第105話 都の夜


「到着しました」


 御者がそう告げると馬車は静かに停車した。



 バークレイ隊長、部下三人、そして僕の五人が乗る馬車が急ぎ向かった先は、冒険者街の入り口、僕が数アワル前に絶句させられた、すえた臭いがするあの酷い場所だった。






 無魔の黒禍出没の一報を受け取った後、コンスタンティンさんは僕がバークレイ隊に入る、ということを隊の四人に伝えた。

 無論のこと、皆が皆、『なぜこのような子どもが!』と、コンスタンティンさんに不服を唱えた。

 しかしコンスタンティンさんは、『素性は話せないがこの少年は私の古い知人からの紹介だ』と説明してその場を切り抜けた。

 バークレイさんを含め四人はとても納得してはいなかったが、とにかく今は急を要すると、その話は後回しにすることになった。

 

 ここに来るまでの馬車の中で簡潔にではあるが、バークレイ隊の面々と自己紹介は済ませてある。

 不満顔を隠そうともしない四人だったが、名前だけはしっかりと教えてくれた。

 円滑に業務を遂行するためとはいえ、しっかりと割り切るところはさすが責任感の強い近衛騎士、といったところだった。

 しかしそんな近衛騎士たちも、城へ僕を連行するときに見せていた表情とは打って変わって、全員に緊張の色が窺えた。

 百戦錬磨の近衛騎士でさえ顔を強張らせる──やはり、それほどまでに『無魔の黒禍』は都に影響を与えているのだろう。



 コンスタンティンさんはバークレイさんに細かい指示を出し、その後、いくつかの伝報矢メッセージアローを放っていた。

 スレイヤ城には特殊な結界が張られているため、伝報矢メッセージアローを中から放つことはできるが、外から放たれた矢を城内で受け取ることができないらしい。

 どんなに急ぎの要件であっても伝報矢メッセージアローは、すべて結界外に立てられている詰所に一括して届くようになっているそうだ。

 コンスタンティンさんに報告するために近衛が執務室に走り込んで来たのも、そういった事情からだろう。 


 ちなみに、城の守りの要であるコンスタンティン近衛総隊長は、緊急事態であっても城から出ることができないそうだ。

 警備上の問題から、人と接する機会も極力持たないという。

 まあ、僕と会ったのも、トレヴァイユさんが探していた子どもと勘違いした──ということもあるのだろうが、所詮は七歳の子どもだから危険はないと判断したうえでのことなのだろう。






 御者が外から扉を開くと、部下の三人が先に降りた。

 次いで立ち上がったバークレイさんに続き、僕も降りようとするが


「──お前は馬車の中で待っていろ」


 隊長であるバークレイさんからそう指示をされてしまい、


「え……はい、わかりました……」


 半分浮かせていた腰を下ろした。


 コンスタンティンさんから、『バークレイ隊についていきなさい』とだけしか言われていない僕が、ここで余計なことをするわけにはいかない。

 ただでさえ目に見えるかたちで軋轢が生じているのだ。

 僕は素直に隊長の指示に従うことにした。

 だが、無魔の黒禍が近くにいるかもしれないのに、僕だけ蚊帳の外というのは何とも歯がゆい。

 せめて被害に遭った人を見させてもらい、”敵”はどんな魔法を使うのか、威力はどれくらいなのか、といった無魔の黒禍の手口に関する情報を仕入れておきたかった。


 上手くやっていけるのかな……


 ひとりで行動した方が幾分か楽だが、僕は無魔の黒禍のことを何ひとつ知らない。

 バークレイ隊の人たちが知っている情報を分けてもらうためには──


 どうにかして距離を縮めないと…… 


 バークレイ隊長たちが人だかりに向かって歩いて行く後ろ姿を馬車の窓から眺め、そんなことを考えていた。


 しかしそんな悠長なことを言っている場合でもない。

 実際、今日も無魔の黒禍の手によって少女が殺されたという。


 馬車にひとり残されて疎外感を覚えつつも、僕は僕でできることをやってみよう──と、頭を切り替える。


 まだ近くにいるかもしれないな……


 そして僕は付近に怪しい気配がないか意識を集中して探って見ようと試みることにした。

 ──が、僕の意気込みに反して”嫌な感覚”を感じ取ることはできなかった。


 一瞬、試練の森、第三層にあった神殿のことが脳裏を過った。

 気配を感じ取ることができなかった”隠れ者”──。

 

 まさかこのあたりにも精霊封じの結界が使用されているのか?

