第141話 厳しい規律



「──じゃ、ラルククン、私はこっちだから」


「はい、アリーシア先輩、大変有意義な時間でした。──ありがとうございました」


「あは、お礼なんて、せめてもの罪滅ぼし、できたかな……? じゃあ、私も約束守るから、ラルククンも、ね?」


 制服のスカートを翻してアリーシア先輩が集合場所である建物脇の扉へ向かう。

 俺はその後ろ姿に軽く会釈をすると正面の入口へ向かった。





 

 用意されていた場所は試験の際に使用した講堂のように大規模な造りではなく、百人そこそこ入れば満席になってしまうような部屋だった。

 今俺が立っている後方から前方に向けて、ふたり掛けの長机と椅子が階段状に設けられている。

 

 なるほど、最後列からでも一番前にある演壇が見通せるようになっているのか。


 机の数を数えてみると横は四列、縦には十五列ほどある。

 そしてそこにはすでに大半の生徒が席についていた。

 


 どのあたりに座ろうか見回していると、こっちに向かって手を振るジュエルと目が合う。

 するとジュエルが手招きをするので、軽く手を挙げ返事をしてからジュエルとリュエルが座る場所に向かい、ふたりの隣の机に座った

 預けていた俺の荷物で席を確保していてくれたようだ。


 席に向かう途中、俺を見る視線をいくつか感じたが、おそらく実技試験を見ていた生徒からのものだろう、と、気にするようなこともしなかった。


 

「遅かったの! 王女とふたりで何をしてたの!」


 席に着くなりジュエルが眉尻を上げ訊ねてきた。

 通路を挟んでいるので自然と声の調子が大きくなる。


「なにかあったのかと心配しましたよ、この学院は広いので迷子でもになってしまったのではと」


 リュエルも開いていた本を閉じて鞄にしまうと、ジュエルの肩越しに話しかけてきた。


『すみません、少し散策をしていたので遅くなりました。──殿下は医務室でお休みになっておられます。寝不足が原因だそうですので、すぐにお戻りになるかと』


 俺はなるべく小声でそう説明した。

 すると俺のその仕草にふたりも気が付いてくれたのか、声が漏れないように身体を寄せて会話を交わし始める。


『それは良かったです。昨日に比べてお顔の色があまり良くなかったので……なにかあったのでしょうか』


『たぶんラルクのせいなの。ねぇラルク、ラルクっていったい何者なの。大陸最大の国の王女を手駒に取るなんて、普通そんな大それたこと平民にはできないの』


『手駒に取る云々は聞かなかったことにして、正真正銘、私は平民です。──もし違っていたら、そうですね、クロスヴァルトに招待して羊肉の食べ放題、なんてどうでしょう』


『……わかったの。そこまで言うなら信じるの。でも、一個だけ教えてほしいの。レイクホールのハーティス家って、さっきこの国の貴族に聞いたらスレイヤ王よりも力が強いとか行っていたの。ラルクとはどういう関係なの。それにクロスヴァルトとレイクホールは全然違う場所なの』


『ジュ、ジュエル……なにもそんなことまで……』


『リュエルも知りたがっていたの。ジュエルは気になることは全部確認する主義なの』


『でも、そこまで踏み入るようなことは……』


『構いませんよ、リュエル様。──ジュエル様、私はもともとクロスヴァルトで育ったのです。多少は名のある家でしたが、とある事情で家名を捨てることになりました。そして遠縁であるレイクホールのハーティス家へ預けられることになったのです。ですから合格の一報もクロスヴァルトにある生家ではなく、レイクホールのハーティス家へ送っていただいたのです』


『クロスヴァルトの家名はなんていうの』


『そのあたりは私、及び生家の者の命に関わることなので、控えさせていただければと。それと決して口外はしないでいただきたく。おふたりを友人として信頼するからこそこうして身の上を明かさせていただきましたので』


