第37話 胸騒ぎ


「──という夢を見るんです。最近は機会も減ってきましたけど……」


 僕は夢の巫女が運んでくる夢を細部にわたって説明した。


「それはまた不思議な夢だねえ……何度も繰り返し見させられるということは何か深い意味があるのかも知れないよ」


「意味、ですか……でもどんな──」


「ノイ婆、ちょっといい?」


 僕がイリノイさんにどんな意味が考えられるか予想を立ててもらおうと質問しようとしたとき、ミスティアさんがイリノイさんに声を掛け、食堂の隅に引っ張って行ってしまった。

 部屋の角の燭台の下でふたりは顔を寄せ、小さな声でなにやら話し始める。

 することがなくなってしまった僕は、テーブルの上の料理を食べて待つことにした。




 まだかなぁ。


 食事を終えて、お腹が満たされてもふたりの話は終わりそうになかった。

 たまに僕をチラッと見るミスティアさんと目が合う。

 おそらく僕と精霊とのありあえない関係についてやり取りをしているんだろう。

 身振り手振りを交えて話す真剣な表情のミスティアさんに、イリノイさんは時に頷き、時に首を振って応じている。


 随分と長いな……もう眠たくなっちゃったよ……


 僕は欠伸を噛み殺してふたりが席に戻ってくるのを待った。





「待たせたな」


 うつらうつらしていた僕の耳にミスティアさんの声が届く。

 ハッと顔を上げるとふたりは既に席に着いていた。


「いえ」と返しながら僕はふたりの表情を窺う。しかしそこから読み取れるものは特になかった。

 ふたりともさっきまでと同じ顔色、同じ雰囲気だ。

 なんの話をしていたのか気になるけど、聞いてみたところで、貴様には関係のないことだ、と返されることはわかりきっているし、そう言われるのももうウンザリなので敢えて僕からは聞かなかった。


 するとイリノイさんが「続きは明日にしようかね」とこの場の解散を促す。

 眠たそうにしていた僕に気を使ってくれたのかもしれない。

 僕もその提案は嬉しかった。横になって、楽な姿勢で自分なりの考えを整理したくもあった。


「ご馳走様でした」と、僕が席を立とうとしたとき──


「そういえばカイゼル遅いわね。食後にノイ婆にマティエスで買ってきた最高級品の紅茶を淹れてあげようと思ってたのに。着いたら門の前まで届けます、って言ってたんだけど……あの子のことで何かあったのかしら」


 それは何気ないミスティアさんの一言だった。

 どの言葉に引っかかったのかわからない。しかし、ざわり、と僕の胸が騒いだ。


 あれ、なんだろう、この変な感覚……


「そうそう、ノイ婆、虹香茸と無魔のせいですっかり忘れてたんだけど、戻る途中で実はもうひとつあったのよ。そのことを猊下に報告するために私だけ先に戻ってきたんだけどね」


 僕も眠くて堪らなかったけど、なんとなくミスティアさんが始めた話が気になり、半分持ち上げた腰を元に戻した。


「レイクホールまであと半日の場所で少女を助けたのよ。それがね、あ」


 しかしいったん話を止めたミスティアさんが、僕を見て


「貴様はもう部屋に戻れ。この先の話は辺境伯のお耳にもまだ入っていない」と、扉を指差したために、僕はそれなら、と席を立った。


 気にはなるけど、ここに残っても難しい話はわからない。というより”猊下”に続いて”辺境伯”という名称を聞いて臆病風に吹かれた、というのが本当のところだ。


 そして木戸に手をかけ「失礼します」と、食堂を出ようとした僕の背中に、


「待て。貴様。今日レイクホールに着いたと言っていたな。どこかで体の大きな騎士が御者を務める馬車を見なかったか? ジゼルの店にいた岩ダルマよりも体格の良い男の騎士だ」