 いや、試練の森から離れているから精霊たちが気配を敏感に察知できずにいるのか?

 

 精霊を使役する加護魔術は、城や都に張られた結界の中で使用しても反応しない、とコンスタンティンさんは言っていた。

 

 なら……加護魔術を試してみるか……?


 加護魔術のなんたるかを、未だお師匠様から深く教わっていない僕は、あの不思議な精霊言語を唱えてから精霊を呼び出すことを加護魔術だと思うことにしている。

 ミスティアさんもファミアさんも口の中でなにかを唱えていた。

 断定はできないが、それが加護魔術を行使するために必要な行為なのだろう。

 精霊言語を唱えなくても精霊が出現することを考えると、絶対に必要、とまではいかないのかもしれないが、おそらく『より精霊が集まる』とか『力が湧きあがる』とか、そんな効果があるのだと思う。

 実際、僕があの精霊言語を唱えると集中力が増して、精霊たちの力もより強力になる。

 なにも唱えずに精霊を呼び出すのとではなにかが違う気がするのだ。


 今もこの場で精霊言語を使えば、もし敵が”隠れ者”だったとしても、潜んでいる場所がわかるはずだ。

 それだけでなく、試練の森から遠く離れたこの都で、どの程度の精霊を呼び出せるのか試しておきたい──ということもある。


 よし、試してみよう。

 

 そう結論を出した僕は、誰も見ていないことを確認すると目をつぶり、指を組み合わせる。


 そして──


 「【ふげんさんんまやのいん──】」


 と、精霊言語を唱えて加護魔術を行使しようとしたとき──


『──城に戻るぞ』


 外でバークレイ隊長の声がしたかと思うと、バタン、と、馬車の扉が開いた。


「──!」


 僕は組んでいた手を慌てて膝の上に戻して


「──あ、あれ? も、もういいのですか?」


 思っていたよりも速く四人が撤収して来たことに驚いてバークレイ隊長に確認すると


「ああ、もう済んだ。ただの酔っ払い同士の喧嘩だそうだ。後は衛兵で事足りるだろう」


 席に着いた隊長が肩を竦めてそう答える。

 

「あれ、でも赤い髪の少女って……」


 執務室に駆け込んで来た近衛は、確かそのように報告していた。

 すると、タッカーという、隊長の次に偉い近衛の男の人が


「女装をした小柄な男だ。ったく、何が楽しいんだか」


 そう言い、どっかと馬車の座席に腰を下ろす。


「女装……ほ、本当にすごい場所ですね……」


「笑っている場合じゃないぞ。お前はそんな場所の中にある豚小屋に帰るんだからな」


 もうひとりの近衛が嘲笑しながら席に着く。

 そして最後のひとりが席に着き、五人揃ったところで隊長が口を開いた。


「コンスタンティン卿と連絡を取った。お前はこのまま宿に帰れ。そして明日、二の鐘までに近衛の詰所に来い」


「え……」


 まだまだ振り回されると覚悟を決めていた僕は少し拍子抜けしてしまった。


 でもそれはそれで助かる。

 お腹も空いているし宿代も支払い済みだ。

 例えクレール銅貨八枚とはいえ無駄にはできない。


「……それでは失礼……いたします……」


 僕が四人に挨拶を済ませて馬車から降りると、馬車はすぐさま城に向かって走り出した。




「無魔の黒禍じゃなかったのか……」


 馬車を見送った僕は、まだほとぼりが冷めやらぬ現場に目を向ける──と、数人の衛兵が酔っぱらいを連行しているところだった。


 それを遠巻きに見届けた僕は、誰とも目を合わせないように下を向いて宿へと急いだ。 




 ◆




 その頃、スレイヤ城では──


「トレ、明日は朝から探しに参りましょう!」


「ミレア様! 私との約束をひとつも守っていただけなかったのに! 第一こんなに暗くなるまで──」


「あら、トレが最近できたお洒落なお店があるというからお付き合いしたのですが? まさか二アワルも並ぶなんて…」


「ミ、ミレア様!? ミレア様だってとてもお喜びになっていたではありませんか! 三度も追加で召し上がられて! 店の者も驚いて──」


「わたくしは病み上がりですもの。たくさん栄養を取らないとなりませんから。それにあの御方とご一緒するための下見も兼ねて──」


「あ、ミレア様、腰のあたりにお肉が付きました?」


「──えっ!? トレ! 本当! え、え、そんな!」


「嘘です」


「っもう! トレ!!」


 城下で起こった騒動とは無縁の女子ふたりが、自室に戻るなり決して殿方には聞かせられないようなやり取りをしていたのだった。




 ◆




 はっきりいって宿の大部屋は最っ低の最っ悪だった。


 怖いし寒しいうるさいし。ぐっすり眠ることなどできやしない。

 


