第107話 落とし所


 近衛服を乱れひとつなく着込んだバークレイ隊長が、僕に向かって会釈をすると王室を想起させる紫のマントを翻して、細身の方手剣を鞘から抜き放った。

 隊長の得意とする武器──片刃剣サーベルだ。

 隊長は剣を持つ右腕をいったん前方に突き出した後、腕を伸ばしたままゆっくりと右下に向かって回転させ──真っ白い軍用手袋を着けた右手が腰の高さまで来るとピタリと動きを止めた。

 背筋を凛と伸ばし、左手を腰にあてて構える姿は品位を感じさせる。


 コンスタンティンさん曰く、バークレイ隊は十六ある近衛隊の中でも、最も近接戦に長けている隊だという。

 レイクホール聖教騎士団のような序列はないが、年に二回催される近衛の武技を競う大会では、バークレイ隊長の剣術は常に三位以内に入っているそうだ。

 高身長ながら軽やかに繰り出される剣の軌道は、一度や二度手合わせをした程度ではとても見切れるものではないらしい。


 そんな人と手合わせをすることになるなんて……


 僕は小声で『アクア、リーファ、よろしくお願いします』と頼んでおいた。




 ◆




「──初め!」


 コンスタンティンさんが試合開始の号令を出す。


 僕は最初に立っていた場所から数歩後ろに下がると


「【ふげんさんまやの印──りん】」


 誰にも聞かれないように精霊言語を紡いだ。


 すると──頭の中が冴えわたり、対峙するバークレイ隊長の息遣いまでもが手に取るようにわかるようになる。

 先ほどはピタリと止まっているかのように見えた片刃剣サーベルの剣先も、バークレイ隊長の呼吸に合わせて小さくぶれているのも見て取れた。


 後退した僕を見て怖気づいたと捉えたのか、壁際で腕を組んで見学しているバークレイ隊の三人から「いくらなんでも隊長の剣はそこまで長くないぞ!」だの、「そのまま扉から出て行くのか!」だのとヤジが飛んでくる。


 コンスタンティンさんがそれを窘め、ようやく静かになると今度はバークレイ隊長が口を開いた。


「──下がっていては近衛の務めを果たせないぞ! 近衛とは常に護るべき主の盾とならなければならないことを理解しているのか!」


 赤の上着に白いズボンを穿いたバークレイ隊長が一歩、二歩、と距離を詰めてくる。

 隊長も魔法は使えるそうだが、あくまでも剣で勝負をつけるつもりなのか。

 近寄って来る隊長の前方には薄らと空気が揺らいでいるのが確認できる。

 おそらく魔法障壁を張っているのだろう。

 一方面のみの魔法障壁──僕に対してはそれで十分ということなのか、七級の魔法だ。


「来ないのであればこちらから行くぞ!」


 ダンッ、と踏み込んだかと思うと、隊長が目にも止まらぬ速さで以って僕の懐に入ってくる。

 踏み込んだ床は土埃が舞い上がり、残像を残して肉薄しようとするその速度は常軌を逸していた。

 しかし、加護魔術である風奔りの術と比較すると──遅い。 

 片刃剣サーベルの刃を逆向きにして、みぞおちの辺りを狙っていることもはっきりと見えるほどに。

 僕を傷つけずに勝敗を決しようとしてくれているのだろう──が、このままやられてしまってはコンスタンティンさんの依頼を達成できない。

 僕はリーファに頼んで後方へ飛ぶと、薄皮一枚というところで隊長の初手を躱すことに成功した。

 隊長は渾身の一太刀に手ごたえがなかったことにピクリと眉を動かしたが、それも想定の範囲内であったかのように二度目の踏み込みを行うと、呼吸ひとつの間に二の太刀を放って来た。

 今度は僕の右肩を狙っている。

 僕が後ろへ飛んで逃げるのであれば、少しでも間合いを稼げるように突きの剣術に切り替えたようだ。

 致命傷にさえならなければ、城の治癒師によって回復させられる──ことを踏まえての攻撃だろう。

 

 だが僕が痛いのなんて御免だ。


 左足を軸に身体を半回転させて、右肩を突いてくる切っ先を往なす。

 どんなに切れ味鋭い剣術であろうとも、その軌道が見えていれば躱すことは容易い。

 僕は再びリーファに頼むと後方に飛び、隊長との距離を取った。


「──小さい身体を活かして逃げに徹する、か。それも戦う術のひとつであろうが──」


 すぐに僕へと向き直った隊長が、今度は剣先を僕の顔に向け──つまり正眼に構える。

 ちらと見ると、隊長が一度目に踏み込んだ床の土埃はまだ舞ったままだった。


「逃げてばかりでは護るべき対象が危険に晒される──ぞッ!!」


 土埃を捲き上げ、隊長が踏み込んでくる──が、今度は先ほどのような速さはない。

 僕が逃げる方向を見極めようとしているようだ。

 同じく右肩を狙いに来ていることが見えた僕は左に大きく飛ぼうと


「──!」


 したが、身体の自由が利かずにその場から動くことが適わなかった。

 

 五級魔法障壁!


