第108話 腐った果実


 模擬戦が終わると詰所に戻り、そこでコンスタンティンさんから自宅の地図を渡された。


 やっぱり貴族街にあるのか……と、地図を確認した僕は少し気分が暗くなりかけた。が、せっかく宿なしの僕にコンスタンティンさんが親切心(?)で自宅の提供を申し出てくれたのだ。

 なるべく道の端を歩いて、下を向いて誰とも目を合わさなければ貴族達に文句を言われることもないだろう──と有り難く受け取ることにした。


 『使用人には伝報矢メッセージアローで知らせておきます。家にあるものは遠慮せず自由に使ってください』と言う。

 『必要なものはひと通り揃っているとは思いますが、もし足りないようであれば用意させるから家の者か私に伝えて下さい』と、なんとも太っ腹な対応までしていただいた。

 ただ、ひとつだけ注意事項があった。

 『二階の一番奥の部屋には決して近付かないでほしい』──ということだ。

 なんでもその部屋は”開かずの間”となっているそうで、普段は家の者も近寄らないらしい。

 その程度のことなら僕が館の中をうろうろしなければいいだけの話だし、そもそも与えられた部屋から必要なとき以外は出るつもりもない。

 僕は『承知しました』と約束すると、コンスタンティンさんも安心した様子だった。


 

 城へ入る際に必要な身分証の取得も、コンスタンティンさんが請け負ってくれた。

 教会や組合へ行けば身分証を作ることもできるのだが、手続きが面倒なうえに、もれなく魔力の測定じみた検査も同時にされてしまうので、できることなら避けたいところだった。

 コンスタンティンさんにどうしたらいいか相談したら、『数日下さい。私がなんとかしましょう』と解決の道筋を立ててくれた。

コンスタンティンさんは僕が魔力無しの『無魔』ということを知らないだろうが、お師匠様から僕の素性を隠すように、と言われているがゆえの手助けだろう。 

 僕はお礼を言い、『手続きに必要なお金はちゃんと支払いますので』とお願いしておいた。




 コンスタンティンさんは僕に地図を渡すとすぐに、『打ち合わせがあるので』と忙しそうに城に戻ってしまった。


 コンスタンティンさんを見送った後、バークレイ隊の部屋をノックすると、僕はバークレイ隊長から帰宅を言い渡された。

 嫌がらせ──などではなく、悪質な事件は夜に起こることが多いため、子どもの僕は日中にできるだけ睡眠を就っておくように、との気遣いを含んだお達しだった。

 僕は了承して、部屋を出るとそのまま城を後にすることにした。






 ◆






 城の門をくぐって貴族街行きの馬車を待っていると、三の鐘が鳴り響いた。

 

 お昼か……


 コンスタンティンさんの家について早々にお昼ごはんを用意してもらう、というのも気が引ける。


 少し屋台をのぞいて行こうかな……


 もしかしたらなにか情報を得られるかもしれない。

 宿では無魔の黒禍の話題は出なかったし、コンスタンティンさんも『ミレサリア殿下のことは最重要機密です!』と言って教えてくれなかったから、できればそのあたりのことも知りたい。

 夕方までにコンスタンティンさんの家に行って少し横になれば、夜に呼び出されたとしても大丈夫だろう。


 そう考えた僕は、朝よりも多くの人で賑わう運河沿いの通りに足を運んでみることにした。





 ◆





 こんなに人がたくさんいる場所に来るのは久しぶりだ。

 それこそ──クロスヴァルトの街で行った市場以来になる。


 ここにいる人たちは無魔の黒禍のこと知っているのかな……?


 みんながみんな、笑顔で買い物やら接客やらをしている姿を見ると、無魔の黒禍や神抗魔石の恐怖に怯えていることが嘘のようだ。

 

 平和そのものだけど……


 僕はしばらく通りを歩いて屋台を見て回り、いくつかの店の中でも人の良さそうな、話しかけても怒らなそうな店員さんがいる店を探し──


 あ、このお店、美味しそうだし……お姉さんも優しそうだ……


 パンに野菜や肉を挟んだものを売っているお店に並んでみることにした。 

 人気の店なのか、十人以上のお客さんが並んでいる。

 僕は列の最後尾に並び、前の人たちの隙間からお店のお姉さんの作業を眺めていた。

 パンにナイフで切れ込みを入れると、お客さんの好みの具材を三つ聞き、パンにできた切れ目に挟み込んでいく。

 流れるような手さばきで次々と仕上がっていくので、見ている方も楽しい。

 そしてあっという間に僕の番が来た。

 前の人がそうしていたように、先にクレール銅貨一枚を店の前に置かれた箱に入れる。

 

「お待たせ! さあ、なにを挟む?」


 お姉さんが愛想のいい笑顔で、台の上に綺麗に盛りつけられている具材を指差す。

 並んでいる際に目星をつけていた僕は


「これとこれと、あと、これをお願いします」


 と指で伝えた。

 野菜二種類と肉、ということはわかるのだが、なんの野菜か肉なのかまではわからない。

 大きな葉っぱのような野菜に、油漬けになっているのか、塩漬けになっているのか、くたっとした野菜、それに煮込んだ塊り肉を細かくほぐしたものだ。

 僕が指定した具をお姉さんが器用に挟みこんでいく。 

 お姉さんの見事な手仕事につい見とれて、気が付いたら最後の肉を挟む段階まできてしまっていた。

 まだなにも質問をしていないことに気が付いた僕は慌てて口を開くと──


「お、お姉さんは美味しそうですね!」


 思わず、お姉さんはこの都の人ですか、と聞くところを、あまりにもパンが美味しそうだったため両方が混ざってしまった。


「ん? はは、ありがとう坊や、よし、ちょっとおまけしてあげる!」


 お姉さんは肉を隙間に詰め込む。 


「あ、ちが……ありがとうございます……」


 違うと言うのも失礼だと言葉に詰まり、動揺しているうちに


「はい、お待たせ! さあ、なにを挟む?」


 お姉さんは次の人の接客を始めてしまう。


「……」


 僕はパンの包みを落とさないように列から抜け出すと次こそは、と、人の良さそうな店員さんがいて、なおかつ空いている屋台を探し歩いた。




 そして三アワル後──。


「よし、今日のところは帰ろう!」



 ひとつの情報も得ることができなかった僕の両手には、持ち切れないほどの食べ物の包みがあった。

 