 宿に入った僕はすぐに夕飯をいただくことにした。

 銅貨二枚の夕飯は、硬いパンと干し肉、そして具の入っていない味も素っ気もないスープだった。(それでも腹ペコだった僕にとっては大変有り難かったが)

 お腹を満たして二階へ上がると──そこには天井に一か所灯りがあるだけの非常に薄暗い板張りの大部屋があった。

 部屋の中はじめっとしていて、カビの臭いとともに汗臭さのようなものも漂っている。

 部屋の中にはすでに多くの宿泊客の姿があり、薄明かりの下で剣の手入れをしていたり、道具袋の中身の確認をしたりしていた。

 その姿から、ここは冒険者御用達の宿だったのか、と少しだけ背中に戦慄が走った。

 僕は極力冒険者さんたちの邪魔にならないよう、端の方で寝ようと窓側の空いている場所を選んだ。

 そしてやることもないので明日に備えて眠っておこうと目を閉じた、が、隙間風が寒くてなかなか寝付けないのだ。

 もう少し中の方に場所を移そうと空いている場所を探すが、みんなこの宿の常連なのか寝心地の良い場所を知っているようで、人がいないのは今いる窓側だけとなってしまっていた。


 仕方なく脱いでいた外套を着込み、丸くなって目を閉じる。

 すると少しはましになり、ああ、これで眠れそうだ──と思った矢先、今度は部屋中に響き渡るイビキの大合唱がうるさくて眠れない。 

 ウトウトしかけても、あちらこちらから聞こえてくるイビキが気になって眠れないのだ。


 近衛の人たちが豚小屋と呼ぶだけのことはある。




「こんなの、どうやって寝るんだよ……」


 僕はもう眠ることは諦めて汗臭いこの部屋から出ることにした。

 荷物を纏めて廊下に出る。と、屋上に続いていると思しき螺旋階段を見つけ、僕は新鮮な空気を吸いたい一心で階段を駆け上がり、突き当りの扉を開けた。

 すると、建物の屋上に出ることができた。


「ぷはぁっ! あ~気持ちいい!」


 少し肌寒いが、大部屋と比べれば極楽だ。

 荷物を置くと両腕を広げて大きく深呼吸する。

 さあっ、と吹き抜ける冷たい夜風と、肺の中のカビ混じりの空気とが入れ替わっていく感覚が心地良かった。


「生き返った! 空気がこんなに美味しいなんて!」


 ようやく人心地がついて余裕ができた僕は周囲を見回してみた。

 今夜は月が出ていないために暗い。

 冒険者街に立ち並ぶ建物の輪郭が黒く浮かび上がり、ここから見える景色は御世辞にも綺麗だとは言えなかった。

 昨晩、見た夜景とは天と地ほどに違う。


「あぁ……贅沢は言いたくないけど、明日はもう少し眠れる宿を探そう……」


 もう真夜中過ぎだというのにどこからか笑い声が聞こえてくる。 

 冒険者たちは夜も強いらしい。


 僕なんてもう眠くて仕方がないのに……


 ふわぁ……と大きな欠伸がひとつして、気分も入れ替わったことだし、下に降りて少しでも寝ておこうか、と立ち上がったとき──


──ブワッ!


