第115話 禁断の間
顕現祭まであと二日──。
「今晩は、コンスタンティン様」
「お待たせしました、キョウ。──館の居心地はどうですか? あの三人姉妹は粗相をしていませんか?」
顕現祭が二日後と迫り、青の都は深夜であっても昼間のような華やぎを見せている。
都には終夜灯りがともされ、まるで水中深く沈んでいる街に、神が
その中でもひと際神々しく浮かび上がっているスレイヤ城の城門前で、コンスタンティンさんに呼び出された僕はこのひと月のことを思い起こす。
「──粗相だなんて、ご迷惑をかけているのは僕です。なにからなにまでお世話になりっぱなしで……本当にありがとうございます」
「そうですか、満足いただけているようでなによりです。──城の中は……要人の滞在客も多いですから、あちらで話しましょうか」
僕に気を遣ってくれたコンスタンティンさんは門の外にある庭に向かって歩き出した。
このひと月、僕はほぼコンスタンティさんの館から出ることはなかった。
だから役に立つこともできていないし、目立つような真似もしていない。
コンスタンティンさんの指示──ということもあるが、それとは別に大きな理由がる。
──どういうわけか僕が都に来てから一度も無魔の黒禍が出現していないのだ。
そのため出動の機会がなく、館で鍛錬に励んでいたのだった。
たまにバークレイさんから呼び出される日もあったが、それは無魔の黒禍に関することではなく、神抗魔石を使用した事件のときだった。
だが被害も小さく、衛兵だけで片付くような案件ばかりだったので近衛隊はすぐに撤収となった。
神抗魔石をどうにかして手に入れたかったが、僕が持っていてあらぬ疑いを掛けられても厄介なので、それに関しては衛兵やバークレイ隊長、そしてコンスタンティンさんに任せることにした。
コンスタンティンさんとこうしてゆっくり会うのも模擬戦を行った日以来だ。
一度だけ身分証を受け取りに城まで来たが、門の外で立ち話をしただけで、すぐにコンスタンティンさんは執務へと戻ってしまった。
一見平和に見える都とは裏腹に、コンスタンティンさんはとても忙しくしているようだ。
「──いよいよ二日後ね」
ふたりきりになり、口調を変えたコンスタンティンさんが先に口を開くと
「あっという間でしたね」
夜も遅いというのにまだ多くの客で賑わう屋台を眺めながら僕は答えた。
色とりどりの花が植えられているこの庭園にはいくつかのテーブルとイスが設置されているが、深夜の時間帯ということもあり、僕たちふたり以外に利用している人はいなかった。
「──キョウのお陰でここまで無事にやって来れたわ、ありがとう」
「え──僕はなにも……」
コンスタンティンさんからの思いもよらない言葉に僕は面食らった。
ほぼ館から出ることがのなかった僕が、都の平穏に協力したとはとても思えない。
「キョウがこの都にいる、それだけで抑止力になっているのよ」
「はあ、そうなんですか……」
僕が都にいるなんて、誰が知っているんだろう。
よくわからないが、そのことを質問したところでうまくはぐらかされて、正確な答えなど返って来ないと踏んだ僕は
「コンティお姉さまがそう言うのであれば……」と返すに留めた。
「顔付きも変わったようね。なにかあったのかしら」
「ええと、時間がたくさんあったので……ちょっと鍛錬を……そのせいかもしれません」
「退屈だった? でも明日、正確にはもう今日ね。──動きがあるはずよ」
緊張をはらんだ声でそう言うコンスタンティンさんの横顔を見る──と、穏やかな表情は消え、射るような視線で都を見つめていた。
「──っ、ということは、無魔の黒禍が姿を現すんですね」
今夜呼ばれたのはこの話のためだと予想していた。が、コンスタンティンさんの始めて見せる剣呑さに一瞬言葉を失ってしまった僕は、ごくりと唾を飲むことでできた間を使いどうにか言葉を絞り出した。
コンスタンティンさんは言葉を発する代わりに小さく頷いて見せた。
視線の先になにを見ているのか──。
すでに無魔の黒禍との戦いを頭に思い描いているのかもしれない。
「では、僕はどうすれば」
僕はそのときのためにやってきたのだ。
覚悟は十分過ぎるほどにできている。
しかし自分でもわかるほどに固く握りしめた手には汗が滲んでいた。
「ふふ、今回は手加減する必要はないわよ?」
肩肘張っている僕を和らげるように頬を緩めたコンスタンティンさんが続ける。
「狙われているのは紅い髪の──」
◆
僕はコンスタンティンさんから指示を受け、帰路に着いた。
「お帰りなさいませ、キョウ様」
「パティさん? 起きてたんですか? すみません、遅くに帰宅して」
「いえ、お気になさらず。──あと二日ほどで卵が孵りそうでしたので、ご報告をと思いお待ちしておりました」
深夜にもかかわらずこうして起きて待っていてくれるパティさんには本当に頭が下がる思いだ。
すべてが片付いてしまえばこの館のみんなともお別れだと思うと、やはり心淋しい。
「──ありがとうございます。そうだ、今日は卵に会えるかわからないので今から会いに行っても大丈夫ですか?」
「無論でございます。さあ、どうぞ」
パティさんの案内で食堂へと移動する。
卵は今や大きくなりすぎて、食堂で飼育(?)されているのだ。
「……また大きくなってますね……」
もう僕の両手では抱えられない。
