第106話 ラルク対近衛騎士隊長
スレイヤ城門前──。
冒険者街から馬車に乗った僕は、迷うことなく城までやって来ることができた。
まだ朝も早いというのに、運河沿いに隙間なく並んだ出店は、朝食を求めるお客さんで賑わっていた。
青く澄み渡る空の下で食べる食事は格別だろう。
二の鐘が鳴るまではまだだいぶ余裕がある。
僕も少し戻って屋台を散策してみようかとも思ったが、今日は大事な初日だ、遅刻してはまずい。
また今度ゆっくり来よう、と、遠目に雰囲気を味わうだけに留めておいた。
みんな楽しそうだな……
あの人たちもお祭りに行くのかな
姉妹だろうか、お姉さんと妹さんふたりが幸せそうに走って行く後ろ姿が見える。
僕も、弟や妹を祭りに連れて行ってあげたかったな……
懐かしむように遠くクロスヴァルトに思いを馳せるも、叶わぬことだと
「…………」
そのとき僕の思い出の中に、同門のふたりが割り込んできたが
「いや、あのふたりは年上だから……」と、さらに強く頭を振るはめになった。
◆
門番さんは昨日とは違う人だったが、話はしっかりと通っていた。
というよりも──
「──あれ? コンスタンティンさん。おはようございます。どうされたんですか?」
「あなたを迎えに来たんですよ」
コンスタンティンさんが門まで出迎えにきてくれていた。
「それは……わざわざありがとうございます」
「──少し歩きながら話をしませんか?」
コンスタンティンさんがふくよかな腹を擦りながら先に歩きだす。
僕は、なんだろう──と思いつつも、意図してゆっくり歩いているのだろうコンスタンティンさんの横に並んだ。
「──イリノイ隊長から
木の枝で
「そうですか……ではそれまでに無魔の黒禍を?」
「──無論です。いえ、一日も早く……と動いてはいますが……」
「結局昨日は酔っ払い同士の喧嘩だったそうで……」
「無魔の黒禍が現れてからというもの、都全体の治安が悪化の一途を辿っています。顕現祭に向けて大陸中から多岐にわたる人種が集まっているということにも起因していますが、それは今回に限ったことではありません。七年に一度のこの時期は、平時の五倍にあたる兵を投入して王都アルスレイヤの秩序を守っているのですから、本来であれば大きな事件など起こり得ないのです。しかし……今年は違います」
ほぼ立ち止まっているのではないかと思えるほど、ゆっくりとした歩みのコンスタンティンさんが続ける。
「顕現祭まではまだひと月あるというのに、すでに投入した兵では手が足りないのです。さらにこの後は各国の要人が都入りしてきます。そうなると貴族街を中心に人を配備せざるを得なくなってしまい、今よりもなお手薄の箇所が出てしまうでしょう。衛兵も自警団も総出で都の警備に当たらせる予定ではいますが……仮に無魔の黒禍が騒ぎを起こさずとも、彼らでは荷が重いでしょう。いえ、近衛でも手を焼くかもしれません」
「近衛の人たちでも? 無魔の黒禍が相手ではなくて、都の人を相手に、ですか?」
近衛騎士は魔法師としても階級が高い人たち、要するに高位の貴族の集まりだ。
ひとつの魔法で千人規模の住民を制圧するなど容易いはずだ。
無魔の黒禍が相手ならまだわかるけど、それだけの実力がある近衛騎士が一般の人を相手に手こずるなんて……。
「ええ、近衛騎士でも、です。──なぜなら、階級の低い魔法師であっても強力な魔法が行使できる
「それが昨日言っていた……」
「そうです。それが近衛騎士でさえ対応が後手に回ってしまっている、魔石──私たちはそれを神の意思に抗う魔石、
神抗魔石……階級が低い魔法師でも強力な魔法を放てる魔石……
