第110話 すれ違い



 ◆




 長い眠りから目覚めた日の夜、ミレサリア=スレイヤ=ラインヴァルトは実に四カ月ぶりに幸せの中に眠りに就くことが叶いそうだった。


 その日の昼前『無魔の黒禍』の烙印を押され、貴族社会から抹消された少年──ラルクロア=クロスヴァルトの存在を感じることができたからである。

 それは”近くにいる気がする”──などといった曖昧な感覚などではなく、城に張られた結界によって、ラルクロア=クロスヴァルトの”魂の存在そのものを感知した”──という確実なものだった。



「明日は朝から捜しに行かなくては……」



 ミレサリアは、何の目的でラルクロアが城を訪れたのか──という疑問よりも、病み上がりのうえに無断で外出したことを知られたら──という不安よりも、生きていてくれたラルクロアと逢いたい──という感情の方が遥かに勝っていた。

 だから、側近から『慎重に行動してください』と進言されても、忽然と城内から気配を消してしまったラルクロアの行方を捜さなければならなかった。

 床に伏せていた間の遅れを少しでも取り戻さなければ──の一心で。

 必死に止める近衛を宥めすかし、苦労して手に入れた魔道具で容姿を偽装し、心許ない体力を仙薬エリクサーで補い──そこまでして捜し出さなければならなかった。

 そうしなければならない理由があった。

 

「わたくしにはあの御方が……あの御方でなければならないのです……」





 ミレサリアは生まれながらにして、公爵家嫡男であるクラウズ=ノースヴァルトとの婚姻を、その身分によって決定付けられていた。

 そしてミレサリアは五歳になると同時にクラウズと面識を持つことになる。

 そのときミレサリアは漠然と、この人物と一生を添い遂げるのことになるのか──と意識する。がしかし、ミレサリアは、ミレサリアの魂はそれを良しとしなかった。

 まだ当時は二歳であったが、侯爵家嫡男のラルクロア=クロスヴァルトとの出逢いを忘れてはいなかったのだ。

  愛、も、恋、もよくは知らない少女が、本能で感じた運命を小さな胸に抱え、ひとり頭を悩ませていたのである。


 『私はクラウズ様とは契りを結べない』──と。


 しかしそのことを理解してくれていたのは、兄であるクレイモーリスと専属の近衛であるトレヴァイユのみであった。

 両親はともにミレサリアの言い分には耳を貸さずにクラウズとの婚姻を推し進めていた。

 なぜならそれこそが古よりスレイヤ王国を築きあげてきた、ヴァルトの聖力なのだから──。

 ミレサリアが必死に抵抗するも、ラインヴァルトが進むべき既定路線から外れることは決して許されなかった。


 ──そんななか、ミレサリアにはひとつだけ救いの道が残されていた。

 それはミレサリア、ラルクロア、ともに第二階級以上の魔術師になる、ということであった。

 二階級以上の実力を持つ王位継承者は、王家を離れる選択も可能となる。

 ──政治的な権力と高位の魔術師の力を切り離すためだ。

 だが出奔する以上は相手も二級以上の魔術師でないと認められない。

 ──優秀な種を残すためである。

 ラルクロアがそのことを知っているかどうかは別として、ミレサリアとしてはもうそれしか道は残されていなかった。

 そして、自らが第二級魔術師となった時点でミレサリアは、ラルクロアが第二級の魔術師となること、そして自らのことを受け入れてくれること──のふたつを信じて疑わなかった。


 しかし──


 今より4カ月ほど前、ミレサリアは生きる望みを失うこととなった。


 ラルクロアの七歳の誕生日──。

 ミレサリアはラルクロアの魔力測定の結果を今か今かと待っていた。

 仮測定ではすでに第二階級だったと聞いている、今日の測定結果も第二階級、あわよくば第一階級であるに違いない──と。

 ミレサリア自身一年前の仮測定の結果は第四階級だった。

 しかしそれでは目的を果たせないために必死に努力した。

 魔力を底上げするためであればどんなことでもやってのけた。

 そして掴み取った第二階級だ。


 わたくしはこの手で運命を掴み取りました、貴方様もどうか魂と向き合ってください──


 だが……


 ミレサリアの元へもたらされた報せは『ラルクロア=クロスヴァルト、無魔の認定』だった──。


 その日を境に、ミレサリアの顔から笑顔が消え去った。

 そして三ヵ月後──

 ミレサリアは原因不明の病で床に伏せることになる。






「──都に騒動を振りまいている無魔の黒禍を捕まえて……わたくしは必ずや貴方様にかかる疑義を晴らして御覧に入れます」


 ミレサリアはそう誓うと、すぐに寝息を立て始めた。




 ◆



 

 青い光が揺らめくミレサリアの寝室にトレヴァイユが入室してきた。


「おはようトレ。──ルーメンの診察が終わったらすぐに部屋から出ましょう」


 ミレサリアは、トレヴァイユの顔を見るなり、挨拶もそこそこに予定を伝える。

 トレヴァイユは昨日の疲れを感じさせない主の顔色に安堵しつつも


「おはようございます、ミレア様。──やはり今日も行かれるおつもりですか……?」


 返ってくる言葉などわかりきってはいたが、それでも僅かな希望を込めて確認した。


「無論です。昨日は貴族街でしたから、今日は冒険者街を捜してみましょう」


 少しの間も置かずに返ってきた想像通りの答えにトレヴァイユは嘆息し、肩を竦めた。


 トレヴァイユは窓を開け、空気の入れ替えをすると


「昨晩はコンスタンティン総隊長も忙しかったようで目を誤魔化せましたが、今日も上手くいくとは限らないのですが……」


「でも明日は部屋にいなければならないのでしょう? お父様がお見えになると」


「ミレア様に顕現祭を執り行えるだけの体力があるか確認にいらっしゃるそうです。国民にもミレア様の回復を知らさなければなりませんから」


「ならなおさらよ! ね! 明日は城から一歩も出ませんから!」


 久しく見ることができなかったミレサリアの満面の笑みに


「……今日こそは私の指示に従っていただけますか?」


 トレヴァイユは着替えを手伝いながら答えた。





 ◆





 城の通用門から女がふたり出てきた。

 ひとりは紅い髪をした幼い少女、もうひとりは体型から女性とわかるが、頭巾を目深に被っているために特徴までは確認できない。

 姉妹のように見えるふたりは足早に城から離れていく。

 しかし紅い髪の少女がなにかに惹かれるように──はた、と立ち止まった。

 少女の視線の先には正門前で城を見上げている少年の後姿があった。

 少女と同じ年くらいだろうか、水色の髪をした少年。


 少女は少年に吸い寄せられるように足を踏み出そうと──


「ミア! 急ぎなさい!」


 名を呼ばれ、ビクッ、と踏み止まる。

 少女はなにか気になるのことでもあるのか、少年の後姿を見ていたが、


「──私の指示に従う約束ですよ!」


「──はい! トレお姉さま!」


 先を行く女性に急かされると、少女はくるりと方向を変え、姉の下へと走っていった。




 少年がふいに振り返る。

 その水色の瞳には仲睦まじく祭りへと駆けていく姉妹の姿が映っていた。




 

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