パティさんでギリギリどうか、というところだ。
色もまっ黒で、これが卵と知らなかったら間違いなく捨てられてしまうだろう。
それほどに……薄気味悪い。
でも僕はパティさんに言われた通り
「いい子、いい子」
といって撫でてやる。
確かに不気味な物体ではあるが、何となく愛情が湧いているのも事実だ。
まあ、ひと月も撫でつづけていれば大抵はそうなるだろう。
しかし未だになにが生まれるかは定かではない。
あれほど鼻についていた臭いも、今はまったくしない。
「二日後が楽しみですね」
パティさんにこんな時間でも対応してくれたことにお礼を言い、僕は部屋へ戻った。
そして──
僕はテーブルの上に屋台で買ってきた食べ物を並べ、湯浴みに行く──振りをして、寝台の下に潜り込む。
といっても寝台の下で眠るためじゃない。
館に来た初日からずーっと感じている、なにかの気配の正体を突き止めるためだ。
あの、忽然と消えた食べ物の行くえがどうにも気になって仕方のなかった僕は、外に出たついでに屋台の食べ物をたくさん購入してきたのだ。
というのも、館にある食材には一切反応を示さなかったから。
そこで僕は考えた。
あの日と同じ状況だったらどうだろう! と。
絶対になにかの気配を感じるんだよな……
今日こそは正体を暴きたいんだけど……
寝台の下で息を潜め、食べ物から目を離さないように頑張る。
今日に備えて早く休みたいんだけど……
しかし、このことが解決すれば、集中を阻害する要因がひとつ減る──という理由を建前として行方を見守ることにした。
そしてその体勢のまま半アワルほど経ったとき──。
扉が音もなくスーッと開いた。
思った通りだ! やっぱり来たぞ!!
僕はいよいよ食べ物泥棒の正体を突き止められる、と、暗がりに目を凝らす。
するとそこには──
せ、精霊!?
光の珠がひとつ、ふわふわと浮かんでいた。
なんでこんなところに精霊が!?
僕の心の声もよそに精霊はテーブルまで近寄ると、ぶわっ、と膨れ上がり、
え? え? えええ!?
テーブルの上に乗っている食べ物をすべて包み込んでしまった。
そして何倍にも大きくなった光の珠はよたよたと扉の方へ戻ると──何事もなかったかのように部屋から出て行った。
な、なんだ今のは!? 精霊だったのか!?
僕はなんとも奇妙な光景に空いた口がふさがらなかったが、ハッ、と我に返ると扉を開き、光の珠を追いかけて部屋を出た。
扉から出ると、光の珠がちょうど廊下の角を曲がる所だった。
僕も見失わないように、そして見つからないように、抜き足差し足で後を追い、角を曲がる。
すると光の珠はふらふらと、覚束ない足取り(?)で階段を二階へと上がって行く。
最後まで見届けたい僕も階段に足を掛けた。
二階に上がった光の珠は頼りない飛び方で奥へ奥へと進んで行く。
この先は確か……
コンスタンティンさんから絶対に近寄るな、と釘を刺されていた部屋がある場所だ。
まさか、その部屋に向かっているのかな……?
そうこうしているうちに光の珠は、僕の予想通り一番奥の扉を開けると、吸い込まれるように中へ入って行ってしまった。
うう、気になる……
気になるけど……
コンスタンティンさんとの約束だ。
好奇心を満たしたいという理由だけで(屋台の食べ物を盗られたという実害もあるにはあるのだが)他家の事情に軽々しく足を踏み入れるのは恩を仇で返す行為だ。
見なかったことにして部屋に戻ろう……
一両日中に無魔の黒禍の騒ぎに決着が付けばこの館とも離れることになる。
であればこのことは知らない振りをしてレイクホールに帰ろう。
そう思ったときだった。
僕の身体をアクアとリーファが包み込み、
「うわ! アクア! リーファ! ちょっと! どこ行くのッ!!」
僕の意思と反して開かずの間の方へと引っ張って行く。
こんなこと初めてだったので、僕は驚いて声をあげる。
「だ、だめだって! そっちは近付いたらだめだってコンスタンティン様が言ってたでしょ!!」
しかし腕を引かれるように廊下を引き摺られ──僕は不本意ながら禁断の部屋の扉の中へ連れ込まれてしまった。
◆
部屋の中は暗く、なにも見えない。
『アクア、リーファ、さすがにまずいって! 早く出ようよ!』
声を潜めて精霊たちに懇願するが、僕の頼みなどまったく聞いてもらえずに奥へ連れていこうとする。
そして隣の部屋に繋がっている扉を開き──僕はまたしても抵抗虚しく不法侵入を犯してしまった。
やっちゃったよ!
声に出てしまっていたのかもしれない。
もしかしたら、誰かが侵入してきた気配を感じたため、両手に持っている食べ物を手にしたまま、さらには食べ物を口いっぱいに頬張ったまま、微動だにせず固まってしまっているのかもしれない。
そして僕はこの状況で最適と思われる選択を選び、行動に移した。
「こ、こんばんは……勝手に入ってしまってごめんなさい……」
心からの謝罪だ。
「……」
青い月明かりに照らされた部屋の主は、絵本から飛び出してきたように美しい、尖った耳を持つ少女──。
しかし、未だ身を固まらせ動かずにいる少女の瞳を見た僕は──少女が盲目であることを即座に理解した。
そして──不自由であるのが視覚だけではないことを、僕はすぐに知ることになった。
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