第42話 異なる世界


「……ウ」



「……キョウ!」



「キョウ!! 私の名前を言ってみて!!」



「──うわっ!!」


 突如として現れた視界を被い尽くす女の人の顔に驚き、堪らずに叫んでしまった。

 慌てた僕はなんとか逃げようとするけど、ガッチリと頬を両手で押さえられているために身動きが取れない。


「キョウ!!」


 が、よく見ればミスティアさんだ。


「あ、あれ? ミ、ミスティアさん?」


 なぜミスティアさんが僕の上に乗っているんだろう、それよりどうして僕は寝ているんだろう、と、少し前の記憶を思い出そうと目をつぶったところ


「……は? 夢乃って子の次は外人さん……? やっぱりわざとでしょう、キョウ……? あんたホントにいい加減にしないと……」


 ミスティアさんの口調が急に変わる。

 喋っている内容もチンプンカンプンだ。


「え? え? なに? いったいどうし……」


 様子がおかしいミスティアさんを不思議に思い、何があったのかと落ち着いて話を聞こうとしたとき──目の前の女性がミスティアさんと瞳の色が違うことに気が付き、目を逸らして部屋の中を窺うと、見たことがない白い部屋だった。

 いや、正しくは『現実では見たことがない』部屋だった。


「あ! 夢の!」


 僕が『夢を見ている』と現状を把握したのと、夢の中の女の人が「はい、有罪」と口にしたのは同時だった。

 次の瞬間


「あばばばばばッ!!」


 僕の身体の中をビリビリしたものが駆け巡る。

 そして……僕はまた意識を手放した。




 ◆




「……ウ」



「……キョウ!」




「──うわっ!」



「あぁ良かった! ──キョウ、死んだふりなんて大袈裟なことして、って思ったらホントに気絶してるんだもの。驚かさないでよ……あ、まさかそれも演技……? 昨日の罪滅ぼしに好きにしていいよってサイン……だったりして?」


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


 僕は寝台に身体を起こして、腰のあたりに跨っている女の人を後ろに押す。


「なによ、待ってくださいって、どうしちゃったのよキョウ、朝からなんだか少し変よ?」


「だ、だから、僕はそのキョウって人ではないんです!!」


 僕は女の人の肩を押しながら必死にそう説明するけど、負けずと顔を近くに寄せてくる女の人がアゴに人差し指をあてて小首を傾げる。


「うん? う〜ん、よし、もう一回、今度はもう少し強めにショックを与えてみるね」


 すると閉じたり開いたりする女の人の手のひらからバチッと音がする。

 

 僕はさっきの痛いやつをまたやられる──と、


「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」


 目を閉じて両手を女の人の前に突き出し、「やめてください!」と懇願した。

 そして僕の身体はつま先から頭の天辺まで神経を焼かれるような痛みが走る──覚悟でいたが、今度はそうはならずに、顔全体をそっと柔らかいもので包まれた。


 なんともいえない感触に驚き目を開ける。と、僕は女の人の胸に抱かれていた。

 懐かしいような甘い香りが鼻腔に充満して、違う意味で脳が痺れてしまいそうになる。


「もう、本当にどうしちゃったのよ……なんだか子どもの頃のキョウといるみたい……」


 そう言う女の人は、僕の頭を胸の中に抱きかかえたまま


「昨日の任務で何かあったの? 珍しく怪我まで負って。大丈夫、キョウのことは私が護ってあげるから……」


 心のこもった声で髪を優しく撫でる。

 

 僕はあまりの心地良さに、いつまでもこうされていたい──と僅かにも考えてしまったけど、なんとか思い留まると女の人に現状の説明をしなければと考え直す。


「えぇとですね、これは僕の見ている夢の中なんです。僕の名前はラルクと言って、クロスヴァルト領から今日レイクホールの親戚の家に着いたばかりで……あれ? 屋敷に着いて……イリノイさんと話をして……ミスティアさんがやってきて……あれ、そういえばどうして僕は夢を見ているんだっけ……えぇと……」


 さっき一瞬よぎった疑問がまた浮かび、言葉に詰まってしまった。


「──キョウ……? びょ、病院いこ? ね? 大丈夫、私も付いていってあげるから」


 すると少しだけ離れた女の人が、心配そうに僕の額に自分の額を当てて「熱はなさそうだけど……」と言う。


「あ、ですから僕はキョウという人ではなくて、ラルクなんです。僕の夢の中だから言っても平気だと思うけど……元はラルクロア=クロスヴァルト、貴族の両親と弟、妹がふたりいて……」


