第142話 線なしの優等生



「部屋に入ったら係りに名前を告げてくださぁい!」


 今から俺たちが入るのであろう部屋の前で、制服を着た上級生が案内をしている。

 部屋の前まで進み、中を覗き見るとアリーシア先輩が新入生を捌いていた。


 先輩が言っていた案内係りとはこのことだったようだ。


 紙と名前を照らし合わせながら年下の生徒を案内しているアリーシア先輩はとても優しそうに見え、本当にさっき攻撃してきた人と同一人物なのか? と、疑問に思えてしまう。

 

 ジュエルとリュエルの前に立っていた俺は、三人の中で最初に番が回ってきた。


「──ラルクです」


 アリーシア先輩の前に立った俺は、朝にあった出来事を思い出し、すこし緊張気味に名を告げる。と、


「はい、ラルククンは……一番の列にならんでください」


 意外とあっさりと指示を出された。

 別になにかを期待していたわけではないが、若干拍子抜けして先輩の脇を通り過ぎようとしたところ、


『制服見ても驚かないでね』


 と耳元で囁かれた。


 驚いて先輩を見るが、先輩はすでにジュエルの対応をしている。

 俺は何のことだろう、と思いながらも、言われた通り一番と書かれた列に並んだ。


 列には五人ほどの生徒が並んでいた。

 全員貴族だろう。

 俺はその最後尾で番を待っていると、


「あの茶色の長い髪の先輩と何をひそひそ話していたの」


 俺の後ろにジュエルが加わった。


「あ、いや、制服を見ても驚くな、とだけ。いったい何のことやら……」


「あの茶色の長い髪の先輩と知り合いなの?」


「ああ、俺の実技試験の班の担当だったんだよ」


「ふ~ん。茶色くて長い髪がよく似合う綺麗な先輩なの。ねえ、ラルク、知ってた? リューイ族の特徴」


 俺はこの時点で嫌な予感がして列の前を向いた。


「……と、特徴? いや、そこまでは知らないが……」


「じゃあ、教えておいてあげるの。ジュエルたちリューイ族の女は他の女の匂いをかぎわけるのがとても得意なの。覚えておくといいの」


 ジュエルが指先で俺の背中をトントンと突っつく。


「そ、そうなんだ……べ、勉強になったな……」


「なになに? なんの話しですか?」


 前を向いたまま顔を強張らせている俺の後ろにまたひとり加わった。

 どうやらリュエルも一番の列を指示されたらしい。


「ん、何でもないの。ラルクがジュエルたちと結んだ同盟に傷をつけようとしているだけなの」


「同盟って、なに? ラルクさんがどうして?」


「ん、いいの。ほら、そろそろラルクの番なの」 


 背中から棘のある視線を感じながら最前列となった俺は自分の名を伝えた。

 ここでも制服を着た上級生が応対をしてくれている。


「えぇと、ラルクさん……ですね……はい、こちら一式となります。替えの制服は三日後に届きますので、それまでは汚さないように使用して下さい」


 上級生はさっきの部屋で聞いた説明をもう一度繰り返し聞かせてくれながら、制服を台の上に並べる。

 袖を見ると目の前にいる先輩も【一本線】だった。


 俺は渡された制服をその場で広げ、袖の刺繍を確認する。が、そこには──


「線がない……?」


 驚いた俺は目の前の上級生に、


「すみません、これでは階級がわからないのですが……」


 縫製の段階での手違いかと思い、訊ねてみた。

 するとその上級生は後ろを振り返り、奥に立っていた教員らしき男の人を呼び寄せた。


「──ああ、君がラルクか。その制服のことだね? 説明するからついてきてくれ」


 後ろから俺のことを覗き込んでいたジュエルとリュエルが心配そうな顔をしているが、俺は表情で『行ってくる』と伝えるとその場から離れた。







 俺を部屋の隅に連れて行った男の人は、やはりこの学院の教員であっていたようで、名前をレナウンと名乗った。

 

