第109話 部屋の違和感
青の都一日目は、危うく詐欺に遭いかけたところを偶然助けてもらった近衛騎士の自宅に招かれ、二日目は水晶貨を手にしたものの冒険者御用達の男臭い宿で眠れぬ夜を過ごした。
そして三日目となる今日からは──貴族街にあるコンスタンティンさんの館にお世話になることになった。
馬車で貴族街までやって来た僕は、地図を見ながら道の端を目立たないように歩いてコンスタンティンさんの館を探している。
あの辛い宿探しから完全に解放される
「ええと、蔦が絡まっている門が目印、と」
コンスタンティンさんの家はトレヴァイユさんの家とは離れた場所にあるらしい。
通りから見る景色も、この間見たものとはだいぶ違っている。
外からでは館を見ることができないのだ。
それだけ一軒一軒の敷地が広いということなのだろう。
「それにしても人の気配がないな……」
レイクホールの東地区もこんな感じだったが、貴族の住む地区は、総じて活気がない。
生活している空気ががまるで感じられないのだ。
きっとこの中には誰も住んでいない家もあるんだろう。
「うわ、この家もすごいな……」
歩いても歩いても林が途切れないと思ったら、誰かの家の敷地だったらしい。
今まで見た中でも、最も大きくて豪華な門が見えてきた。
「いったいどんな人が住んでいるんだろう……」
誰も住んでいないのなら安く泊まれる宿でも建てればいいのに──そうすれば僕みたいに苦労する人も減るはずだ。
そんなことを考えながら、異様なまでに広い屋敷に少しだけ興味が湧いた僕は、巨大な門の前で立ち止まり、誰か住んでいる人がいるのか中を覗き込もうとした。
しかしそのとき──門に掘られた紋章を見て腰を抜かしそうになった。
そこにあった紋は──。
「あ、紅い狼! ク、クロスヴァルト家だッ!」
紅い狼──なんとここはクロスヴァルト家の屋敷だったのだ。
クロスヴァルト侯爵が王都滞在時に利用する屋敷──それがわかった瞬間、
誰かに見られたら大変だ!
僕は急いでその場から逃げ去った。
「ぷは〜っ! びっくりしたぁ!」
貴族街にクロスヴァルトの屋敷があるということぐらい少し考えれば、いや、考えなくてもわかるだろうに、貴族の家を覗くなんて、なんとも浅はかな行為だった。
姿を変えているからバレはしないだろうが、カルディさんの例もあるからこれからはもっと注意を払って行動しないと……
もうあの場所には決して近付かないようにしよう──と、頭に叩き込んだ。
◆
「門に蔦が絡まってるってことは、あそこかな?」
クロスヴァルト家の前から逃げ出してしばらくの後、コンスタンティンさんの館のものらしき門が見つかった。
僕が近寄っていくと、
「キョウ様でございますか?」
門の影から出てきた女の人が声をかけてきた。
「はい、僕がキョウですが、こちらはコンスタンティン様のお館ですか?」
「はい、そうでございます。ようこそおいで下さいました、キョウ様。オーヴィス男爵より承っております。私はキョウ様のお世話をさせていただく侍女のパティと申します」
僕よりだいぶ年上の──ミスティアさんと同じくらいの年齢に見える──パティさんが丁寧にお辞儀をしてくる。
僕は両手に荷物を抱えたまま「よろしくお願いします」と頭を下げた。
◆
トレヴァイユさんの館が三階建てであったのに対して、コンスタンティンさんの館は二階建てだった。
しかし敷地自体はコンスタンティンさんの館の方が広い。
それに緑が多い。
館など木に囲まれており、一部は蔦が絡まって大木と一体化してしまっている。
やはりそこらへんはエルフ族の習性なのか、森と共存しているような印象を受けた。
もしかしてここの家の人はみんなエルフ族なのかな……
少し先を歩くパティさんの耳を確認する──と、普通の耳だった。
いや、でも、もしかしたら……と、腕輪を嵌めているか確認する──が、長袖の服の上からではよく見えない。
あの膨らみは腕輪のように見えないでもないけど……
う〜ん、と目を凝らしてもう少しよく見えるように距離を詰める。
やっぱりあれは腕輪かな? いや、ただ単に上着のシワかなぁ……
もう少し腕を伸ばしてくれるとわかるんだけど……
「あのう? キョウ様?」
「あ……」
名を呼ばれて顔を上げるとパティさんと目があった。
いつの間にか館の玄関まで来ていたようだ。
