第114話 精神力の鍛錬


 コンスタンティさんの館の庭にあるひと際大きな木の下で、僕は静かに目を閉じていた。


 ……集中して、


 集中して


 集中だけして


 集中するために集中する──。



 が……


 

「──痛っ! また斬られた!」 


 頭の中で対戦するバークレイ隊長との勝敗は、これで0勝十九敗だ。


「本当……今更だけどよく勝てたな……」



 僕は今、精霊が姿を現さなくてもできる加護魔術の鍛錬、集中力を高める鍛錬を行なっている。




 昨日の模擬戦を思い返して片刃剣サーベルの軌道を忠実に再現するが、あまりにも現実的に──刀身に映る修練場の景色まで──思い出してしまうため、実際に斬られてしまったかのような錯覚を起こしてしまう。

 昨日はそれほどに集中力が高まって、剣がよく見えていた、ということなのだろう。


「加護魔術がなければ僕が勝てる要素なんてあるわけがない、ということだよな……」


 当然だ。

 つい数カ月前までは最底辺である『無魔』だったのだ。

 近衛の中でも指折りの騎士に、どうやったら勝てる道理があるというのだ。


「それだけすごい力を手にした、ということか……」


 自惚れや驕りなどとは縁遠いと思っていた僕が、今手にする力を前につい慢心に似た感情を抱いてしまいそうになる。

 しかし僕は忘れない。

 アリアさんやフラちゃんを護れずに傷つけてしまったこと、大切なものを護れなかった胸の痛みを。

 

 もっとも驕り高ぶった時点で精霊は僕を見放すだろう。

 だから僕は鍛え続けなければならないのだ。



 ……その第一歩として集中力の鍛錬なんだけど──。


 






 集中……しなきゃ……


 集中……



「やっぱりただ目をつぶっただけだと雑念が湧いてくるな……」

 

 特に、昨日湯浴みをしている間に消え去った食べ物のことが気になってしまう。

 あんなにたくさん、誰が食べたんだろう──と。

 『もしかして卵が食べたのかな?』ってパティさんに聞いてみたら、『この……卵が……どのようにして食べるのでしょうか……?』と逆に聞き返されてしまった。

 そりゃそうだ。

 引き出しにしまっていた卵が勝手に外に出てきてテーブルの上の食事を食べ尽くす、なんて、荒唐無稽にも程がある。

 パティさんの失笑も当然といえば当然だ。


 ほら、今もそんなことを思い出しているということは、集中していないということだ。


 ……だめだ、だめだ、こんなんじゃだめだ。


 ──よし、もう一本!




 僕はもう一度ぎゅっと目をつぶり、昨日の朝模擬戦を行ったバークレイ隊長の剣の軌道を思い出す。


 ……ほら、隊長が構えてるぞ……


 切っ先は……? よし、見えている!



 ……ここで一気に踏み込んで来る……速い! でも狙って来るのはみぞおちだ、冷静に対処して……そう!

 ……次は……右肩だ! 問題ない、まだ刃は見えている、身体を捻って……


 よし、躱した!



『──小さい身体を活かして逃げに徹する、か。それも戦う術のひとつであろうが──』


『逃げてばかりでは護るべき対象が危険に晒される──ぞッ!!』


 ここだ! ここで魔法障壁に取り囲まれて致命傷を受けてしまう!

 冷静に、しっかり隊長の太刀筋を見て! 

 頬を掠める刃先を避けて──


「──グアッ!!」





 ◆





 0勝二十敗……



「またか……どうしても予想外のことが起こると対処が遅れてしまう……反撃のタイミングもわからないし……」


 次に狙われている場所がわかっていても見えない。

 あのときはあんなに遅く感じた剣筋だったのに……


「やっぱりあの魔法障壁に囲まれて、逃げ場を失ったときの動揺が後を引き摺ってるんだろうな……」


 お師匠様にも言われたな……咄嗟の危機に対応する能力が著しく欠如しているって……


「慌てちゃうからいけないんだよな……視野が狭くなっちゃうし……」


 自分でも欠点は理解している。

 予想外の事態に直面すると、次に取るべき行動がいくつも出てきて、迷いが生じてしまうのだ。

 その中からひとつを選ぼうとしても、その次の一手が出て来ずに、詰まってしまう。

 予想外の事態なんて、実戦では当たり前だというのに……




「──よし、じゃあ次は精霊言語を詠唱してから特訓してみよう」


 さすがに二十一連敗は精神的に辛い。



 なんとか一勝をもぎ取ろうと僕は集中力を高めるための詠唱を口にする。


「【ふげんさんまやの印──りん】」


 すると──今の今まで頭の中に浮かんでいた余計な思考が瞬く間に霧散し、つま先から頭の天辺までキーンと澄み渡る。


 ──よし、この感覚はあのときと同じだ。

 集中は……できている──。

 

