第146話 涙の理由



「ん、そう言い張れるだけの理由が──」


 隣を歩いていたジュエルが正面にぴょんと飛んで俺と向かい合わせになると


「──三つもあるの」


 後ろ向きのまま器用に歩きながら、したり顔で指を三本立てる。


「ほら、ちゃんと前を向いて歩かないと転ぶぞ?」


 運動能力の高いリューイ族がそんな初歩的な失態など見せはしないだろうが、形式的に心配する素振りを見せた俺は、


「──で? ひとつめは?」


 ジュエルの言う理由とやらを訊ねた。


「ん、この学院の有象無象どもは拍手喝采を浴びて感涙が止まらなかったと思ってるの。でもラルクの隣にいたジュエルはそうじゃないことを知ってるの。間違いなくラルク唯ひとりを見てたの」


「……そうか、で、ふたつ目は?」


「ん、なんか、かっこつけて手を挙げてたの。こうなふうに、『よっ!』て。そのときのラルクの表情はとても穏やかだったの」


 後ろに目が付いているのか、と思うほど、後ろ向きでも危なげなく歩くジュエルが、俺の真似をして指を揃えた右手を顔の高さまで上げる。


「……そうか……で、あとひとつは……?」


「ん、ラルクの横を通り過ぎたときに密書を渡していたの。なにが書いてあるかわからなかったけど、恋文に違いないの。これが決定打になったの」


 「以上のことから、黒なの!」くるんと回転して俺の隣にぴょんと戻って来たジュエルが、俺と足並みを揃えながら歩き出すと、


 「えへん!」と豊かな胸を張る。


「本当ですか? ラルクさん……」


 反対側を歩くリュエルが前屈みになって俺の顔を覗き込む。


「……さて……、ジュエルの考え過ぎだろ?」







 


 教員が退席した後の講堂は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 理由は聖女の流した涙だ。

 学舎に移動を開始するまでの僅かな時間を使い、生徒たちは好き勝手な憶測を立てていた。

 『俺の声が届いたからだ』『お前らが騒ぎすぎたから驚いたんだ』『いや、あれだけの声援を浴びて感激したんだろう』──と。


 朝、俺のことを睨んでいたノースヴァルトも他の男子生徒に混ざり、ああでもないこうでもないと論じていた。

 だがそんな中、最前列に座っていたミレサリア殿下だけは周囲の雑話の輪に入ることなくまっすぐ前を向いていた。

 しばらくその背中を見ていると殿下がふいにこちらを振り向き、ぼうっとしていた俺と目が合った。

 俺を見る殿下の顔は、とても意味深な表情をしていた。

 が、殿下は教員に声をかけられるとシャルロッテ嬢と他のクラスらしき生徒数人とともに、別の扉から退場していった。

 そしてその後すぐに、残っていた生徒たちは各クラスごとの学舎へと移動を開始することになった。









 そして──。


 一クラス専用の校舎に向かう道すがら、エミルの突然の涙についてジュエルが分析を始めた。

 ──まではいいのだが、その理由がなんとも……。


 『聖女様のあの涙はたったひとりの男のためだけに流された涙』と言い張るのだ。


 『そんなことないだろ』そう俺は言ったが、ジュエルは譲らなかった。


 そして三つの理由とやらを話し始めたのだ。












 俺の中でジュエルの推測を真っ向から否定するつもりはない。が、それでもあの涙は俺のためだけに流したものではないのは確かだ。

 師匠やカイゼル、寝小丸のことを思い出して、懐かしさが込み上げ感極まってしまった──のだと俺は思う。


 つまりは四人分の涙だ。


 ここでジュエルにそう説明して『俺だけの涙じゃないんだ』と声高に否定するのは簡単だったが、庵でのことは口外できないし、今ムキになって否定したとしても、後で実は知り合いだったとばれてしまった暁には『ラルクは嘘を吐いていたの!』と、罵られるだろう。

