第68話 私とボク



 ドレイズの私室に繋がる扉から出てきたファミアは怒りに身を震わせていた。


『なぜミスティアがバシュルッツへ行かされたのか』


 およそ納得のいかないドレイズからの説明に、最後は思いの丈をぶつけて部屋から飛び出してきてしまった。


 規律の厳しい聖教騎士団に於いて下の者の模範となるべき序列一位のファミアが、上司となるドレイズの前で感情に任せて不満を口にするなどあってはならないことだ。

 懲罰房行きも覚悟しなければならない。


 だがファミアは後悔など微塵もしてはいなかった。


 ファミアはかねてよりドレイズには物申したいことが山積していたのだ。


 顕現祭を前に忙しく動く辺境伯に対する、スレイヤ軍からの監視が強化されているのをいいことに、ドレイズは聖教騎士団を私物化しようとしている、とファミアは疑心を抱いていた。

 何か良からぬ目論見を企んでいるのではないか──と。


 近々ミスティアがマティエスの任から戻ってきたらそのことを相談してみようと考えていたところだったのだ。


 それもあって今日は冷静さを欠いてしまった。


 右眼が黒い少年のことを捜索している理由についても最後まで明かさなかった、ということもそのことに拍車をかけた。


 ラルクロアの実力を知るファミアにしてみれば、ドレイズ如きにラルクロアがどうこうされるなどとはまったくもって心配していない。

 寧ろこの場合、心配なのは精霊の怒りに触れてレイクホール一帯が壊滅しないか、ということだった。

 しかし庵にさえ到着してしまえばその心配も無用となる。だから現時点で優先すべきは任務に忠実すぎるミスティアの方だった。

 ファミアと違ってドレイズにも懐柔されているミスティアなら、どんな危険な任務でも身を打って遂行するだろう。

 騎士としてそれは当然なことなのだが。

 だが他のエルフより短命であるがゆえ『魂の邂逅』をその身以上に大切にするファミアにとっては、ミスティアもラルクロアも何にも代えられない唯一無二の存在だ。


 そのふたりにこの男はいったい何をさせようとしているのか。


 そういったことを考えるうち、気が付いたら『騎士をやめる』などと大言を吐いてしまっていた。




 ファミアが纏う鬼気迫る雰囲気に、カーサーは思わず後退りする。

 ファミアはカーサーには一瞥もくれずに、荒々しく足跡を響かせ礼拝堂を後にした。





 



 ファミア=サウスヴァルトは今から十五年前、ユーティリウス=レイクホール辺境伯の馬車に乗り、レイクホールの街へとやってきた。


 辺境伯の住まう城に部屋を充てがわれたファミアは一日のほぼ全てをその部屋の中で過ごした。


 城から出ることもなく自室に閉じこもるファミアが、秘密の地下通路を通って城に忍び込んでくるミスティアと出会ったのは、ファミアがレイクホールに来てよりひと月後のことだった。


 種族は違えど歳の同じふたりが意気投合するのにはそう時間はかからなかった。


 ミスティアの誘いで城から抜け出しては、バーミラル大森林の第五層にある隠れ家にもよく遊びに行った。

 

 生まれながらに精霊に愛されているファミアと、生まれながらに騎士として育てられたミスティアの前では、試練の森の魔物も鍛錬を積むうえでの練習台としかならなかった。


 魔物を討伐し、流れの行商に素材を売ってはその金銭で甘いものを買い食いする。

 家族と離れ、遠い地でひとりで暮らすファミアにとってミスティアは、家族以上の存在だった。

 それは無論ミスティアも同じだった。


 しかし、ファミアはミスティアに秘密にしていたことがあった。


 それは──ファミアがエルフだということ。


 ミスティアはファミアに何ひとつ包み隠さずに話してくれる。

 晩御飯で大好きな茸料理をお代わりしたこと、怖い夢を見て祖母に一緒に寝てもらったこと、鍛錬が辛くて涙が出そうだったこと。

 どんな些細なことでも話して聞かせてくれるというのに、ファミアは一番重要なことを隠している──。


 そのことが、親友を裏切っているようで、堪らなく辛かった。


 ミスティアの笑顔を見るたびに悩み苦しめられていった。


──ティアに本当のことを話したい。


 だが、レイクホール辺境伯からは決してエルフの姿に戻ってはならないと言い付けられていた。

 

