第36話 無魔と精霊


「クロスヴァルト侯爵から報せを受け取ったのは三カ月前になる」


 イリノイさんは昼間の荒々しい口調とは違って、穏やかな丸い声で話し始めた。


「その報せには『長男ラルクロアに無魔の判定が下った。領内に留め置いては混乱の種となる。よってそちらに向かわせる』とあった。わたしはすぐさま迎える支度をしたよ。魔法の使えない七歳の子どものひとり旅だ、いっそのことわたしが迎えに行こうかとも考えたさ」


 イリノイさんがミスティアさんを見るときのように目尻を下げて僕を見る。

 こんな僕のことを気にかけてくれていたのか──昼間はそんな素振りすら見せなかったイリノイさんの親しみ深い表情に嬉しく思う反面、余計な気苦労をかけてしまっていたことに胸を痛めた。

 しかし一転、僕のことを鋭い視線で睨み付けたイリノイさんが続ける。


「その子どもが今日になってようやくやってきたわけだよ。こっちの心配もよそに当の本人は好い気なもんで道草食ってきたそうだよ」


 ひと月以上も遅れて来たんだ、怒られて然るべきだろう。

 僕は射るような視線にたじろぐも「すみません」という素直な謝罪の気持ちを目配りでイリノイさんに送った。

 ついでに隣で僕を睨んでいるミスティアさんにも同じ視線を送っておく。

 それを見たイリノイさんは目つきを柔らかく戻し、話を続けた。


「粗方低俗な貴族共が無魔だの黒禍だの騒ぎ立てたんだろうさ。しかしね、今はそんなことは問題じゃない。童がすでに精霊様と契約を済ましている、そのことの方が問題だよ」


「──ッ!?」


 イリノイさんの話に驚いた僕が絶句すると同時、隣に座るミスティアさんがテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「な、なんて言ったの! ノイ婆!」興奮するあまり声が大きくなったミスティアさんが続ける。


「まさかこんな子どもが精霊様と契約を交わしたっていうの!?」


「わたしはそう言ったよ。どの精霊様かまでは奥に入っていてわからないが間違いないね。童、右眼をティアに見せておやり」


 動揺を隠せずにいる僕にイリノイさんが言う。


「わ、わかりました」と、僕は隣に身体を向け、まだ立ったままのミスティアさんの顔を見上げて眼帯を外した。


「く、黒い!? ま、まさか! ノイ婆! これって……本当に……」


しるしは出ているがまだわからないよ。スレイヤの貴族共は無能だからね。虚偽だらけの文献のままに黒禍の存在を恐れるあまり、この童を黒禍だと決めつけて腫れもの扱いにしてしまったんだろうさ」


「私もこの時代に、しかもスレイヤ王国に黒禍が現れたと聞いて運命的なものを感じたんだけど……冗談でしょ? こんな子どもが私の憧れていた黒禍かもしれないだなんて……」


 ミスティアさんは僕の漆黒の右眼を、嫌悪感を抱くでもなく、目を逸らすでもなく、まっすぐに見つめてそう言った。


 運命的……? 憧れていた……? 国中から忌み嫌われる無魔の黒禍に憧れていた……?


 いったいどういうことなんだろう。

 僕が知る無魔の黒禍とミスティアさんが言う無魔の黒禍とは別人なんだろうか。


「あの、無魔の黒禍っていったいどんな人なんですか? 父様の書斎で記録像を見せてはいただいたんですけど……僕が聞いた限りでは、なんでも大昔の人で、その人が現れてから世界中に災いをもたらした、とかなんとか……」


「ハンっ! スレイヤの貴族の子どもなら知らなくて当たり前だよ。まったく腹立たしい。あいつらはね、寄ってたかって無魔の黒禍を陥れる筋書きを書いたのさ。自国を救ってくれただけではなく、世界を、否、人類をも救ってくれた英雄だというのにね。他の国のことは知らないが、どこを探したって彼奴らだけじゃないかい? 黒禍を悪し様に罵るのは」


 苛立った様子でイリノイさんが竹筒を呷る。

 ミスティアさんも息を吐きながらゆっくりと腰を下ろした。


 イリノイさんの言い方からは、無魔の黒禍は救世主のようにも聞こえてくる。

 そうなるとますます理解が追い付かなくなってしまう。


「え……と、無魔の黒禍は悪い人なんじゃないんですか……?」


「ノイ婆の言った通りだ。スレイヤとレイクホールでは無魔の黒禍に対して持ち合わせている感情が天と地ほど異なる。レイクホールでは英雄、一方スレイヤでは悪鬼か悪魔かという扱いなのだ。恩知らずなことこの上ない」


