第100話 水晶貨


 換金の手続きを受け付けてくれる場所は城の中ではなく、外れにあるこじんまりとした建物内に設けられていた。

 看板に『特別窓口』と記されていることを確認して扉を開け──入った建物の中には誰もいなかった。

 奥には『税金』や『土地・建物』、『学院』などと書かれた窓口がある。が、並んでいる人は誰もおらず、受付をする係の人すらいなかった。

 僕はいくつかある窓口の中で、門番さんから説明された『換金』の窓口の前に立つと、そこに置かれている呼び鈴を鳴らした。


 すると「──はい、ただいま」しばらくして奥から係の人らしき女の人が姿を現した。


「商人見習いのキョウさん、ですね」


 係の人は僕を見るなり名前を言い当てる。ここにもトレヴァイユさんが連絡してくれていたのだろうか。


「はい、そうです。すみません、予定より早く来てしまって……」


「大丈夫ですよ。少々お待ち下さい」


 女の人はいったん奥に戻り、ややあって扉から出てくると──


「こちらが買い取り不可だったためにお返しする素材と、こちらが今回買い取らせていただいた素材のお支払いとなります。──ご一緒に確認お願いします」

 

 見覚えのある僕の革袋と、それとは別に小さな皮の袋を受け付け台の上に乗せる。


 買い取り不可って、僕の着替えだって入ったままだったんだから当然だよ──と苦笑しつつも、僕の視線は、じゃら、と金貨か銀貨か分からないが、硬貨がぶつかる音がした小さい袋の方に釘付けになってしまっていた。


 十枚くらいは入ってそうな音がしたけど……

 金貨が二枚は入っているといいな……

 

 袋に入っている金貨の枚数いかんによっては、今後の余計な悩みから解放されるのだ。

 少しでも『無魔の黒禍』対策に集中したい僕は、早く中身を確認したくてうずうずするが、 


「ええと、まずお返しする素材がこちらです。──数に間違いはありませんか?」


 受付の人が先に僕の持ち物を手渡してきたので、いったん小袋から目を離して自分の荷物の中身を確かめる。

 袋の中には元あったとおり、着替えと


「あ、虹香茸も戻ってきた……」


 もしかしたら素材扱いになってしまったのではないかと危惧していた──それはそれで構わなかったが──キノコが入っていたことに、虹香茸は素材にはならないんだ、とここで学習した。


「はい、間違いありません」荷物を受け取り足もとに置く。


「そしてこちらが、薬師工房で買い取らせていただいた素材のお支払い分となります。ええと……マールの花が二十三点、ですね。──間違いありませんか?」


 続いて受付の人が一枚の書類に目を落としながら尋ねてくる。

 正確な花の数は数えていなかったが『大体そのくらいだったかな』と思い返して「はい」と頷くと、


「マールの花ひとつの買い取り額がクレール金貨三十五枚となりますので、合計二十三点で金貨八百五枚となります。こちらが……クレール水晶貨八枚と、こちらが……クレール金貨五枚、どうぞご確認ください」


 え!?


 受付の人が袋から中身を取り出して、事務的に受付台カウンターの上に並べる。


「はっぴゃ……?」


 せいぜい金貨が二枚もあれば御の字だと算段していた僕は、桁違いの額に耳と目を疑った。

 しかしカウンターの上にはキラキラ輝く金貨が数枚と、見たこともない、金貨よりも一回りほど大きな半透明の板が数枚、綺麗に並べられている。


 水晶貨?


 元貴族であってもお金に触れる機会など滅多になかった僕にとって、それは初めて目にするものだった。


 すごく綺麗な水晶の板だ……

 これで金貨百枚分ということなのかな……


 って、今はそれどころじゃなかった!


「あの、これ、ちょっと──」


「水晶貨が初めてなんですね? では簡単に説明します。──この水晶貨は金貨と違い、このままでは利用できません。盗難防止や不正利用阻止のため、受け取ったら速やかに半分だけ魔力を通してください。そうすることによって魔力を通した本人以外には使用ができなくなります。使いたいときには水晶貨を手で握って、残り半分の魔力を注いでください。水晶貨がすべて乳白色に染まれば金貨百枚分としてご使用いただけます。気をつけていただきたいのは魔力を全て満たして色がついてしまえば、その時点で誰にでも使えるようになってしまうことです。その状態で盗まれることがないように、ご使用になる直前までは決して魔力で満たさないでください。もし満たしてしまった後に使用を取り止めたいときや、魔力で満たされた水晶貨を手にした際はこちらまでお持ちください。精査した後、不正が認められなければ、使用済みの水晶貨と引き換えに新しい水晶貨をお渡しします」


 なるほど、そうやって使うのか。


 お姉さんの早口の説明にもどうにかついていけた。


 あれ、でも、僕には魔力がないから使えないんじゃ──って、だから今はそうじゃなくて!


