第101話 風当たり
「金貨八百枚……それを昨日は一枚で売ろうと……」
あの道具屋と王室専属の薬師長、どちらが正しいかなど、火を見るより明らかだ。
しかしこんな金額になるとは予期せぬ出来事だった。
死にそうな思いをして採ってきたのは確かだけど……
あんな場所、修行としてでもなければ行きたくもない。
金貨三十五枚、と言われても、そもそも試練の森の五層に行くまでが大変なことであるわけだし、さらにあの深淵……。
今思い返しただけで、ぞわっ、とくるものがある。
でも庵に戻ったら、あれ以上の修行が待ち受けているんだろうな……
門に戻る途中、つい憂鬱な気分になり下を向いてしまった。
だめだ、だめだ! 今はそのことは考えたらだめだ!
僕は自分にそう言い聞かせて、お師匠様の『地図』を一度忘れることにした。
「それにしても、水晶貨、か……」
下を向いたときに目に入った右手で握りしめている小さな革袋には、とても大量の金貨が入っているようには見えない。
僕が持っていた袋とほぼ同じくらいの大きさだ。
魔力がない僕にも使うことができればいいんだけど……
「それにトレヴァイユさんのおかげでこんなにたくさんの金貨になったんだ。何か恩返しをしないといけないな」
金貨八百枚といってもなにが買えるのかわからない。
金貨一枚で二十日ほどは宿に泊まれる計算だから、相当に多いことはわかるけど。
「そうだ、ここでの生活が終わって余った分はトレヴァイユさんにあげればいいんだ」
ああ、でも伯爵家のトレヴァイユさんは僕と違ってお金なんかに困っていないだろうから……
やっぱりなにか……あ、ミスティアさんも大好きな虹香茸はどうかな、ただで採ってきたもので悪いけど、気に入ってもらえるかもしれない。
でもこっちの人は見向きもしないみたいだからな……ぱっと見は、大きくて気色悪いキノコだもんな……
う~ん、都でなにかいいものがあったら寝小丸さんのお土産と一緒に買ってみようか……
寝小丸さんは魚でいいとして……トレヴァイユさんは……なにがいいのかな……
「ん? なんだか……騒がしいな……」
女の人に物を買ったことなどない僕が、トレヴァイユさんになにを渡したら喜ばれるか思案に暮れているとき、ふと、顔をあげると、城内を慌ただしく行き交う人たちの姿が目に入ってきた。
「なにかあったのかな……あ、さっきの子どもが見つかったのかな?」
僕は門まで戻ってくるとさっきの門番さんにお礼を言い、城を後にした。
「さあ、コンスタンティンさんを探そう!」
宿を探す際に、ついでにコンスタンティンさんの所在も尋ねて回るつもりだ。
「宿屋街までは馬車が出ているって御者さんは言っていたけど……あ、あそこか」
『”腹の出たコンスタンティン”と言って探せばすぐに見つかるよ』──お師匠様の言葉を信じて、昨日さんざん歩き回った宿屋街へ──
いざ!
◆
「空いてないよ。ん? コン……? いや、知らんねぇ、聞いたことがない名前だ」
「またあんたかい! 昨日の今日で空いているわけがないだろう! え? コンスタンティン? そんな名はしらないね!」
「一カ月先まで満室だって言ったろう? 気の毒だがこっちも商売なんだ、他所をあたっておくれ。──コンスタンティン……ここいらじゃ聞かない名前だねぇ」
「ああ、昨日の……その様子じゃ貴族街の宿も一杯だったのかい? え? 行ってない? なら昨日はどうした──え? 知り合いの家? そうかい、それは良かったねぇ、ああ、悪いが今日もうちは空いていないよ。コンスタンティン? なんだいその上流階級っぽい名は。それこそこんな下町の宿じゃなくて貴族街の宿で聞いてみた方がいいんじゃないかい?」
昨日よりも周って、その数二十九軒──。
しかし結果は見事撃沈。足は棒。
もぉうこれ以上は無理だろう!
僕はやれるだけのことはやった。
ここまで探しても見つからないんだから一泊金貨一枚もする宿に泊まったところで、お師匠様に怒られることはない──はずだ……。
僕が死ぬ思いをして採ってきた代償の金貨なんだから、少しくらい多く使っても怒られることはない──はずだ……。
お師匠様はマールの花がいくらで売れたか知らないんだし……
「よし、こうなったら貴族街へ行こう!」
僕は元あった革袋に入っていた、なけなしの銅貨を支払い貴族街の入口に向かう馬車へ乗った。
◆
「……申し訳ございません、たった今満室になってしまいました。それからお客様の個人情報はお教えすることは出来かねます」
「保護者の方は……おひとり? この宿はお子様がひとりで宿泊することはできません。コンスタンティン様? 人をお探しであれば宿ではなく城にある窓口に行った方がよろしいのでは」
「当宿は格調高い宿でございます。商人見習いの幼い子どもが宿泊できるような宿ではございません。お引き取りを」
「平民……? 平民が何でこの界隈をうろついているんだ! おい守衛! こいつを摘み出せ!」
「空いているには空いていますが……生憎と一泊金貨三枚の特別室しか空いておりませんので……」
はぁ……忘れてた……。
貴族街の宿に平民の僕が泊まれるわけがないじゃないか……。
せっかく空いてた宿も金貨三枚だなんて……止まらせる気がないからあんなに高い金額を言ったんじゃないかな……
いっそのこと金貨を見せて「僕は金貨を持ってるんです!」と言ってしまいたかったが、おそらくお金の問題じゃないんだろう。
いわゆる身分、平民が宿泊することを良しとしないのだろう。
宿にいた高級な服を着た宿泊客も、一様に僕を白い目で見ていた。
「平民と同じ宿ならわしは今後の予約を取り消すぞ!」なんて大声で怒鳴り出す人もいたくらいだ。
コンスタンティンさんのこともまったく教えてくれないし……心が折れそうだ。
でもこんなことで滅入っている場合じゃない!
常に危険と隣り合わせにいたあの修行と比べれば、宿がなかなか見つからないことなんて大したことじゃない!
「……とは言ってもなぁ……」
僕が泊まれそうな普通の宿は満室、貴族街の宿は他の宿泊客の怒りを買ってしまうから無理、となると……
「トレヴァイユさんの家……」
しかしまたお世話になるのは申し訳ない。
カルディさんと話をしたいのは山々だが、もれなく伯爵との歓談がついてくる。
あれさえなければもう一泊くらいは……
いや、だめだ! ここで甘えてしまっては修行にならない! すぐに泣きつく弱い男になってしまう!
「貴族街以外にも宿はあるはずだ。根気よく探そう!」
人がたくさんいるあの場所なら……
まだ明るいから大丈夫だろう……
そして僕が次に向かったのは──ラーナちゃんが『夜は絶対に近寄っちゃダメ』と忠告してくれた区画だった。
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