第66話 魂の邂逅
特別に用意された専用の騎士宿舎を出たファミアは空を見上げた。
朝の太陽は厚い雲に隠れており、今日も見ることができない。
相変わらずレイクホールの街には気が滅入るような雨が降り続いていたが、ファミアはすこぶる機嫌が良かった。
偶然にも
向こうはファミアのことを憶えていないようだったが、さらにはキョウという偽りの名さえ名乗っていたが、ファミアにとってはそのようなことはどうでもよかった。
ラルクロア=クロスヴァルト──。
ファミアと同じ『ヴァルト』の系譜に連なる、先日「無魔の黒禍」としてその名が一斉に国内に知れ渡ったクロスヴァルト家の嫡男と再会したのだ。
『この少年は途轍もない力を秘めている』と直感で感じたファミアは、当時まだ二歳のラルクロアに唾をつけるために抱きついて、隣のミレサリア=ラインヴァルト王女殿下に叱られたことを思い出す。
紅狼の森で行われた、ラルクロアの二歳のお披露目式にファミアも参列していた。
もっともそのときはエルフの姿ではなく、人間の姿でラルクロアに挨拶をしていたため、今のラルクロアが本来のファミアの姿に気が付かなくても当然といえば当然であった。
当時から変わらない優しさとあどけなさを「無魔の黒禍」と認定された今も変わらずに持ち続けていたことに心の底から安堵した。
ファミアはラルクロアがどうしているか、表には出さずにはいたが気が気でなかったのだ。
五年ぶりに再会したラルクロアは、初めて会ったときに感じた膨大な魔力量こそ感じることはできなかったが、その代わりに水の精霊と契約を交わしていた。
一瞬戸惑いはしたが、そのことがファミアにとっては我がことのように嬉しかった。
高位の魔法師ともなれば「ヴァルト」のしがらみの中で辛い目に遭うだろう、と密かに憂いていたのだ。
気配察知も気配隠滅も、魔術詠唱もまだまだ粗削りだが、あの年にしてはかなりのものだと、久しぶりに会ったラルクロアを高く評価した。
ファミアはラルクロアの加護魔術師としての実力が気になり、上手いこと言いくるめてラルクロアが使役する精霊を見せてもらうことに成功した。が、なんとそれは「原初の精霊」だった。
【神体アクアディーヌ】──。
ラルクロアが使役していたのはエルフ族でさえ契約を交わした者がいない、世の理のすべてを管理する精霊のうちのひとつだった。
民の模範となるべき騎士ともあろうものが第三層に許可なく立ち入ったことだけでなく、原初の精霊を見て序列一位の騎士が腰を抜かしてしまったなど、他の者に言えないふたりだけの秘密もできてしまった。
ただ、ラルクロアには他の秘密もあるようだった。
ファミアはそれが何かを尋ねることは憚れたが、おそらく「無魔の黒禍」に関わる重大な案件だろう──と見当をつけた。
『イリノイおばさまが関与している』ということを、ラルクから聞かずとも瞬時に感じ取ったからだ。
『ティアと昔よく遊んだあの隠れ家に向かっている』などとということも言わずもがなだ。
「ハーティス家が関わっている」
そう理解したファミアは、これ以上ラルクロアになにかをしてやることはできなかった。
ラルクロアをひとりで庵に向かわせたのもイリノイに考えあってのことだろうと、ファミアはぐっと堪えた。
だがこれくらいなら許されるだろう──と、ファミアはラルクロアに森での心得や詠唱の基礎をなどを教え、別れ際に「呼び合わせの石」を渡した。
緊急時に連絡を取り合うことができる魔道具だ。
少し長過ぎた革紐を調節する際、ファミアは昔を思い出しラルクロアを抱きしめたい衝動に駆られた。
なぜかファミアは、ひと目見たときからこの少年に心惹かれていたのだ。
エルフ族には「魂の邂逅」という言葉がある。
すべての出会いは何千年も前から決められている、という運命論の中に出てくる言葉だ。
ファミアはそれとラルクロアとを結びつけて、その出会いと想いを大切にしてきた。
おそらく自分たちの与り知らないところでふたりは出会っていたんだ──と。
出会うことこそが運命だったのだ──と。
「あれだけ気配を消すのが上手なのにお腹がぐぅって……クスッ、キョウって名乗ったのに、詠唱に『ラルク』って言っちゃって……クスッ」
昨日のことを思い出しただけでファミアの口から笑みがこぼれる。
連日の雨にもかかわらず、ファミアの心はすっかり晴れ渡っていた。
