第67話 雨ざらしの三人



「……猊下はいるかい?」


 ファミアが向かった先──表向きはアースシェイナ神を祀る教会──の地下にある礼拝堂。

 その奥にある、猊下の私室へと続く扉の前で立ち塞がる男に向かってファミアが声をかける。

 口調こそ丁寧ではあるが、聖教騎士の正装に身を包む男を見るファミアの視線は冷たい。


「これはこれはファミア様、このような朝早くからいかがされたのですかな?」


 男が靴を鳴らし敬礼をすると、慇懃無礼とも取れる態度でファミアに応じる。


「そこをどいてくれるかい? カーサー、朝早くから来なければならないほど猊下に急ぎの用があるんだ」


「生憎、猊下からは誰も通すなと仰せ付かっておりますので。──お引き取り頂けますかな。もしくはこの場で用件を承って私の方から猊下にお伝え──」


「悪いけどカーサー、キミと押し問答しているような無駄な時間はないんだ。──通してもらうよ」


 ファミアがそう言って聖教騎士の男──カーサー──の横を通り過ぎようとしたとき


「おっと、そうは参りません」

 

 カーサーが左足を引き、腰の剣に手をかける。


「キミ、ここがどこだか、誰を相手にしているのかわかっているのかい?」


「おや、ファミア様こそご自分の立場をお忘れのようだ。私が序列三位に甘んじているのもエルフ族とハーティス家を慮っての大人の事情という──」


「ほう、まだそんなことを根に持っているのかい、実力でボクとティアに完敗した負け犬が。図体はでかい割にはよく吠える犬だ。いや、それでは犬に失礼か。豚の方がぴったりだ。差し詰め騎士服で着飾った中身のない人豚オークといったところか、早くその騎士服を脱いでだらしのない身体を晒したらどうなんだい?」


 幸い早朝ということもあり礼拝堂に参拝客はいないが(地下礼拝堂に来るものは日中を通してほぼいないが)、仮にいたとしたら、ふたりが発する剣呑な空気にあてられ、気絶する者もあらわれただろう。


「口が過ぎるぞ! 小娘めッ!! 我が剣の錆にしてくれようかッ!!」


「そうやってキミはすぐに本性を出す。性根がそんなんだからいまだに精霊と契約ができないことを、大金をはたいて騎士の地位を買ってくれたキミの御両親はどう思っているんだろうね」


「……ぐっ! 貴様! 私だけでなく父上と母上も愚弄するかッ! 騎士の地位を金で買ったなどとッ!!」


「愚弄? 勘違いしないでくれるかな? ボクはキミの御両親が気の毒でならないんだ。こんなに騎士として相応しくない愚息のために汗水垂らして溜めた金を継ぎ込むなんて。それとも何かい? 人豚オークの親は人豚オークだから悔やむ心なんて持ち合わせていないっていうのかい?」


「キ、キサマァッ!!」


 顔を真っ赤にしたカーサーが一息に剣を抜き放った。

 神に仕える騎士ともあろうものが教会内で抜剣するなど、常軌を逸している。

 それほどまでにこのカーサーという男は常識を知らないのか。

 それとも単にファミアの露悪的な物言いが際立っているだけなのか。


「──威嚇じゃないんだね?」


 いっそう冷淡な表情でファミアが問い質すと、


「今日のボクは手加減してあげられるほど冷静ではないよ?」


 周囲に光の珠を浮かべる。


 光の珠が数を増やしていくと、それに合わせて底冷えのしていた礼拝堂の室温が俄かに上昇していく。


「だ、黙れエルフの小娘がッ!! ここで貴様を倒して序列一位の座を奪ってやるわッ!!」


 頭に血が昇ったカーサーは剣を振り上げ──


 と、そのとき


「神の御前でなにを騒いでおるのだ」


 扉が音もなく開いて、中から黒衣姿の男──ドレイズ──が姿を現した。


「げ、猊下!」


「カーサー、ここをどこだと弁える」


「も、申し訳ございません!」


 真っ赤にしていた顔を死人のように青くしたカーサーが剣を収めると


「ファミア、お前もじゃ」


「猊下! 今回のティアの件、どういうことなんですかッ!」


 光の珠を消したファミアが開口一番猊下に食ってかかる。


「貴様! 猊下に向かって──」


「良い、カーサー、此奴は昔からこうじゃ、今更咎めてもどうにもならん。──ファミア、付いてきなさい」


 鋭い視線を放つカーサーにドレイズが手を振り、背中を向けた。


「ボクが納得いく説明をしてくれるんでしょうね」


 ドレイズはファミアの質問には答えずに黙って扉の奥に戻っていく。

 ファミアがドレイズに従い扉を通り過ぎると、その後からカーサーも付いて来る素振りを見せる。


「カーサーはそこで待機しているが良い。誰も通すでないぞ」


「し、しかし……」


「構わぬ。ファミアとふたりでの話がある」


「……は」


 ファミアがカーサーに振り返り、鼻を人差し指で持ち上げる。

 人豚オークの特徴である鼻を強調してカーサーを焚きつけたのだ。


「……ぐっ!」


 カーサーが悔しそうに奥歯を鳴らす。


「ファミア、慎めと言っておる」


 が、ドレイズに嗜められるとファミアは前を向き、暗い廊下を奥に進んでいった。


 カーサーはその後ろ姿をいつまでも憎々しげに睨み付けていた。




 ◆



 

