第19話 おまじない
「う、うわあぁぁ!」
「ほら! ラルク! そっち行ったぞ! しっかり仕留めねえと晩飯にありつけねえぞ!」
「ちょっ! モーリスっ! むりむりむりっ! うわぁ! こ、こっちこないでぇぇっ!」
「無理じゃねえだろ! 相手はたかが鼠だぞ! ほれ! 逃げてないで剣を触れ! 剣を!」
「た、たかがネズミッ?! ……じょ、冗談じゃない!
◆
──ひと月程前
「それではジャストさん、アリアさん、長い間お世話になりました」
「長い間って、たかだか三日じゃないか。もっとゆっくりしていけばいいものを……」
「寂しくなるわね……ラルク君、またいつでも遊びにいらっしゃいね?」
「ありがとうございます、ジャストさん、アリアさん。こんなにたくさんの食料に、馬車までご用立ていただいて」
「それくらいはさせてくれてもいいだろう。金銭は頑として受け取ってはくれないのだから」
まだ靄のかかる早朝、お世話になったふたりに白い息を吐きながら別れの挨拶を済ますと、
「フラちゃん、きっとまたどこかで逢えるから、ね?」
アリアさんの後ろに半分隠れて拗ねているフラちゃんに声をかける。
「ほら、フラもいつまでもそうしていると悲しいお別れのままになってしまうわよ? しっかりご挨拶なさい?」
「ほら」とアリアさんに背中を押されたフラちゃんは、桃色の髪の毛先をいじり、下を向いたまま、
「いつ?」
と、詰まらなそうに小石を蹴って──
「また逢えるって、いつなの?」
消え入りそうな声でそう聞いてくる。
「フラちゃん……」
顔を上げて僕を見上げたフラちゃんの瞳には涙が溢れていた。
眉を顰めて固く口を閉ざし、その涙が零れ落ちないように必死に堪えている。
そんなフラちゃんと別れた妹たちが重なって見えた僕は、適当な返事をすることができずに、
「そ、それは、ええと。……フラちゃんが成人したころかな!」
ついそう答えてしまった。
フラちゃんはそれを聞いて一瞬笑顔になりかけたけど、指を折って数を数え始め、
「……じゅうさん、じゅうし、じゅうご、……あと十年もあるじゃん! そ、そんな先の約束……」
十年という長い月日に愕然としたのか、堪えきれずに大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
どうしたらいいかわからずに「フ、フラちゃん」とおろおろするだけの僕は、母親に宥めてもらおうとアリアさんに目配せをする──が、アリアさんはニコニコ笑っているだけ。
なら、ジャストさんに──と助けを求めたが、なぜかジャストさんも満足げに頷くだけで助けてくれようともしない。
仕方ないので僕は「十年なんてあっという間だよ!」と慰めるが、その甲斐もなくフラちゃんは声を出して泣き始めてしまった。
慌てた僕はなにかないかと頭を働かせ──
「えぇと……あ、そうだ! フラちゃん、これをあげる!」
外套のポケットに入れておいた、昔、母様からいただいた銀のメダルを見せた。
「ほ、ほら、これをあげるから! だから泣かないで? ね?」
小さな贈り物だけど、僕にとっては大切な思い出だ。
ひとり寂しい夜でもこれを握りしめていれば、母様を思い出して安心して眠ることができる、お守りのようなものだ。
泣きたいのはこっちだよ──とも言えずに、少しだけ泣き止んだフラちゃんの手に強引にメダルを握らせる。
「きれい……」
するとフラちゃんは鼻をすすりながら興味深そうにメダルを眺め、
「あ、ありがとう! ラルクお兄ちゃん!」
にこっと笑って礼を言う。
どうやらお気に召したようだ。
フラちゃんは涙の止んだ薄桃色の瞳を輝かせ、ぴょんと抱きついてきた。
「ほら、フラからもお返しをあげたらどう?」
ここにきてやっと口を開いたアリアさんを「お返し?」とキョトンとした顔で見上げるフラちゃんは、しばらくアリアさんの顔を思案げに見つめたあと、
「え? あれ、いいの? ラルクお兄ちゃんにしてもいいの?」
僕に抱きついたまま、嬉しそうにそう聞いた。
「ええ、フラの心のままに。ねえ、あなた?」
「ああ、フラ。ラルク君ならきっと受け取ってくれるだろう」
アリアさんの問い掛けに、相好を崩したジャストさんが肯定する。
はしゃいでいるフラちゃんを見て、なんのことだろう──と今度は僕がぽかんとしていると、ふいにフラちゃんが僕から離れ、
「ラルクお兄ちゃん、フラからのお返しをあげる。そこにひざをついて?」
満面の笑みを浮かべてそう促す。
「いや、フラちゃん、お返しなんて──」
──必要ないよ。
そう言って断ろうとした矢先、フラちゃんの目つきが一瞬鋭くなった気がして、
せっかく笑顔になったのに、ここで断ってまたご機嫌斜めになったら大変だ──
との考えに大きく舵を切った僕は、言われるがままにその場で片ひざをついた。
フラちゃんからのお返しってなんだろう……
フラちゃんはなにも持っている様子がなく、なにをくれるというのか不思議に思っていると、
「そのまま下を向いて?」
次の指示が飛んできた。
僕はもう逆らうことはせずに素直に頭を下げる。
すると伏せている僕の頭の上でフラちゃんがなにかを呟いた。
なにをしているんだろう?