『……そんなこと言われたらこれ以上聞けないの。ほんとにラルクはずるいの』


『ジュエル……もう十分でしょ? どちらにしてもラルクさんはいい人に変わりはないのですから』


『ん、今はそれで我慢するの。でもいつかはラルクのすべてを教えてほしいの』


「すべてって、私はそんな価値のある人間ではありませんから」


 その話は終わり、とばかりに俺は背を伸ばし声の音量を元に戻してそう答える。

 するとジュエルも顔を上げ、


「でもラルク、この茶色の髪の毛、誰の毛なの。ジュエルもリュエルも金色、王女は青、こんなに長い茶色の髪の女の人なんて、知らないの」


 俺の肩を指さす。

 周りの席の何人かが俺に視線を向ける。


「──っ! ど、どうしたんでしょう! 不思議ですね! え、ええと、その」


 俺は両肩を、ささっ、と払い、隣から発せられるジュエルの鋭い視線を苦笑いで誤魔化す。


「嘘なの。髪の毛なんてないの。やっぱりラルク、浮気してるの。──ふっ、ラルクは健全な男の子なの」


 な、なんだと! 


 俺は浮かべていた苦笑いが引きつった笑いに変わるのが自分でもわかった。

 

「ジュエル! あなたどうしてそういう悪ふざけを──」


 ジュエルの向こう側に座るリュエルが姉の軽口を咎めようとするが


「ラルクはカッコいいからモテるのは仕方ないの。スレイヤは奥さんをたくさんもらえるからジュエルは二番さんでも三番さんでもいいの。あ、できればリュエルも仲間に入れてあげてほしいの」


 ジュエルは妹までも巻き込んでしまう。


「ど、どうして!? どうしてそこで私が出てくるの!?」


「見た目が同じジュエルとリュエルでラルクを挟んであげるの。ん、いわゆる極楽?」


「は、挟む!? な、な、何を言っているの!? そ、そんなことするわけ──」


「リュエル、尻尾」


「い、椅子に座ってるのに尻尾なんて見えないでしょ!」


「ち」


 ただでさえ珍しいリューイ族の、さらには目を瞠るほど美しい双子の少女の会話に周囲の男連中が聞き耳を立てている。

 ジュエルのその外見とは裏腹な会話の内容に、俺も含めて近くにいる健全な男子が翻弄されかかったとき、入口の扉が開かれふたりの生徒が入ってきたことで室内の空気が一変した。


 凛、と背筋を伸ばし、まっすぐに正面を向いて入って来る少女──ミレサリア殿下と、昨日も殿下と並んで歩いていた白銀の髪の少女、シャルロッテ嬢だ。

 殿下は血色もよく、体調も万全そうに見える。

 

 一瞬、水が引いたように静かになった室内だったが、ふたりが席に着くと再び騒々しくなる。

 だが先ほどまでと異なるのは、騒がしくなった理由が、皆一様に殿下とシャルロッテ嬢の話題を口にしていることだ。

 その多くはふたりを褒め称えるものだったが、俺の座っている席の後方から、やっかみを含んだ呟きが漏れたのを俺は聞き逃さなかった。

 不自然にならないように声の出所を確認する。

 すると、そこには苦虫を噛み潰したような顔をした、実技試験のときに光属性魔法を行使して好成績を出した金髪の男がいた。


 やはりこの男も合格だったか……。


 男は俺の視線に気付くことなく一点を睨みつけている。

 俺はその視線の先を追うと──やはりというか、ミレサリア殿下、もしくはその隣に座るシャルロッテ嬢にたどり着いた。


 ふむ、この男は少し気にかけておいた方がよさそうだな……


 俺の中で要注意人物として記録することにした男から目を離すと、ざわめきに乗じて周囲をざっと検めた。


 前方には貴族と思しき身なりの整った男女が座っている。

 比率的には男女半々といったところか。


 そして数列あけて後方には俺と同じ平民だろうか、貴族には見えない十人ほどの男女が席に着いている。

 正確には貴族に見えるジュエルとリュエルを除き、九人が座っている。

 俺を含め男が六人、女が三人だ。

 

 アリーシア先輩から聞いた話では今年度の合格者八十人のうち、貴族かそれに準ずる身分の者が七十四、貴族以外が六、ということだった。男が四十、女が四十、と、ここ最近では珍しく男女が同数になったそうだ。