「まさかこの人たちも魔物に襲われたのか……?」


 近付いて確認すると、倒れているのは三人だった。

 ここで倒れてから随分と経つのか、雨に打たれて泥だらけだ。

 着ている服もボロボロだし、魔物に襲われたことは間違いないだろう。


「さすがにこの人たちは死んでいるか……」


 酷い有り様からそう見当をつけるが、念のため確認しておこうと棒で突っつく。

 

「は、え?」


 すると棒で触れたときの感触が、人間の身体を突いた感触ではなく、固い石か鉄の塊を突いたような感触であることに驚き、間抜けな声を上げてしまった。


 もう一度突いてみると、確かに岩のように固い。


 なんだ? と不思議に思い、さらに近付き横向きになっている頰のあたりを突いてみると──。


「う、うわ! カチカチだ!」


 長い棒が頰に触れるたびコンコンと乾いた音がする。

 泥をかぶっているため一見しただけでは性別まではわからないが、三人とも同じようにカチコチの状態で倒れていた。


「なんだ? 何があったんだ!?」


 とにかくもう少し調べてみよう、と棒を置いて恐る恐る近付く。

 そして担架に乗っているふたりのときのように、着ているものを掴んで仰向けにしてみようと試みる。が、今回は硬直している手足が突っかかってしまい容易にはひっくり返せそうにない。

 何度試してもうまくいかない。

 重い。重すぎる。いくら硬直しているとはいえ、力一杯引っ張ってもビクともしないのだ。


「なんだ? 地面に埋まってるのか?」


 いくらなんでもおかしい──と、ランタンを照らして全体像をよく見ると


「うわ! で、でかい!」


 今僕が仰向けにしようとしていた人は、僕が今まで見た人の中で一番と言えるくらいに巨大な身体の持ち主であることがわかった。

 人鬼オーガほどではないが、それに匹敵するほどの体躯だ。

 顔は泥だらけで見えないが、おそらく男の人で間違いないだろう。


「ほ、本当に人間なのか……?」


 この人は無理だ──と別の人に目を向ける。

 ランタンをかざすと他のふたりは標準的な大人の体型をしていた。

 髪の長さから推察するに、ふたりは女の人のように見える。


 女の人だったらひっくり返せるかもしれない──と、服を掴み一気に引っ張る。が、


「痛ッ!」


 今度はなんの抵抗もなく、僕は勢い余って尻もちをついてしまった。


「あれ?」


 あまりの呆気なさに驚き前方を見ると──


「うわ!」


 女の人の白い肌が丸見えになっていた。


「な! ぼ、僕はなんてことを!」


 自分の手元を見ると、ボロボロの服を握りしめている。

 僕は服だけを引っ張って、女の人を全身丸裸にしてしまったのだ。


「ご、ごめんなさいッ!!」


 最悪だ。これじゃあ追い剥ぎと変わらないじゃないか。

 万が一、今目を覚まされたら、僕は磔の刑にされてしまうかもしれない。


 僕は慌てて自分の外套を脱ぐと女の人の身体に巻きつけた。





「アクア、どうしよう……」



 …………。




「これ、ぼくじゃどうにもならないよ」


 立ったままの姿勢でしばらく考えを巡らせるも、最善の策は浮かんんでこない。



 この三人は命はなさそうだしこのままにしておこうか……

 気の毒だけど埋めるのも大変そうだし……あのふたりも早く庵に運ばないといけないし……



 もうそれしか考えつかなかった。



 外套は……僕が寒いから返してもらおうか……



 心の中で『ごめんなさい』と謝ってから女の人に被せた外套を取ろうと身を屈める。


 そのとき地面にランタンの灯りに反射するなにかが落ちているのが目に入り、なんだろうと手にとってみた。


「なんだこれ……? なんかの金具……かな……」


 雨水で泥を落として、灯りの下でよく見てみると──


「これ! 聖教騎士団の紋じゃないか!!」


 それはもう何度も目にした、ミスティアさんやファミアさんと同じ聖教騎士団の象徴である十字に黒い梟が彫られた外套の留め金だった。


「──あッ!」


 『岩ダルマよりも大きな騎士』──。


 その瞬間、ミスティアさんの言葉が脳裏を過ぎる。


「カ、カイゼルさんだッ!」


 もう一度男の人の姿を見ると、汚れてはいるが確かに外套の下には騎士服を着ている。


 ミスティアさんの知り合いのカイゼルさんで間違いないだろう。


「なぜこんなところで……いったいなにが……」


 疑問は尽きないが、この人物がカイゼルさんであると判明した時点で僕のとるべき行動から『この場に放置していく』という選択肢はなくなった。


 そして瞬時に『どうやって合計五人もの人(内ひとりは人鬼オーガ級)を庵まで運ぶか』という思考に切り替わっていた。


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