第117話 無の世界での最後の賭け


「──勝手なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」




 顕現祭まで、あと一日──。



 僕は昨日の夜に起きたことをコンスタンティンさんに報告するため、朝一番で城を訪れていた。

 執務室に通された僕は正面に腰かけるコンスタンティンさんと向き合い、ふたりきりで話をしている。


「……そう……いえ、こちらこそありがとう」


 ひと口飲んだだけの、冷めきった紅茶が入ったカップに視線を落としたコンスタンティンさんが小さな声で礼を言った。

 

 どんな事情があるにせよ、僕は自分の取った行動が、褒められたことではないことなど理解している。

 『二階の奥の部屋には近寄るな』──というコンスタンティンさんとの約束を破ったのだから。

 しかしコンスタンティンさんはそのことを怒るどころか、礼を言った。

 

「お礼を言われるようなことなんて……」


「私が説明を怠ったことにも問題があるのだもの」


「とはいえ……精霊の導きに従ったまでは良いんですけど……僕も意識して治癒魔術を行なったのは初めてのことなので、効果のほどは……」


 正直、僕もどこまでのことができたのかは、わからない。

 アリアさんとフラちゃんを蘇生させたのも、無意識下の僕がしたことだ。

 しかしそれでもコンスタンティンさんは「ありがとう」と言ってくれた。





「……少し話していいかしら……」


 そう言うとコンスタンティンさんはカップを手に取り、紅茶で口を潤す。


「本当はキョウに負担をかけないよう、すべてが終わった後で、と思っていたのだけれど……」


 僕が「はい」と頷くと、コンスタンティンさんは開かずの間の少女のことを話してくれた。



 そして二の鐘が鳴り、使いの者がお師匠様から届いた伝報矢メッセージアローを持ってくるまで話は続いた。








 ◆








「あの少女エルフにそんなことが……」



 城を出た僕はすぐに馬車に乗る気にはらななかった。

 

 喧噪の中に身を置きたい──そんな気分だったのか、僕の足は自然と人がたくさんいる運河沿いの通りへ向かっていた。

 人の波に身を任せて、ぼーっ、と歩きながらも、頭の中はコンスタンティンさんから聞いた少女のことで埋め尽くされ、僕は思考の渦から抜け出せずにいた。




『まだ小さかったあの子が館の門の前に放置されていたところを私が見つけて──』


『そのときにはすでに、目も、耳も、言葉も不自由だった──』


『少女の両親を探したけれど手掛かりとなるようなものはなにもなく──』


『名をロティとして、私が育てることにした──』


『彼女の出生に関することはなにもわからなかったけれど、調べてわかったことがひとつだけある──』


『それは、あの子がなにかしらの”呪い”を受けているということ──』


『それがなんの呪いかわからない以上、彼女を館から出すわけにはいかなかった──』


『そして十五年が経った今では、彼女は部屋からも出なくなった──』


『でも、どういうわけか、あの子は館に来たときから精霊が傍についている──』



 


 コンスタンティンさんは手を尽くして両親と、そして呪いを解くカギを探したが、十五年の時を経た今を以って手掛かりはなにも見つかっていないという。

 

 ──そしてコンスタンティンさんは最後にこう付け加えた。


『あの子の呪いは非常に強力で、どんなに高位の治癒師や魔法師、加護魔術師でも解くことができなかった。だから、キョウの力でもおそらくは……』と。




 コンスタンティンさんの話を反芻し、僕は自分なりに考えを纏めようとするが、ひとつも上手くいかない。


「呪い……」


 『呪い』などというおどろおどろしい単語が頭を巡り、杳として思考が先に進まないのだ。


「いったいなんの呪いなんだろう……お師匠様でもわからないなんて……」


 お師匠様やエルフの識者をして『不知』と言わしめた少女の呪い。


 少女の背中にある『あざ』は年を追うごとにはっきり浮かび上がってきているそうだ。

 唯一にして最大の特徴となる、少女が呪いを受けている根拠となった『痣』──。


「どうにか助けてあげたいけど……」


 少女がいつ目覚めるかはわからないが、今の時点ではアクアとリーファから切羽詰まった感覚は受けない。

 そのことから少女の呪いが悪化、もしくは進行する、ということはないと思われる。

 


「──館に戻ってパティさんとも相談しよう……」







 ◆







 私はなんのために生きているのだろう……。


 