 ということは、後方に座る九人の中にも三人の貴族の生徒がいるということか。


 なぜ貴族の座る前方に一緒になって座らないのか気になったが、ジュエルたちのこともあるのでそのあたりは事情があるのかもしれない、と思考から放棄したところで


「──静かに! 今から学院生活にあたっての説明を始めるぞ!」


 室内に男の声が響いたことにより喧騒がピタリとやんだ。

 前方に意識を向けると演壇に黒いローブ姿の男が立っていた。


「まずは合格おめでとう。俺は明日からお前たちに基礎魔力学を教える講師の現代魔術師ダルトンだ、この後も何人かの講師からの説明があるから手短に行くぞ」


 ダルトンはよく通る声で説明を始める。


「俺からは学院内での規律に関する説明が主となる。が、その前に。お前らは学院の生徒である間は皆、横一線だ。上もなければ下もない、つまり、身分差による力関係は一切通用しないということだ。よってお互いの呼び名に敬称は不要、言葉使いであってもいちいち気にする必要はない、このことを頭に叩き込んでおけ。ただ、上級生には上級生としての敬意を払えよ?」


 ダルトンは特に貴族の席を念入りに見回し、説明を続ける。


「生徒である間に起きた問題を引き摺って卒業後に不敬罪で罰しようとしても無駄だからな、そういった問題を起こした貴族は学院の審問会にかけられ、結果次第では学院卒業の資格を剥奪される。そのうえ、その家からの生徒の受け入れを数十年の単位で禁止とする制裁を受けるからな、そのあたりも今の段階で胸に刻んでおけよ」


 横からの視線を感じ、そちらを見るとジュエルがわけありの笑みを浮かべていた。

 『ジュエル』『リュエル』と呼べ、ということか。

 しかしそうなると、殿下のことは何とお呼びすればいいのだろうか。


「規律に関する細かいことはこの魔法科学院典範に書かれているから、今日帰ったら目を通しておくように。次にこの後支給される制服に関してだが──」


 その後もダルトンの説明は続き、終わったかと思うと入れ替えに次の教員が演壇に立ち、寮に関することや食堂の扱いなどを説明していく。





「では移動開始!」


 結局、合計十人もの教員が入れ替わり立ち替わり説明を続け、気が付いたら夕方近くになっていた。


 そしてこの部屋でのすべての過程が終わり、今は前方の席に座っている生徒から順に制服が用意されている別室へ移動を開始している。

 これは貴族が先、というようなわけではなく、単純に制服を支給する部屋に近い者から移動を始めろ、ということだ。

 俺たちの番まではもう少しかかる。


「うぇ、ものすごく長かったの」


 ジュエルが机の上に、ぐだっ、と伸びると


「全部覚えられるかしら……寮の部屋に行ったら急いで読まないと……」


 リュエルが真面目ぶりを発揮する。


「リュエルは相変わらず几帳面なの。そんなの全部覚えている生徒なんて絶対いないの」


「でも、先生が仰っていたじゃない、全部目を通すようにって。言われたことはちゃんとやらないと」


 リュエルが「ジュエルも読まないとだめよ?」と窘める。

 

 どうやら双子のふたりは几帳面さで見分けることもできるようだ。




「さあ、制服を受け取りに行きましょうか、今日は早いところ寮に入って休みましょう」


 後方の席の生徒も動き出したので、俺がそう声をかけると


「ラルク、規律違反。先生に報告案件」


 だらしなく腕を伸ばしてうつ伏せ状態のジュエルが、顔だけ俺の方へ向けて口を尖らす。

 俺が首を傾げていると


「ジュエルたちに敬語を使うの規律違反なの。『さあ、ジュエル、リュエル、制服を取りに行くぜ、ついてきな』っていうの」


 俺の真似? みたいなことをしながらジュエルがそう言うと、


「そうです! もう気を使ったような口調はやめてくださいね!」


 リュエルもうんうんと頷く。


 まあ、学院の規律がそれを認めているのなら、俺もいつまでも肩肘張っていても仕方がないか…… 


「……わかった……それじゃあジュエル、リュエル、制服を受け取りに行こうか」


「ん! わかったの! ジュエルついていくの!」


「なんかお友達っぽいですね! こういうの!」


「リュエルは友達、ジュエルは友達以上なの」


 そんなことを言い合いながら、俺たちは別室に移動した。





 

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