 と突風が吹き抜け、バランスを崩した僕は足を滑らせてしまった。


「う、うわぁッ!」


 しかし掴まる物はなにもなく、上下逆さまに屋根の先端まで滑り落ち、


「お、落ちるッ!」


 背中を擦る煉瓦の感覚がなくなったかと思うと、石畳目掛けて頭から真っ逆さまに落下してしまった。


 その瞬間、


「──た、大変!!」


 という女の人の声と


「──リーファ!」


 と叫ぶ僕の声が同時に響き渡った。


 僕の身体を光が包み込み、落下速度が緩やかになる。

 そのことで、さっきまで僕がいた屋根の上ところに女の人が立っていることに気付くことができた。

 仰向けのままゆっくりと落下する僕と、口元に両手をあて、驚きに目を丸くしているその人との視線が重なる。


 とん、と僕が地面に着地すると、ハッ、と我に返ったかのように女の人が


「ご、ごめんなさいッ!!」


 と僕に向かって頭を下げる。


 その直後、


「──学長!! 待って下さい!!」


 と、誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。


 女の人は一度声のした方に顔を向けると、すぐに僕と視線を合わせて、


「ごめんなさい! 急ぎますので! このお詫びは後日必ず!」


 と言うが早いか、疾風のように屋根を伝って走り去ってしまった。


「風奔り……」


 どうやら僕はあの風奔りの術の余波によって屋根から落ちてしまったようだ。

  

「でもここにもあんな術を使える人がいるなんて……」


 女の人が走り去った方を見てひとり感心していると、


「ま、待って下さい! 学長ツ!」


 屋根の上を懸命に走る女の人の姿が見えた。

 去って行った足の速い女の人を追っかけているのだろう。

 

 でもその速さじゃ、とてもじゃないけど追いつけないんじゃないかな……


 何があったのかは知らないが、命のやり取りでもなさそうなので放っておくことにした。


 僕はタイミング良く屋根の上から落ちてきた荷物を掴むと、大部屋に帰ろうと宿の扉に手を掛けた。


「し、閉まってる……」


 どうやらこの宿には門限が設けられているようだった。




 ◆



 

「ふわぁ………結局一睡もできなかった……」


 あの後、再びリーファにお願いして屋根まで運んでもらい大部屋に戻れたまでは良いが、やはり大男たちのイビキの中で眠ることは不可能だった。


 今日はもう少しだけ良い宿を探す!


 朝食を食べながら僕は誓った。

 

 しかし、この宿はこの宿で良いところを発見することもできた。


『ミレサリア王女が病に伏せっているってぇことは、顕現祭はどうなっちまうんだろうな』


『そうしたら第一王女が代わりにやるんじゃねぇの?』


 食堂で朝食を食べているだけで、いろいろなテーブルの会話が聞こえてくるのだ。

 なにもせずとも無料ただで仕入れられる情報──。

 信ぴょう性についてはなんとも言えないが、あちこちを飛び回っている腕の立つ冒険者たちの最新の情報だ、聞いておいて損はない。


 今も、ミレサリア王女が病気だとかいう話しを聞くことができた。


 そういえばカルディさんが王女についてなにか言いかけていたけど、このことだったのかな……。


 コンスタンティンさんならなにか知っているだろうけど……はたして他所者の僕に教えてくれるだろうか。




『おい、聞いたか?』


 今度は別のテーブルの会話に耳を澄ます。


人鬼オーガの角がどこかに持ち込まれるらしいぞ?』


『ああ、しかも魔力吸収アブソーブ持ちだろ?』


 あ、その話って、もしかして……


『噂じゃあブレナントを拠点にしている銀風の旋律、とか、なんとかってパーティーらしいぜ』


『少し前に聖女様が入ったっていうパーティか!? すっげえな! なら一気に三級くらいまで上がっちまうんじゃねぇのか?』


『いや、それが、リーダーを残して全滅らしいぜ。良く帰って来れたもんよ、人鬼オーガの角が本物なら英雄扱いだろうな』


 やっぱりそうだ。あのときのことだ。

 でも……あれ……?

 じゃあ、クラックは角を切っていた男の人とは違うのか……?

 今度エミルに確認してみようか。




 いくつかの有用な情報を聞くことができたことに、今日もこの宿に泊まろうか──と、大部屋の苦痛も忘れて気持ちが揺らいでしまった。


 いやいや、今夜はしっかりと睡眠をとらないと!

 

 これからは体力だって大事になる。

 今日こそはまともな宿を──できれば冒険者街以外で──探そう。



 その後、宿を出なければならない一の鐘が鳴るギリギリまで耳をそばだてて冒険者たちの話を聞いていたが、結局無魔の黒禍に関する情報を仕入れることはできなかった。



 冒険者街での夜と朝はこうして過ぎて行った。 




「よし、じゃあそろそろ城に向かおうかな!」




 僕は二の鐘に間に合うように、城行きの馬車に乗り込んだ。

 





 

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