そういえば、以前襲ってきた盗賊が放っていた第五階級魔法も、ひょっとしたら……
ひとり旅の途中で襲われたとき、何人かの盗賊が、使用できるはずのない第五階級魔法、炎爆裂弾を放っていたことを思い出した。
あのときはなぜ平民が第五階級魔法を……と疑問に感じていたが、そういうわけだったのか。
僕が当時を思い出しながらそのことをコンスタンティンさんに話すと
「……そうですか……それは由々しき事態ですね……」
眼鏡の奥で細い目を光らせた。
「今、青の都は神抗魔石を使用した悪質な事件が横行し、そうでなくとも無魔の黒禍の再誕で揺れている王都に暗い影を落としています。人々の不安や恐怖は波紋のように広がって、留まるところを知りません。──そこで、イリノイ隊長の一番弟子であり、加護魔術師でもあるキョウ殿に、近衛総隊長である私からお願いがあるのですが……」
僕のことを『キョウ殿』と呼んだことに驚きコンスタンティンさんの横顔を見上げる。
するといよいよ完全に足を止めてしまったコンスタンティンさんが、僕に向き直った。
「顕現祭までの期間で構いません、無魔の黒禍の捕縛に加えて、都から神抗魔石を排除する掃討作戦に手を貸してもらえませんか?」
コンスタンティンさんの顔はいつものおおらかな表情ではなく、硬い。
おそらくこの話をするために、朝早くから僕のことを待ちかまえていたのだろう。
「それは……もちろん僕もお手伝いはしたいですけど……なにせ修行中の身であるのでお師匠様の許可が──」
「イリノイ隊長の許可なら取ってありますよ? ──ほら、ここに」
コンスタンティンさんが、躊躇する僕の顔の前に一枚の紙を広げて見せる。
そこには──
お師匠様が都に到着するまでの間、僕のことに関する全権をコンスタンティンさんに委ねる──旨のことが書いてあった。
「さ、さすが、仕事が早いですねコンスタンティンさん……」
おそらく七歳の僕の手でさえも借りたいぐらいに都は荒れているのだろう。
僕としてもここまで話を聞かされて、あ、そうですか、と帰るわけにはいかない。
お師匠様の許可が下りているのであればなおのことだ。
「そういうことであれば、こちらからもよろしくお願いします」
僕は深く頭を下げた。
「ふう、キョウ殿であればそう言ってくれると思っていたました。──助かります」
コンスタンティンさんは厳しかった顔を柔和にすると、再びゆっくりと歩き始める。
「コンスタンティン総隊長。あの、僕のことをキョウ”殿”と呼ぶのは……キョウで結構ですので」
「そう、であれば、ふたりきりのときは私のこともコンティと気軽に呼んでくれて構いませんよ? 私の本名はコンティーナですからね」
「え? 本名……?」
「昨日見抜いていたじゃない。私がエルフの女だって」
「!!」
急に口調が変わったコンスタンティンさんに驚かされ、今度は僕が立ち止まる番となった。
口をあんぐりと開けたままコンスタンティンさんを見上げる。
「ここでは本当の姿までは見せられないけれど──」
コンスタンティさんも立ち止まり、「ほら」と言って右腕をまくると、
「──!」
そこには僕がしているものとよく似た腕輪が嵌められていた。
「──これは本来の姿を誤魔化すための魔道具なの。少し事情があって今はこの姿をしているけけれど」
「イリノイ隊長から貰ったのよ」とコンスタンティンさんが微笑む。
「スレイヤ王国ではイリノイ隊長とレイクホール辺境伯、そしてキョウしか知らないのよ?」
そうだろうとは思っていたけど、まさかこんな場所でそんな大事なことをサラッと言ってのけるなんて!
