第132話 リューイの魔法師
七年ぶりに訪れた冒険者街は、別の街ではないかと目を疑うほど美しい街並みをしていた。
夕焼けの朱と水路の青が絶妙な色合いで街を照らし出し、さらに食堂から漂う香しい匂いが通行人の唾液を誘出させる。
以前は荒れ放題だった入口付近も綺麗に整備されていて、酔っ払いの姿などどこにも見えない。
無論、水路で用をたす輩もいない。
なにより家族連れが多いことに驚かされる。
小さい子どもを連れて冒険者街に食事に来る家族の姿など、七年前では想像もできなかった。
それがどうだ、今や観光名所のような様相を呈しているじゃないか。
よく見れば冒険者らしき屈強な男どもが、若い男女たちに街の案内をしている。
慣れたように建物や施設の案内をしているところをみると、付け焼刃などではなさそうだ。
あの冒険者たちはしっかりと教育された上で仕事として従事しているのだろう。
「カイゼル……どれだけ厳しく指導したんだよ……」
今日の宿は冒険者街にとってある。
確かモーリスが家を購入してくれているはずだが、学院の新入生は一年の間は寮で生活するよう規則で決められている。
だから一日、二日だけなら、と、安い宿に泊まることにしたのだ。
もちろん、大部屋の宿は避けて。
あそこに入ってみようか……
──良い香りに釣られた。
今夜は宿で夕飯を、と考えていたのだが、せっかくだから綺麗になった食堂に立ち寄ってみることにした。
七年前は怖くて近寄ることすらできなかった店だ。
外観は美しく保たれており、これなら女性の一人客でも臆することなく入店することができるだろう。
「変われば変わるもんだな……」
水路沿いに並べられている席のひとつに着き、モーリスも半ば諦めかけていた冒険者街の改革に感嘆の声を漏らしたとき
「いらっしゃい! お兄さんひとりかな?」
元気のいい店員の声が聞こえてきた。
「ああ、ひとりだ。食事できるかな?」
「了解! どんなのがいい? えっと、今日のお勧めはレンクーン産の魚とトリクス産の茸、あとはクロスヴァルトから羊が入ってるよ!」
「クロスヴァルト? そんな遠くの食材が?」
「今日たまたま冒険者が帰ってきたんだよ。山岳地帯が多いあそこの羊は美味くて有名だからね、いい値段はするけど滅多に食べられないからお勧めかな」
「そうか……なら、それを炭焼きで。少し大きめに切りつけてくれ。味付けは岩塩だけでいい。それから、軽めのものを二品、果実酒を水で薄めたものを一杯、頼めるかな?」
「は~い、じゃあ出来たものから持ってくるから、ゆっくりしてって!」
ここの店の娘だろうか、厨房に注文を出した後も他の席の客から手際良く注文を取っていく。
これで味に問題がなければこれだけ流行るのも立地だけではないと頷ける。
俺はアクアに冷やしてもらった果実酒を飲みながら、日が沈みゆく都の景色を飽きることなく眺めていた。
「ここ、空いていますか?」
ぼーっと明日のことやらクロスヴァルトのことやら考えていたところ、ふいに女の人の声が聞こえ、俺は声のした方に顔を向けた。
するとこの季節にしては少し暑いだろう外套を目深に被った人物がふたり、俺を見ていた。正確には俺が座る四人がけの席の空席を見ていた。
「あ、ああ……」
周りを見るといつの間にかすべての席が埋まっている。
このふたりは相席を求めているのだろうことを即座に理解した。
「──空いているよ?」
俺は前の席をふたつ指さす。すると声をかけた人物が「ありがとうございます」と俺の前に座り、もうひとりは無言で俺の隣に座った。
俺はふたりとも正面に並んで座るものとばかり思っていたので、慌てて卓上の料理を俺の方へ寄せた。
「いらっしゃい、ふたりかな? あ、お兄さん、相席ありがとうね、炭焼きはもうちょっとで焼きあがるから」
店員が俺の席に座ったふたりから注文を取ろうと料理の説明を始める。が、
「あ、あの……パンとお水を……ふたつずついただけますか……」
正面に座った少女が遠慮がちにそれだけ注文する。
「え、あ……うん、うちのパンは最高に美味しいよ! 一度食べたら他の店のパンなんて食べられなくなっちゃうんだから! じゃあ、すぐに持ってくるから待っててね!」
店員の娘さんは少ない注文にも笑顔で応じて厨房へ駆けていく。
俺は豆を串に刺して焼いたものを一口頬張ると、暮れなずむ景色よりも相席のふたりの会話が気になり、耳を傾けた。
「……今日もパンなの」
「で、でもほら、今日はふたりとも頑張ったから奮発してオシャレなお店に、」
「でもパンなの。あんなにいい匂いがしたのにパンとお水なの」
「お店の人も最高に美味しいって、」
「自分の店の料理を悪く言う店員なんていないの」
「う……じゃ、じゃあ明日の試験に合格したら、そのときはさっきのお店の人が言っていた、なんとか産の羊のお肉を食べましょう! ね!」
「それ、昨日も言っていたの。今日の選考試験を通過したらお肉を食べようって」
「そ、それは! ……言ったけれど……」
「それなのにパンなの。昨日もその前も、その前の前も、その前の前の前も、ずーーーーーっとパンなの」
「……ごめんなさい……で、でも明日の試験に受かって寮に入ることができれば、帰国に必要なお金は食費に回せるわ、だ、だから、あと一日だけ──」
「お待たせ! お兄さん! 本日のお勧め、クロスヴァルト産羊肉の炭火焼だよ! あ、こっちの魚の串焼きは相席してくれたお礼、遠慮しないで食べて!」
このタイミングで持ってくるか!