「違います! は、はっぴゃくって、な、なにかの間違いじゃないですかっ!?」


 「最後にこちらにご署名を」と書類を差し出す受付の人に並んだ水晶貨を指差して確認する。


「いえ、バルジン薬師長より指示されたとおりの額ですが……買い取り額に不服があるようでしたら、薬師長と直接交渉していただくより他に──」


「い、いえ! 不服だなんてとんでもない! 逆です! 逆! いくら何でも高過ぎじゃないですかっ!? 金貨八百枚って!」


 昨日の商人は金貨一枚が相場だと言っていた。

 結局インチキだってわかったけど、それでも八百五枚は多すぎる。


「高い……? そう申されましても、ここにバルジン薬師長の署名入りの書類が──」


「も、もう一度バルジンさんに確認してもらえませんかっ! き、きっと、他の誰かの分と取り違えているんだと思いますから! もしくは計算を間違えてるんです! そ、そうに違いありませんっ!」


「ですが……この書類には確かにキョウさんの名前が──」


 僕が予想していた買い取り額とあまりにも乖離していたために、受付の人と水晶貨と金貨を挟んで押し問答をしていると──勢いよく扉が開く音がして僕と受付の女性が揃って入り口に目を向けた。


「──クルーゼ隊長!」


 扉の方に振り返る必要がない受付の人が先に名を叫ぶ。

 少し遅れて、僕もここに入ってきた人がトレヴァイユさんだとわかり、ちょうど良かった、昨日のお礼を言いがてら事情を話してバルジンさんに再度確認してもらおう──と


「トレヴァイユ様、昨日は──」と切り出そうとしたが、当のトレヴァイユさんは酷くいている様子で、僕を見るなり


「や、やはりキョウか……」


 がっくりと肩を落とした。


「トレヴァイユ様……? なにかあったんですか……?」


 膝に手をついて荒い呼吸を整えているトレヴァイユさんの、桃色の髪の頭頂部に向かって声をかける。

 大きく上下する背中から、ここまで全速力で駆けてきただろうことが窺える。

 近衛隊長のトレヴァイユさんがこんなに慌てているなど、余程のことがあったに違いない。

 まさか『無魔の黒禍』に関することか──と、僕の背にも緊張が走る。


「いや、キョウ、済まない。ちょっと人を探していてな。髪と瞳の色は異なるが、七歳くらいの少年ならこっちの方角に歩いていったと聞いたのだ。私もおそらくはキョウではないか、とも考えたのだが、キョウが来るにはまだ早いからもしやと思い来てみたのだ」


「そうだったんですか。──僕と同じくらいの子どもなんてこっちでは見かけませんでしたけど」


 僕は気を緩めると、ふう、と、肺に溜めていた空気を吐き出した。


「そうか、済まない。……やはり門番に訊きに戻るか……」


「あの、トレヴァイユ様。昨日は本当にありがとうございました。それで、このバルジンさんの書類なんですが、明らかに不備があるようなんですが……」


「ん? それなら今朝一番で私も確認したぞ? おかしな点はなかったが……キョウ、済まないが先を急ぐのでここで失礼する。──ああ、キョウ、この後予定は空いているか?」


「え、あ、この後は人と会うつもりで……」


「そうか、それは残念だ。泊まる宿が決まったら私宛に連絡をよこしてくれ。では急ぐので失礼」


 すっかり呼吸が整ったトレヴァイユさんは慌ただしく扉に走っていく。


「あ、トレヴァイユ様……」


 嵐のように去っていくトレヴァイユさんの背中に、縋るように呟く。


「宿が空いてなかったらまた私の館に来い! キョウならいつでも大歓迎だぞ」


 トレヴァイユさんが振り向きざまに大声でそう残し扉を閉めると、室内には急いで走り去るトレヴァイユさんの靴音だけが響いた。





「……キョウさん……あなたいったいどなたなんですか……? あのクルーゼ隊長に大層気に入られていたようですけど……それに、お館にまで招待されて……」


 やがて靴の音も聞こえなくなり──たっぷり時間をかけたところで、受付の人が口を開く。

 トレヴァイユさんに対する嫉妬の色が見え隠れする、極限まで細められた視線で問い詰められた僕は


「あ、は、は……ここに署名すればいいんでしたよね……」


 水晶貨と金貨を袋にしまうと、


「あ、ありがとうございました!」


 ぺこっと頭を下げて逃げるように部屋を出た。



 

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