第102話 紅い少女



「──あっ……」


 寝台の背にもたれていたミレサリアが、僅かに上半身を起こすとなにかを掴むように右手を宙に突き出した。

 まだ輝きのすべてを取り戻してはいない青の双瞳は、この部屋ではなくどこか遠くを見ているかのようだった。 


「──殿下、いかがされましたかな?」


 年老いた男が治癒魔法をかけていた手を止め、ミレサリアに訊ねる。


「……い、いえ……なんでもありません……ルーメン、トレと話すこともだめなのですか?」


「殿下。お気持ちはわかりますが陛下にもご遠慮いただいているのですぞ? ──私のような老骨が話し相手では不服ですかな?」


「……いえ、そんなことはないのですが……」


 ミレサリアは伸ばしていた手とともに肩を落とす。


 今しがた城内に張られている結界から消えてしまった、探し求める人物の行方を早く知りたかった。

 自分が意識を失っていた間に起こったことも、耳触りのよい報告しかしない治癒師からではなく、包み隠さずに伝えてくれる側近の口から聞きたかった。


 しかしそのどちらも適わずに、ミレサリアは大きな溜息をついた。 


 ミレサリアは意識を取り戻したはいいが、かかりつけの治癒師であるルーメンの『流行病の恐れもある』という診立てによって一切の面会を経たれていた。


「顔に出ておいでですぞ、殿下。──しかし御目覚めになられてから三アワル……脈も落ち付いてきておられる……2カ月の間、側仕えを務めていたトレヴァイユ殿であれば大丈夫ですかな……」