 バークレイ隊長の剣先が上下にぶれている。

 さっきまでは見ることが適わなかった光景だ。




 そして、頭の中で何度も何度も繰り返したバークレイ隊長との模擬戦が──


 『──初め!』


 ──コンスタンティさんの掛け声とともに、始まった。



 一の太刀、二の太刀を見極め、余裕を持って躱す。

 そして魔法障壁を張られ──


「ここだ!」


 頬に傷を受ける──が、かすり傷だ。


「よしッ!」


 躱せたッ!!


 隊長の脇をすり抜け──


 ガラ空きの背中に右腕を伸ばす。


 …………。



 『──そこまで!』


 コンスタンティさんが模擬戦の終了を宣言する。



「──っふうぅ、い、一勝……」


 なんとか手にした一勝だが、脳内ではすでに二十一連戦しているだけあって、尋常ではないほどに身体が熱を発していた。

 集中力を高めることでどうにか一勝できた。が、しかし、自分で納得のいく戦いではなかった。

 隙も多く、隊長の視線やつま先など、見るべきところが見れていない。


 僕は頭から水を被ると、二十二戦目を開始させた。






 ◆







 気が付いたら二十日間、呼び出しがなかったために僕は朝から晩まで、いや、晩を過ぎて夜明けまで、この鍛錬を繰り返していた。


 無論、一日一回、卵に会いに行くことを忘れずに──。


 結果、頭の中で行ったバークレイ隊長との模擬戦の勝敗は──


 二二八六勝二十敗──。


 圧倒的勝利に終わっていた。


 だが──僕は二千を優に超える勝利の中で一度も止めを刺すことができずにいた。

 最後の最後で手にかけることを躊躇してしまっていた。


 もしこれが頭の中で組み立てた模擬戦でななく、実戦であったならば──。

 さらには、大切な人を奪われ、その命が奪われる間際であったならば──。

 

 その瞬間も僕は決着をつけるための手段を放棄するのだろうか──。


 対する相手が非道の限りを尽くす無魔の黒禍であったとして、激闘の末に見せたその無防備な背中に、何の躊躇いもなく魔術を打ち込むことができるのだろうか──。


 お師匠様は盗賊は悪だと言っていた。

 無論そのことに対して異論はない。

 だが、無魔の黒禍との決戦が近いことを肌で感じるようになった今、最終的な決着が命の奪い合いとなる以上、僕はより覚悟が必要になる。


「──こういう甘さが命取りになるんだろうな……」


  僕が人を殺めるということは、僕の行動にアクアとリーファが判定を下して『否』という回答が出されれば、ふたりは僕から離れていってしまうことにも繋がるわけだ。


 アクア、リーファ、どうしたらいいんだろう……。







 ◆







 その夜、僕は久しぶりに夢を見た。


 夢の内容は──ミスティアさんとファミアさんが、僕の助けが間に合わずに殺されてしまう夢だった。

 いや、間に合わなかったんじゃない。

 間にあったけど、手を尽くさなかっただけだ。


 敵に対する一瞬の躊躇がふたりの命を奪った。


 朝、目が覚めたとき僕の瞳は、涙で濡れていた。

 ふたりを失った悔しさと無念の思いで心臓が激しく鼓動していた。


 夢だと知って安堵したときに見えた光の珠は、きっと精霊だろう。



 アクアかリーファ、どちらかが見せてくれた夢だったのだろうか。

 精霊が導いてくれた、ということなのだろうか。

 

 ──きっとそうだろう。


「ありがとう、アクア、リーファ、ようやく吹っ切れたよ」








 そしてその日の朝、僕はいつもと同じように大木の下で足を揃えて座り、頭の中で模擬戦の鍛錬を行おうと──


「【ふげんさんまやの印──りん】」


「【だいこんごうりんの印──とう】」


「【げししの印──ぴょう】」


 しかしいつもとは異なる三重の印を結んだ。


 一番深いところ、深層心理にある邪念をも吹き飛ばすかのように──。



 頭の中の時が止まる──。

 

 しかし思考だけが加速度的に回転を始め──


 それは世の理に干渉しようとするかのようだった──。

 

 そして──


 僕はコンスタンティンさんの開始の合図と同時に──


「──フッ!」


 バークレイさんの頸を斬り落としていた。




 


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