「も、もちろん僕も誰にも言いません!」
「そう? ありがとう」
おじさんの恰好をしていながらも、女性の口調で話されると少し奇妙に感じてしまう。
声色も男の人の太い声なのだからなおさらだ。
「そんな魔物を見るような目をしなくてもいいじゃない! 私の本当の姿を見たら、あまりの美しさに気を失うわよ!」
いや、巨漢のおじさんに言われても……説得力が……
「──まあ、そういうことでキョウ。ふたりでいるときは、私のことはコンティ”お姉さん”と呼んでくれて構わないから」
しかもお姉さん……て……
うわ、凄い睨んでる……
「……は、はい、コンティ、お、お、お姉さん……よろしくお願いします……」
「よし。じゃあ行きましょう」
満足そうに頷いたコンスタンティンさんは重そうな身体を動かし始めた。
それを見て僕も横に並んでついていく。
でもどうしてこの恰好なんだろう。
希少種であるエルフの姿でいることに抵抗があるのかな……
ファミアさんはそんなこともなさそうだったけど……
「キョウはこの都で不便していることはない?」
僕が、変装するにももう少しまともな姿はなかったのかな──と、余計なお世話だろうことに考えを巡らせていると、コンスタンティンさんが訊ねてきた。
「不便といえば……僕はあまり目立ちたくないので、できることならばなるべく城にも入りたくないのですが……」
不便とは違うかもしれないが、カルディさんのように僕のことを見抜く人が他にもいるかもしれない。
そう考えると、身分の高い人や、その関係者と顔を合わせる機会が多いだろう城には極力足を運びたくない。
そのことを相談すると、
「でも、キョウは今夜から城内で寝泊まりするのよ?」
と言われ、
「城に!? む、無理です! それは無理です! どこでだれと会うかわかったものではないですから!」
慌てて断りを入れる。
「え? もう手続きを済ませてしまったのだけれど。それに陛下の担当と同じ料理人が作る食事が三食付いてくるのよ? 一等客室だから寝心地も申し分ないと思うし」
食事に申し分のない寝心地……と聞いてぐらっときた。
今日の宿探しから解放されるかと思うと、二つ返事で飛び付いてしまいたいお誘いだった。
だが……だが……
「……すみません……大変ありがたいお話なのですが……宿は自分で探しますので……」
断腸の思いで断った。
またあそこの大部屋の宿しか空いていなかったとしても、素性がばれることの方が恐ろしい。
無魔の黒禍が悪の存在である今の段階で、僕の素性がばれてしまえばクロスヴァルト家に迷惑がかかる。
それとこれとを量りにかければ、汗臭くとも、イビキがうるさかろうとも、大部屋を選択する。
いくらお師匠様の指示とはいえ、世間的には無魔の黒禍と認定された僕が王都になど現れて良いはずがないのだ。
決してばれるわけにはいかない。
「宿を探すって、まだとってないの? 嘘でしょ!?」
「いや、それがなかなか空いていなくて……」
僕は驚きを隠せずにいるコンスタンティンさんに、宿探しにおいて苦行の
「……イリノイ隊長も相変わらず無茶を……」
僕は、ですよね! と、叫んでコンスタンティンさんの手を握りしめたくなった。
僕が冒険者街にある安宿に泊まったことに酷く同情してくれたコンスタンティンさんは
「顕現祭の時期に宿を取ることがどれほど大変かなんてイリノイ隊長も御存じのはずなのだけれど……あれ……でも都に入ったらすぐに私を訪ねるように指示をした、ということは……」
と呟いて、なにやら思案げな表情をしている、かと思うと
「……キョウ! お願い! 城に泊まって! そうでないと私がイリノイ隊長に殺される! イリノイ隊長は私がすぐに宿を手配すると思っているはずだわ! キョウを安宿に泊まらせたなんて知れたら間違いなく私は魂ごと消失させられる!」
突如おろおろと走り出した。
「そうだわ! 城が嫌というのなら私の私邸を使って! 部屋も使用人も好きなように使っていいから! ね!」
「え、と、コンティお姉さん?」
「そのかわりキョウが冒険者街に泊まったことは隊長には秘密にしておいて! お願い! この通り!」
大きな身体をふたつに折り曲げて頭を下げるコンスタンティンさんに
「わ、わかりましたから! 誰かに見られたら大変です! 頭をあげて下さい!」
僕もおろおろして周囲を窺う。
どうやらここにもお師匠様に畏敬の念を抱く部下がいるようだった。
僕が安宿に泊まったくらいで、あのお師匠様が文句など言うわけがないと思うんだけど……
しかも殺されるって、大袈裟な……
でも、これで宿探しから解放されたと、本当に信じてもいいのかな……?