「ファミア様! お帰りなさいませ!」
「うん、ただいま、みんな。──どう? 変わりはなかったかな?」
雨の早朝、騎士庁舎にファミアが登庁するとそこにいた騎士全員が起立してファミアを迎える。
外套を壁に掛けたファミアは騎士たちに笑顔を向けながら奥へ進むと、決められた自分の席に着く。
「それが……ミスティア様の一隊がお戻りになられたのですが……」
「え? ティアが? 戻ってきてたの? どこどこ! ここにはいないみたいだけど……ハーティスの屋敷? ちょっと行ってくる!!」
騎士からの報告にファミアは腰を跳ねあげ、目にも止まらぬ速さでまだ雨の滴る外套を手にすると一目散に扉から外に出ようとする。
「あ! ファ、ファミア様! お待ちを!!」
「なになに、ボク急いでるんだけど!」
その背中に向かって報告していた騎士が慌てて声をかける。あとほんの少しでも声をかけるのが遅かったらファミアは庁舎から飛び出していただろう。
だがファミアは扉の前で振り返って見た騎士の表情から重要な報告であることを察し、
「なにかあったの?」
騎士に報告の続きを促した。
「は、実は──」
「というようなことがあり、私たちも先程カイゼル殿の捜索から戻ってきたばかりなのです……」
「…………」
騎士からの報告をすべて聞いたファミアは一点を見つめたまま険しい表情をしている。
報告をした騎士の額から汗が流れ落ちた。
ファミア本人は気が付いていないが、ミスティアがグストンとリサエラと共にバシュルッツへ派遣されたという報告に続いて、少年の捜索命令が出ている、と伝えた辺りからファミアの纏う雰囲気に変化が起きたことを、庁舎に詰めている騎士たち全員は気付いており、固唾を飲んで行方を見守っていた。
「ほ、報告は以上であります!」
「……ん? ああ、そんなことがあったのか。ティアのバシュルッツ行きを決めたのは猊下だね?」
「は、は! そう聞いております!」
「その、少年の捜索も?」
「は、そう聞いております」
「……そう……」
ファミアはそう言うと踵を返し、扉から出ようとする。
「ど、どちらへお出かけでしょうか」
「ちょっと教会に行ってくる」
ファミアはそう答えると庁舎を後にした。
◆
「…………」
まただ。
第四層に入ってから時折感じる、誰かに見られているような視線──。
レイクホールの街の東地区に入ったときに感じた、あのまとわり付くような視線。
敵意は感じられないし、先を急いでいるから立ち止まって誰何するようなことはしないけど、一度気になったら否が応でも意識してしまう。
門をくぐってからというもの、付かず離れずの距離を保ってずーっと付いてきているのだ。
「ねえ、アクア、だれだと思う?」
…………。
「そうか、僕と同じ考えだ。──目的はなにかな?」
…………。
「奇遇だな、それも僕と同じ意見だ」
なんでもいいから話をしていないと眠ってしまいそうな僕は、うんともすんとも言わないアクアと会話(?)をしながら、なんとか足を動かしていた。
疲れはまったくないのだが、強烈な眠気に襲われる。
身体は前に進もうとしているのだが、脳が休めと言っているのか。
だが一刻も早くこの人たちを暖かい場所に連れていきたい。その思いだけが脳から下される命令を遮断させていた。
四層に入ってからまだ約三アワルほどだろうか。
また見られている気配に歩みを止めることなく後ろを振り向く。
しかし、そこには担架に乗せられているふたりがいるだけだ。
「気のせいか……」
もう何度目だろう、視線を感じて振り向き、誰もいないことがわかると前を向く。
そして今も、誰もいないことを確認して前を向こうとしたとき──
「だ、誰か倒れてる!?」
視界の端に倒れている人のようなものが映り込み、慌てて立ち止まった。
ふたりを乗せた即席の担架がごつんと僕の足にぶつかるのも構わずにランタンを持ち上げて目を凝らすと──五メトルほど後方の木の下に二、三人の人が倒れている。
「──こんなとこにも!?」
またなにかに巻き込まれそうな予感しかしなかったが、雨の中放って置くわけにもいかずに、僕は木の棒を拾うとその人影に近付いていった。
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