「君の試験結果に試験官から疑義の声が上がってね」


 そう切り出したレナウン先生の説明によると、俺の試験結果に対して意見が真っ二つに割れているという。


 それを聞いて、俺は一瞬コンスタンティンさんが用意してくれた一次選考の書類が偽物だとばれたのではないか──と思い、息をのんでしまった。


 しかし、幸いにもそのことは関係なかった。

 曰く、鐘が壊れて数値が表示されなかったことが俺の評価に対しての争点になっている、とのことだった。


 数値が出ていないのであれば試験は不合格とすべきだ、という者と、今まで誰も成し得なかったことをした実力の持ち主なのだから合格に決まっている、という者。

 後者が、『それならもう一度試験を受けさせましょう』、と案を出すと、前者は『それは慣例に反する』と言い張り、結局妥協案を出すことによって俺を合格としたそうだ。


 直接には言わなかったが、どうやら現代派と古代派の問題が絡んでいるらしかった。




 アリーシア先輩が試験で手を抜くような受験生はいないっていうから……


 先輩の言葉を思い返して先輩が先ほどまでいた場所を、ちら、と見ると、ペロッといたずらっ子のように舌を出す先輩と視線が重なった。


 制服を見て驚くなって……先輩は知っていたのかよ……


「だから君の階級は暫定ということで【線なし】という形になったんだよ。学園始まって以来のことだから、揉めに揉めたんだがね」


 アリーシア先輩から先生に視線を戻し、先生の表情を窺う。

 困り顔で裏事情まで話してくれるレナウン先生は決して悪い人ではなさそうだ。

 【線なし】がどういう立ち位置になるのかは不明だが。


「そうすると、私はどこの階級に行けばいいのでしょうか」


 早く結果を知りたかった俺は先生に訊ねる。


「ラルクは一階級だ。暫定ではあるが、一クラスの生徒として胸を張って勉学に励んでくれたまえ。それと、顕現祭の前日に、毎年恒例の学年別紅白試合がある。そこで良い結果を出せれば、暫定などではなく、れっきとした【一本線】とする予定だ」


 なるほど、それが妥協案というわけか。


「──わかりました。ただ、鐘を壊したことによって成績に悪影響が出る、ということはあるのでしょうか」


「いや、それはないから安心してくれ。ちなみに今年の筆記試験は全問正解者が五人いたのだが、ラルクはその中に入っている。その結果だけでも十分に【一本線】に値すると、俺は思っているからな。【線なし】といって他の生徒からなにかと揶揄されるかもしれないが、実力は兼ね備えているんだ。紅白戦で結果を出すまでの辛抱と思って、堪えてくれ」


「そういうことでしたら。それでは戻ってもよろしいでしょうか」


 レナウン先生と話を終えた俺は部屋の出口で待つジュエルとリュエルのところへ戻った。




「どうしたの、ラルク。試験の不正がばれたの?」


 毎回ジュエルにはドキッとさせられる。


「ジュエル……いや、そんなことはない。ただ──」


 そう言って俺は手に持っている制服の刺繍部分をふたりに見せた。


「なにこれ。線がないということは……生徒じゃなくて用務員さんとして受かったの?」


「ジュエル……そうじゃないんだ、──歩きながら話そう」


 俺は建物の出口に向かって歩きながら、ふたりに先ほど受けた説明を掻い摘んで聞かせた。


「え、それでは鐘を壊した受験生というのは……」


 リュエルの驚愕に染まる顔を見ながら


「ああ、おそらく俺のことだろう。その結果がこれだとは……笑えないがな」


 冷静に答える。


「ひえ! ラルクが噂の受験生だったの! これはますます惚れないといけないの!」


「ジュエル! 普通はそういうことは声に出して言わないの!」


「ジュエルは声にするの。そうしないとジュエルの想いは相手に伝わらないの。同じクラスでとぉっても嬉しいの」


「だ、だからって、ラルクさんとはまだ出会ってからそんなに──」


「いまどき流行らないことを言ってるリュエルはいつまでも心に秘めていればいいの。そうしているうちに自分だけ取り残されてしまっても手遅れなの」


「もう! ジュエル! ──ラルクさんも何とか言って、って、あ! ラルクさん?」


 ふたりがおかしな会話をしているのを黙って聞いていたが、建物から出る扉の前に立っている人物と目が合い、俺はその人に対して軽く頭を下げた。


 近寄っていくとその人、ミレサリア殿下が二歩三歩近寄り、俺に声をかけたそうにしている。

 それを見て俺は、


「悪いがちょっと外す。また明日、講堂で会おう」


 そうジュエルとリュエルに伝え、殿下の前まで歩み寄った。


 おひとりなのか? と周囲に目を配ると扉の外側にシャルロッテ嬢と、その奥には数人の貴族の集団があった。

 おそらく用事を済ませるためにみんなを待たせているのだろう。




 俺は殿下が口を開く前に、


「ミレサリア殿下、礼を取らないご無礼、先にお詫びいたします。──具合の方はいかがですか?」


 学院内は慇懃な態度はご法度らしい。

 だから俺は最低限の礼節を保ち、殿下の前に立った。


 はたして殿下は俺に用事があったようで、


「先ほどはお見苦しい姿をお見せしてしまい、大変申し訳ございませんでした。お陰でだいぶ体調も良くなったのですが……」


 殿下は言葉を止めると俺の後ろに視線を向ける。

 俺はその視線の意味を瞬時に理解し、


「殿下、よろしければ少し歩きませんか?」


 この場から離れる提案をした。


 建物から出る際に俺の耳に聞こえた「ち」という舌打ちのような音は、ジュエルの口から発せられたもので間違いはないだろう。






 ◆






「おい、お前、サリアをどこに連れていくつもりだ!」


 建物を出て、木立を抜ける道へ進もうとしたそのとき、貴族の集団の中から怒号が飛んできた。

 声のした方を向くと、顔を真っ赤にした男が集団の一歩前に出て俺のことを指さしていた。


「ノースヴァルト卿──」


 ミレサリア殿下が小さく呟く。


 ノースヴァルト……?