 光もない、音もない、閉じ込められた無の世界で少女は育った。




 必要なものはコンスタンティン様がすべて揃えてくれる──。

 身の回りの世話や、様々なことを教えてくれる三人の友人もいる──。

 そして物ごころついたときから私の目となり、片時も傍を離れずに寄り添っていてくれた精霊がいる──。




 しかし、今年でおそらく十六歳となる少女は生きる希望を失っていた。

 いや、正確に言えば十六年の間、生きる希望を持ったことはただの一度もなかった。


 幼い頃は部屋を出て、館の中で遊ぶこともあったが、自分が他人と違うことを知ってからは部屋にこもりがちになった。

 そしてもう何年も前から少女の心は、自分では何もできず、生きて行くには人に迷惑をかけなければならない、という罪悪感で満たされ、限界まで疲弊しきっていた。 



 そんな折、少女は不思議な人物と出会う。 


 その人物は、長く絶望の淵にいた少女の目の前に突然現れた。


 そして──



【あ、な、た、は、ひ、か、り、を、み、た、い、で、す、か】



 少女の手を優しく握る、精霊が連れてきたその人物は確かにそう少女に伝えた。

 

 いままでもそういった人物はたくさんいた。

 コンスタンティンが何人も連れてきた。が、ひとりとして、ただの一度も少女の願いを叶えてくれた者はいなかった。


 必ず治る──。

 今度こそは治る──。


 何度も聞かされ、何度も裏切られた。


 そしてコンスタンティンが持ってくる治療の話はすべて断るようになってしまった。

 いつしか少女は、コンスタンティンから教えられた神さえも、生活の中から遠ざけるようになってしまっていた。



 きっとこの人も今までの人と同じ──。


 しかし、それでも少女は運命的なものを感じ取ったのだろうか。



 この人で駄目なら私はすべてを諦めよう。

 生きることそのものを放棄しよう。

 だから最後に、この人に託してみよう。



 少女は人生最初で最後となる賭けを、この初対面の人物を相手にしてみることにした。





 そして──


 ──少女は見た。


 眩いばかりの光を。


 ──少女は知った。


 奇跡は必ず起きることを。


 ──少女は考えた。


 生きることの意味をもう一度。


 ──少女は記憶に刻み込んだ。


 今、自らに奇跡を起こした人物の手の温もりと、匂いを。


 ──少女は誓った。


 今日のことは決して忘れないと。

 

 生を諦めることはもう二度としない、と。



 そして──少女は静かに意識を手放した。







 ◆







 少女は窓から入り込む優しい風に頬を撫でられ目を覚ました。


 目を覚ました、と、同時に、眠る前に起きたことをすべて思い出した。


 そして、そのことと引き換えに、今の今まで見ていた夢が朧霞となり消えて行く。


 しかし、今見ていた夢は霞となっても、昨日起きた奇跡は夢などではない。

 小さな手の温もりと、匂いは、確実に魂に刻まれている。


 だが── 


 昨日見た光はそこにはなく、今までと同じ無が広がっていた──。

 奇跡は長く続かなかった──ことを少女は無情にも思い知らされた。


 それでも少女は、刹那であったとしても光を見られたことに生きる希望を見出した。

 いつかはもう一度、必ずこの眼であの光を見よう──と。


 そしていつものように寝台から起き出す少女だった──が、強い違和感を覚え、身体を竦めてしまった。

 いつもと同じ朝だが、いつもとは決定的になにかが違う。それがなんであるのか気が付くまで、少女はかなりの時間を要した。


「──!」


 そのことに気が付いたとき、少女の蒼い瞳は見る間に涙で溢れていった。

 

 は柔らかい風に乗り──少女の鼓膜をそっと揺らしている。


 少し開いた窓枠に止まる小鳥のさえずり──。


 少女はが何の音なのか理解できていないでいた。無論だろう。

 初めて耳にするのだから──。


 無の中に突如として現れた『有』──。

 静の中に突如として現れた『騒』──。 


 初めて脳に伝わる『音』は恐怖だったかもしれない。

 しかし、少女は感極まり咽び泣いた。


「──うぁ、うぁぁ! ──!」


 だが、そこで少女は再び身体を硬直させた。

 

 今、頭に届いた音──。


 風が運んできた、鼓膜を伝わり聞こえる音とは明らかに異なり、直接脳に響いた音。

 少女は信じられない、といった様子でいま起きたことを再現しようとする。


 いや、まさか、でもそうとしか──。


 そして──


 少女は頬の涙を袖で拭うと、先ほどと同じように、喉から絞り出すように息を吐いた。

 ゆっくりと、ゆっくりと。


「……ぅあ、……ぅああ、──!!」


 少女は身を震わせた。

 自分の喉を通った空気が、口内に反響し、そして頭蓋に伝わる。

 少女は喉に手を当てるともう一度試してみた。 



「──ああああ、あああ! あああああッ!!」



 間違いない。

 喉の振動が脳に伝わる音と同期している。



 これが、私の、『声』──。



 そして少女は、寝台に顔を埋めて嗚咽を漏らし泣いた。


 いつまでもいつまでも泣き続けた。




 『無』しかなかった少女に奇跡をもたらした名も知らぬ人物を想い──。





  

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