下を向く僕の視界には、フラちゃんの足しか入ってこない。
頭上でなにをされているのか少し不安に思っていると、フラちゃんの両手と思われる柔らかい感触が僕の頭を包み込んだ。
そしてそこから僕の身体に溶け込もうとしているような、小さくてとても暖かいナニカ。
とても優しい温もりだ……
僕はその暖かなナニカを直感的に受け入れた。
直後、暖かいナニカは頭頂部から額の中央付近までゆっくり移動すると、ジワリと溶けてしまったかのように、感触も暖かみもなくなってしまった。
「終わったよ! ラルクお兄ちゃん!」
そう言われて立ち上がると頬を赤らめたフラちゃんと目が合う。
なぜかとても恥ずかしそうだ。
「フラちゃん、今のは……」
僕がおでこをさすりながら聞くと、
「フラのお家に伝わるおまじない!」
とだけ答えてアリアさんの後ろにまた隠れてしまった。
おまじない……?
アリアさんとジャストさんの顔を見るが、ふたりとも微笑んでいるばかり。
「お〜い、色男ぉ。そろそろ行くぞ〜」
そのとき馬車で待っていたモーリスさんが待ちきれなくなったのか声をかけてきた。
「はい、今行きます!」
モーリスさんにそう返し、ジャストさんたちに最後のあいさつをした僕は、デニスさんが御者を務めてくれる馬車へ乗り込んだ。
「みなさん! 必ずまたお会いしましょう!」
見送る三人に手を振る。
デニスさんが馬に鞭を入れると、馬車が動き出す。
「おい、色男。フラっこからなに貰ったんだ?」
「……色男って、それやめてください……なんだか家に伝わるおまじないだそうです。旅の安全祈願かなにかではないでしょうか」
「ふ〜ん、そうか。良かったな」
興味があるないのか、どっちとも取れるモーリスさんの質問にそう答える。
三人は遠ざかる僕たちのことをいつまでも見送ってくれていた。
僕もそんな三人に、姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
フラちゃんのおまじないが安全祈願などではなかったと知ったのは、青の都にある学園でフランジェリカ=シリウスという、薄桃色の瞳の少女と出逢ったときのことだった。
◆
そして現在。
「はぁ、はぁ、はぁ、し、死ぬかと、思った……」
「なんだよ、なかなか光のヤツ姿を現さないな」
「あ、当たり前です! そんなに都合よく出てくるわけないでしょうが!!」
ナッシュガルの街を出てから一カ月。
本来ならレイクホールに到着していてもおかしくない時期であるにもかかわらず、なぜか僕はネズミの集団に襲われていた。
こうなったのも全て、僕の目の前で「ネズミじゃ弱すぎたか」と恐ろしいことをいっているクレイモーリス殿下改め鬼教官モーリスのせいだ。
「もう一カ月もこうしているのに一向に出てこねえじゃねえか。……やっぱり間違いだったか?」
「……だから言ったじゃないですか……そんな力あり得ないって……だから僕を追いこんで強引に確かめるの、もう止めましょうよ……これ、命がいくつあっても足りないですよ……」
「よし、鼠は間違いだ。今度はバットウルフを探すぞ! やっぱりあの時と同じような状況を作り出さないとダメなんだな!」
「ちょっと! モーリス! 間違いってそっちですか!? バットウルフって、本当に死んじゃいますってぇぇ!!」
僕たちの旅はまだまだ続く。
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