「──おふたりさんは、はい! 当店自慢のパン、とお水! 追加があったら声かけて! じゃあ、ゆっくりしてってね!」
店員さんが俺の前にデンと大きな皿を置き、ついでとばかりに相席のふたりに一枚の皿に載ったふた切れのパンを置いていく。
「ほ、ほら、美味しそうな焼きたてパンが来たわよ! 神様に感謝していただきましょう!」
「……わかったの」
ふたりは一言二言祈りの言葉を口にすると──あっという間にパンを食べ終えてしまった。
「…………」
無論、気まずくて俺は自分の頼んだ料理に手をつけていない。
「ごちそうさまでし──ぐうぅ~」
俺の正面に座る少女が両手を合わせ、感謝の言葉を言い終える前に胃が不満を訴えていた。
すると俺の隣に座る女の子も、
「ごちそうさまなの! 急いでお水を飲んでお腹の中のパンをふやかすの!」
胃の隙間を水で満たそうとしたのか、一気に水を流し込んだ。
俺はレイクホールで出会った料理屋の店主、ジゼルさんの顔を思い出した。
あの人も今の俺と同じ気持ちだったのかな──などと懐かしみながら
「──迷惑でなかったらこの羊肉食べないか? 俺の故郷の料理だから美味いと思うぞ?」
気が付いたらそう声をかけていた。
ふたりの会話がピタリと止み、そう勧めた俺の顔──ではなく、鉄板の上でじゅうじゅう音を立てている肉を見たまま、
「かみ……さま……の声が聞こえたような……」
「ジュエルにも聞こえたの! 神様が迷える子羊に羊を与えてくれるって聞こえたの!」
よだれが垂れる勢いで神と交信している。
「ほら、俺はこの魚の串焼きをもらうから、この肉はふたりで食べてくれ、一応、味の感想なんか教えてくれるとありがた──」
「──い、いただきます!」
「──神様ありがとうなの!」
「…………」
俺が魚の串焼きを一本食べきる前に、ふたりは結構な量の肉の塊を平らげていた。
俺はその食いっぷりを見ているだけでジゼルさんの気持ちがわかったような気がした。
美味しいものは、それを喜んで食べてくれる人にこそ食べてもらいたい、空腹で悩める子どもたちを笑顔にしたい、そんな思いだったのかもしれない。
試験を受ける同士であることも間違いなさそうだ。
そうであればなおのこと明日に備えてもらいたい。
久しぶりの故郷の味を堪能できなかったのは残念だったが、仲良く分け合い美味しそうに食べるふたりを見て俺も幸せな気分になったから良しとしよう。
明日も来るから羊肉を取り置きしておいてもらえないか店の人に聞いてみようかな。
「神様ごちそうさまでした!」
「神様ご馳走様でした!」
「お肉だったの!」
「お肉でしたね!」
骨まで綺麗にしゃぶり尽くしたふたりは、満足げに尻尾の毛づくろいを始めた。
そんな姿を見て
「──綺麗な尻尾だな、ふたりはリューイ族なのか?」
俺は幼いころに読んだ文献の記憶から、種族を訊ねてみた。
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