 僕の左右後方、三方向に魔法障壁が張られていると理解したときには、隊長の剣先が僕の右肩を突き刺そうと迫っていた。


 僕は障壁に囲まれて逃げることができずに、一瞬硬直してしまった。

 それを好機と捉えた隊長の口角が僅かに上がる。

 しかし眼前に迫りくる、冷たく光る刃を見てもなお僕は冷静だった。

 リーファを使って、剣を持つ隊長の右腕を下から僅かに押し上げる。

 すると剣先は軌道を逸れ、僕の右頬を掠めると、後方の障壁と激しくぶつかり合った。

 隊長がたたらを踏む。

 その隙に僕は隊長の右側面をすり抜けて背後へと回り込んだ。


 隊長の背中はガラ空きだ。

 そこに一発魔法を打ち込めば決着はつくだろう。


 見学していた三人もそのことをわかっているのか、驚愕の表情のまま固まっている。


 だが僕はそうしない。

 なぜなら──


「──参りました!」


 と言って、自ら負けを選択したからだ。 


「──どういうことだ? 貴様」


 こちらに正面を向けた隊長が、剣を構えたまま凄みを利かせる。

 しかし僕は隊長の殺気から逃げることなく


「僕は加護魔術師なのですが、どういうわけかこの都では精霊たちの力が弱まってしまっているので、これ以上は戦うことができません。──僕の負けです」


 そう言ってコンスタンティンさんに視線を向ける。

 視界に入った見学者たちは、子どもの僕が加護魔術師であると知ったからか、僕を見て目を丸くしている。


「勝負あり! 勝者、バークレイ!」


 コンスタンティンさんが声を上げると、張り詰めていた修練場の空気が一気に緩和する。

 僕は右頬を流れる血を拭うとバークレイ隊長に歩み寄り、


「──本当に殺されるかと思いました。今度は精霊の力を最大限発揮できる場所で手合わせお願いします」


 と言って深く頭を下げた。 


「お前は加護魔術師、だったのか?」


 すると隊長が驚いた様子で僕に声をかけてくる。


「はい。──といっても、まだ修行中なので、先ほどのような小細工程度にしか使用できませんけど」


 そこへコンスタンティンさんがお腹を揺らしながらやって来て


「キョウも覚えておきなさい。精霊様の力の源であるバーミラル大森林から遠く離れた地では、加護魔術の威力も距離に比例して衰えてしまうのです。加護魔術師といって驕ることがないようにしなければなりませんよ?」


 全員に聞こえるような声でそう説明した。


「はい、コンスタンティン総隊長。僕はレイクホールの街から出たことがなかったので……今回のことで身にみました」


「お前はレイクホール出身だったのか。いや、加護魔術師といえばどこの隊でも引く手数多あまただ。修行中だとはいえ他の近衛にもいい刺激になるだろう。──コンスタンティン卿、こいつ、キョウは私の隊で引き受けます」


 隊長が「私の太刀を三度も躱すとはな。平民であるのが惜しいくらいだ」と僕の肩を叩く。


 トレヴァイユさんと同じ隊長の眩しい笑みに「ははは……」と返す。


 矜持プライドが高いこと以外は良い人……なのかな……?


「バークレイ隊の皆さん、良いですか? 昨日も話した通りキョウの素性は誰にも知られてはなりません。特に顕現祭で集まって来る他国の権力者に知られてしまおうものなら、加護魔術師であるキョウを我が物にしようと手を尽くして働きかけてくるでしょう。ですから決してキョウのことは口外しないように。良いですね? 他の近衛や城の者に聞かれても『コンスタンティンが身分を証明している』と言うに留めておいてください」


 「陛下へは既にお伝え済みです」と最後に付けくわえたコンスタンティンさんが、誰からも異論が出ないことを確認した後、


「では戻りましょう」


 と模擬戦の終了を宣言する。


 そうして僕はめでたくも(?)バークレイ隊の一員として認められることになった。




「キョウは少し残って下さい」


 隊の四人が退出しようとしたタイミングでコンスタンティンさんが僕を呼び止めた。 

 そして全員が扉から出たことを確認すると──


「ご苦労様、キョウ。これで上手くいくといいのだけど」


 コンスタンティンさんが四人が出て行った扉に視線を向けたまま、心配そうに眉を寄せる。


「どうでしょうか……後は出方次第ですけれど……僕は僕で動いてみますが──」


 僕も扉を見ながら答える。


「──それはそうと、あんな感じで良かったんでしょうか。僕なりに頑張ってはみたんですけど……」


「十分よ! ──さすがはイリノイ隊長の一番弟子ね。まったく危なげがなかったわ。でも、もう少し毒を吐いて、それからバッシーンってやっても良かったんじゃない? なんかすっきりしないというか……」


「……コンティお姉さん……僕にそういう役を押し付けないでください……」


 だから近衛の総隊長が言っていい台詞セリフじゃないんじゃないですか……


「それもそうね。あ、ちょっとほっぺの傷を見せて?」


 そう言うとコンスタンティンさんが突然、僕の頬にできた刀傷をぺロリ──と舐めた。


「うわっ! ちょ、ちょっと!」


 脂っこいおじさんに舐められた!! 


 僕が思わず頬に着いた唾液を手で拭き取ろうとすると──


「あ、こら! 拭かない! 汚くないからっ!」


 目くじらを立てて怒りだす。


「だ、だって──」


「だから本当は美女だって言ってるでしょ! ほら、もう治ったわよ!」


 僕が頬を指先で触れると──


「あ……本当だ……すごい……」


 なにもなかったかのように完治していた。


「あ、ありがとうございます……」


 これがおじさんじゃなければ……と思うのは、僕も男として成長している証……なのかな。


「お礼なんて結構よ。ま、舐めなくても治せる魔法なんだけどね」


 コンティ姉さんはそう言うと、腹を揺らして笑うのだった。

 

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