しくもこの日の午後、あの日見たものとよく似た光を目の当たりにすることになるのであった。








 ◆







「腹減った……」


「ラルク、食堂までもうすぐだから我慢するの。はしたないの」


「……俺が朝食を食べられなくて辛い思いをしているのは誰のせいだと思ってる……?」


「そうよ、ジュエル、ジュエルが朝からあんなことしていたから──」


「ん。リュエル、そこもう一回。朝からあんなことってどんなこと? ねえ、ねえ」






 魔法科学院の授業は午前と午後に分かれている。


 特別な事情がない限り、午前は学舎内にて座学、午後はおもに魔法競技場にて実技となる。

 (ここでいう特別な事情、とは、魔物の生息地に遠征しての実地指導訓練や現役の冒険者と疑似パーティを組んで実際の依頼をこなす模擬冒険者訓練、数年前から取り入れられた都の巡回警備、二カ月後に迫る紅白試合、武術科学院との交流試合、そしてヴァルト七家が視察に訪れた際に行われる無観客台覧試合──などといった特別な行事が催される場合のことだ)


 初日となる今日、午前の授業は一クラス専任のライカ教官による魔物生態学だった。

 スレイヤ国内における魔物生体分布図、といった基礎の基礎となるものだったので、俺にとっては特に目新しい内容ではなかった。

 だが次回からは、個体別に各魔物の特徴や弱点を学習するそうだから、そちらは非常に楽しみだ。





 そして昼食となり──。


 俺とジュエルとリュエルの三人は学生専用の食堂へと向かっている。



 ミレサリア殿下やシャルロッテ嬢、ノースヴァルトを含む貴族集団はどこかへ姿を消した。

 といっても殿下曰く、昼食は『湖畔の白宮』とかいう上流貴族専用の社交場サロンがあるらしく、そこで用意されたものを食べなければならないのだそうだ。

 詳しい事情は知らないが、ほとんど話す間もなかった殿下が開口一番『心の底から行きたくない』と言って俺に縋ってきたということは、そこに集う連中は推して知るべし、といったところだろう。

 

 シャルロッテ嬢は朝の元気は微塵もなく、終始俯き気味に殿下の影に隠れるように白宮に向かっていった。

 シャルロッテ嬢のあからさまな態度に、思うところは若干あったが、特段俺が被害を被っているわけでもないので放っておくことにした。







「──それに、はしたないって、ジュエルに言われたくないんだが。ジュエルなんか俺の注文した肉を見てよだれを垂らしてたじゃないか」


「む。心外なの。あれはリュエルがパンと水しか与えてくれなかったからなの。お陰で栄養が足りなくて胸が少し小さくなってしまったの。リュエルは特に」


「ちょっとジュエル!? あの時は仕方ないでしょ!? それに私の胸は小さくなんかなっていませんから!」


「ん~。ん。やっぱり私の方が少し大きいの。ラルクに検査してもらう?」


「い、いいわよそんなことしなくて! ジュエルのばか!」


 俺は腹が空き過ぎていたので、会話を続けているふたりを残して、さっさと受付台カウンターに食事を取りに行った。






 ◆






 昼食で腹を満たした俺たちは、着ていた制服からさらに動きやすい伸縮性のある服に着替え、魔法競技場の第一競技場に集合した。


 ちなみに泥で汚れた俺の制服は昼食時にリュエルが綺麗に洗ってくれ、今は風通しの良い場所に干してある。

 


「よーっし、揃ったか! 俺が午後の実技担当のシュルトだ! 初めての魔法実技だからな! 気を引き締めていけよ!」



 実技の教官はシュルトというらしい。

 シュルト教官は金色の髪を短く刈り込み、魔法師とは思えないほどに良い体躯をしている。

 武器を扱わせてもそこそこの腕は持っていそうな印象だ。


「──では最初に! 五人ひと組、四つの班を作れ! 今後は何事もその班単位で行うことになる! いいか、良いも悪いも連帯責任となるからな! 無論、班が出した結果は成績にも大きく影響する! しっかり先を見据えて班員の構成を考えろよ!」


 ……どうしたものか。

 成績に影響する、と聞いては妥協できない。

 個人成績に関しては特に大きな問題はないと考えているが、班員の失態の連帯責任を負わされるとなると──これはよくよく検討した方がよさそうだ。


 が──。


「泥棒してきてやったの」


 さっきまで隣にいたジュエルが、いつのまにかミレサリア殿下とシャルロッテ嬢の手を引いてきたことにより、俺の思考は空になった。


「──サリアッ! どこに行っている! こっちに戻って来るんだ!」


 ……そりゃそうだろう。

 そうなるに決まっている。

 どうしてジュエルは火に油を注ぐようなことをするのだろう。


 さあ、大股でこっちに向かってくるノースヴァルトになんて言おうか。





 

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