 店員さんはみんな商売に一生懸命で、空いている店でもお客さんの呼び込みで忙しく、僕と無駄話をする余裕なんて少しもなかったのだ。

 しかしそんな呼び込みにのこのこと近付いて行く僕は誘われるがままにいろいろと買わされ、気が付いたら情報は仕入れられていないというのにこんな状態になってしまっていた。



「でもこれで明日の夕飯の分まで調達できたな!」


 前向きに考えた、というか開き直った僕は最初の店で購入したパンにかぶりつきながら、馬車が乗れる場所に向かうことにした。




「やっぱり繁盛しているだけあって美味しかったな。──夕食はどれを食べよう」


 屋台の料理の予想以上の美味しさに、食べ物は両手いっぱいにあるが情報に関しては手ぶらだということも忘れて満足しきっていたとき


「……ん? あんなところにもお店が……」


 賑わっている場所から外れた場所で、ぽつん、と、営業している小さな屋台を見つけた。 

 この辺りはさほど人通りも多くないからお客さんはいないようだ。にもかかわらず店の前で呼びこみもしていない。

 

 このお店なら話を聞いてくれるかも……


 淡い期待を持ちかけたが、しかし僕はこの数アワルで勉強していた。

 商売人は店の商品を売るための会話は喜んでしてくれるが、そうでない場合はほとんど相手にしてくれないのだ。

 僕が子どもだからということもあるだろうけど。


「この店も同じだろう」


 僕は貴族街へ急ぐことにした。

 しかし、何気なく通り過ぎざまにちらとお店の中を窺ったとき、飛びきりの笑顔を浮かべたお兄さんとばっちり目があってしまった。

 慌てた僕は、素知らぬふりをして目を逸らしたが遅かった。

 僕を獲物と捉えたのか、お兄さんが店から出てくるのが気配でわかる。

 僕は頑張って速足で通り過ぎようとするが、お兄さんも負けずと追いかけてくる。

 そして肩を、ぐい、と掴まれ


「おにーさん、おみせ、よってくね」


 片言のアルスレイヤ共通語で話しかけられてしまった。

 そうなるともう逃げられない。

 また僕の断ることができない症状が出てしまい、あれよあれよという間にお店の中に連れ込まれてしまった。

 しかし店には商品がなにも並んでいない。

 僕が、いったいこのお店はなにを売っているんだろう──と店の中を見回していると、


「おにーさん、これかって、やすくする」


 お兄さんが台の下からなにかを取り出してきた。

 見てみると、それは片手で持てるかどうかというくらいの大きさの、黄色くて丸い果物のようなものだった。


「これ、くろくなる、まつ」


 人懐っこい笑顔で果物をポンポンと叩く。

 多分今はまだ食べられないけど、黒く変色すると食べごろになる、ということなのだろう。

 でも僕は


「もう持てないので、結構です……お金もなくなってしまうので……すみません」


 今回ばかりは、はっきりと断った。

 僕が思うに、これは間違いなく売れ残った粗悪品だろう。

 もしかしたら腐っているのかもしれない。

 だって店に並べていなかったし、変な臭いもするし。

 しかもこの人は共通語が上手じゃない。

 ということはこの大陸ではないところから来たのだろう。 

 遠い異国の地から長い時間をかけて運ばれてきた果物なんて、買う人がいるんだろうか。


「──先を急ぐので、失礼します」


 きっとこの都の事情にも詳しくないだろう、と、感じ取った僕は店を出ようとした。

 しかし


「これでさいご、うれれば、ぼく、かえれる」


 元気のない声で僕の背中に声をかけてくる。

 それでも僕は振り返らずに出ようとするが


「これうれないと、おかねない、いもうと、ごはん、たべられない」  


 決定的な一言を耳にしてしまい、足を止めてしまった。

 食べられない辛さは僕も知っている。


 しかも! 食べられないのは自分ではなく、妹だと言うじゃないか!


 僕は、僕が持っているお金で妹さんがご飯を食べられるのなら、腐った果物でも喜んで買い取ろう、と勢いよく振り返り


「──それはいくらですか!」


 そう口にしていた。






 ◆






「クレール銀貨一枚か……高いのか安いのか……」


 お兄さんに支払ったのは銀貨一枚だった。

 腐った果物は僕の革袋の中にしまってある。

 着替えとキノコが臭くなってしまいそうだから少し躊躇ったがお兄さんが見ている手前、雑に扱うわけにもいかず、なるべく他の物に触れないようにそっとしまっておいた。

 お兄さんに僕が持っている食べ物を分けてあげようとしたが、それは決して受け取らなかった。

 妹さんは好き嫌いが激しいらしく、決まったものしか口にしないそうだ。

 店からでると、お兄さんはものすごい速さで店をたたみ、どこかへ走り去ってしまった。

 よほど早く妹さんに会いたかったのだろう。

 

「妹さんが助かると思えば安いものか……」 




 僕は革袋から異様な臭いをを放ちつつ、馬車で貴族街へと向かった。





 

 

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