 まつ毛が触れ合うほど間近に見る女の人に少しドキリとしながら僕がそう言うと、


「きゃ、きゃあぁぁぁ! キョウがおかしくなったぁぁぁ!! た、大変! に、二階堂さんに連絡しなきゃ!!」


 女の人が突然叫び声をあげて、寝台から飛び降りると部屋の中を走り回った。


「いや、ですから、これは夢の巫女が、」

「い゛や゛ぁぁぁあ!! キョ、キョウがっ! キョウがっ!!」









「……じゃあ、ホントにその、スメ…」


「スレイヤ王国です」


「そのスレイヤ王国のレイクホールって街に住んでる、と言うの……? で、この世界はあなたが見ている夢の世界だと」


「はい」


「はあぁぁぁ」


 僕が僕の世界のことを細かく話すに連れ「確かに本物のキョウだったらそんな嘘を吐くわけがないわ」と、少しずつ信じてくれた女の人が盛大にため息を吐いた。


「でもそんな不思議なことって……昨日の夕方、出かけるまではキョウだったはずよ……え、じゃあ、いつ入れ替わって……入れ替わり……? じゃあ、キョウは今どこにいるの……?」


 ひとり考えていた女の人が、ふいに僕の顔を見て


「そういうことならキョウは! キョウはどこにいるのよ!」と、声を上げる。


「それは……僕に聞かれても……」


「あなたにとっては夢の世界でも私たちにとっては現実の世界なの! 勝手にキョウの中に入り込んで私たちの世界に遊びに来てないで早く自分の世界に帰りなさいよ! 早くキョウを返しなさいよ!!」


「現実!? え、で、でも、そう言われても……夢の巫女が……」


「なによ! 夢の巫女って! あなたそんなもの信じているの!? だいたいあなた幾つなのよ!!」


「な、七歳になったばかりで……」


「な、七歳!? 七歳!? ってま、まだ子どもじゃない!」


 僕の年齢を知った途端に女の人はバツの悪そうな顔付きになり


「そ、それは怒鳴ったりして悪かったわ……ごめんなさい……」と、頭を下げる。


「い、いえ、僕の方こそ勝手にキョウさんの身体にお邪魔して……ごめんなさい……」僕もつられて頭を下げた。



 現実ということは、やっぱり前に僕が仮説を立てたように、この夢の世界はどこか別の場所で現実として存在している本物の世界ということか。

 大陸一のスレイヤ王国を知らないということはこの大陸でないのだろう。




「でも……キョウを返してもらわないと……困るの。──どうやったら元に戻るの……?」


 僕の年齢を聞いて若干声の調子を柔らかくした女の人が、思案している僕に声を掛けてくる。 


「僕が夢から覚めれば自然と直ると思うんですけど……」


「夢から覚める、ね……前にもこんなことあったの?」


「それが、僕が見る夢に、おふたりがよく出てくるんです、それを上から見ていたり……あ、前に一度キョウさんになってたことがあります、この寝台で寝ているところを起こされて、布団まで剥がされて。で、今日は大切な日だから早く起きて……とか……だったような……なんか記憶が曖昧ですけど……」


「大切な日? って、え? 昨日の……こと? かしら……昨日の朝も私が起こしに来たらキョウは寝てて……さっき帰ってきたところだからまだ眠いって……でも頑張って起こして学校行って……」


「昨日……?」


 僕と女の人、ふたりして考え込む姿勢を取る。

 


 僕があの夢を見たのは何カ月も前だ。

 ピレスコークの泉に落ちたとき、あの日見た夢の中では確かに僕がキョウさんになっていた気がする。

 でもそれが夢の世界では昨日……。

 夢だから時間とかの概念はあてにならないのかな……?

   


「あ……僕も聞きたいことがあるんですけど……えと、」


深逢みあよ、黒禍くろか 深逢みあ、でもどうしてあなた、日本語を──」


「──ッ!! クロカッ!?」


「きゃ! な、なによっ!」


 唐突に耳にした言葉。

 女の人から発せられたその名に僕は顔を引きつらせた。



 

 

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