 ああ、クラウズ=ノースヴァルト、殿下の婚約者か。


 それは少し厄介だな、と僅かに逡巡した俺は、


「──殿下、いかがいたしますか? 私の方はいつでも時間はお取りいたしますが」


「ラルクさ……ラルク、できれば今お話をしたく……」


「承知いたしました。それではノースヴァルト卿と話をして参ります」


「いえ! わたくしが話します。ラルクはここで待っていて──」


「殿下、お言葉ではございますが、卿は私を指さしておられます。であれば、私が話をするのが筋かと」


 そう言うと俺は肩を怒らしているノースヴァルトの下へ歩み寄っていった。


「──失礼いたしました。私はラルクと申します。ミレサリア殿下が私と旧知の間柄にある人物のことに関して息災の確認をいたしたいとのことで、光栄にもお声をかけていただきました」


「旧知の間柄の人物? 誰だそれは、適当なことを言ってごまかしても無駄だぞ!」


「はい、その人物はエミル、エミリア先生のことでございます。殿下はエミリア先生のご家族のことを心配しておられるそうです」


「エミリア先生だと? なぜお前のような平民ごときがエミリア先生のことを──」


「それは青の都を救われた聖女、エミリア先生のことを侮辱なさっての発言でしょうか。エミリア先生は元はブレナントの平民の出自、スレイヤきっての名家の出であるノースヴァルト卿がそのことをご存じないとは到底思えませんが」


「エミリア先生は別だ! お前がなぜエミリア先生のことを知っているのか、と聞いているのだ!」


「ですから旧知の間柄、と申しました。信頼いただけないようでしたらエミリア先生本人に確認いただければと。ただ、その際は私からも、私のことを平民と罵ったことも併せて報告させていただきますゆえ」


「お前! 貴族相手に脅し付けるつもりか! いい度胸だ、二度と逆らえないように──」


「お前たち何をしている! 揉め事を起こしているわけじゃないだろうな!」


 そこへ建物の中から教員が走り出てきた。

 走り寄る教員の傍を見ると、心配そうな表情でこちらを見守るシャルロッテ嬢と、その奥には──


 親指を立てて片目を閉じるジュエルがいた。


 ったく、ジュエルは……まあ、助かったからあとで礼を言っておくか……


 するとノースヴァルトの後ろに控えていた貴族たちが散り散りに去っていく。

 さすがに初日から問題を起こして実家に連絡などされたら、叱られるどころでは済まないのだろう。

 何とも貴族というのは不便な暮らしを強いられている。


 俺とノースヴァルトとの間に立った教員に対し、俺が先手を切って口を開く。


「いえ、自己紹介をしていただけです。私の名を皆さんに早く覚えていただきたく思いまして。ただ、少し声が大きくなってしまっただけのことです。ご心配をおかけしました」


「──そういうのなら今回はそういうことにしておくが、いいか? くれぐれも身分を笠に着る態度での問題は起こすなよ? 学長はそのことに関してだけは一切の手心を加えないからな」


 口を開こうとしないノースヴァルトに代わり、俺が返事をする。


「承知しました。肝に銘じます。──さあ、それでは殿下、参りましょう」


 俺は憤怒に顔を赤く染めているノースヴァルトを横目に、ミレサリア殿下と小道へ入っていった。






「申し訳ありません、ラルクロア様……」


「殿下、お気になさらずに。エミルのことを聞きたかったことは嘘ではありませんので」


「なんだか、ラルクロア様、とても大人になられたというか……その日焼けした肌といい、厚い胸板といい──ラ、ラルク?」


 殿下が俺のことをラルクと呼び、後ろを気にした様子で袖を小さく引いてくる。

 

「──ええ、私も気付いています。殿下、畏れ多いのは承知の上ですが、私と少しだけ手を繋いでいただけますか?」


「え!? は、はいッ!」


 突然の頼みごとも素直に受け入れてくれた殿下は俺の右手をギュッと握った。

 それを確認した俺は──


「──リーファ、頼む」


 風の精霊リーフアウレに指示を出す。

 すると俺と殿下の身体が、ふわり、と宙に浮き、


「きゃ!」


「大丈夫です。そのままで」


 リーファが軽く浮き上がった俺たちを高い木のてっぺんまで持ち上げる。


「す、凄い! 凄いです! 飛んでいます! ラ、ラルクロア様!」


 興奮する殿下の熱が右手から直接伝わってくる。

 そしてリーファは俺たちふたりを見晴らしの良い枝にそっと下ろすと、ふふ、と笑い、姿を消した。


「さあ、ここでならゆっくりと話ができます。──随分と御無沙汰をしておりました、ミレサリア殿下。お変わりないようで、このラルク、ひとまずは安堵いたしております」


「ラルクロア様……わたくし……」


 殿下が感極まった様子で言葉を詰まらす。

 繋いだままの右手は小刻みに震えている。


「長い……それはとても長い七年でございました……」


 そしてだれにも邪魔されることのない空間で、俺とミレサリア殿下は七年の空白を埋めるかのように、時計台の鐘の音が日暮れを知らせるまで語り合った。


 俺たちが木の上に舞い上がる際に「ち」と言っていたジュエルも、臍をかむノースヴァルト卿の気配も、いつし辺りからなくなっていた。






 

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