「──オホン。それと、実はもうひとつ頼みがあるのですが──」
僕たちが進んでいる木立の道に、ぽつぽつと人が増えてきたことに口調を戻したコンスタンティンさんが、前を向いたまま口を開いた。
やはりこっちの喋り方の方がしっくりとくる。
「なんでしょうか?」
僕は宿を探さなくていいんだ、と思うと浮足立ち、今ならなんでも受け入れられるくらい幸せな気持ちになっていた。
顔にも出ていたんだろう。
僕を、ちら、と見たコンスタンティンさんもにこやかに続ける。
「キョウはこの後バークレイ隊の面々と模擬戦を行う予定なのですが、その際──」
模擬……戦……?
なんだ? なんで僕が近衛騎士の人たちと戦わなければならないんだ?
「聞いていますか? キョウ? ああ、昨日任務から戻ってきたバークレイ言っていたのですがね、『いくらコンスタンティン卿の紹介とはいえ、あのような子どもに、王族の命を守るに足る実力があるとは到底思えません! 我らスレイヤの近衛騎士を侮蔑するにも程があるのではないですか!』と」
コンスタンティンさんがバークレイ隊長の話し方を真似て事情の説明をする。
最後に前髪を掻きあげるところなど(無論コンスタンティンさんに前髪なんてものはないが)絶妙に似ていて滑稽だ。
だが僕の頭の中はそれどころじゃない。
宿探しが解決したと安堵したのも束の間、すぐさま次の問題が浮上してきたのだ。
「近衛の総隊長とはいえ私は男爵位、あちらは伯爵家の次期当主ですからね。しかも彼は生粋のスレイヤ人です。なにかと付けて私に意見をしてくるのですよ。そんな折にイリノイ隊長の一番弟子であるキョウの実力に疑義を唱えたのです。ですから私はこう言ってやりました」
ニッと笑ったコンスタンティさんが
「『その身を持って確かめてみなさい』とね。──伯爵家のお坊ちゃまにイリノイ隊長の一番弟子であるキョウの実力を見せてあげなさい!」
そしてグッと、親指を立てる。
「な、なにを言ってるんですか……」
本当にコンスタンティンさんは総隊長なのか……。
しかしどうして騎士という職業の人は相手の力を試したがるんだろう。
「それでキョウに頼みというのは──」
あ、そうか、模擬戦を行う、というのは決定事項で頼みではなかったんだ……
いったいこれ以上、僕になにを頼むというんだろう……
コンスタンティンさんの話は詰所のすぐ手前まで続いた。
そのときには僕の気持は固まっていた。
コンスタンティンさんの力になろう──と。
そして詰所の階段を上った僕とコンスタンティンさんが歴史を感じさせる厳かな扉を開くと同時──二の鐘が青の都に鳴り響いた。
◆
「さあ、そこにある武器の中から好きなものを取りたまえ」
「……いえ、僕は武器は使えませんので……」
「ふん、そうか、それならすぐに始めよう」
バークレイ隊長が不敵な笑みを零す。
昨晩、衛兵に腕を引かれていた僕を見て『子ども相手に何をしている』と言っていた人とはもはや別人のようだった。
スレイヤ城地下修練城──。
「それでは、騎士の精神に
コンスタンティンさんが上げていた右手を下ろす。
二の鐘が時を告げてから一アワルの
コンスタンティンさんの開始の掛け声によって、僕とバークレイ隊四人との模擬戦が開始されたぼだった。
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