 ミスティアさんが声を掛けてきた。

 はて──僕は眠い頭でミスティアさんに吹き飛ばされた岩ダルマを思い浮かべた。

 あれより大きな男だというのなら一度見たら忘れるわけがない。

 当然僕の記憶の中にはそんな強烈な印象の騎士の姿などなく、


「いえ、見かけていません」と答えた。


 ミスティアさんは「そうか」と一言いうと手で追い払うような仕草をする。それを見て今度こそ僕は部屋へと戻った。







「疲れた〜……」


 部屋で横になるなり、抜け殻になったかのごとく脱力する。


「はああぁぁぁ」


 すると一緒に魂まで出ていってしまうのではないかと思うほど深いため息が出た。


 料理は申し分なかったけど、ここでの生活はとにかく神経が擦り減る。

 言葉ひとつ間違えれば怒鳴られ、行動ひとつ誤解されれば正座をさせられる。

 もう神経だけではない。僕の体内のありとあらゆるものが、尋常ではないくらいに消耗しているのがわかった。


「あ〜、でもこの匂い、なんだか落ち着くな〜」


 なんの匂いだろうと鼻を動かすと、どうやら床の匂いらしかった。

 僕に用意された部屋の床は他の部屋の床とは違い、細い紐のようなものを隙間なく編み込んだものが敷かれている。

 押すと適度に弾力があって、干し草のような良い匂いがする。

 部屋に寝台ベッドはなく、床の上に直接畳まれた布団が置いてあるだけだった。

 しかし部屋自体、靴を脱いで入るため、こうして床の上に直接横になることもできる。

 寝るときには隅に置いてある布団をまっすぐに伸ばして、その上で眠るのだろう。


 僕は早速上着一枚になると、真っ白な布団を広げて横になってみた。


「うわあ! 気持ちいい!」


 ジャストさんの家の寝台も最高に心地良かったけど、これはこれで素晴らしい。

 落ちる心配もないし、背中に伝わる床の硬さがちょうど良い。それになにより、この眠気を誘われる干し草のような匂いが堪らない。


「モーリスとデニスさんは今頃野宿だろうな」


 先に目的地に到着させてもらったことに、遠い仲間に感謝の念を送る。


「あのふたりもゆっくり寝られてるといいけど」


 今日からはデニスさんが料理をすると言っていた。


 デニスさんは料理上手だから心配はないけど、ちゃんと食べてるかな、などと、長いこと一緒にいたふたりのことがどうしても気にかかってしまう。


「今度虹香茸を食べさせてあげよう」


 イリノイさんに頼めば二人前くらい作ってくれるだろう。

 モーリスなんて「イリノイさん! 作り方を教えてくれ!」とか言って抱きついて頼みそうだ。


「でも、イリノイさんはスレイヤの貴族が嫌いっぽいからな〜」


 ぽい、ではなくて確定だと思うけど。

 そうはいってもモーリスみたいな特殊な立場の人間なら大丈夫か。

 とにかく一度虹香茸を食べてもらおう。


「早く逢いたいな」


 別れたばかりだというのにもう寂しい。

 せめて遠くからでもあのふたりの馬車が、魔物や盗賊と出くわさないように旅の無事をお祈りしておこう──と考えたとき、また、ざわり、と胸が騒いだ。


「まただ、いったいなんだろう……」


 僕は上半身を起こして首を傾げた。


 この感覚、確か前にもあったような……


 モーリスのことを思い出したから胸が騒いだのかと思い、再度モーリスのことを想像してみる。


──なんともない。


 次にデニスさんを思い浮かべる。


──なんともない。


 あれ? じゃあなんだったんだろう、と、今度は魔物を頭に思い描く。


──これもなんともない。


 じゃあ、と、盗賊の姿を意識する。


──やはりなんともない。


 「なんだ、気のせいか」と、布団に転がったけどやっぱり落ち着かず、試しに馬車をイメージしてみたところ……


──これか!!


 馬車を思い浮かべた瞬間、言いようのない不安に駆られた。


 どう表現したら良いのかわからないけど、居ても立ってもいられない焦燥感が込み上げてくる。


 僕はさっき食堂で感じた胸騒ぎと、今イメージした馬車とを繋ぎ合わせ──


「なんで気がつかなかったんだ!!」


 朝、街の外で見た馬車の残骸が答えとして弾き出された。


「あの馬車がミスティアさんが言っていた馬車だ!!」


 多分とかおそらく、とかではなく確信。

 僕は勢い良く跳ね起きると上着を羽織った。

 

 部屋を飛び出し食堂へ向かう。


 イリノイさんとミスティアさんを探して廊下を走る僕の眠気はすっかり覚めていた。


 


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