第18話 間話 紫の花
アリアさん視点となります。
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「ラルク君て……本当に普通の平民なのかしら……」
モーリスさんとラルク君、ふたりで話をすることになったので私たちは客室を出て食堂に来ています。
ラルク君のことを主人と話するのはもう何度目でしょう。
マルスで一緒の馬車になってからというもの、毎夜焚き火にあたりながら彼の話をしていたような気がします。
フラより少しだけ背の高い、金髪の可愛らしい少年。
常に寂しげな表情をしていて、目を合わせても色違いの右眼を隠すように俯いてしまう。
話しかけても出生を知られたくないのか多くを語らない。
それでも礼儀正しく、そこはかとなく育ちの良さが滲み出ているラルク君には、なんとも秘密めいた魅力を感じてしまいます。
「どっかの商人の次男坊じゃねえのか?」
淹れた紅茶をひと口で飲み干すデニスさんは「レイクホールに奉公にでも出されたんだろ」と言いますが、私にはそうは思えません。
親許を離れたひとり旅であることは想像が付きますが、もっと深いわけがあるような気がしてならないのです。
無魔の黒禍──
今はデニスさんがいるので明け透けに話すことはできませんが、私たちの本国に伝わる勇者様の異名です。
その勇者様と片方の瞳の色を同じくするラルク君は、何か特別な使命を持って生まれてきたのではないでしょうか。
「商人の次男坊ね……私は……私もそう思っていたんだがね……」
私と同じ考えでいる主人が何かを言いかけて言葉を濁しました。
私たちの国では勇者であっても、この国では禍の元凶として忌み嫌われていると聞きます。
おいそれと無魔の黒禍の名を口にすることは憚れるのです。
「そういうとジャストさんはあの兄ちゃんをなにもんだと思ってるんだ?」
「いや、何となく彼の周囲に漂う雰囲気が平民のそれには見えないだけだ。きっとデニスさんの言うとおり少し裕福な家の出なのだろう」
私の膝の上のフラが眠たそうに大人たちの話を聞いています。
この娘もラルク君のことが心配で付きっ切りで看病をしていました。
さぞやお疲れなのでしょう。
それなのにモーリスさんときたら、あんなお芝居までみんなにさせて……
「ラルク君もだけれど、モーリスさんも不思議な人ですよね──」
何気なく言った私の一言でフラの眠気が吹き飛んだようです。
「わたしあの悪ひげきらい!! ラルクお兄ちゃんのことだました!」
「フラ、嫌いだなんて言ってはいけませんよ。モーリスさんもラルク君のことが心配だったのよ。それを面と向かって言えないもんだからちょっと照れ隠しをしただけよ?」
「それにママのこと、いやらしい目で見てるものっ!」
え? そうなの? あらいやだ。気が付かなかったわ。
モーリスさんを庇ったのもフラは気に入らなかったのでしょうか。
鼻息を荒くして「あんなのえろひげだよ」とおかんむりです。
主人とデニスさんも呆れた様子で目を合わせています。
「ほ、ほら、フラも少し寝ておきなさい? 夕飯のとき眠たくなってしまうわよ?」
どうにか腕の中のフラを寝かしつけると、話の続きとなりました。
「モーリスのあんちゃんなら粗方予想は着くぜ? どうせ家を出されたんだろ。ま、女関係で揉めたってところじゃねえのか?」
「そういえば夜も頻繁に私たちの野営から出ていっていたね。あの晩もどうやらご婦人と一緒だったようだし……」
「ああ、あの男は女にだらしのねえ相が出てやがる。奥さんも気をつけろよ?」
男の人はこういう話が好きですね。
私はもう二六歳、こんな年増を相手にする男の人なんているわけがないのに……
ジャストと夫婦を演じて五年……
いいのです。
私たちの幸せはフラを護り抜くことですから。
そう考えるとフラがますます我が子のように愛しく思えてきます。
もう駄目かと思ったあの時、いえ、もう駄目だったのでしょう。
私もフラも……
「んん……」
愛しさのあまり少し強く抱きすぎてしまったようです。
フラが窮屈そうに見をよじっています。
「私は大丈夫ですよ、ねぇ? あなた」
私はそう言うと、いつものように愛しい目で主人を見ました。
主人もいつものように「ああ、アリア」と返してきます。
いつものように──
「では私は夕食の支度をしますね。あなた、フラをお願いします」
これでいいのです。
私とジャストの全てはフラのためにあるのですから。