「それではキョウ様、御用の際はこの呼び鈴を鳴らしてください。──湯浴みの支度も整っています」
結局エルフかどうかわからなかったパティさんが、真新しい部屋着を置いて部屋から出て行く。
"様"はよしてください、とお願いしたのだが、『旦那様のお客様に対してそのようなことは致しかねます』と拒否されてしまった。
僕はコンスタンティンさんの知り合いの知り合い、というだけでただの平民なのに申し訳ないと思いつつも、都にいるのはひと月だけだから我慢すればいいか──と折れることにした。
それに驚いたのは、いつから門の前にいたのか質問したところ、三アワル以上は門の前で立っていたということだ。
僕が屋台で寄り道していたばかりに迷惑を掛けてしまったことを詫びると『お気になさらずに』と笑顔で返してくれたのだ。
そんなパティさん相手に『キョウ』と呼べと、強くは言えない、ということもあった。
この館には他にもふたりの侍女が仕えているそうだ。
今そのふたりは、夕飯の食材を買いに出ているという。
僕はあとで挨拶させてください、とお願いしておいた。
パティさんが部屋から出て行き、寝台に腰を下ろして一息つくと、僕は荷物の整理を始めた。
といっても、あるのは買い物した大量の食べ物と荷物が入った皮の袋だけだが。
「これはどうしよう……」
テーブルの上に並ぶ大量の食品。
夕飯は断ろうとしたのだが、侍女のふたりがすでに夕飯の買い出しに行っている、と聞いて断ることができなかったのだ。
「仕方ない、これは明日食べようか」
と、手を付けずにそのままにしておくことにした。
次に荷物の入った袋を開ける。
着替えを出して寝台の上におくと、なにやら異臭が漂ってきた。
「あ!」
袋を覗き込むと──腐った果物が。
パティさんが鼻をすんすん動かしていたのはこれのせいか……
先に湯浴みを勧められたのも、僕が臭いと勘違いされたから……
確かに袋を開けると臭う。
「──よし、あとで捨ててしまおう」
銀貨一枚は人助けと思うことにして、これはもう処分してしまおう、と袋から取り出すと、
「あれ?」
少し黒くなっていることに気が付いた。
しかも──
「大きくなってないか……これ……」
気のせいかもしれないが、受け取ったときよりも若干膨らんでいるように見える。
「──なんだか気色悪いな」
明日の朝にでも庭に捨てさせてもらおう──そう決定した僕は、その臭い果物を差し当たって臭いが漏れてこないように、机の一番大きな引き出しの奥に押し込んだ。
「湯浴みをしてこようかな……」
自分の身体の匂いはわからないが、あとで挨拶をするときに腐った臭いがしていては失礼だ。
僕は部屋着を手に持つと、湯浴み場へ向かった。
◆
「あ〜気持ちよかった!」
湯浴み場はとても広くて快適だった。
湯もたっぷりと張ってあって、長いこと浸かっていたからきっと臭いも取れたことだろう。
心身ともに癒された僕は、夕飯まではまだ少し時間があるから、夜の呼び出しに備えて少し寝ておこうかな、と寝台に横になろうとしたとき
「……ん?」
なにか違和感を覚えて部屋の中を見回した。
「なんだ? なんかおかしいような……あ!」
僕はその違和感の原因に気が付くと、思わず声を上げてしまった。
「屋台で買った食べ物がない!?」
そう、テーブルの上に並べておいた、今日の昼に屋台で購入した食べ物が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
「あんなにあったのに?」
もしかして、と思い引き出しを開けると──そこには腐った果物が変わらずに入っている。
「これはそのままか……」
でもさっきまであった食べ物がなくなっているということは
「パティさんか、帰ってきた侍女の人が片付けてくれたのかな……?」
そうとしか考えられない。
おそらく腐った臭いがしていたから処分したんだろう。
「あれも出しておけばよかったな……」
ひとつだけ残されたものが入っている引き出しに目を向けて呟いた。
食べ物は勿体無いことをしてしまったが、きっと気を利かせてくれたんだろうから咎めることもできない。
そのことはあとでパティさんに確認するとして、とりあえずは眠っておこう──と寝台に潜り込んだ。
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