 無論、肯定などできるはずがない。これ以上変な噂を流されては堪らないのだから。

 どっちにしろ面倒なことになるのは容易に想定できたから、俺は肯定も否定もしたくなかった。


 結果、口から出た言葉は『ジュエルの考え過ぎ』だった。


 ──だが、興味津々です、と顔に書いてあるジュエルには、できれば否定で返したかった。





「ラルク……ホントにラルクは何者なの。もしかして超有名人とかなの?」


「だから、正真正銘、しがない平民だって説明したろ? 俺なんかより有名な生徒は掃いて捨てるほどいるじゃないか」


「それでもジュエルは自説は曲げないの。ラルクとエミリア教官との間には絶対なにかあるの。リューイの血に誓ってもいいの。必ず暴いて見せるの」


 ジュエルはビシッと音がしそうなほど勢いよく俺に人差し指を突き出す。


「好きにしてくれ……」


 リューイの血がどんなものかは知らないが、ジュエルの熱血ぶりを面倒に思った俺はそう返すしかなかった。


「おい! なぜお前が一クラスの学舎に向かっているんだ!」


 するとすぐに別の面倒ごとが舞い込んできた。

 罵声は後ろから聞こえたが、誰が発したかなど、わざわざ振り向かなくともわかる。


「お前はミソッカスだろう! この線なしがッ! 早くこの場から立ち去れッ!」


『寝取られ貴族がまた来たの』


『し、しぃーっ! ジュ、ジュエル! なんてこと言うの!』


 俺だけじゃなく、ジュエルも誰だかわかったようだ。


 これはまた厄介だな、と立ち止まり、肩を竦めながら振り返ると──思った通り、数人の取り巻きを連れたノースヴァルトだった。

 朝から俺に鋭い視線を放ってきていたノースヴァルトは、不機嫌さを全身で表していた。

 腕を組み、踵をつけたままつま先で地面を叩き、赤ら顔の眉間には深い皺を寄せている。


 だが俺はそんなこと構いもせずに、


「生憎ですがそうはいかないのです。私には為すべきことがありますので」


 淡々と答えた。


「ふざけたことを抜かすな! この先は一クラスの学舎だ! さっさと決められた小屋へ戻れ! 線なしの泥棒犬がッ!」


 そう声を張り上げながらノースヴァルトが地面を蹴り上げる──と、土の塊が俺に向かって飛び散り、そのうちのひとつが俺の白い制服を汚した。

 俺はその汚れを手で払うと、


「──ですから私も一クラスなのです。暫定ではありますが」


 努めて冷静に、事実だけを返した。


「お前が一クラス!? 馬鹿も休み休み言え! お前のような外見だけクロカに似せたような奴が俺たちと同じクラスの訳がないだろう!」


 ノースヴァルトがそう言うと、取り巻き連中が「そうだ、そうだ」と煽り立てる。


 『クラスは俺が決めたことじゃない』と反論しようと口を開く──間際、視界の先にミレサリア殿下とシャルロッテ嬢の姿を捉えた。

 このままこの場で言い合いとなって殿下を巻き込むわけにはいかない、と判断した俺は、息巻いている貴族どもを無視して先に進もうと振り返った。


「逃げるのか」「そっちに小屋はないぞ!」と罵声は続くが、どのみち授業が始まればわかることだ。

 『鐘のように消し飛ばせばいいの』と物騒なことを言うジュエルと、青ざめているリュエルに声をかけ、三人で学舎に向かった。









 ◆








「私はこの一クラスを担当する専任の教官、ライカ=クレッセントだ。一年間を通じて君たちを指導することになる。二学年に昇級しても、全員がこのまま一クラスに籍を置けるよう厳しく鍛え上げるつもりだから、その覚悟でいるように。私の専攻は魔物生態学だ、わからないことや質問があればいつでも部屋を訪ねて来てくれて構わない。ちなみに現時点で質問がある者はいるか?」


 

 茶色の長い髪をひとつに結わき、教官服の上からでも女性らしいメリハリのある身体つきとわかるライカ教官が席に着いている二十名の生徒に目を配った。

 一番後ろ、かつ窓側の俺からは生徒の挙動が一目でわかる。

 だから唯一手を挙げた人物がノースヴァルトだということも、もっといえば、俺に関する質問だろうということも手に取るようにわかった。

 なぜなら教官に指名されて立ち上がる際に、俺の方を見てほくそ笑んだからだ。


「質問です。この中に一クラスに相応しくない者が混ざっているのですが。このままでは集中して授業を受けられません」


「クラウズ=ノースヴァルト、だな? ふむ、相応しくない者、とは、具体的にどの生徒のことを指しているのだ」


「窓側の一番後ろに座っているあの男です」


 俺を見もせずに、指だけ差したノースヴァルトが質問を続ける。


「あの男の制服には線が刺繍されていません。他の生徒には一本線があるのに、あの男だけ線なしです。速やかに退室させた方が俺含めて他の生徒のためだと思うのですが」


 するとライカ教官は僅かに眉を寄せ


「クラウズ、君の考えと意見は間違っている。彼はラルクといって君たちと同じ一クラスに籍を置く生徒だ」


「しかし、あいつの肩には──」


「線はなかろうが彼は一クラス、私の生徒に変わりはない。君の質問に対する答えは以上だ。──他に質問のある者は!」


 これ以上反論は認めない、と言うように教壇を軽く叩いたライカ教官が再び生徒を見回す。

 教官の回答に、ノースヴァルトは仕方なく引き下がるも、椅子に座る態度は憮然としていた。


「──なさそうだな。まあ、最初は思いつかないのも無理はない。学院生活を送っていくうえで発生した疑問や問題などは些細なことであっても相談してくれ。──恋愛以外のことであればなんでも答えてやるぞ」


 教官の自虐に笑いが起こる。

 そうはいっているが教官はとても整った顔立ちをしている。

 雰囲気も快活で、たとえるならアリーシア先輩を大人にした感じか。


『なに? あんなに年上でもいいの? ラルク、見境いないの』


 そんな風に教官を見ていたら、隣のジュエルから紙屑を投げられた。


 なんでまたジュエルが隣なんだよ……



「ようこそ魔法科学院へ! さあ、それでは早速授業を始めるぞ!」


 教官の号令に生徒が背筋を伸ばす。



 そうして俺の学院生活は幕を開けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る