 ミスティアさんが苦虫を噛み潰したような顔で、言葉の最後は吐き捨てるように言う。


 英雄……と悪鬼……。

 それはまったく違う見解だ。


「因果なものさ。ひょっとするとあの時の仕返しにこの童が遣わされたのかもしれないよ」


「仕返し? って、どういうことでしょうか」


「ああ、世界を救った黒禍は、実は自らわざわいを齎していたとして処刑されたのさ。胸糞悪い」


 僕が意味がわからずにイリノイさんに質問をすると、思い出したくもない話なのかさらに不機嫌度が増したイリノイさんがダンッ、と竹筒をテーブルに置く。


 処刑……。

 無魔の黒禍は処刑されて死んでしまったのか……。


「遣わされた……、やはり僕と無魔の黒禍がなにか関係があるということなんでしょうか」


「今の段階では何とも言えないがね。言ったろう、今は童が無魔の黒禍かどうかなんて些細な問題だよ。無魔で瞳が黒い者なんて探せばいくらでもいるかもしれない。可能性の話をしてもここで答えは見つからないさ。いいかい、童。おまえが精霊様と共に居る、これこそが重要なんだよ。その意味と目的がわからないとそっから先の答えは出やしないよ」


「共に居る……? え? 今も僕の近くにいるんですか!?」


「ああ、いるね。……しかしどういうわけかね。去年は第二階級、今年は無魔……」


 僕は精霊が近くにいると聞いて、キョロキョロ辺りを見回すけど、それらしい光は見えない。

 いったいイリノイさんにはなにが見えているんだろうか。


「……それだけでは……なんとも……ふむ、童よ。精霊様と契約を交わしたという心当たりはあるのかい?」


 額の深い皺を指先でなぞりながらなにやら思案していたイリノイさんが、独り言の延長で僕に質問をしてきた。


「心当たり、ですか」


 イリノイさんの言葉に僕は首を捻った。

 光の珠が精霊というのであれば、思い当たるのはピレスコークの泉での出来事だ。

 今までは近くで見ているだけだったけど、今年はこの手に握りしめた。


 もしかしたらそのことが関係しているかもしれない──と、僕は三歳の時に初めて光の珠を見たときのことから、あの日の朝、右手に掴んだときのことまでをふたりに話した。


 イリノイさんは静かに目を閉じたまま、ミスティアさんは夕飯を口に運びながら最後まで聞いてくれた。



「そうかい、よくわかったよ。三歳から見えていたとは驚きだが、でもそれだけじゃあ簡単すぎて契約を交わすなんてことにはなりはしないねぇ」


「そうですか……あ、ミスティアさんたちはどうやって精霊と契約を交わすんですか?」


「貴様は馬鹿か? 他国の人間にそのようなこと教示するわけがないだろう。そもそも魔力がないという貴様が精霊様と繋がれる道理がないがな」


 呆れ顔で肩を竦めたミスティアさんが、ため息混じりに言う。

 どうやらミスティアさんの中ではレイクホールは未だ自分が帰属する"国家"として機能している感覚らしい。


「ティア、全て手の内を明かしてもスレイヤの奴らは精霊様を理解できなかったんだ。古代やら現代やらの魔法に縛られてね。今になって童に教えたところで何がどうなるわけでもないよ。教えておやり」