それこそがあのお方の希望。
五の鐘が鳴ってしばらくしたころ、ラルク君とモーリスさんが食堂に姿を現しました。
お話は終わったようです。
主人とデニスさん、起きたばかりのフラも席に着きました。
ラルク君とモーリスさんのふたりはとても軽やかな表情をしています。
きっと有意義な時間を過ごせたのでしょう。
あれ? でもなぜかラルク君のモーリスさんに対する話し方がぎこちないような気が……
あのお芝居のせいで少し距離が空いてしまったのでしょうか。
それでしたらモーリスさんの自業自得ですね。
今日は
ただでさえ命の恩人に感謝を言いたくてラルク君の回復を今か今かと待ち詫びているのです。今日は賑やかな夕食会になるでしょう。
夕食会の前にラルク君が話を切り出しました。
私たちが考えていたこととほぼ同じ内容でした。
良家の出であること、魔法が上手く使えなくて恥ずかしかったこと、その魔力が暴走して私たちを治癒し、さらに盗賊まで無力化してしまったこと、そしてモーリスさんとレイクホールまで一緒に旅することになったということ。
モーリスさんが付き添うということにはみんな喜びました。
また今度いつ危険な目に遭うかわからないのですから、モーリスさんの剣術はきっとラルク君を護る盾となるでしょう。
しかし、魔法のことに関しては疑問符が付きます。
暴走して私たちを治癒した、とラルク君は説明しますが、そんなことありえるはずがありません。
即死した人間を生き返らせる魔法師なんて現代魔法、古代魔法、総じて皆無なのですから。
言い伝えによると無魔の黒禍が可能だったそうですが……やはり瞳の色と合わせてラルク君には何か運命じみたものを感じてしまいます。
しかし命の恩人に対して手の内を詮索するようなことはたとえ心の底から知りたいと思ってもそれは義理を欠きます。
しかも私たちは異国の人間。
他国に対して優秀な魔法師の情報を隠すことは当然でしょう。
緊急時の対応とはいえ、複合魔法を教えてくれただけでも考えられないことなのですから。
それを瞬時に理解した私と主人は腑に落ちないながらも納得せざるを得ませんでした。
デニスさんとフラは心底納得しているようでしたが。
モーリスさんはどう思っているのでしょう、とモーリスさんを見ると──じっと私を見つめているモーリスさんと目が合いました。
そのとき『奥さんも気をつけろよ』というデニスさんの忠告が頭をよぎり、ぶるりと身震いした私は、今夜は鍵をかけて寝ましょう、と胸に誓いました。
ラルク君の話が終わると夕食会の開始です。
ラルク君やみんなに対する感謝と、あの場で命を落とした二家族に祈りを捧げ杯を交わしました。
夕食会はそれは楽しい時間でした。
みんな死の淵から命からがら生還した、いわば同志です。
珍しく果実酒を口にした主人も饒舌となり、二言目にはラルク君に礼を言い、フラをよろしくと言っています。
ラルク君の隣に座るフラは主人の言葉を本気で捉えているのか、いつもと少し様子が違いますね。
ふふ、乙女心満開なのでしょう。
私たちとは違い、幸せな結婚生活を送ってほしいと願うフラにはラルク君のような男の子が見つかるといいのですが。
デニスさんも酔っているのか、赤ら顔で即席で創り上げた感謝の歌をラルク君に捧げています。
モーリスさんは──と見ると、真剣な表情で私を見る緑の瞳とまた目が合いました。
私はゆったりと着ていた上着の胸のボタンをひとつ留めました。
その後ゴーシュが帰宅すると、夕食会は宴会さながらの賑やかさになっていきました。
フラも頑張って起きています。
一生忘れることのできない素敵な時間となったことでしょう。
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
夕食会も終盤に差し掛かった時分、私は夜が明けつつある外に出て、庭の片隅に咲く紫の花を一輪摘んできました。
凛と咲く、とても綺麗な花です。
私はその花をラルク君の客間に持っていき、一輪挿しに生け直しました。
言葉で伝えることはできない、シリウス王国王家からの感謝のしるしとして。
この国の方はご存じないでしょうから飾ることができます。
シリウス王家にしか栽培することのできない特別な花、シリウス・ミオソティスを。
ラルク君、どうかゆっくりと休んでください。
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