 ファミアはエルフではあったが、その中でも数千年にひとり生まれるかどうかと云われる『早成そうせいのエルフ』だった。


『早成のエルフ』──。


 見た目も魔力量も他のエルフと変わりはないのだが、成長や寿命が人間のそれと同じエルフのことをいう。

 一般的なエルフが八百年生きられるところを、早成のエルフでは百年がいいところであり、体組織や筋力も年齢に応じて衰えていく。

 その代わりに神と繋がる巫女としての能力を持つと云われている。

 その力は絶大で、どんな悪をも討ち亡ぼす聖者の道しるべとなる──とも古書に記されていた。


 そんな稀有な存在が知れ渡ってしまえば、ファミアによからぬ虫がつくのは避けれらない。


 ファミアが成長を重ね、自ら運命を切り開けるほどの実力と精神力が備わったとき、そのときに初めてファミアがエルフであるということを明かそう──辺境伯がファミアを預かる際、ファミアの両親と交わした決め事だ。

 スレイヤ軍は無論のこと、イリノイを含む数人を除いて、側近にすらファミアがエルフであることを伝えていなかった。


 時期が来るまではあくまでも普通の少女として生活する──。

 ファミアもそのことは理解していた。



──それでもティアには本当のことを伝えたい。



 ファミアはそのことを辺境伯に相談した。

 ファミアのそのような胸の裡を知った辺境伯はファミアの葛藤に胸を痛めた。

 両親との取り決めとはいえ七歳の少女にここまで背負いこませていいものなのか、と。


 辺境伯はファミアと同じくらい頭を悩ませた。

 

 ミスティアといえばハーティスの長女だ。

 二歳のとき、イリノイに連れてこられたときから、隠れて城に忍び込んではファミアと遊んでいたことを知っている。

 辺境伯は、イリノイの孫であれば、ということと、歳が同じミスティアがファミアの心の支えになってくれれば、ということもあり、ミスティアの行動には見て見ぬ振りをしていた。

 時折ふたりが城を抜け出す際にもスレイヤ軍とふたりに気付かれないように、護衛として側近に後をつけさせていた。

 『試練の森の五層まで行っている』と報告を受けた際に辺境伯は、狼狽える護衛を前に『あのふたりがいれば聖教騎士団も安泰だな』と嬉しそうに目を細めていた。

 

 『そのミスティアであるならば或いは──』


 それほどまでに打ち解けあったふたりのことを慮り、辺境伯はミスティアに限ってファミアの素性を話すことを許可した。


 それを受けてファミアはある日、レイクホールの街を出たところにある見晴らしの良い丘に親友を呼び出した。


 そしてファミアはすべてを打ち明ける。


 ミスティアはそれを、黙って聞いていた。


 ファミアが話を終えたとき、


『私が鈍感だったばかりに辛い思いをさせてごめんなさい』


 と、ミスティアは涙を流した。

 

 嫌われることを覚悟しての告白であったにもかかわらず、ファミアをきつく抱きしめながら涙するミスティアに、ファミアも大粒の涙を零した。



 この日初めて本気の涙を見せ合ったふたりは、これから先どのようなことがあろうとも生涯の友でいることを、美しいレイクホールの街並みを眼下に固く誓った。








「ティアはが護る」


 教会を出たファミアは、十年前の告白のときと同じかそれ以上に覚悟の決まった表情で、騎士庁舎──ではなく、辺境伯の住まう、自らも四年前まで起床を繰り返していた城へと馬を走らせた。




 ◆




「さて、あとは人鬼オーガ級を乗せれば終わりだけど……」



 四層に入ってからの森の樹木は、三層までのものと比べて大きなものだと倍以上に太さも高さも増していた。

 だから大人の大きさが必要になる担架を作るにしても素材となる木の皮には困らない。

 それならいっそのこと五人まとめて運べる担架を作ってしまおう──と考えた僕は、近場にある一番大きな木の皮を頑張って剥がして巨大な担架を作り上げた。


 身体を動かしているから外套を着ていなくても汗をかくほどに温かい。


 そして最初のふたりを大きな担架に乗せ換えて、後から発見した生死不明の女の人ふたりを服を破かないようにそっと乗せると、あとは──


「どう考えても無理だよな……これ」


 カイゼルさんだけ、となったところで作業が止まってしまった。


「あ、そうか! カイゼルさんは頑丈そうだし、すでにカチコチだからこのまま引っ張っていこう!」


 そう閃いた僕はカイゼルさんの──首はいくらなんでも見た目が悪いので──足首に蔓を結び付け、


「ラルクの名に於いて命令する! アクア、担架とカイゼルさんの背中を凍らせて! あ、カイゼルさんの背中は優しくね!」


 アクア(原初の精霊)を使役する。


 力を入れて蔓をぐいと引っ張ってみると──ふたりを運んでいたときと然程変わらない労力で、担架とカイゼルさんが動き出した。


「お? これは楽ちんだぞ!」


 ただ、今の僕を誰かが見たら間違いなく人攫いだと勘違いするだろう。


「よし! このまま庵まで突っ走るぞ!」


 まだなにかの視線を感じるも、僕はもう気にすることもせずに目的地へと急いだ。



 

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