「ノイ婆……」


 薄々気が付いてはいたけど、どうやらイリノイさんもスレイヤのことが嫌いみたいだ。

 攻め入っただけでなく加護魔術を我がものにしようとしたんだ、レイクホールの民がスレイヤに対して敵対感情があるのは仕方がない。

 僕だって逆の立場であったならば怨恨は隠せないだろう。

 でもその争いがあったのなんて何百年も前の話だ。つまりは僕たちの遠い祖先のしたことだ。

 それなのに今もってここまで感情を露わにするとは。


 そのことに僕はいまいちピンとこなかった。


 でも世間を知らなかったことに変わりはない。

 それもクロスヴァルト家の教育方針によるものなのだろうか。

 もしかしたら元レイクホール王国の民は総じてスレイヤ王国、延いてはスレイヤ国民に対して敵愾心を持っているのかもしれない。


 そんな事実も知らずに僕は……


 ”元”が付くとはいえ大貴族の嫡男だった僕がそんなことも知らずに後を継ぎ、領地を任されて領民を率いようとしていたなんて──想像することすら憚れる。

 国の現状を知らないままクロスヴァルトを継ぐであろう弟のマーカスが心配だ。

 機があれば教えてあげたいけど、平民が貴族に提言するなどまかり間違っても許されない。

 モーリスが言っていた『世界をもっと知る必要がある』というのはこういうことなんだろうか。


 そうだ、モーリスならマーカスに教えてあげられるかも……


 そこまで考えを巡らせていたとき、


「……ノイ婆が言うのであれば……ただしすべては教えられん」と、ミスティアさんが不本意そうに口を開いた。


「試練の森は知っているな。あの森の奥には貴様の想像を絶するような過酷な環境が広がっている。そこで数年の修行をおこなうのだ。厳しい自然、強力な魔物、そして自分自身と対峙し、自らを追い込み、心技体を鍛え、精霊様に自分を選んでもらうのだ」


「試練の森に入るんですか?」


「そうだ。中には竜種と出くわし、命を落とす者もいる」


 それは……僕には無理だろう……

 

 土竜モグラに手こずる程度の実力しかないのに、本物の竜なんて相手にできるわけがない。

 

「それ以外に方法は……?」


「無い。無論、森に籠っていればいい、というだけではない。他にもいくつかの条件はある」 


 そうか……それでスレイヤの人たちは早々に諦めたのか……


「ということは、ミスティアさんたち聖教騎士団の人たちは精霊の加護を使った魔術で以って街の防衛に努めているわけですか」


「そういうことだ」 


「あの、ジゼルさんのお店で僕の頭の怪我を治してくれた魔法も、加護魔術ですか」


「いや、あれは私の魔法だ。私は加護魔術とは別に治癒魔法を使うことができる」


「ミスティアさん、魔法も使えるんですか……」



 僕は今まで何度も味わってきた落胆の味を、ここでまた味わうことになった。

 ミスティアさんが加護魔術だけでなく、治癒魔法も使えるなんて。

 改めて僕はミスティアさんの足元にも及ばないことを痛感させられた。



「当然だ。魔力が無いと精霊様と繋がることができないといったが、精霊様と契約を交わすには必ず魔力を通じて行う必要がある。すなわち精霊様は個々が持つ魔力と契約することにほかならないのだ。これがどういうことか分かるか」


「無魔では精霊と契約ができない……」

「そういうことだ」


 ミスティアさんはそこまで話すと、なんの興味もない、といった様子でグラスを手に取り、小さな唇の隙間に水を流し込んだ。


 ミスティアさんの話は辛辣なものだった。しかし、


 どうして魔力が無い僕が精霊と契約を……


 単に精霊の気まぐれかもしれないけど、そのことが僕には少しだけ誇らしかった。

 なにも持っていない僕の唯一の持ち物──そんな愛しささえ芽生えてくる。


 あと残る希望といえば、英雄である無魔の黒禍と僕の間に共通点を見つけて、レイクホールの人たちから一目置かれるようになることぐらいか。

 しかし、なにかと頼られるようになってしまい実力がないことが知れ渡ってしまえば、偽物だとして逆に痛めつけられてしまうだろう。


 ……変な気は起こさない方が得策だな。


「童、他には何かなかったかい?」


 僕は益体もない考えをいったんやめてイリノイさんの声に顔を上げた。


「他に、ですか……?」


「ノイ婆は貴様が既に精霊様との契約が済んでいると言っている。つまりは過去、無魔の黒禍でしか成し得なかったことを貴様は成している、ということになるのだ。それ相応の原因があるはずだ」


 そう言うミスティアさんを見ると「なにかないのか」と急かしてくる。


 僕が精霊と契約するにあたってなにか関係のありそうなこと……


 といわれてもこれ以上はなにもない。

 三歳の頃に光の珠を見てから無魔の判定が出るまでの間に限ってのことだろうから、まだ話していないモーリスのことは時期が異なるからまったく関係ないだろう。


 あと残ることはといえば──


「関係ないとは思いますけど」と断りを入れてから、僕は何度か見た不思議な夢の話をしてみることにした。



 

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