「──ありがとう! ルーメン!」


「しかしあまり長くはいけませんぞ?」


「わかっています!」


 ルーメンはうら若い少女の笑顔を受けて苦笑で返す。

 いったん部屋を出て扉の前の近衛に伝言を告げるとすぐに戻ってきた。


「今トレヴァイユ殿をお呼びいたしました。いらっしゃったら私は湯の交換に行って参ります。私が戻るまではご自由にされるとよいでしょう」


 ルーメンがそう言うとミレサリアの顔はいっそう綻ぶのだった。






「失礼します──」


 しばらくしてミレサリアの部屋にトレヴァイユがやってきた。


「それでは殿下、くれぐれもご無理はなさらないよう」


 入れ替わりにルーメンが退室していく。 


「ミレア様! 随分とお顔の色も良くなりましたね!」


「ありがとう、トレ。これもトレがずっと世話をしてくれていたおかげよ? ありがとう、トレ」


「もったいないお言葉……そのようなお言葉をいただいた後で大変申し上げにくいのですが……」


 寝台の横に立つ、神妙な面持ちのトレヴァイユに向かって、


「ええ、わかっています。あの御方は見つからなかったのですね?」


 ミレサリアが優しく微笑む。


「申し訳ございません……ミレア様……」


「大丈夫よ、トレ。あの御方は生きていて下さった、そして今、青の都にいらっしゃる、それがわかっただけで十分です」


「しかし……お言葉ではございますが、なぜ『無魔の黒禍』の騒動に揺れる都に、しかも城内にお姿を現したのでしょうか……」


「トレ、まさか貴方もあの御方を疑って──」


 眉を寄せたミレサリアがすべてを言い切る前に


「め、滅相もございません! 私は無論、ラルクロア様の──」


 トレヴァイユが急いで否定しようとするが


「しーっ!」


 大声でその名を口にしたため、ミレサリアに止められてしまった。


「あ、も、申し訳ございません! つい……」


「大丈夫、聞かれていないようです。付近には近衛意外に人気ひとけはありません」


「き、気をつけます……でもあの御方がこんなにお近くにいらっしゃるとは……」


「ふふ、トレ?」


 続いてミレサリアが顎に手を当てて小首を傾げる。


「い、いけません! いけません! ミレア様!」


 その満面の笑みからなにかを察知したのか、トレヴァイユが必死に首を横に振る。


「あら、わたくしはまだなにも言っていないのだけれど」


「わ、わかります! ミレア様のお考えなど手に取るように!」


「ふふ、そう? それならどうするというの? このあとのわたくしは」


「そ、そこの窓から外に出て……あの御方を探しに行かれる……と……」


「あら、さすがトレね。でも少しだけ抜けているわ、大事なものが──」


「ミレア様! いけません! まだ横になっていなくては──」


 ミレサリアは止めようとするトレヴァイユの手をすり抜けて寝台から降りると、とてもひと月以上寝ていたとは思えないほどにしっかりとした足取りで鏡台に駆け寄る。

 そして小さな引き出しを開けると腕輪のようなものを取り出し、それを右腕に嵌めた。

 鏡の方を向いたミレサリアが目を閉じて大きく息を吸い込み、それをゆっくりと吐く。

 するとミレサリアの身体全体が、ぼうっ、と淡く光を放ち──


「ね? これで完璧でしょ?」


 くるりと回転する。

 部屋着の裾が大胆に広がり、そして、ふわり、と元に戻る。

 トレヴァイユに向き合ったミレサリアは──


「ミレア様! またそのようなお姿に! い、いけません!」


 髪と瞳の色は美しい紅色に変化しており、その姿はどこからどう見てもスレイヤ王国の第二王女には見えない。

 青姫の欠片もない、しかし魅惑的な少女の姿であった。


「──あ」


 だが、ミレサリアは魔道具に魔力を通した途端に床に伏せってしまった。


「──ミレア様!」


 慌てて駆け寄ったトレヴァイユがミレサリアを抱え上げ、寝台まで運ぶ。


「だから言ったではないですか! そんなことをしたら折角回復した御身体が──」


 と、そのとき──


──トン、トン、トン


 扉がノックされる音が聞こえてきた。


「まさかもうルーメン殿が? 少しばかり早過ぎではないか!?」


「トレ……ち、力が入らない……どうしましょう……」


「ミ、ミレア様、とにかく布団を被っていて下さい! わ、私が応対しますから!」


 トレヴァイユが強引にミレサリアに布団を被せる。

 ミレサリアは力が入らずに自力で腕輪を外すこともできずにいた。

 病み上がりであるにもかかわらず、その自覚もなしに紅い髪の少女に変装していた──などと知れたら、間違いなく両親から大目玉を食らう。

 それだけでなく、苦労して手に入れたこの魔道具を取り上げられてしまうだろう。

 しかし、たとえここで頑張って腕輪を外したとしても、頭まで布団を被っているとはいえ、術を解いたときの発光が漏れてしまう。

 どちらにしても布団にくるまってやり過ごすしかなかった。


「ミレア様、もう大丈夫です。私の部下が頼んでいたこちらを持って来ただけでした」


 トレヴァイユが動けない主を気遣い、そっと布団を捲る。


「さあ、こちらを」


 トレヴァイユがミレサリアの肩を優しく抱き、上体を起こす。


「これ……は……?」


 ミレサリアの声にはさっきまでの覇気はなく、掠れてしまっていた。


仙薬エリクサーです。ひょんなことから最上級のマールの花を入手しまして、昨晩からバルジン殿に調合を依頼していたのです。──こちらを飲んでゆっくりと御休みになれば、必ずや御元気になります」


「マールの花……そんな高価なものが……良く手に入りましたね……上位の冒険者の方が?」


「いえ、冒険者組合に依頼を出したのは二カ月前ですから、さすがに一流の冒険者であっても時間的に無理です。都に持ち込んだのは一介の商人なのですが、機会があったら是非その商人と公式に会ってはいただけませんでしょうか。欲のない商人なので、王室と取引をした実績があれば商売も上向くかと」


「そう……それは直接お会いしてお礼申し上げなければならないわね……」


「さあ、殿下」


 トレヴァイユが小瓶の栓を開け、ミレサリアの口元に運ぶ。

 ミレサリアは薄らと瞳を閉じると唇を開き、小瓶に入った液体をすべて口に含んだ。

 

 そしてミレサリアが口の中の仙薬エリクサーを嚥下したとき──


 ミレサリアの紅い瞳が潤み、少しだけ開いた両のまぶたからとめどなく涙が溢れ出てきた。


「ミレア様? 如何されました? 苦かったですか?」


 突如涙を流したミレサリアにトレヴァイユは慌てた。


「……わからない……わからないのだけれど……なぜだか涙が止まらないの……なんだか、とても懐かしいような……温かいような……」


 ミレサリアは知らない。

 いま口にしている仙薬エリクサーこそ、ミレサリアのよく知るラルクロア=クロスヴァルトが、死と戦いながら採ってきたマールの花で作られていることを。

 そのことに気が付き、そして涙しているのはミレサリアの魂──なのだろうか。


「ミレア様……」


 しかし


「──トレ! 不思議! すっごい元気になりました!」


 先ほどの涙は何だったのか──ミレサリアは寝台の上に立ちあがると、両腕に小さな力こぶを作ってトレヴァイユに見せる。


「──ミレア様……」


「さあ、早くして! トレ! ルーメンが戻って来てしまうわ!」


「ミレア様……もしミレア様が部屋を抜け出して都に行っていた、などとあっては、私は近衛の職を解かれてしまうのですが……そのうえ病み上がりの身で外に出られて万が一のことがあっては……」


「大丈夫! ばれなければいいのだもの! それにそれを何本か持って行けば倒れることもないんじゃない?」


 ミレサリアが盆の上の仙薬エリクサーを指差してにっこりと笑う。


 そして、いけません、行く、のやり取りが何度か繰り返され──。


 トレヴァイユは諦めの溜息を吐いた。


 トレヴァイユは言い出したら聞かないミレサリアの性格など、誰よりもよく知っている。

 結局、折れてしまったのは近衛騎士の方だった。


「……ミレア様……では約束して下さい。都では私の指示に従うこと、暗くなる前に部屋に戻ること、少しでも体調がすぐれなかったら必ず私に伝えること、それから──」

 

 この時点でトレヴァイユの頭はすでに、無断外出が城に知れてしまった際の言い訳を考えることで埋め尽くされていた。

 ちら、と鏡台の前に目をやると、そんな家臣の苦労を他所に、主はすでに着替えを済ましていた。


「ええすべて守るわ! あの御方に会うためですもの! ──あの御方は、病み上がりだといって部屋で横になっているような弱い女は御嫌いなはずです!」


 こうしてミレサリア第二王女扮する紅い髪の少女と、その護衛であるトレヴァイユは窓から部屋を抜け出し、さらには城をも抜けて、ラルクを探すために都へと下りて行くことになった。


 そしてふたりが出て行った後の部屋には──城の結界を誤魔化すために置かれた、ミレサリアの魔力を込めた水晶と、枕を丸めて布団を被せただけの、なんともお粗末な擬態ダミー、そして、扉の隙間に挟まれた『寝ているので起こさないでください』という置き手紙──が残されていた。




 

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